呪紋の覚醒30
次の男は、バウベールと言う名である。後に傲慢を司る神と呼ばれ、崩壊の紋章を創った者だ。
次の男は、シェリスタと言う名である。後に星を司る神と呼ばれ、希望の紋章を創った者だ。
次の女は、ムーリアスと言う名である。後に月を司る女神と呼ばれ、慈愛の紋章を創った者だ。
次の女は、サンリオンと言う名である。後に太陽を司る女神と呼ばれ、祝福の紋章を創った者だ。
次の男は、ジェイメイと言う名である。後に審判を司る神と呼ばれ、復活の紋章を創った者だ。
ケイオスの口から次々と上げられるそれらを耳にしながら、圭は指で指し示された彼らの姿を必死に目で追っていた。だが、一度に多くの聞き慣れない名などを覚えるのは容易くはない。
圭がそうやっている内に、彼らの呪文の詠唱は終わっていた。それと同時に賢愚の門は掻き消え、世界にまた眩い光が走ってゆく。だが、大地が揺らぐことはない。
目を瞑ることで光をかわしている圭の耳元に、ケイオスの声がする。
「イリアスの力が世界の土台となり、その上にあの者たちの各々の力が織り交ぜられ、今の世界は構成された」
彼の言葉を聞きながら、圭はゆっくりと目蓋を開いてゆく。その目に、あるひとりの人物を捉えた。その人物は、何もせずに皆の様子を見守っているだけの男だ。
「……あの人は?」
「あれは、フールーフと言う名だ。後に無を司る神と呼ばれ、愚者の紋章を創った者だ」
「あの人は、何もしないの?」
「あの者は、イリアスと対極の力を持っている。故に、他の者らと力を交ざり合わせることは叶わない。あの者だけが全てを無に還せる異質な存在だ」
「それって、この世界を簡単に滅ぼせるってこと?」
「強ち間違ってはいない。無に還すとは、全てをなかったことにすると言うものだ。……滅ぼすことと似ているのかも知れん」
そう言いながら、ケイオスは圭と同じようにフールーフを注視した。その先で、彼が傷ついた身体を庇いながら踵を返してゆく姿がある。
「ねぇ? どうして、あの人はみんなから離れて行くの?」
「フールーフは異質な存在が故に、あまり馴れ合うことはしない。……己の思うが侭に行動を起こしている」
ケイオスの説明を聞きながら、圭は皆から離れていく彼を見送った。次に、その場へ残された二十二人へ目をやる。アースフィル以外は、誰一人として彼を気にする素振りを見せなかった。
「フールーフは、何処へ行くつもりなの?」
「あの者に目的地などない。新たな大陸を自由に渡り歩き、世界の行く末を見届けるつもりなのだろう」
「変わり者なんだね。――それとも、みんなに嫌われているから?」
フールーフに対する他の者の態度を思い浮かべて、圭は不思議そうな表情をしてみせる。
「そうでもないぞ。アースフィルを見ろ」
ケイオスにそう言われ、圭はまたアースフィルに視線を持っていった。すると、彼がフールーフを追いかけていく光景が見える。そして、二人は肩を並べて遠退いていった。
「あの二人が抜けた後、残りの者たちは大陸を人間の楽園に築き始めることになる」
ケイオスがそう言った直後に、二人の周りで大陸の景色が一瞬にして変わる。
その景色とは、生命の樹の傍に塔が建てられ、封印の鍵が飛び去ったそれぞれの方角に立派な城が建てられたものだ。上空を見上げれば、面積の広い浮遊岩にも神殿がひとつ建てられていた。
「イリアスたちは、手始めに力で魔物たちを従わせて八つの建物を造らせた。――何故、建物が大陸の中心部と端に建てられたのか、予想はつくか?」
ケイオスにそう問われて、圭は暫く考え込んだ後にゆっくりと口を開く。
「塔と浮遊岩にある神殿は判らないけど、他のお城は封印の鍵の目印にする為?」
「その見解も合っているが、実際のところは生命の樹の力を抑える為だ。そして、その力を都合のいいように利用する為でもある」
そう言って、ケイオスは生命の樹の力の流れを指で指し示してゆく。
生命の樹の力は、始めに塔の方へ流れていった。そして、塔に向かった力は上空にある神殿へ流れ、大陸のそれぞれの城へ流れてゆく。
「封印の鍵と生命の樹の二重の力により、その世界は揺るぎないものとなった。どんな無茶な魔法を使おうと、空間に歪みが出来ることも他の世界に繋がることもない」
「え? でも、僕と翔ちゃんは異世界から来てるよ?」
「今は我らの力ならば可能となっている。だが、昔は異世界との介入は皆無だった」
「今の世界は、昔よりも安定していないってことなんだね」
「その通りだ。――フールーフとアースフィルを除く二十一人の男女は、自分たちの子孫を残すことに努め始めた。子孫を残すことにおいて、その者たちは本能のままに誰彼構わず交じり合っていた」
「……そんなに乱れていいの?」
思わず顔を顰める圭に、ケイオスがふっと小さな笑みを見せる。
「多くの人間を産むには仕方があるまい。あの者たちはまだ神ではない。同じ人間を創るにはそれしか方法がないのだ。ホムンクルスを生み出せたところで、本当の人間を生み出すことは叶わない」
