呪紋の覚醒41
暫く無言で食事を続け、やがて彼らは各々が訪れた王国について話し合う。各王国のさらに細かな情報交換や情報の引継ぎ、今後の確認を始めてゆく。
実際に王国へ赴いたことのない圭にとって、彼らの話はやはり判らないものばかりだ。だが、これから赴く者として何かの参考になると思い、圭は口を挟まず王国の名とその情報を頭の中に留めようと聞き手に専念する。
本題となる会話は、食事が終わろうと尚も続いた。生真面目な表情は崩されず、時間を忘れたように没頭している。
彼らが話を打ち切ったのは、日が傾きかけた頃のことだ。テーブルを片し出す彼らに圭も率先して手を貸し、それが終われば、それぞれの時間を過ごそうと思い思いに部屋を出て行く。
圭はイディアに連れられて、最上階へ向かう為に長い螺旋状の階段を上り続けていた。その途中で、イディアが心配そうに彼をちらりと見やる。
「大丈夫だった? 圭」
「何が大丈夫なの? イディア」
ずっと持ち歩いていた古い着替えを持ち直して、圭は彼女の問いに小首を傾げた。
「みんなのことよ。――嫌な思いとかしなかった?」
「うん、大丈夫だよ。少し個性的な人も居るけど、みんな、いい人みたいで安心した」
「そう、それは良かったわ」
そう言って、イディアは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「何か困ったことがあったら、遠慮せずに私やみんなを頼ってね。きっと、協力してくれるわ」
彼女の言葉に、圭は微笑みながら頷いた。そして、前方に視線を移して、何事かを考えるように口を開いてゆく。
「イディア。明日、ぼくは大国のサンデストへ行くよ。みんなの話していた、付き人制度が気になるんだ」
「分かったわ。パテイシャが居るから大丈夫だと思うけど、充分に気をつけてね」
「うん。それと、時間がないから行くのは大国だけに絞るよ。大国の方が旅人の出入りが多いみたいだから、翔ちゃんがぼくを捜しているなら情報が流れやすいと思うんだ」
「ええ、それがいいと思うわ」
これからの行動を告げる圭にそう返事すると、イディアの眼差しがふいに遠くを見詰めるようなものになる。
「――圭。これから先、大変になると思うけど頑張るのよ。私たちと違って、異世界から来た貴方はこの世界に枷を持たない。貴方が選び取れる選択は、目の前で無限に広がっている。周りに惑わされず、貴方にとって最善だと思う道を選びなさい」
彼女の物言いは、その眼差しと同じで遠い未来を予言しているようだ。そして、ケイオスとは真逆の言葉とも思える。
「イディアは……、ケイオスさんみたいに言わないんだね。どうしてなの?」
圭の素朴な疑問に、イディアは小さく笑って愁いを帯びた優しい目を向ける。
「ケイオス様が貴方に何を言ったのか、大体想像がつくわ。私はあの方の考えに賛同して、その補佐としてここに居る。けれど、彼のように身内にまでも厳しくなれない。それともうひとつ、貴方に対して個人的な感情があるからよ」
「個人的な感情?」
「ええ。圭は……昔亡くしてしまった、私の妹に何となく似ているの」
(……弟、じゃなくて妹なんだ……)
心の中で密かにがっくりとしつつ、圭は何も言わず彼女の話に耳を傾けた。
「私と妹はふたつ違いの姉妹で、当時、妹は貴方と同じくらいの年頃だったわ。その時は既に私の身体に呪紋が宿っていて、両親は私を恐がっていたけど、妹だけは恐がらず真摯に向き合ってくれたの。……とても優しくて可愛い、自慢の妹だったわ」
妹を語るイディアの表情は、酷く切ない。優しさは陰り、そこに哀しみと仄暗い感情が揺らいでいる。
それ以降、彼女は口を噤み語ることはなかった。そこから導き出せることは、恐らく彼女は呪紋に関連した出来事で大切な妹を亡くしてしまったのだろう。
「……イディア、その子とぼくは全然違うよ。ぼくは優しくも可愛くもない。あなたの妹のように、真っ直ぐで強い心の持ち主じゃない。だから、一緒にしちゃ可哀想だよ?」
圭の気遣いを含んだ拙い言葉に、イディアはその意味合いをはかりかねて表情をきょとんとさせる。
彼女の反応に、圭は自分の拙すぎる科白を恥じ改めて言い直す。
「イディアの大切な妹はたったひとりの妹なんだから、ぼくと重ねちゃ可哀想だよ。あなたの妹の代わりは誰にもなれない」
「……そうね。……圭に対しても、失礼なことをしたわ。ごめんなさい」
その言葉と共に、彼女の表情は寂しさの滲んだものに変わった。それに対して、圭は何故かふんわりと笑んでみせる。
「ぼく、妹にはなれないけど、あなたの弟にならなれるよ。ここは、イディアにとって家族みたいなものなんでしょ?」
「ええ……ありがとう、圭」
感謝を口にするイディアの表情が、微かな明るい笑みに満たされた。だが、やはりその笑みから愁いは拭い切れない。これから先、彼女から愁いが消え去る日は来るのだろうか。圭に知る術はない。
二人の会話が一段落した時、ケイオスの居る最上階の扉が姿を見せた。それを目にした途端に、圭の肩が僅かながらに強張ってゆく。
