呪紋の覚醒28
イディアが二人の反応に、微笑みを浮かべる。
「それじゃあ、決まりね。後はケイオス様に相談するだけよ。あの方なら、きっと圭の力になってくれる」
「ケイオスさん……。少ししか話したことがないけど、力になってくれるかな?」
不安そうな眼差しをする圭に、彼女は元気づけるように頷いてみせた。
「大丈夫よ。……少しだけ近寄り難いけれど、話せばちゃんと判ってくれるわ」
「うん、分かった。ぼく、このことを話してみるね」
「大丈夫? 私からケイオス様に話してもいいのよ?」
心配そうなイディアに、圭は微笑みながらゆっくりと首を左右に振る。
「これは、ぼくのことだから自分で話すよ」
そう言って、圭は視線を生命の樹へ向けた。
「ぼくは自分を変えたくて、この世界へ来たんだ。だから、自分で出来ることは自分で何とかしたい」
圭の力強い言葉を耳にしながら、リークは静かに踵を返してゆく。その口許は、意味深な笑みを湛えている。
リークとイディアから一通りの案内を受けて、圭はひとりで塔のケイオスの居る階へ向かった。彼が始めに来た、あの魔方陣が広がる空間だ。
「……あの、ケイオスさん?」
姿を見せない彼の名を遠慮がちに呼ぶ。だが、返事は全くない。
「ケイオスさん!」
今度は大きな声で呼べば、圭の後ろで空間に溶け込んでいた扉が開いた。後ろを振り返れば、扉の向こうに様々な書物が雑然と置かれた部屋がある。
(……入れってことかな?)
そう思って、圭は恐々と部屋の中へ足を踏み入れた。その後ろで扉が閉まってゆく。
その直後に、圭の耳元に人の声が聞こえた。
「俺に何か用か?」
「わっ!」
あまりの唐突さに、圭はその場を飛び退き――見事に床へ引っ繰り返る。床へ尻餅をつきながら顔を上げれば、圭の立っていた場所にケイオスが立っていた。
「間抜けな奴だ」
圭の無様と言える姿を眺めながら、ケイオスは唇の片端を上げて笑う。
そんな彼を、圭はまじまじと見つめるしかなかった。
灰色のやや癖のある髪に、それと同じ色の双眸。顔立ちは、成人をとうに迎えた男の精悍さが滲み出ている。その長身に纏うのは、黒一色の服だ。
圭の不躾な視線に、ケイオスは口許の笑みを消してゆく。
「何だ? 言いたいことでもあるのか?」
「……吃驚した」
ケイオスの問いかけに、圭は素直な気持ちを口にした。
「そんなに驚くことか?」
「うん、驚くよ。だって突然現れるし、ケイオスさんの雰囲気が少しだけ違うんだもん」
(何となくだけど、近寄り難い雰囲気がなくなってる)
圭の言葉に、彼は「そうか」と相槌を打ってみせる。そして、圭の腕を取って、軽々と起き上がらせてゆく。
「人間は言葉ひとつで、他人に与える印象を変えることが出来る。〝我〟と言えば近寄り難くなり、〝俺〟と言えば僅かに親近感を覚えさせる。魔物や獣と違い、得なものだな」
ケイオスの言葉に、圭は彼が何を言いたいのかが何となく解った。
(つまり、甘えた口調は止めろ?)
「俺の言いたいことが判ったようだな。身に染みた口調はすぐに変えられないが、気をつけて使えば不思議と精神も変えられる」
「……これは、簡単に直らないよ。急に口調を変えるのは、無理があるでしょ? ……貴方の場合は、使い分け?」
「ああ。時折疲れることがある」
「そうなんだ。じゃあ、これからぼくと居る時は休んだらいいよ」
そう言って微笑む圭に、ケイオスは不思議そうに首を傾げる。すると、圭がまた口を開いた。
「ぼくの前では、ケイオスさんは普通でいいってこと」
圭の言葉に、ケイオスは訝しげな顔をする。
「……何故だ?」
「貴方と仲良くなりたいから。純粋に受け取らないの?」
「俺の性格は、人を疑うように出来ている。初対面のお前が、すぐにそんな感情を抱くとは思えない」
「他人と仲良くなるのは、生きて行く為に必要だよ?」
「お前が言ったのは、その意味と少し違っている」
「うん、ちょっと違うかも。良く解らないけど、貴方と話してただ何となくそう思った」
圭の言葉に、ケイオスが腕を組みながら鼻で笑った。
「――それで、用件は何だ?」
「翔ちゃんを元の世界へ返したいから、ケイオスさんの力を貸してほしいんだ。何か条件があるんだったら、ぼく、何でもするから」
彼を睨みつけるような真剣な目で、圭はケイオスに言い募る。
「ぼくは帰れなくてももいい。ぼくの所為で、この世界へ来た翔ちゃんを返してあげて下さい。お願いします!」
圭はそう言って、今度は頭を勢い良く下げた。そんな彼を、ケイオスは腕を組んだままで見下ろしている。
ふいに、ケイオスが何事かを考えるように上を仰いだ。
「……条件か。お前が創造の紋章の力を物に出来、我らに協力さえすれば構わない。お前次第で、その者の返る時期が決まるがな」
彼の提案に、圭は顔を上げる。眼差しは相変わらず真剣だ。