「……フールーフとアースフィルは、どうして子孫を残さなかったの?」
「さあな。それは俺にも判らん。ただひとつ判っていることは、二人はずっと誰とも交わることがなかった」
「そうなんだ。きっと、二人の中に子孫を残すよりも、大切な何かがあったんだね」
「そうかも知れんな」
そう言いながら、ケイオスは空へ高く手を掲げて指を軽く鳴らしていった。すると、景色がまた変わってゆく。今度は、それぞれの大国に城の他に町が出来上がっている景色だ。それと同時に、大陸中に広がっていた自然が徐々に消え去っていた。
「これは、イリアスたちが現れてから五十年が経った世界だ。世界の先住民たちを脅かしつつも、人間の繁栄は何の争いもなく続いていた。だが、その一方でイリアスたちの子孫の血は徐々に薄まり、それと共に受け継ぐ力もまた弱まり始めていた」
「五十年も経っちゃうと、みんなおじいちゃんとおばあちゃんだね」
「ああ。だが、どんなに歳を取ろうと、あの者たちの姿形は変わらん。寿命は刻一刻と死に近づいているがな」
「……それは、やっぱり力の所為?」
「そうだ。この時期は丁度、あの者たちの寿命が尽きる頃だ。――上空の神殿へ行くぞ」
そう言って、ケイオスは真上にある神殿へ飛び上がって行く。圭がそれを追っていけば、壁のない吹き抜けの神殿が目に入った。その中心部に、例の二人を除いたイリアスたちが円を描いて集まっている。その周りには、二十二人の若者の姿があった。
「あの人たちは何をするつもりなの?」
「命が尽きる前に、その存在を神に移そうとしているのだ」
「神様に? 神様になる必要ってあるの?」
「ああ。この世界に存在を残さなければ、世界を維持する力が消えてしまうことになる。――世界の創り主だからな」
「……元に戻る訳じゃないんだ?」
「生命の樹の力を抑えられ、二重に固められた世界は容易く戻らん。全て崩壊するのが落ちだ」
そうきっぱりと言い切って、ケイオスは視線を別の場所へ移していく。そこには、フールーフとアースフィルが飛竜に乗ってこちらへ向かって来る姿が見える。
「これで神となる者が全員揃った」
彼の呟かれた言葉と同時に、その二人は神殿の地へ静かに飛び降りて行った。
「神となる者は、全てのものたちを平等に扱わなければならん。改変された世界の均衡を保つには人間であることを捨て、心の中に潜む闇を取り払わなければならなかった」
「どうして、闇だけなの?」
「人間は光と闇が一対にあるからこそ、人間で有り得るのだ。例え善人であろうと、心の中に闇は潜んでいる。それは悪人もまた然り。だが、それと違い、神と魔は光か闇のみの存在だ。世界に人間は存在している。魔もまた存在している。ならば、世界が次に必要とするものは光だ。神、人、魔、この三つがあるからこそ世界は均衡と成り得る」
「要はバランスよくしないと、世界が崩れちゃうんだね」
「そうだ。だが、光は強過ぎる。闇はその存在で滅び兼ねない。また、人の手によっても滅び兼ねない」
「魔族って、何処でも悪者扱いだ。正義の味方の引き立て役でやられ役。いつも、損な役回りだよね。……捨て駒みたいにされて、どの存在よりも滑稽で可哀想な存在」
圭の言葉に、ケイオスは僅かに目蓋を伏せてゆく。
「……世界を安定させる為に、世界はその存在を求めているのだ。ある意味、闇は世界の存続の要となっている。……どんなに抗おうと、それは必然的にあるものだ」
何処か悲しみを帯びた声音だ。思わず、圭は視線をケイオスに向けた。悲しそうな横顔がそこにある。
「ケイオスさん……?」
「滅び兼ねない闇を補わせる為に、イリアスたちはこの時、己の闇の部分を紋章に変えることにした」
ケイオスの視線の先で、イリアスたちの輪にフールーフとアースフィルが加わった。そして、彼らは一斉に両腕を前へ突き出すと、何かを抱え上げるような動作をする。次に呪文を唱え始めれば、両手の上に空気にとけ込みそうな闇色の球体が現れた。その中で、ローマ数字にメビウスの輪が絡まる紋章のようなものが緩やかに回転している。
「あれは?」
「イリアスたちの闇の部分が具現化した、呪紋――呪いの紋章だ。お前の背にも俺の背にも、あれと同じ紋章が浮き出ている。イリアスたちはその紋章を創り、そして同席していた人間たちに宿らせた」
その言葉通りに、彼らの手から離れた呪紋が神殿内で飛び交った後、若者たちの体内へ吸い込まれていった。すると、その若者たちは苦痛に呻き声や悲鳴を上げて、床にのた打ち回り始める。
その傍で、両腕を上げたままの姿でイリアスたちの身体が足元から石に変わっていた。
「……どうして、石に?」
「イリアスたちにとって、身体は必要のないものになったからだ。光だけが残った存在は、この世界そのものにとけ込んでゆく」
「それって、死んじゃったってこと?」
「いや。死とは違う。死があると言うのなら、呪紋もまた消えるはずだ。姿も形もないが、イリアスたちはこの世界と共に生きている。――我らに呪紋と言う厄介なものを残して、あの者たちは神と言う存在になった」




