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呪紋の覚醒35

 圭の様子を眺めながら、リークがイディアの許へ近づいて行く。その真剣な表情が崩されることはない。

「意のままに表れるとは言ったけれど、まさか人間の形を創り出すなんて予想外ですよ」

「彼はきっと、創造の紋章と相性がいいのね。かつて、これ程までに力を引き出せた所持者は居ないわ」

 イディアの科白に、彼はふっと楽しげな微笑を口許に浮かべてゆく。

「面白いですね。――僕との実践で、彼がどのように化けていくのか楽しみになりました。止める際は、頃合いを見計らってからにして下さい」

 彼女にそれだけを言い置くと、リークは圭の許へ歩き出した。一定の距離を空けて圭の前に立ち止まれば、彼は翔平の後ろ姿を眺める。圭は翔平と向かい合ったままで、そこから微動だにせずまだ驚きに目を見開いていた。

「圭君、彼の正式な名前は何と言うんだい」

 リークの問いに、圭は漸く我に返って翔平から彼へと視線を向ける。そして、翔平が居ることから上機嫌に何の疑いもなく口を開く。

「翔ちゃんの名前は、桐生翔平だよ」

「桐生翔平……翔平君だね。君がどうして、呪紋の力で翔平君を形創ったのかは判るよ。けれど、大切だと思うものを無闇に形にするのは感心しないね」

 そう言って、リークはゆっくりと腰元の鞘から長剣を引き抜いた。

「大切なものを闘いの場に表すことは、それを失う危険性が伴うと言うことだ。例え、呪紋の力で創られた仮の存在だとしても、その時君は平静で居られるのかい? 呪紋の暴走への引き金とも成り得るよ」

 彼ののんびりとしながら容赦のない言葉に、圭は肩を強張らせながら身構えてゆく。

「本格的な闘いがどう言うものかを、これから実践で教えてあげるよ。君のその力で、僕から翔平君を護り切れるかい?」

 そう言いながら、リークは殺気を全身に纏わせ、長剣の切っ先を翔平の背中へと突きつけていく。すると、翔平はそれに反応して軽々とそこから飛び去った。圭を護るように彼を背中に庇い、竹刀を構えながら意志の強い瞳でリークを睨みつける。

 翔平の睨みを真正面に受け止めて、リークが微かに笑んでみせた。他意のない微笑みだ。

「――さあ、始めようか。今度は、本気で行かせて貰うよ」

「翔ちゃん!」

 リークがその場を素早く駆けて行くのと、圭が翔平の名前を呼ぶのはほぼ同時だった。

 地面を蹴って高く跳び上がり、リークは降下する勢いを活かして翔平へ長剣を振り下ろしていく。それを片手に持ち替えた竹刀で受け止めながら、翔平は自分の後ろに居る圭を安全な所へ突き飛ばした。その真っ直ぐな視線は、リークに向けたままだ。長剣と竹刀を合わせながら、二人の視線もまた絡まり合う。

 翔平が渾身の力で、リークの長剣と共に彼の身体をその場から弾き飛ばした。そんな翔平の行動に、リークは口許に微笑を浮かべながら身を翻して地面に着地し、身を低くすると再び地面を蹴って彼の許へ詰め寄っていく。攻撃の手を緩めず、止まることのない動きだ。低い位置から心臓へ目がけて長剣の切っ先が真っ直ぐに突きつけられ、翔平はリークの動きに合わせながらその場を飛び退る。だが、リークはそれを逃しはしない。すぐさまに呪文を唱えながら長剣を地面に突き刺し、真空の刃を地面に走らせた。そして、真空の刃を追うようにその場を素早く駆け出してゆく。

 真空の刃が地面に亀裂を作りながら疾走し、翔平の許へ勢い良く迫っていく。彼がそれを避ける間はない。

「翔ちゃん!」

 二人の闘いを見ているしかない圭は、悲痛の叫びを上げた。それと同時に、真空の刃が翔平を切り裂いていく。彼の剣道着や黒の袴はおろか素肌までが切り裂かれ、翔平は激痛に襲われる身体を庇いながらその場に片膝を突いた。そんな彼にそこまで来ていたリークが追い討ちをかけるように長剣を振り下ろす。

