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呪紋の覚醒32

 当然のような物言いに、圭が眉を下げて悲しそうな表情を見せた。

「そんなの、駄目だよ。全てがなくなったら、誰も生きられなくなっちゃうよ」

「生命の樹と人間、この世界でどちらが必要な存在であるのかを解っているのか? 人間は害としかならんぞ」

 まるで責められているようだ。圭は「そんなことは……」と小さく口ごもる。

「生命の樹が見せてきたものを思い出せ。自ずと答えは出ているはずだ」

 さらに言い募られ、圭は顔を俯かせて押し黙った。生命の樹が見せてきたものを思い返せば、反論のしようもない。それでも、彼は何かを言わずにはいられなかった。

「……貴方は、今の世界が消えることを望んでいるみたいだ。同じ人間なのに、どうして平然とそんなことが言えるの?」

「同じ人間だから言えるのだ。生命の樹も自然も何も語れない。ならば、誰が神や人間の過ちを知らしめる? 世界に償うことが出来る? 神々からの呪いを受け、神々の闇としか生きられぬ我らしか居ないはずだ」

 それは強固なまでに使命感に満ちた言葉だ。

 圭は俯いていた顔を上げて、ケイオスの目をじっと見据えた。

「今の世界は、貴方たちの故郷でしょ? そんな大切な場所を簡単に捨てちゃ駄目だよ」

「……分かったような口を利くな」

 不機嫌な言葉と共に、ケイオスの目つきが剣呑なものへと変わる。

 圭は思わず、身を竦ませた。だが、それでも視線を逸らそうとはしなかった。

 そんな圭の様子に、ケイオスは細く息を吐き出すと、落ち着いた口調で話し始める。

「その大切な故郷に、我らは呪紋を宿した時点で捨てられたのだ。呪紋をその身に宿してから、我らがどんな扱いを受けてきたのかを、お前は知らないだろう」

 「だから容易く言えるのだ」と、そう締め括ったケイオスの言葉は尤もである。

 確かに、圭は彼らがどんな扱いを受けてきたのかを知らない。身体こそやや病弱ではあったが、彼は平和とも言える世界で平穏に暮らしてきた。多少なりとも心を傷つけられた出来事に遭遇したが、それは極一部のことだ。翔平の存在もあり、周りに恵まれていた方である。だから、圭はケイオスのような考えを持ち合わせてはいない。

「それなら、ぼくにそれを教えて下さい」

 圭の口から、その科白が自然と突いて出てきた。それは好奇心からなのか、彼自身にも判らないことだ。

 だが、ケイオスはそれを語りはしなかった。無言で首を横に振ることで、やんわりと圭を拒んだ。その身に負った心の傷を曝け出すほどに、二人は親しい間柄ではない。まして、彼らは初対面なのだ。

 そんな風に拒まれてしまったら、圭に言えることは何ひとつない。

「……生意気なことを言ってごめんなさい」

 圭が僅かに顔を曇らせて謝罪すれば、ケイオスはゆっくりと口を開いてゆく。

「これだけは言っておく。呪紋の所持者は、今も昔もどの種族からも拒まれる存在だ。――だが、生命の樹は我らを拒みはしなかった。我らが世界を変改した神々の闇であるにも関わらず、何処にも居場所のない我らを生命の樹はこの古の森へ受け入れてくれた」

 そう言いながら、彼は眼下で静かに聳え立つ生命の樹を見下ろした。その眼差しは、まるで友を見ているかのようなものだ。

「我らは生命の樹に救われ、今こうしてここに居る。――その生命の樹を、我らは命に代えても護ってやりたい」

 その言葉は、揺らぐことのないケイオスの意志である。無論、その裏側に暗い感情が潜んでいることは否めない。

 生命の樹が見せてきたものと彼の口から紡がれてきた言葉をかけ合わせれば、圭にも容易に理解することが出来た。

(この人は……神様に復讐をするつもりだ)

 圭の考えていることが判ったのか、ケイオスがゆっくりと唇の片端を吊り上げる。

「神々への復讐、とでも言いたいのか?」

 そう問いかけた彼の双眸が、徐々に暗い光を帯びてゆく。

「我らの復讐は神々に止まらん。生命の樹を護るも復讐を遂げるも、進むべき道はひとつだ。真の理を述べろと言うのなら、我らは前者を選ぶ。復讐の代価に、命を差し出す気はない。――無論、後者も否定はせんが」

 そう言って、ケイオスは圭をじっと見下ろした。その様子は、彼の反応を探っているかのようだ。

 圭は俯くことで、彼からの視線を逃れる。

「時間だ」

 ふいに、ケイオスがそう呟いた。

 圭がはっと顔を上げれば、当然のように二人の視線が絡み合ってゆく。

 そんな彼らの周りで、景色がゆっくりと動き出した。それはやがて、魔方陣の広がる白の空間へ変わっていく。

 二人の間に言葉はない。ただ沈黙し、互いの出方を窺うように見つめ合うばかりだ。

 暫くして、ケイオスがまた口を開く。

「お前がどう思おうと構わんが、我らに協力はして貰うぞ。その為に、俺はお前を召喚した。〝翔ちゃん〟とやらも、約束通りに元の世界へ返そう」

「どうして……なんで、ぼくのような別世界の人間を召喚する必要が」

「簡単なことだ。異世界の者ならば、この世界に先入観や(しがらみ)を持たない。世界を再び改変するには、そう言った人間が必要だった。特に大役を果たす創造の紋章は、必然的に異世界の者でなければならない。――お前は選ばれたのだ」

