呪紋の覚醒33
鋭くなった蔓の先端が黒い影を貫こうとした。だが、それは寸でのところで、鋭利な刃によって斬り落とされてゆく。
「力を使う場合は、相手の動きをよく見ないと危ないよ。もしも僕が敵だったら、君は間違いなく斬り殺されていただろうね」
のんびりとした口調で、黒い影は恐ろしいことを言った。何処かで聞き覚えのある声だ。
圭が目蓋をそっと開けてみれば、見覚えのある少年が長剣を手にしながら近付いてくる。
「……リーク」
「今晩は、圭君。君はこの森を、ひとりで抜けるつもりかい?」
「……ケイオスさんに言われて来たの?」
リークの問いに答えず、圭は彼を警戒しながら問いを投げ返した。すると、リークがあっさりと頷いてみせる。
「古の森は、そう簡単に抜けられない。ここは大人しく、守護の塔に戻った方がいいよ」
「嫌だ! ぼくは、貴方たちの所に戻らない。神様に復讐するなんて、おかしいよ」
「おかしい?」
圭の決め付けたような物言いに、リークが不思議そうに首を傾げてゆく。
「故郷である世界を救うことが、そんなにおかしいことなのかい? その口振りからすると、君は生命の樹の記憶を見たんだね。それは、それらを踏まえての発言かい?」
のんびりとした雰囲気を冷徹なものに変えて、リークはその心を見通すかのように圭を見据えた。
圭は何も言えない。
「君のそれは、偽善に過ぎない。生命の樹の記憶を垣間見て、それをおかしいことだと本心から言えるのかい? 自分の置かれた状況から逃げているようにしか見えないよ」
そう言いながら、リークは握っていた長剣の鋭い切っ先を圭の鼻先へ突きつけてゆく。
「ここから逃げ出したかったら、先ずは僕を倒すことだ。けれど、今の君はまだ弱い。呪紋の力が半端な僕にも、勝ちはしないよ」
出会った当初の雰囲気を一変させる彼に、圭は恐怖に顔色を染めて表情を強張らせた。魔法陣を周りに浮かび上がらせたままで、一歩また一歩と後方へ後退りしていく。
それを追うように、リークは長剣を突きつけたままでゆっくりと前進する。
「何故、君はこの世界へ来た? 君は強さを求めて、君の世界から逃げ出してきたんじゃないのか? 偽善的な理由を盾に、君はまた逃げ出すんだね」
「違うよ。ぼくは……逃げてなんかいない。逃げてなんか」
「本当に? 君の大切な友人に誓って、言えるのかい? 君を助ける為だけに、この世界へやって来た彼に」
「……翔ちゃん。そうだ、早く翔ちゃんの所へ行かなきゃ。ぼくの邪魔をしないで!」
圭がそう叫べば、反応したかのように魔法陣の蔓たちが再び動き出した。
リークはその場から飛び退くと、心臓を目がけて伸びてくる蔓を造作もなく斬り落としてゆく。そして、視線を圭に向けていった。
「彼の存在もまた、君の逃げ道のひとつのようだね。逃げることもひとつの手だけれど、それでは何も変わらない。君は自分を変えたくて、この世界に居るんだろう? 目の前にあるものに立ち向かうことこそ、はじめの一歩だと思うよ」
「だから、貴方たちに協力しろって言うの? そんなの、勝手すぎるよ!」
彼の言葉にそう返しながら、圭は攻撃の手を休めない。とは言え、無意識且つ感情のままに力を行使している為か、攻撃に研ぎ澄まされた鋭さはない。
リークは片手を前へ突き出しながら、小さく呪文を呟き出した。すると、彼の手の平から魔法陣の盾が浮かび上がる。
「君への強要については、否定しないよ。それ程に、君の存在は必要不可欠なんだ」
そう言って、リークは魔法陣の盾で攻撃を跳ね返しながら素早く駆け出した。それでも一斉に向かってくる蔓たちを長剣で薙ぎ払い、圭との距離を徐々に縮めていく。
「圭君、僕たちと一緒に行こう。全ては、そこから始まるんだよ。君も、僕たちも――」
圭の目の前までやって来れば、リークは長剣を地面へ突き立てていった。そして、呪文を唱えながら、長剣を持っていた方の手を圭の眼前へ翳してゆく。
リークが圭に施したものは、恐らく眠りの魔法の類だろう。
「な……に……?」
圭は気を失うように、ゆっくりと目蓋を閉じていった。やがて、彼を護っていた魔法陣が静かに掻き消える。
リークは即座に魔法陣の盾を消し、崩れるように倒れてゆく圭の身体を片手で支えた。
「ごめんよ」
圭にそう謝りながら、リークは地面に突き立てていた長剣の柄を掴んで鞘に戻していく。次いで、彼は深い闇の方へ視線を走らせた。
そこに他の景色と同化しない、歪みが生じている。彼はそこからやって来た。そして、今度は圭を背負いながら歪みの中へと消えてゆく。
二つの太陽が古の森を覆い包んで、生きとし生けるものへ今日がやって来たことを告げる。すると森の中を風が吹き抜け、木々が全てのものへ挨拶を投げかけるようにざわめいていく。鳥たちは歓喜の歌を口ずさみ、獣たちは森の中を自由に駆け走り回り始めた。
目覚めを呼び掛けるような森の声に、圭は気付きもせず静かな寝息を立てるばかりだ。柔らかな毛布に包まり、それでも温もりを求めるように両腕を伸ばしてゆく。
圭の手の平が温もりに触れた。しかし、それは触れた途端に離れていってしまう。逃したくなくて、温もりを捕らえて引き寄せると、甘えるように自分の身体を擦り寄せていった。
