呪紋の覚醒34
ケイオスの言葉に、圭は着替えなどを手にしてベッドから立ち上がった。彼を横目で見やりながら、扉の向こうへと歩き進んでゆく。
圭が部屋の外へ辿り着けば、扉は音も立てずに内側から閉ざされてしまう。
圭は自分が出てきた場所を振り返った。そこに扉の影も形もない。まるで、扉は白い空間にとけ込んでしまったかのようだ。
そこから視線を外して、圭は背後に立つ二人を振り返る。
「昨日は、すみませんでした」
リークとイディアにそう言って、彼はゆっくりと頭を下げていった。そんな彼に、二人が微かな安堵の息を吐き出している。
「どうやら、落ち着いたようだね」
「圭、もう大丈夫なの? 無理は禁物よ。今日は止した方がいいかしら?」
イディアの気遣わしげな言葉に、圭は即座に首を左右に振ってみせた。
「休む時間なんていらない。創造の紋章を、早くぼくの物にしたい」
甘えのない真剣な双眸だ。昨日と何処か違って見える彼の雰囲気や表情に、二人は互いの顔を見合わせる。そして、すぐに圭へ視線を戻していった。
「分かったわ。けれど、まずは服を着替えるのが先ね。身体も綺麗に洗い流して、朝食はその後かしら。それから」
圭の汚れた服を眺めながら、イディアが嬉しそうに次々と計画を立てていく。そんな彼女に、リークが微苦笑を浮かべた。
「イディアさん。嬉しそうなところに水を差してすみませんが、彼の自由にさせた方がいいと思いますよ」
リークの口調はのんびりとしているが、冷静な物言いだ。そんな彼に、イディアが「そうね」と相槌を打った。そして、圭の方へ視線を向ける。
「……圭はどうしたいの?」
「すぐにでもお願いします」
圭が硬い口調で頭を下げれば、二人は真剣な表情で頷いてみせる。
「それなら、すぐに始めましょう。私たちに付いて来なさい」
二人が圭を連れて行った場所は、塔から離れた所にある木々の開けた部分だ。その中心部で立ち止まると、リークは開けた部分に合わせて魔方陣の結界を張り巡らせていった。それはこれから行われる事柄に、周りを巻き込ませないようにする為のものである。
リークが屈んでいた身体を起き上がらせながら、冷徹な空気を纏った。
「昨夜の闘いで気付いていると思うけれど、君は既に呪紋の力を扱えている。今の君がすべきことは、力の制御だ」
「力の制御?」
圭が不思議そうな表情で鸚鵡返せば、リークが「そうだよ」と相槌を打った。
「昨夜の、力を引き出した感覚を覚えているかい? 無意識に引き出した力を、今度は意識的に引き出すんだ。あの感覚さえ思い出せれば、今の君にとっては簡単なことだよ」
彼の指示に従い、圭は昨晩の感覚を思い出しながら試みようとする。だが、その感覚が曖昧で力を引き出すことは叶わなかった。
そんな圭の様子に、リークが動き出す。何をするのかと思えば、彼は腰元の鞘から長剣を引き抜いて、圭の眼前へその切っ先を突き付けてゆく。圭が長剣の切っ先から遠退こうと後退すれば、リークがそれを追うように無言で前進した。それは昨晩の闘いの再現である。リークの目は殺気を帯びていた。
唐突に、圭の身体が闇色の光を放つ。それと共に、彼の周りで無数の魔方陣が浮かび上がってきた。
「そう、その感覚を覚えるんだ。君に宿った呪紋は創造。その力は僕たちと違って、君次第で何にでも変わる。全ては、君の意のままに力は表れる」
碧の双眸に宿る殺気を消し去り、リークは事務的に創造の紋章の特徴を口にした。
リークの説明を聞きながら、圭はゆっくりと目を閉じてゆく。そうすることで心を落ち着かせ、彼は自分を覆い包む不思議な感覚を必死に覚えていく。
「それが掴めたら、今度はそれを持続させるんだ。持続させることによって、力は蓄積され増大していく。そうすると、一度に多くの力を扱えるようになるよ」
更なるリークの言葉に従い、圭は一定の力の放出を試みる。何もかもが初めてな彼にとって、それら全ては自分の中にある感覚に頼るしかない。
「……っ!」
暫くすると、圭の中で何かが膨れ上がる感覚が襲ってきた。その途端に彼の眉間に皺がより、額からは汗が滲み頬を伝って地面へ落ちてゆく。
「飲み込みが早いね、圭君。けれど、実際の闘いはこんな風に君を待ってはくれない。今の感覚を常に意識して、呪紋の力を発動させるまでの所要時間を徐々に短縮させていくんだ。慣れるまでは、僕たちが君の援護をするから焦らなくてもいいよ」
圭は力を持続させながら、リークの言葉に小さく頷いた。そして、ゆっくりと閉じていた目蓋を開けてゆく。
「大丈夫? 圭」
圭を心配そうに見守っていたイディアが口を開いた。圭はそんな彼女に視線を移し、安心させるようにふんわりと微笑んだ。
「うん。ぼくなら大丈夫だから、このまま続けて」
そうは言うものの、身体を動かした訳でもないのに圭の息が上がっている。それほどまでに、呪紋の力は心身に多大な影響を及ぼす。まだ慣れを知らない彼の、その負担は計り知れない。だが、イディアと会話を交わす間にも、彼は力の持続を努めていた。
圭の様子を注視しながら、リークは微苦笑を浮かべる。
