呪紋の覚醒39
「ほう、ゼウイムスの女教皇が……」
ヴァリアンから報告された事柄に、ケイオスの口許が次第に怪しげな笑みに変わる。
「面白い。可能性があるとなれば、機を見て一度接触する必要がある。……どうやら、都合良く全てが重なりそうだ」
そこまでを口にすると、ケイオスはヴァリアンにひとつ頷いた。すると、彼女はこくりと頷き返して、ゆっくりと後ろへ戻っていく。
ふいに、ケイオスが真剣な面持ちに変わった。それに伴い、圭を除く全ての呪紋の所持者たちは表情をさらに引き締めて背筋を伸ばしてゆく。そんな彼らを見回して、ケイオスはゆっくりと口を開いていった。
「報告は以上のようだな。――皆の者、ご苦労であった」
彼の労いの言葉に、各王国へ向かっていた所持者たちが表情を崩さずに無言で頷く。
「この幾年、我らは世界の裏で動き続けてきた。先頃に創造の紋章の宿主を亡くしたが、今、新たな宿主が現れ出で再び我らの元へ舞い戻ってきた」
そう言って、ケイオスはずっと無言のままの圭を見下ろした。圭はそれに気付き、彼を見上げ言葉もなく見返す。視線は絡まり合うものの、二つの感情が交じることはない。
ケイオスは圭から視線を外し、再び所持者たちへ移していった。
「呪紋の所持者が全て揃った訳ではない。封印の鍵の全てを手に入れた訳でもない。だが、今こそが我らの動く時だ。――生命の樹の元に集いし、呪紋の所持者たちよ。神々の創った世界に、我らの名〝光に背きし、闇の導き手〟を知らしめるのだ」
そこで口を噤み、主導者たる彼は呪紋の所持者たちの表情を見回してゆく。そんな彼を、彼らは一心に見詰め続けている。
「我らは生きた傀儡ではない。呪われた者でもない。ましてや、魔人ではない。我々の存在は、誰が決めるものでもない。その胸にある想いを剣に変えろ。全てから抗え。生命の樹を救い、神々の過ちを正せ。我らが新たな神となり、この世界を再び変改するのだ」
声を張り上げて言い切った彼に、呪紋の所持者たちはまた無言で頷いた。
「機は二週間後にある。二週間後だ。それまでに、全ての所持者と封印の鍵を確実に集めるのだ。それが不可能ならば、情報だけでも手に入れてみせろ。――お前たちのこれまでの働きを買っているが、そろそろ良い報告を耳にすべき時ではないのか?」
「……誠に申し訳ありません。必ずや、ケイオス様の元へ全てを持ち帰ってみせます」
皆を代表するようにイディアが頭を下げて言えば、ケイオスは小さく息を吐き出しながら腕を組んだ。
「謝罪は必要ない。我が必要とするのは、結果のみだ。……お前は理解していると思っていたが?」
「はい、心得ております」
「これ以上、先延ばしにする訳には行かないのだ。七つの王国が我らの存在に気付き動き出せば、多勢に無勢、如何に呪紋を宿していようと危うくなることは必至。我らの望みは、泡となり消えてゆくだろう」
そこまでを言って、ケイオスはリークへ視線を向ける。彼の厳しい視線に、リークはその眼差しを鋭くさせた。
「先手を取ることこそが、勝利の決め手となる。利用出来るものは全て利用しろ。例えそれが愛国であろうと、血縁関係にある者であろうと、我らの望みを叶える過程で犠牲は止むを得ない。いいか? これは裏切りではない。裏切ったのは、この世界そのものだ」
その科白の全ては、恐らくリークに向けてのものだろう。リークは自嘲めいた微笑を口許にはりつかせ、ゆっくりと僅かにケイオスから視線を逸らしていった。それは注視していないと窺えない、彼の微かな感情の揺らぎだ。しかし、沈黙は守られている。
「リーク。明日からウィストム殿に代わって、リュイールへ向かえ。お前の拒否をこれまで大目に見てきたが、今回ばかりは許さん。再びリーク王子となって民の心を動かし、鍵の在り処を探り手に入れろ。――お前自らが我らの道を選んだのだ。そのことを忘れるな」
「……善処します」
ケイオスの命令に対し、リークは長い沈黙の後それだけを口にした。そんな彼から視線を外して、ケイオスはウィストムに視線を向ける。
「ウィストム殿はウィンダーへ向かい、風の壁の解析に当たって貰いたい。手伝いが欲しければ、共に向かわせるが?」
「そうですな。……では、言葉に甘えて、フォルストを連れて行こうぞ」
ウィストムの言葉に、ケイオスの視線がフォルストへ向けられた。
「フォルスト、それで構わないか?」
「う、うん、はい。ウィス爺さんの役に立てるように……頑張るよ」
フォルストがもじもじとしながらも答えれば、彼は視線をフォルケイに向けていく。
「フォルケイ殿は、ヴァッシュと共にセントウォールへ向かって貰いたい。――ヴァッシュが目立った行動を取るようであれば、力ずくで止めろ」
「了解した。しかし、ヴァッシュのお守りとは……骨が折れそうだ」
その呟きを耳にしたヴァッシュが、腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「嫌なんなら、断りゃいいだろ」
「それでも構わんが、このままだとお守り役はラピュセに代わってしまうぞ?」