圭の微かな変化を、イディアは敏感に感じ取って小首を傾げた。
「緊張、しているの?」
「……うん。みんなの前で、ケイオスさんのことを思い切り言っちゃったから」
(でも、本当は、あの人の前だと自分が判らなくなっちゃうことが恐いんだ。突然、何かのスイッチが入って、ぼくなのにぼくじゃなくなる……)
彼に対する数々の強気な発言を思い出してか、圭は微苦笑を浮かべる。変わりたいと思いながら、しかし、変に変わってしまいそうな自分が恐ろしくもあった。彼の複雑な心情がそこにある。
彼の表情を言葉通りに受け止めて、彼女は納得とばかりに頷く。
「大丈夫よ。ケイオス様が怒ることは、万に一つないと思うわ。全ては、貴方の事情も気持ちも考えなかった私たちに非があるもの」
実のところ、圭は少し似たようなことをケイオスに告げている。そして、ケイオスは怒りを露にすることはなかった。恐らくそれを知らないでいるイディアに、圭は小さく頷くしかない。
最上階の扉まで圭を送ると、彼女はその場で別れを告げから踵を返していった。彼女には彼女の時間がある。如何に圭の面倒を見る役目を担っているとは言え、ひとりになる時間は必要だろう。
イディアの遠ざかってゆく背中を見送り、圭は両開きの扉を見上げた。そして、一拍の間を置き、彼は扉を開けて白い空間へ誘われるように中へと入っていく。
突如、圭の目の前にケイオスの部屋の扉が現れた。まだ慣れを知らない彼は、驚きに身体を僅かに跳ね上がらせる。そんな自分を誤魔化そうと、圭は何事もなかったかのような態度を努め、最上階の第二の扉を静かに開けていった。
部屋の窓辺の一角で様々な書物に囲まれながら、ケイオスが顔を上げて圭に視線を向けている。
「随分と遅い帰りだな。イディアたちの話に加わっていたのか?」
彼の問いかけに、圭は言葉もなく頷く。それを目で確認して、ケイオスはテーブルに向かっていった。
数十秒後、圭は会話のない室内に居心地の悪さを覚える。そして、無意識の内にその場を取り繕おうと、彼は出入り口付近に立ち止まったままで口を開く。
「これからの参考になると思って、みんなの話をずっと聞いてたんだ」
「参考になったのか?」
ケイオスがテーブルから視線を外すことはない。だが、圭の話を聞いているのか、少しの間を置いて問いを投げかけた。
「うん。明日、サンデスト王国へ向かうよ」
「――サンデストか。娯楽の多い王国で有名だが、裏を返せば無法地帯と何ら変わらん。その王国へ赴くのであれば、パテイシャから離れて行動することは控えろ」
「心配してくれるの? 今のぼくなら、大丈夫だよ?」
圭が小首を傾げて、口許を小さく綻ばせる。だが、その笑みは呪紋の所持者たちに見せたようなものではない。
「――それならいい。そこに突っ立っていないで、椅子にでも座ったらどうだ?」
彼の何処か違った様子に、ケイオスが気にした素振りはなかった。変わらない態度で、そう促している。
だが、圭は彼の言葉に従わなかった。荷物だけを窓辺の椅子に置いて、ケイオスの許へ近づいてゆく。
「ねぇ、ケイオスさん。何をしているの?」
問いをかけながら、圭は彼の背後からその手元を覗いた。そこには、×印や文字などが細々と書き込まれた大きな世界地図が広げられている。
「この×印は何の印? 全部、ケイオスさんが書き込んでるの?」
「そうだ。魔族や王国の動きなど、報告に基づいて地図に書き込んでいる。×印は、封印の鍵の在り処とされる場所を示している。既に判っていると思うが、印が必ずしも正解とは限らん」
「封印の鍵は判るけど、でも、どうして魔族や王国の動きを知る必要があるの?」
「それぞれの動きを把握していれば、隙を突くことが可能になり策も練りやすくなる。双方の動きを利用すれば、本来の目的に重点を置けると言うものだ」
ケイオスの話を聞きながら、圭は彼の横に移動する。次いで、地図に載っているリュイール王国の端側にあるルヴィスタへ人差し指を向けた。
「今翔ちゃんが居る場所は、ここなんだよね。それで、ぼくが居るのは大陸の中心にある古の森」
ルヴィスタから小国をひとつ挟んだ古の森の中心部へ向けて、人差し指が流れるように動いていく。
「……遠いなあ」
そう呟いて、彼はケイオスの顔を見詰めた。
「大国を行き来するのも凄く時間がかかりそうだけど、ここのみんなはどうやって移動しているの? ぼくの時と同じようなものを使って?」
「ああ、そうだ。世界を短時間で行き来できるよう空間に歪みを作り、それを利用している。世界が安定していないからこその出来る、俺の荒業だ」
「――世界に影響はないの?」
「異世界からお前を召喚した時は多少なりとも影響を及ぼしたが、歪みはそうでもない。影響があるとすれば、俺の方にある。……知りたいか?」
間近にある圭の顔を見上げ、ケイオスは口許に意地の悪い笑みを浮かべる。その眼差しにからかうような色があり、圭は表情を消すと大きな目をゆっくりと細めていった。