「やめてー!」

 圭は涙声に叫んだ。だが、制止の声は届かず、リークの長剣は翔平の背中を剣道着諸共切り裂いていった。

 衝撃的な光景を目の当たりにして、圭は心臓が縮むような感覚を覚える。涙はその大きな目から溢れ出、息苦しさに呼吸は荒くなり、酸素を求めようと肩を喘がせてゆく。しかし上手く呼吸が出来ないのか、息と共に喉から苦しそうな音が吐き出された。圭は今、克服したはずの喘息に近い状態へ陥っている。そして、それが呪紋の暴走へ直結していくのは言うまでもない。

 血を滴らせる長剣を持ったリークが、蹲って動かない翔平から圭の方へ視線を移していく。その口許は、相変わらずの微笑が浮かんでいる。暴走とは違う、正常な時の笑みだ。

「君は〝見ている〟だけなのかい? 呪紋で形創られた翔平君は、君を護ろうと闘っているのに、君は〝見ているしか〟ないのかい? 泣き叫んで、それだけで終わらせるのか?」

 挑発するような彼の科白に、圭の脳裏に一年前の記憶が過ぎる。あの性的暴行未遂事件で翔平が圭を護ろうとして怪我を負い倒れた記憶だ。呪紋の暴走はそこで押し止まる。

「意志のない力は、〝力〟とは言えないよ。君の意志があってこそ、〝力〟が生まれ働いていくんだ。――君の呪紋の力を伴った翔平君は、どうして避けるばかりで何もしようとしないんだろうね?」

 圭に何かを助言するように言い置いて、リークは再び蹲る翔平を見下ろした。

(翔平君、酷いことをしてしまってごめんよ。君に、もう少しだけ頑張って貰いたいんだ)

 纏う殺気と態度とは裏腹に、リークは心の中で翔平に対してそんなことを思う。次いで、彼の傷ついた身体に治癒の魔法を施そうと身を屈めていく。

 その光景は、圭にとって見ればリークが翔平に止めを刺そうとしているように思えた。

「やめろっ! これ以上、翔ちゃんを傷つけるな! ……ぼくは、おまえを許さない」

 そう口調を荒げる圭の柔らかな髪が、風もないのに揺らめき出した。目尻を吊り上げ、殺気の篭った金に近い色素の薄い瞳で、リークの姿を睨み据える。圭の変化に呼応するように、翔平の傷ついた姿が元に戻ってゆく。

 リークはその様を眺めて、楽しげな笑みを小さく口許に刻んだ。それと共にその場をすぐさま飛び退き、一定の距離を空けると身構え始める。

「やっと、本気になってくれたね」

 彼の科白に、圭は何も答えない。その代わり、それを肯定するように翔平が立ち上がり動き出した。先程までは受身だった彼が、今度は積極的にリークへ攻撃をしかけてゆく。

 翔平が竹刀を握り直し、それを斜め下に構えると、地面を蹴って高々と飛び上がった。次いで竹刀を上段の構えに変え、勢い良く降下しながら変え振り下ろしていく。それをリークが長剣で受け止めれば、彼は地に足をつけることなく身軽に宙を舞い、リークの背後を取ると同時に竹刀を背中へ打ち込んでいった。竹刀とは言え、翔平と同じく圭の呪紋の力で形創られたものだ。中れば、長剣同等の威力がある。だが、リークは容易くその攻撃を受け流してしまう。

 リークの動きを注視していた圭は、彼の行動を見越して想像と共に頭の中に浮かぶ呪文を呟いた。すると、圭の周りに浮いていた魔方陣のひとつが、中心部から無数の蔦を出現させてリークの方へとそれを伸ばしてゆく。だが、圭の行動はそれだけに止まらない。再び別の呪文を呟くと、別の魔方陣が今度は圭の真下の地面へ降下した。その中心部から圭を避けながら木の根っ子部分を出現させ、尋常ではない速さで地中と地上をうねりながら標的を目指していく。

