呪紋の覚醒40
彼の笑顔に、その場に居た誰もがほっとした笑みを浮かべる。
「そりゃあ良かった。沢山あるから、遠慮せずにどんどん食べるんだよ」
トワイティがそう促さしてくるが、元々が小食である圭は曖昧に笑うしかない。そんな光景を眺めていたイディアが、ふと食事の場にある人物が居ないことに気付く。
「パテイシャ、リーク君はどうしたの?」
イディアが小声で、隣に座るパテイシャに問いを投げかけた。すると、パテイシャがそれに合わせて小声で答える。
「あの子なら部屋で食事するって、一階に下りて行ったわよ。――ひとりになりたい気持ちは解るけどね」
「そう……、少し様子を見て来ようかしら」
パテイシャの言葉に、イディアは席を立とうとした。だが、パテイシャがその腕を掴んで引き止めてしまう。それに対してイディアが口を開こうとすれば、彼女はゆっくりと首を左右に振ってみせた。
「今は放っておくことが一番じゃない? リークくんなら、きっと大丈夫よ」
彼女の冷静な言葉に、イディアは何かを思案するように黙り込む。そして、小さく息を吐き出していった。
「……そうね」
それだけを呟いて、イディアは食事に手をつけてゆく。それを見届けて、パテイシャもパンを食し始めた。
彼女たちのやり取りを、他の所持者たちが知らない訳ではない。ただ敢えて、見てみぬ振りをしていた。その様子から、パテイシャと同じ意見であることが窺える。普段の彼を知っているからこその、彼らの判断だ。
その場に、微かなぎこちない空気が漂う。トワイティとの会話で二人の会話を知らないながらも、圭はそれを敏感に感じ取って訝しげに首を傾げた。その時。
「あーっ! オレのパン」
ヴァッシュの大声が、ぎこちない空気を吹き飛ばした。何事かと思えば、ラピュセが彼の食べかけのパンを掠め取った光景がある。
「オレのパン、返せ! てか、何であんたが隣に座ってんだよ。近くによんじゃねー!」
ラピュセに対して、口ではそう息巻くヴァッシュだがその態度は常に逃げ腰だ。彼からじりじりと距離を離して、トワイティの横へぴたりとくっつく。
「暑苦しいよ、ヴァッシュ。もうちょっと離れてくれないかい?」
「文句なら、ラピュセに言えよ!」
二人がそんな言い合いをしている横で、ラピュセが無表情に自分のパンをヴァッシュの方へ置いていった。そして、掠め取ったパンはそのまま黙々と口へ運んでいる。
向かい側の奇妙な光景に、圭は釘付けになりながら何とも言い難い表情で小首を傾げた。それに気付いた隣のフォルケイが、苦笑を口許に浮かべて口を開く。
「圭殿、あれは気にしないことだ。何を考えて行動に移しているのか、我々にも解らん」
「ラピュセさんは不思議な方ですが、根はいい人なので恐がらなくても大丈夫ですよ」
彼の言葉を継いで、圭を挟んで反対側に座っているヴァリアンが微笑を浮かべて言った。そんな彼女に圭は微笑み返して頷いてみせる。
その時、食事の場で繰り広げられる光景を静かに見守っていたウィストムが、おもむろに口を開く。
「時に、圭よ。そなた、明日は何処の王国へ向かうのだ? ケイオス殿からは、何処まで聞いておる? 儂らに聞きたいことがあれば、今の内に聞いておいた方が良いぞ」
その言葉に、圭は向かい席の端に座る彼へ視線を向けた。
「向かう王国は、まだ決めていません。世界のことは、ケイオスさんが生命の樹の記憶を見せてくれました。それから、皆さんが封印の鍵と他の所持者を集めて、世界を変えようとしているところまでは知っています」
「ふむ、凡そは判っておるか」
「あの……みなさんは、本当に世界を変えるつもりでいるんですか?」
圭の遠慮がちな問いに、ウィストムが言葉の意図を探るような目で凝視する。それは彼に限らず、その場に居た誰もが口を閉ざし圭へ視線を向けた。
微かな緊張感を孕んだ空気が充満する。
だが、圭は質問を取り下げることはしなかった。緊張に身体を縮込ませるものの、彼らの返答をじっと待ち続けている。
「――何故、それを訊く? 答えはとうに見えておるだろうに」
「ご、ごめんなさい……。みなさんはただ、ケイオスさんに無理矢理やらされているんじゃないかと思って」
ウィストムの問いに圭がそう言えば、その場に笑いが巻き起こった。彼らからすれば圭の言葉は笑い事だが、圭にしみれば真剣で本音の部分だ。自分で無意識の内に望んだとは言え、ほぼ無理矢理にこの世界へ引きずり込まれた身としてはそう思わざるを得ない。
一頻りに笑うと、ウィストムは僅かに表情を引き締めて再び口を開いてゆく。
「そなた、なかなかに言うの。しかし、その考えは間違っておるぞ。きっかけを作ったのはケイオス殿だが、この道を選んだのは他でもない儂ら自身だ。皆、各々の思いを抱えてここに居る」
彼が真面目な話をしている横で、ヴァッシュは腹を抱えながらまだ笑っていた。
「笑える、すっげー笑える! 確かにケイオスの奴、悪人面っぽいな。うん、その気持ち分かる」
「ヴァッシュ……、圭が言ったのはそう言う意味じゃないよ。全く、お馬鹿さんだね」
彼に対してトワイティが呆れたように言うと、ラピュセがパンを齧りつつ無表情に口を開く。
