リュイール王国06
内心冷や汗を垂らしている翔平を尻目に、店の主人がすっと立ち上がる。
「ギルド登録は以上になります。書類等は貴方がお持ちになって構いません。――それでは戻りましょうか」
「あ、ああ」
翔平も慌てて立ち上がって、店の主人の後をついて行った。
店の主人がふと、翔平を振り返る。
「――申し遅れました。私はJと申します。ギルドについて何か知りたいことがあれば、何なりとお申しつけください」
「ああ。宜しく頼むよ、J」
翔平に握手を求められて、Jは「こちらこそ、宜しくお願いします」と彼の手を握った。
翔平がそんな行動を取ったのには理由がある。彼にとって、Jはリークたちと違い、仕事の仲介役となる人物である。圭を連れ戻し無事に元の世界へ戻るまで、ギルドで世話になる身として、翔平は友好的な意思を態度で示した。
ギルドのエージェントとして加入出来た翔平は、リュイール・ギルドで宿泊の手続きを行い、料金はかかるが無事に衣食住の「食」と「住」を確保した。「衣」の部分は、リークから渡された衣類があれば数日は問題ない。
Jに言われた二階にある一人部屋に入り、木造のベッドの端に腰を下ろして、翔平は安堵の息を吐き出した。
(先行きは不安だけど、こうして安い宿屋と仕事が同時に見つけられて良かったぜ)
何とか異世界で生き延びてゆける土台を固められて、翔平は心底ほっとしているようだ。
そして、これからのことを考える。
(明日から仕事をやることにして、今日はこの世界のことについて調べた方がいいかもな。――仕事をするにしても、何も知らなければ不味いことになそうだ)
そう思い、彼は足元に置いた大きな布袋から数冊の本を取り出した。
数冊の本はそれぞれ、違う題名で記されている。その中から、翔平は「世界の創造」を手に取った。
階下から響いてくる賑やかな酒場を耳にしながら、彼は本に集中していった。
(我々の世界は――)
我々の世界は、女神イリアスによって創造された。
女神イリアスは「世界」そのものである。自然の森林や果実など、我々を除く生を受けるあらゆるものは彼女が生み出したものだ。我々に害を及ぼす災害や魔物などもまた然り。
我々の心に善と悪があるように世界にも光と闇があり、その二つが均衡にあり続けるからこそ世界は存在すると言えよう。どちらかが均衡を崩せば、世界は瞬く間に終幕を迎えしてしまうだろう。
女神イリアスは「世界」を司る神だが、それだけでは我々の世界が成り立たないことを知っているだろうか。
女神イリアスが世界の中心となり、その周りで二十一の神々が世界を構成している。二十一の神々は、「天上」「地上」「宇宙」の三種類に分類され、それぞれに違った役目を担っているのだ。
(――ふぅん。女神イリアスって、この世界の創造主だったのか。実在はしてないってことなのか? まあ、これは俺に関係ないな)
始めの一ページで、翔平は「世界の創造」を閉じた。
続いて手に取った本は、「世界の国々」だ。
世界には二十二ヶ国の国がある。その中から最も大きな国のその名と特徴を記載する。
リュイール王国。
豊かな自然を誇る国で、旅人などに寛容な国である。魔法の歴史はこの国が最も古く、優秀な魔術師を各国に輩出している。
ファリアード王国。
火山地域に国を構えている興業国である。武器や防具作りの職人技術は目を見張るものがあり、技術は世界一を誇る。
セントウォール王国。
水の都と呼ばれるほどに水に恵まれ、水産業を専門的に扱う国である。この国にある清水は、様々な用途に使われている。
ウィンダー王国。
断崖絶壁に国を構え、移動手段は飛竜などしかない閉鎖的な国である。旅人たちや他国との交流を拒み、独自の国家を築いている。
サンデスト王国。
リュイール王国と真逆に、白い砂漠が広がる国である。旅人たちが好んでこの国を訪れるのは、娯楽の施設が多いからだろう。
ミサンダリア王国。
世界一高い山の頂上に国を構え、天にも通ずる塔を造り上げた国である。気候の落差が激しく、この国では常に雷が鳴り響いている。
ゼウイムス王国。
天空に浮かぶ島々が全て、ゼウイムス王国である。神に近しい国と呼ばれ、神殿に女神イリアスなどの像が祀られている。
「へぇ。この世界は、色々と特徴のある国が多いんだな」
世界図や各国の風景画を眺めて、翔平は思わず呟いていた。
(圭がこの世界の何処かに居るのかと思うと、広過ぎてちょっと不安になるな。――手配書を貼り出して、それだけで居場所って判るもんなのか?)