「温かい……」
目覚めてはいないが、ふんわりと気持ちよさそうに微笑んだ。その温もりを、翔平とでも思っているのだろうか。
「――寝惚けるのも大概にしろ」
間近で聞き覚えのある声が聞こえて、圭は即座に眠りから目を覚ました。そして、互いの鼻先がくっつき合うほどの位置にある顔に大きく目を見開く。
「ケイオス、さん」
「俺の胸元の服を掴む、その手を放して貰おう。そうしなければ、昨日のように不本意なことが起こり得るぞ」
ニヤッと意地悪げな笑みで言った事柄は、暴走を起こしそうな圭を止める為に行ったキスのことだろう。それを思い出して、圭は咄嗟に彼の衣服から手を放していった。
すると、ケイオスは何事もなかったかのように体勢を戻して、身体を圭の横たわるベッドの脇へ落ち着かせる。どうやら、ケイオスが起こそうとしていたところを、圭が夢現に身体を引き寄せてしまったようだ。
自分の失態に気付き、圭は恥ずかしさのあまり顔を赤らめる。だが、すぐに複雑な面持ちで上半身を起き上がらせていった。
「……ぼく、またここへ連れ戻されちゃったんだね」
「そうだ。例え逃れたところで、その容姿と異世界の者であること、そして呪紋を宿している限り、お前の身に危険は付き纏う。だが、我らと共に来れば安全は保障しよう。――今のお前にとって、それが最も妥当な選択だ」
ケイオスの言葉に、圭は考えるように顔を俯かせていく。
(今のぼくじゃあ、この人の言う通り何処に行っても駄目だ。ぼくの中に凄い力があったって、使いこなさなきゃ意味がない。昨日みたいに、自分の身さえ護れなかった)
昨日とは打って変わって、圭の様子は幾らか落ち着いているようだ。時間が経過したことによって、彼は再び冷静さを取り戻したに違いない。
圭は昨日のことを思い返してゆく。自分の身に起こった全ての事柄を、一つひとつ逃さずに頭の中で整理している。
そんな圭の様子を、ケイオスは黙って見守った。彼がどちらを選ぶにせよ、ケイオスが彼に下すものは始めから決まっている。それでも考えさせるのは、彼の中にある迷いを打ち消す為だ。ほんの僅かでも、迷いは彼らの目的を阻みかねない。特に重要な位置づけにある創造の紋章は、何事にも揺らぐことのない信念が必要である。
ケイオスが見詰める中で、圭はゆっくりと顔を上げた。表情は、今までの彼を払拭するほどに引き締められている。
「……正直に言うと、ぼくに貴方たちの考えを理解するのは無理だと思う。生命の樹の記憶を見せられても、今のぼくはただ可哀想だとしか言えない。ぼくは深く貴方たちのことを知らないから、本当のところは信用もしていない。――でも、ぼくは貴方たちと一緒に行くよ。ぼくは、もう逃げない。けれど、翔ちゃんを元の世界へ返すことは約束してね。それを守ってくれないと、ぼくは貴方たちの邪魔をするよ?」
圭は小首を傾げて、にこりと微笑んでみせた。それが彼の導き出した答えだ。
ケイオスが満足げに口許を歪ませる。
「いいだろう。お前の要求を呑むとしよう。だが、その者に呪紋が宿ったことを予測しておくことも必要だ」
「それはそれで、貴方たちは翔ちゃんをここへ連れてくる気でしょ? ぼくもそのつもりでいるよ、ケイオスさん」
「利害一致と言うことか。だが、何故だ? 昨日とは打って変わって、随分と大きく出たものだな」
興味深そうに眺めてくるケイオスに、圭は笑みを引っ込めて彼の瞳を見据えた。
「さっきも言ったでしょ? もう逃げたくないから。自分からも、翔ちゃんからも、周りからも。……開き直ったとも言えるけどね。この世界で、ぼくはぼくを変えてみせる」
「成る程。我らと目的は違うが、心理は同じところにあるか。まあ、いい。我らの目的が遂げられれば、お前が何を思っていようと構わない。だが、我らを裏切る行為は許さん」
圭にそう念を押しながら、ケイオスは殺気の篭った光を双眸に宿らせる。そんな彼を、圭は恐れることなく見返すばかりだ。
「それはお互い様じゃないの? 貴方が裏切らなければ、ぼくは裏切ったりしないよ。右も左も判らない世界で、ぼくが頼れるのは今のところここしかないから」
ケイオスが鼻で笑った。
「どうだろうな。――そろそろ、イディアとリークがお前を迎えに来る頃合いだ。これを持って、ここから出ろ」
ケイオスが圭に投げて寄越したのは、フードがついた黒いマントと上着やズボンなどの衣類だ。それらを眺めて、圭は再びケイオスに視線を向けた。
「……これ、ぼくの着替え?」
「そうだ。身体を洗いたければ、二人に案内して貰うがいい。塔の近くに水の流れる場所がある」
ケイオスが手短に説明したとき、何処からともなくイディアの「ケイオス様、圭を迎えに上がりました」と呼ぶ声が聞こえてくる。
彼女の声に、ケイオスは部屋の扉へ歩き寄って開いていった。すると、扉の向こうに大きな魔法陣が描かれた白い空間が広がり、そこにリークとイディアの姿がある。
「早く行け。お前がここに居ては邪魔だ」
ベッドに座る圭を振り返り、ケイオスはぶっきらぼうに彼を送り出してゆく。