「うっ、それだけは」
「俺は……別に構わない。……兄として、当然の義務だ」
ラピュセはそう言って視線を彼へ向けていくと、無表情にニヤッと恐ろしい笑みを張り付かせる。
「いや、あんたオレの兄貴じゃねーし、その笑顔すっげーこえーし」
律儀にそう突っ込みを入れながら、ヴァッシュが彼の笑みと態度に恐れ戦く。それと同時に、イディアの咳払いが飛んできた。
「私語を慎みなさい」
彼女の簡潔な一言に、ヴァッシュは思わず姿勢を正していく。そして、フォルケイの反対側の隣に立っているラピュセを仏頂面で睨みつけた。
彼らのそんなやり取りを眺めつつ、ケイオスは再び口を開いてゆく。その厳しい表情が崩れることはない。
「話の続きだ。イディアは、フォルストの代わりに小国へ向かえ。トワイティ、パテイシャ、ラピュセ、ヴァリアンの四名については、このままで行く。何か異論はあるか?」
彼の視線と共に向けられた言葉に、名の挙がった五人が「異論はない」とそれぞれの言葉で伝える。それを聞き、彼の視線はやがて圭へと流れてゆく。
「――圭」
自分の名を初めて呼ばれ、圭は不思議そうに隣のケイオスを見上げた。
「お前も明日から、皆と共に各王国へ向かえ。但し、昼時と共に塔へ戻って来るのだ。残りの時間は、お前が呪紋の力を充分に扱えるまで訓練に当てる」
彼の思いがけない科白に、圭の双眸が大きく見開かれる。
「ぼくも、外へ出ていいの?」
「ああ、構わん。お前の目で、この世界を見てくるといい」
ケイオスの肯定に、圭が満面の笑みを浮かべ嬉しそうに頷いた。その笑みは、言うまでもなく翔平へ繋がるものだ。
圭の笑みから視線を外して、ケイオスは前を見据えてゆく。
「一先ず、お前たちへの指示はここまでだ。二週間後のことは追々知らせる。今は、それぞれのやるべきことに集中していればいい」
彼の言葉に、呪紋の所持者たちは始めと同じように無言のままで頷いていった。それを確認して、ケイオスは言葉を続けていく。
「以上、解散だ。明日の為にも、ゆっくりと身体を休めてくれ」
それを合図に、その場の雰囲気はゆっくりと和やかになってゆく。上を仰げば二つの太陽は傾きを見せ、あれから長い時間が経っているのが判る。
呪紋の所持者たちは思い思いに白い空間を出て行き、そこに残っているのは圭とケイオスとイディアのみとなった。
「圭、朝食も昼食もまだでしょう? みんなもそこへ向かっているから、一緒に食べましょう?」
「うん。やっぱり食べないと、身が持たないよね」
イディアの誘いにあっさりと乗り、圭は自分から遠退いてゆくケイオスの背中へ視線を向ける。
「ケイオスさんは? みんなと一緒に食べないの?」
「あの方は部屋に篭ることが多いから、食事はいつもそこで済ましているのよ。みんなと一緒に食べたことは、一度もないわ」
「そうなんだ。……何だか寂しいね」
圭がそう言っている間にも、彼の背中は空間と同化していた扉の中へと消えていった。
「……そうね。けれど、寂しさに慣れてしまえば、何も感じなくなる。ケイオス様に限らず、私たちはそうやって今までを生きてきた。貴方が気にすることじゃないわ」
そう言って微笑む彼女に、圭は何も言えない。適当な言葉が見つからず、彼女の言葉に頷くしかなかった。
「行きましょうか。食事をする場所は、塔の二階にあるの」
圭はやはり何も言えないまま、イディアに促されて彼女と共にその場を後にする。
守護の塔の二階にある一室へ足を踏み入れると、食べ物の匂いと賑やかな雰囲気が二人を覆い包んだ。殺風景な室内を見渡せば、真ん中に木製の長いテーブルが置かれ、その上にパンや干し肉、果物などが幾つか並んでいる。その両脇に所持者たちは身を落ち着かせ、会話を交わしていた。
パテイシャが二人の姿に気付き、色っぽい仕種で手を振って空いている席へ促していく。それに従い、圭とイディアはそれぞれの席へ腰を下ろした。
食事の席へついたものの、圭は昨日から世話をやいてくれるイディアと離れてしまう。初対面である彼らに囲まれ、彼は戸惑いと緊張に表情を硬くした。
「このパンをどうぞ、召上って下さい」
ヴァリアンが微笑を浮かべながら、戸惑いがちの圭にパンを差し出す。
「あ、ありがとう」
彼女に礼を告げながら、圭は硬い表情のままパンを受け取った。そんな彼を見て、ヴァッシュがからかい混じりの笑みを浮かべる。
「何だよ、緊張してんのか? 取って食いはしねーから、そんな硬くなんなよ」
そう言って、ヴァッシュが圭に干し肉を差し出していく。その横で、トワイティが果物を摘みながら微苦笑を浮かべた。
「すまないね。ちゃんとした食事が用意出来ればいいんだけど、塔を空けることが多いから保存食しか置いてないんだよ。果物は、古の森で採れるからいいんだけどね。――味は大丈夫かい?」
彼女にそう訊かれ、圭は渡されたパンと干し肉を順番に口につけた。その味は元居た世界と異なるが、食べられない程に違っている訳ではない。
「うん、大丈夫だよ。美味しい」
圭はそう言って、こちらを窺っている彼らに笑みを見せた。