一ページ一ページを捲りながら、翔平の心は不安に呑み込まれそうになる。それを拭い去るように、彼はまた別の本を手に取った。
しかし、どれも読む気になれず、翔平は本を閉じてしまう。
(……また今度読むか。やっぱ脳に知識を詰め込むより、身体に叩き込んだ方が手っ取り早いんだよな。俺の場合)
そう思い立って、翔平はベッドから立ち上がった。
(世界のこととか仕事をやってれば自然と覚えてくだろうし、明日の為に残りの金で武器と防具を揃えるかな)
自分という性分を改めて知って、翔平は布袋から銭貨を取り出すと部屋を出てゆく。手頃な値段の武器屋と防具屋を探しに、再び町へ足を運ぶことにした。
昼間の城下町は、朝よりも行き交う人が多く、活気もより一層に増している。その町並みを眺めながら、翔平は早足で通り過ぎてゆく。特別急いでいる訳ではないのだが、いつの間にか彼の足取りは速さを増していた。
「随分と早歩きなんだね」
背後からのんびりとした口調で声をかけられ、途端に翔平の顔は怪訝なものに変わってゆく。
「あんた、護衛もつけずに軽々しく町へ出るもんじゃないぜ」
振り返り様に翔平がそう忠告すれば、リークは微笑みながら歩き寄ってきた。
「自分の身は、自分で護れるから大丈夫だよ。翔平」
出で立ちは城内に居る時と違い、翔平と同じ旅人のような格好をしている。その腰元に、愛用のベルトと長剣があった。
(圭の居場所が判るまで、会うこともないって思ったんだけど。何で王子であるこいつがここに居るんだ?)
リークを眺めながら、翔平は疑問を浮かべるばかりだ。ケイムの真意とリークの行動の意味を、彼は怪しんでいるが気づきはしない。
「安い宿屋は、見つかったかい?」
「まあ」
「それは良かったね。――それで場所は何処だい? 知らせを出す時に、場所が判らないと困るからね」
「……町外れのリュイール・ギルド。ギルドのエージェントとして、仕事をすることにしたんだ」
翔平の言葉に、リークが僅かに目を見開く。
「リュイール・ギルドって、コードネームJが管理している所だよね」
「コードネーム?」
リークの口から出た単語に、翔平が僅かに首を捻った。
「コードネームと言うのは、ギルドの幹部でしか手に入れられない称号のことだよ。その人だったら、安心して依頼を請け負えるはずだよ」
その説明に、翔平はさらに首を捻ることになる。
「何で、ギルドのことに詳しいんだ?」
リークがくすりと笑った。
「それは――そうだね、翔平は僕のことを知りたいかい?」
「いや、別に」
即答だ。
そんな彼に、リークはまたくすりと笑う。
「その内に判ると思うから、今は秘密にしておくよ」
「ふぅん。俺はこれから、武器と防具を買いに行くんだ。あんたが何でここに居るのかは知らないが、もう行くからな」
「じゃあな」とそう言って、翔平は踵を返してまた早歩きで歩き出そうとした。その腕を、リークが掴み取る。
「何だよ」
ムスッとした顔で翔平が振り返れば、リークは苦笑をしながら肩を竦めた。
「君はどうして、そうせっかちなのかな。それとも、僕が嫌い?」
「……会って間もないのに、好き嫌いを決められるかよ。ただ、あんたたちが俺を得体の知れない奴だって思うように、俺もあんたたちをそう思っているってだけだ」
(まあ、俺にとっては恩人でもあるけどな)
心の中で、翔平は一応つけ加えておく。
「そうだね。それじゃあ、少しずつお互いを知って行けばいいんじゃないかな。まず、手始めに、君の買い物に付き合うよ」
(何でそうなるんだよ)
マイペースなリークに、翔平は呆れるしかない。
翔平の手を取ったままで、リークがゆっくりと歩き出す。
「判ったからさ、手を離せよ」
「どうして?」
「暑苦しいからに決まってんだろ。つーか、何でそう馴れ馴れしいんだよ」
後ろで喚く翔平に、ふと何かを思い立ったのか、リークが立ち止まった。
「僕って、そんなに馴れ馴れしいかい?」
「あ? 今頃気づいたのかよ」
きょとんとした顔のリークに、翔平は尚も呆れるばかりだ。
「……そう」
相槌を打ちながら、何かを考えるようにリークの視線は何処か遠いところを彷徨っている。その際に、彼の纏う雰囲気が冷徹なものに変わった。
その雰囲気の変わりように、翔平は驚きながらリークに声をかける。
「お、おい?」
「あ、何でもないよ。君の行きたいところは、武器屋と防具屋だよね。安いところを知っているから、案内してあげるよ」
そう話している間に、リークの雰囲気が元ののんびりとしたものに変わる。
(何なんだ、こいつ?)
翔平の前ではごく僅かでしかないが、時折垣間見せるリークの変わりように、翔平はやはり首を傾げるしかない。どちらが本当の彼なのか、それとも両方が本当の彼なのか、今の翔平に知る由もなかった。
翔平が色々と考えている内に、リークはその手を離さないままで、ゆっくりとまた歩き出してゆく。
リークの口許が優しい笑みを湛えていた。