「ぼくが頑張れば、翔ちゃんは早く返れるんだね?」
「ああ。だが――例え話だが、その者にお前と同じような呪紋が宿れば話は別になる」
「どう言うこと?」
「この際だ。俺から世界の理と呪紋の始まりを教えてやろう。ついて来い」
そう言って、ケイオスはその場を歩き出した。何処へ行くかと思えば、彼は部屋の外へ出て行く。圭は慌てて、彼の後を追いかけて行った。
部屋を出た二人の後ろで、扉が空間へとけ込んでゆく。
ケイオスが向かった先は、空間の床に広がった巨大な魔方陣の中心部だ。彼はそこへ圭と共に立ち、圭を振り返った。
「これからお前が見るのは、生命の樹が見守ったこれまでの世界の記憶だ。見たくもないものを見ることになる。……それでも構わないか?」
「ぼくにそれを知る必要があるから、貴方はそれを見せるんでしょ? 翔ちゃんを返すのにタイムリミットがあるなら、今すぐに知りたい」
圭の力強い言葉にケイオスは頷くと、顔を前に戻して目蓋をゆっくりと閉じてゆく。
ケイオスが片手を天に翳した。ついで、もう片方の手を前へ翳して、呪文を小さく唱え始める。
ケイオスの手が淡い光を放った。すると、彼は天に翳した手で二重の円を描き始める。前へ翳した手は、七芒星を描き出した。描き出された図形は光となって具現化され、宙を緩やかな速度で回りだす。
ケイオスが、前に翳した手を天へ翳した。それと共に、彼の前に浮いていた七芒星が二重の円の中へ移動する。二つの図形が重なり合えば、円と円の間に何かの文字が刻まれた。
その瞬間に、天に描かれた魔方陣は眩い光を放つ。
圭は咄嗟に目を閉じ、さらに光を遮るように眼前へ手を翳した。
「わっ!」
唐突に、圭の身に浮遊感が襲ってくる。浮いているのか沈んでいるのか判らない感覚に、彼は目を瞑ったままで近くにあるものへ縋りついた。
圭の耳元で声がする。
「目を開けろ」
思ったよりも間近に聞こえて、目を開ければ――ケイオスの顔が間近にあった。
ケイオスが圭の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫か?」
「う、うん」
そう言って頷きながら、圭は自分の置かれている状態を知った。その状態とは、圭が一方的にケイオスへ抱きついている図である。
「ご、ごめんなさい!」
圭は慌てたように彼の身体から離れた。そして、更なる状況に驚き混乱する。
二人は何故か、空を浮いていた。眼下にあるものは、広がる海にぽつんとある大陸だ。
「お、落ちる! し、死ぬ!」
あたふたと手足をばたつかせる圭に、ケイオスの冷静な声が飛んでくる。
「落ち着け。落下することも死ぬこともない。これは、生命の樹の記憶を映し出した幻だ」
「え? 幻?」
ケイオスの言葉に、圭は漸く冷静になり周りを見回してゆく。
圭たちの真上に、二つの太陽がある。周りには青い空が広がり、大小の島々が重力を無視して幾つも浮いていた。ある島は、豊かな自然が満ち溢れている。ある島は泉が広がり溢れ出て、虹を作りながら滝のように大陸へ流れ落ちていた。島と島を飛び交うのは、色とりどりの鳥や小白竜を含めた様々な竜だ。
小説の物語でしか出てこない幻想的な世界である。それを目の当たりにして、圭は興奮に頬を染め上げて感嘆の声を漏らす。
「……凄い! こんな世界を見れるなんて、信じられない! ねぇ。どうして、この島々は浮いているの?」
「この世界に、浮遊岩と言う空中に浮く岩が存在する。始めは単なる岩だったが、竜や鳥が幾度も土や種を運び、そこに雨が降ることによって今の島となった」
「……きっと、こうなるまでに凄い年月がかかっているんだね」
ケイオスの話を聞き、圭はそう言いながら島々の景色を堪能するように見つめ続ける。
「人間にこのような真似は出来ないだろう。どんなに工夫をしようと、大地と共に生きるものたちに勝ることはない」
「そうかな? ちゃんと自然と共に生きている人たちは居るよ」
「それは本当だと、断言が出来るのか? 人間は現状を満足出来ずに進歩を望む。行き過ぎた進歩は、大地を殺してゆく。――お前の居た世界はどうだ? 大地は呼吸をしているか? 大地を傷つけてはいないか?」
ケイオスの重ね重ねにかけられる問いに、圭は反論することが出来ない。反論する余地すらなかった。
「生きてゆくには、仕方のないことだ。だが、ほとんどの者が、その先のことを意識して考えない」
そう言って、ケイオスはゆっくりと大陸へ下りてゆく。圭はその後を追いかけていく。
空から見た大陸は、巨大な生命の樹を中心に大自然が広がっていた。南北に高山があり、南西に大きな湖があり、南東に火山がある。それらを覆い包むのは、何処まで行っても限りない緑だ。蒼の海の中に緑の海が存在した。