(いい心掛けだけれど、少し休憩させた方がいいね。このまま実践に持ち込めば、彼は確実に倒れてしまう)
「――圭君。君は魔法がどんなものかを知っているかい?」
「え?」
リークから唐突に話題を振られ、圭はきょとんとした表情を見せた。だが、すぐに理解したのか頷いてみせる。
「本とかで読んだことがあるよ。魔法って、魔力の具わった人が呪文を詠唱して火とか水を出すんだよね?」
「そうだよ。それじゃあ、どうして呪文を詠唱しなければいけないのかは判るかい?」
「えっと……呪文はそれを出す為のものじゃないの?」
「そう捉えることも出来るよ。呪文とは、精霊へ助力を求める言葉なんだ。例え魔力が具わっていたとしても、その言葉を欠けば何も出来ない。魔力を持った者が魔方陣――精霊の名を表す図形を描き、呪文で精霊に助力を求める。その三つの要素が合わさることで、初めて魔法は生まれるんだ。これは、リュイール王国の魔術師が使う一般的な手法だ」
リークの説明を最後まで耳にして、圭は何かを疑問に感じたのか小首を傾げた。いつの間にか、彼は話に夢中になっている。だが、彼の周りに浮かび上がっている魔方陣は消えることはなかった。
「呪紋と魔法は違うの?」
「似て非なるもの、と言った方がいいね。原理が違うんだ。魔法は精霊の力を、呪紋は神の力を源にしている。僕たちは魔法も扱えるけれど、手法は異なって魔方陣を描くことはないんだ。……背中に呪紋が宿っているからね。それが魔方陣の代用となっている。魔法と呪紋共に呪文の詠唱はするけれど、その役割は違っているよ」
「どう言うこと?」
「魔法での呪文は、魔術師が唱える呪文と同じ役割だ。けれど、儀式的な呪文ではなく精霊の名を呼ぶだけだから短い。そして、呪紋での呪文は、今君がやっている力の制御の第二段階のものだよ。意志によって呪紋の力は引き出され持続し、呪文によって外側へ放出され、また意志によって自由自在に操る」
「呪紋の力を扱うのに、三段階の過程があるんだね……。呪文も何だか覚えられそうもないよ」
圭が困り顔でそんな言葉を口にすると、イディアが微笑を浮かべながら口を挟んでくる。
「圭、大丈夫よ。難関の第一段階が上手く出来れば、後はとんとん拍子に出来るようになるわ。それから、呪紋の呪文は覚えるものではないの。呪文の全ては、貴方の中に眠っている。所持者各々で全く異なる呪文だから、残念だけど貴方に教えることは出来ないわ」
「うん、分かったよ。ぼく、頑張るからね」
ふんわりと天使のような笑みを浮かべる彼に、彼女はこくりと小さく頷いてみせた。そんな二人を、リークは微笑を浮かべながら眺めている。だが、暫くすると、彼の雰囲気が冷徹なものに変わった。
(さてと、そろそろだね。――それにしても、大した順応能力だ。会話に集中しているのに、微力ながら呪紋の力を持続させている)
「圭君、また始めからやろう。呪紋の力を解いてくれないかい?」
リークの言葉に、圭は表情を引き締めて無言で頷く。そして、ふっと身体から全ての力を抜いていった。
「それじゃあ、始めよう」
その言葉に促され、彼は再び第一段階である力の制御に集中していく。
今度は目を瞑ることはしなかったが、圭は容易く呪紋の力を引き出すことが出来た。それに続いて、力を持続させて行けば、先程感じた力が膨れ上がる感覚が彼を覆う。やはり、まだ負担はかかっているようだ。彼の額に、また汗が噴き出している。しかし、それとは裏腹に、彼の周りの魔方陣は闇色の力強い輝きを放っていた。
圭の様子に、イディアが自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべる。
「圭、その調子よ。頑張って」
「うん、大分安定してきたね。次は第二段階だよ。君の思い描くものを、呪紋の力で表すんだ。その時、呪文は自然と君の頭の中にあるはずだ」
(ぼくの……思い描くもの……翔ちゃん?)
彼の頭の中には、やはり翔平のことしかない。翔平離れをしようとしても、無意識にとは言え長年培ってきた習慣は早々直るものではないのだ。
翔平を思い描いた途端に、圭の頭の中で何かの呪文が浮かび上がってきた。その呪文を無意識に呟けば、闇色の魔方陣が彼の前へ上下に集り回転し始める。
魔方陣の緩やかだった回転はやがて加速し、その回転のままひとつに重なって大きさを増し地面へ降下して行った。回転の速度は落ちていない。
暫くすると、魔方陣の全体が闇色に染まり、そこから人の姿がすっと浮かび上がってきた。硬質な暗めの茶髪に少年のあどけなさを少し残した精悍な顔つきの、圭の昔からの見知った人物だ。意志の強い髪と同じ色の瞳は、今は閉じられて窺うことは出来ない。
圭の目が大きく見開かれる。
「翔ちゃん!」
思わずその名を呼んでしまった彼に、剣道着と黒の袴を身につけた翔平がゆっくりと目蓋を開ける。その手に竹刀が握られていた。
透き通っていた翔平の身体が徐々に物質化していくと、魔方陣はその下で散らばって圭の周りへと戻ってゆく。
その様を見守っていたリークとイディアが、真剣な面持ちで互いの顔を見合わせた。