「そんなの、嬉しくないよっ!」

 ケイオスの言葉に、圭は彼を睨み上げて思い切り叫んだ。

 圭は確かに強さを欲した。だが、世界の改変――ある意味世界を滅ぼすことになる強大な力を欲していた訳ではない。彼はただ、翔平のような誰かを護れる強さを求めただけだ。

 自分の置かれた状況に恐怖を感じ、圭は堪らずその場を逃げるように駆け出した。

 圭の小さな背中を、ケイオスは感情の読めない瞳で見送っていく。彼の口から小さな溜め息が零れた。


(ここから逃げ出して、翔ちゃんに会いに行かないと……)

 魔方陣が広がる空間を飛び出して、圭は守護の塔内を駆け下りてゆく。

 強くなるまで翔平に会わない。確かにそう言った圭だが、ケイオスの話を聞いてしまった以上はそうもしていられなくなった。

(神様の復讐に使われるなんて、ぼくは嫌だ。それに……あんなことを考えている人が、ちゃんと翔ちゃんを戻してくれる保障は何処にもないんだ)

 生命の樹の為だと言うものの、ケイオスは神々への復讐に対して否定はしていない。どちらにせよ、今の世界が消えてしまうことになる。それは、今を生きる全てのものたちが滅ぶ可能性があると言うことだ。それらの重要な位置に、圭は否が応なく置かれている。

 ケイオスたちが間違っているとは言えない。そこに至るまでの苦しみを、彼らは充分に味わってきた。だが、それが正しいのかと問えば、答えは否である。

 正解も不正解もない問題に、圭の取った行動は「逃げる」ことだ。世界の理と呪紋の始まりを教えられ、彼らの目的を告げられ、ごく普通の高校生である圭が、それらを背負い込むには大きく重過ぎた。

 圭はひたすらに足を動かす。明らかに、彼の中から冷静な判断が欠けているようだ。

 圭は守護の塔から飛び出すと、日が既に落ちているにも関わらず、深い森の中を方向も判らずに走り出した。月明かりがあるとは言え、そこは鬱蒼と覆い茂る木々に阻まれて視野を狭くしている。

 それでも、圭は懸命に走り続けた。しんと静まり返る森の中で、耳に届くのは自分の息遣いと足音のみだ。

 何処かで獣の遠吠えが聞こえた。その途端に、圭はそれに驚き身を竦ませて立ち止まる。息を殺しながら、薄暗がりに目を凝らして周りを窺い見る。

 獣の気配はないようだ。そして、ケイオスたちが追ってくる気配もない。

 近くで梟が鳴いている。それを耳にしながら、圭はその場を駆け出した。

 そこで、彼はふとあることに気づく。

(そう言えば、全速力で走っているのに全然疲れてない。……まさかこれは呪紋の力?)

 呪紋の力が何なのかを説明されていないが、圭は自分の身体が今までと違うことを感じた。

(これなら……何とか逃げ切れるかも)

 古の森がどのくらい広く深いのかを知らず、彼はその森を抜けられると信じている。

 古の森は圭の居た世界で言い置き換えるのなら、あの有名な樹海をさらに大きくしたものだ。早々に抜け出すことは叶わない。ひとつだけ幸いなことは、古の森に住む魔物が他の地域に住む魔物に比べると大人しいことである。だが、それは魔物に限ったことだ。獰猛な獣が現れれば、襲いかかってくる可能性は多分にある。

「わっ……!」

 ふいに、圭の足が木の根っ子に取られた。反射的に手を突いたものの、剥き出しの地面に両手と膝を強く打ちつけてゆく。

 圭の身体に痛みが走った。地面との摩擦により、両手に擦り傷が出来てしまったようだ。膝の部分は、ズボンのおかげで傷を負うことはなかった。

「痛……」

 じんじんと痛み出す手の平に、圭は小さな呻き声を漏らす。

(何だよ、もう!)

 心の中では、やや苛立ったような声を上げていた。だが、その苛立ちを落ち着かせて、彼はゆっくりと立ち上がっていく。

(こうしている暇はないんだ。翔ちゃんを早く、早く見つけないと)

 そう自分を奮い立たせ、圭は再び走り出した。

 その時、圭はまたあることに気づく。手の平の擦り傷が、いつの間にか塞がっていたようだ。手の平を拳に握っているにも関わらず、痛みが走ることはなかった。

 圭の駆け足が徐々に遅くなり、最後にはぴたりと止まる。薄暗がりの中に目を凝らして、自分の手の平を見入ってゆく。

 人間とは程遠い身体の現象に、彼は言葉を失ってしまった。

 圭の耳元に枯れ枝を踏む音が届く。

 肩を強張らせながら、圭はその方向へ視線を走らせた。

「――誰っ?」

 そう呼びかけたところで、返事は全くない。だが、何かが居ることは確かだ。獣か魔物か或いは人か、圭には予想もつかない。

 枯れ枝を踏む音がまた聞こえた。先ほどよりも近くなっているようだ。

 圭は生唾を飲み込みながら、じりじりと後ろへ後退った。視線は一心に正体不明の何かがある方向へ向けている。

 そして、唐突に黒い影が現れた。

 それを目にした途端に、圭は引き攣った表情を浮かべて悲鳴を上げる。恐怖から目を背ける為か、彼は頑なに目蓋を閉ざしていった。

 その拍子に、圭の身体が闇色の光を放ってゆく。すると、圭を護るかのように無数の魔方陣が浮き上がり、彼の周りを取り囲んでいった。次いで、数秒もしない内にその魔方陣から様々な植物の蔓が伸びてゆく。

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