 翔平と蔦と根っ子を一編に相手をしなくてはならなくなったリークは、更に楽しげな笑みを零す。闘いが楽しいのか、それともどんどん化けていく圭に楽しさを覚えているのか、判別のつかない笑みである。その笑みのままで、自分に巻きつこうとする蔦を避け、足に絡もうとする根っ子を跳び上がることでかわし、竹刀で斬りかかってくる翔平を長剣で受け流していった。そして地面に着地すると同時に、呪文を呟きながら長剣を突きたて無数の炎の柱を周りへ走らせる。

「……っ!」

 地面を疾走する炎の柱は、圭の所まで迫ってきていた。咄嗟に、彼は蔦と根っ子を自分の周りを覆わせ、盾のように見立てて炎を遮断していく。蔦と根っ子は、強力な炎に包まれて灰と化し始めた。

 その隙を突いて、リークが地面へ長剣を突き刺したままで呪文を唱えた。すると、今度は風のようなものが疾走し、まだ消えない炎の勢いを強くしてゆく。

 畳み掛けるような攻撃に、圭はそれを防ぎきれない。灰と化した蔦と根っ子は最早盾とならず、津波のように押し寄せてくる炎に思わず目を瞑る。

(やっぱり、駄目だ。ぼくはまだ、弱いままの圭なんだ)

 その時だ。圭の目の前に、一陣の風が吹き込んできた。それと共に、自分の許へやって来るはずの炎の気配が消え去っていく。圭が恐る恐る目蓋を開ければ、翔平の背中が目に飛び込んできた。

(翔ちゃん……!)

 目の前で身体を張って炎を防ぐ翔平に、圭は目を大きく見開く。その背中を呆然としながら凝視していると、ふいに翔平が顔だけを振り向かせた。意志の強い瞳で圭を見詰め、彼はゆっくりと首を左右に振る。それはまるで、圭が心の中で思っていた考えを否定するような行動だ。それと共に、彼はリークの炎に包まれながら静かに灰と化していった。翔平であって翔平ではない、だが僅かに翔平を思わせる圭に形創られたものは、何かを語ることもなく自分の使命を成し遂げて消え去ってしまう。

「……ぼくを護ってくれて、ありがとう。……ありがとう、翔ちゃん」

 消えてしまった彼に、圭はぽつりぽつりと礼を告げた。そして、いつの間にか涙を流していた目元を拭いながら顔を上げる。その目に、長剣を鞘に納めたリークの姿が映った。

「あなたの言う通りだ。……ぼくは、もう二度と大切なものを形に表さない。……ううん、人の形を取るものは表さない。ぼくがどんなに護りたいと思っても、呪紋で創り出したものは、ぼくを護ることを使命として動いちゃうんだね。翔ちゃんが本物の翔ちゃんじゃなくて、良かった。……本当に良かった」

 そう言いながら、圭は徐々に俯いてしまう。そこに暴走を引き起こす気配はない。

 落ち着いているような、だが落ち込んでいるような圭の姿に、リークは何も言わない。 意図的に闘いを始め、努めて悪者役に徹し、翔平と圭を傷つけた身として、かける言葉は見つからない。その代わりに、リークはイディアに視線を向けて小さく頷いた。

 リークの合図に、イディアが圭の許へそっと近づいていく。

「……圭、疲れたでしょう? 今日は、ここまでにしましょう」

 気遣わしげな彼女の声音に、圭は顔を上げて暫くの沈黙の後、言葉もなく小さく頷いた。そんな彼に、イディアが優しく笑んだ。

「それじゃあ、汚れた身体を洗いに行きましょうか? そろそろ、みんながここへ戻って来る時間だから」

 その言葉に気を取り直して、圭は小さな笑みを浮かべながら頷いていった。

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