「ヴァッシュは馬鹿だから……仕方ない。……馬鹿と言ったら、さらに馬鹿になる。可哀想だ」
「いや、あんたが一番可哀想なことしてるから! ……もうヤダ、オレこの席」
「こらこら、真面目な話をしておるのだぞ。静かにせんと、進むものも進まん。――フォルスト、ヴァッシュと換わってやりなさい」
「え? えーとえーと……うん、はい」
ウィストムの言葉にフォルストは頷くと、一番端の席から立ち上がってヴァッシュの許へ歩いていく。すると、ヴァッシュは嬉々として席を換わっていった。それに対して無表情ながらも不満の色を示すのは、他でもないラピュセである。
二人の移動により、その場は話の出来る落ち着いたものとなった。
「して、圭よ。そなたは何故、ケイオス殿が儂らに無理強いをしているのだと思うた?」
ウィストムの問いに、圭は躊躇いを見せる。暫くの逡巡の末、彼は意を決したように話し出した。
「昨日と今日、ケイオスさんと話していてそう思ったからです。あの人は……ぼくから見れば強引で身勝手な人だと思います。そんな人に、貴方たちがついて行くはずがない、と思ってしました」
圭の改まった言葉に彼の本音を聞く為か、その場は必要以上に静まり返ってゆく。先程と打って変わって、恐いくらいの真剣な表情をしている。
「無理矢理知らない世界へ召喚されて、ぼくだけだったらまだいいけど幼馴染みの友達も巻き込んで、変な力を宿らされて訳の判らないままに世界を変える手伝いをしろって……凄く勝手です。貴方たちがここへ居るのは、あの人に弱みを握られているからじゃないのかと思ってました」
そこまで話すと、圭はふっと一息を吐いた。
「生命の樹の記憶を見せられて、呪紋がどう言うものかを知って、でも……今のぼくはその苦しみを理解出来ません。呪紋が宿ったことで、あの人がどんなに苦しんだのか貴方たちがどんな苦しみを味わったのか、話してくれない限り想像もつきません。この世界がどんなものかを実際に見たりしている訳じゃないから、あの人や貴方たちの世界を変えようとする考えを疑うしかありません」
自分の心境を語った圭に、誰一人として声を上げるものは居ない。彼らは圭の言葉を真剣に受け止め、各々の考えを心の中で巡らせている。
その中で、ふいにヴァッシュが口を開く。
「なら何で、あんたはここに居ることを決めたんだ?」
「ケイオスさんにも話しましたけど、ぼくはぼく自身を変える為に、ここに居ようと決めました。そして、幼馴染みの友達を元の世界へ戻す為にも……」
「すまないことをしたね、圭。解っていると思うけど君を召喚したのは、ケイオスだけじゃなくあたしたちも関わっているんだ。……今は謝るほかないよ」
すまなそうな表情でそう言ったのは、トワイティだ。彼女に続いて、向かい側のヴァリアンが目蓋を伏せてゆく。
「圭君にとって、私たちも身勝手な存在でしかありませんね。心から……お詫び申し上げます」
「神や人、魔族の身勝手さを散々味わってきたが、一歩引けば、我々もその一部に過ぎんと言うことか。しかし、既に我々に後戻りの選択肢は残っていない」
渋い表情をして腕を組みながら、フォルケイはひとりごとのように言った。彼の向かい側のラピュセは、圭を無表情に見詰めながら静かに語り出す。
「人は……愚かだ。愚かだからこそ、人だ。……人は愚かなことをする。おれたちもまた、唯の人だ」
「ラピュセの言ってることは意味わかんねーけど、オレらの勝手な事情であんたやあんたの友達を巻き込んだのは謝る。けど、それ以上は謝らねー。謝って……それで時間が戻るワケじゃねーし」
「あの、ご、ごめんなさい。ケイオスさまの分も謝るね? ……それしか言えない」
「圭くん、許してとは言わないわ。でも、これだけは解ってほしいの。私たちは悪気があって、あなたを呼び寄せた訳じゃない。希望と願いを込めて、必死の思いで異世界に助けを求めたことを……」
フォルケイの身体で隠れて圭には見えないが、この声はパテイシャだ。彼女は彼に向けて、伝えたいことだけを口にした。その向かい側で、ウィストムが小さな唸り声を上げる。
「儂らが神々を間違っていると思うように、そなたからすれば儂らの考えは間違っておるのだろう。それは、この道を選んだ当初から解っていたことだ。だが、最早儂らに残っているのは、全てを敵に回そうとも成し遂げるのみ。後に引けない道なのだ」
「圭、みんなを代表して改めて謝るわ。貴方たちを巻き込んで、ごめんなさい。貴方の気持ちを考えないで、私たちの考えばかりを押し付けてしまって……。これから動き出すのに、まだ時間がある。それまでに様々なものを見て、貴方はどうしたいのかを考えて。その為に、ケイオス様は貴方を外へ行かせるようにしたと思うの」
イディアの真剣な声に、圭は静かにしっかりと頷いた。食事の席に居る彼らの表情を一つひとつ見詰め、ゆっくりと口を開いていく。
「いつか、ぼくに貴方たちの苦しみや痛みを教えて下さい。貴方たちのことを何も知らないままのぼくは、さっき言ったようなことしか考えられません」
彼の率直な言葉に、彼らもまた声もなく頷いてゆく。そうして、少しの間を置いて、その場は食事をする雰囲気へと変わっていった。




