呪紋の覚醒27
場の雰囲気を見計らって、リークが再び口を開いていく。
「今日は疲れていると思うから、世界のことや呪紋のことは明日にしよう。まずは、僕たちの住んでいる場所を案内するよ」
「僕たちについておいで」と、リークが踵を返して歩き出した。イディアがそれに続く。
圭は、初対面である彼らに抵抗を見せることはない。それは、見知らぬ世界で勝手な行動を取るのは利口ではないと知っているからだ。非力故に、大それた行動は死を招きかねない。
翔平が傍に居ないと自覚すれば、圭は常に冷静さと冷徹さをその身に纏う。そして、異世界へ訪れた彼の内心は、実のところ、読書好きが効を奏して言葉ほどの動揺はない。読破した本によって、幻想世界――異世界へのある程度の免疫はあった。
二人に連れられて、圭は白くだだっ広い空間のような部屋を出る。途端に先ほどの部屋が消え、眼前に蒼白い世界が広がった。
蒼白い世界を形作っているのは、円状の壁に隙間なくある結晶だ。先ほどの部屋と同じく天井がないことにより、空の色と陽の光によって結晶が蒼白く光っていた。そして、そこにあるものは、圭たちが立っている螺旋状に下へ続く階段だけである。
「この塔――守護の塔が僕たちの住処だよ。塔は、古の森と呼ばれる森の中ほどにあるんだ。僕たち以外は、誰も近づくことは出来ない場所だよ」
リークが説明を寄越しながら、のんびりと階段を下りていく。その後を圭とイディアが肩を並べて追う。
その折に、イディアは何かを思い立ったように懐から地図を取り出した。
「始めは慣れないと思うから、守護の塔とこの世界の地図を渡しておくわね。後で確認するといいわ」
圭に地図を手渡して、彼女は微笑んでみせる。
(……悲しそうな笑顔)
イディアの笑みを見て、圭はこの時初めてそう思った。今思えば、先ほどの笑みもそうだ。彼女の笑みは、微かな悲しみが付き纏っている。
だが、圭がそれを口にすることはなかった。他人が踏み入れてはならない領域がある。出会って間もないなら尚更だ。
圭は、彼女から貰った地図を眺めた振りをして、空いた間を取り繕う。そして、顔を上げてゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう、イディア。凄く助かるよ」
すると、イディアは圭に微笑み返した。やはり、彼女の接し方は弟を思いやる姉のようである。
そんな彼らを振り返って、リークが優しい笑みを浮かべていた。
そして、彼らは再び螺旋状の階段を下り始める。
それから暫くして、圭たちは床のある階に辿り着いた。だが、螺旋状の階段はまだ下へと続いている。
地図を見やれば、そこは十階のようだ。全部で十一階もあり、十一階となる場所は先ほどの空間のような部屋である。
地図を覗き込む圭を見やり、リークがまた説明を寄越す。
「僕たちは今、十一人しか居ないからね。階ごとに、ひとりの呪紋の所持者が管理しているんだ。十一階はケイオスさん、十階はイディアさん、そして一階は僕。圭君は暫く、ケイオスさんと一緒に居ることになるよ」
リークの説明に、圭は無言で頷くだけだ。他の反応のしようがない。
リークの言葉を継いで、今度はイディアが口を開く。
「今、この塔に居るのは三人だけよ。貴方を召喚し終わった後に、他の所持者たちは出かけてしまっているの。明日に、みんなを紹介するわね」
彼女の話にも、圭はただ頷くだけである。
十階から順々に下へ下り、暫くの時間を費やして、彼らは塔の一階へ辿り着いた。それぞれの階の造りを思い返せば、どれも同じようなものであった。
冷たい石造りの生活観のない空間だ。それが圭の、彼らの住処への印象である。まるで、何かが起これば、その場をすぐに立ち去れるような印象にも見受けられた。
外へ出れば、塔を護るようにその周りを無数の木々が覆い茂っている。圭の居た世界で言えば、富士の樹海を彷彿とさせていた。一度迷い込めば、二度と森の外へ出ることは叶わないだろう。
ふいに、圭の耳元に獣のような唸り声と遠吠えが届いた。
「動物?」
圭が疑問の声を上げれば、リークがゆっくりと首を左右に振る。
「この森に生息しているのは、獣だけじゃなく魔物も居るんだ。古の森が、彼らを生んでいる」
「……生んでいる?」
「そうだよ。――おいで、見せたいものがあるんだ」
そう言って、リークは再び歩き出した。彼の向かうところは、守護の塔の裏手だ。圭とイディアもその後をついてゆく。
塔の裏手に回った圭の目に、塔の高さと幅を上回る大樹が飛び込んできた。
風に揺られて、大樹の枝や葉がざわめく。それと同時に、枝や葉に遮られていた太陽の光が差し込んで地面を明るく照らした。
「凄い……」
圭がそう呟いたのは、その光景を目にしたからではない。もっと神秘的な光景だ。
大樹の枝や葉から、蛍のような光が雪のように幾つも降り注いでいる。それが地面へ落ちるものもあれば、風に乗って何処かへ飛んで行くものもあった。
圭は、近くに落ちてきた蛍のような光に目を向ける。すると、その光は大地に溶け込み、やがて小さな芽となって姿を見せた。その一方で、遠くの場所に落ちた光からは人の姿ではない赤子が生まれる。
「あれは、魔物の赤ちゃん。魔物に限らず、この世界の生き物は生命の樹から生まれているのよ。――私たち、人以外は」
「この世界は、元々人の居ない楽園だった。大陸は生命の樹を中心に、古の森のような大自然が広がっていたんだ」
イディアとリークの話を聞きながら、圭は魔物の赤子の様子をさらに窺い見た。
魔物の赤子が産声を上げている。
暫くすると、その泣き声に反応したかのように、大人の魔物が木々の影から現れた。そして、赤子を大事そうに抱き上げるとその場を去って行く。
圭はその魔物から視線を外して、不思議そうにリークを見つめた。
「人の居ない楽園だったって、じゃあこの世界の人たちは何処から?」
圭がその問いを口にすれば、リークはふっと笑ってみせる。
「君と同じ、別の世界からだよ。……この世界の人々は、自分たちは始めからこの世界の住人だと思っている。けれど、それは違った。今、この世界に生きている僕たちは、別世界から来た二十一人の男女の子孫だった」
「……貴方たちは、元の世界へ戻りたいと思わないの?」
圭の質問に「誰も思わないよ」と短く答えて、リークは生命の樹を見上げた。
「人の記憶は、代が移り変わるたびに薄れてゆく。……何処から来たのかなんて、もう誰も覚えていない。だから、この世界は僕たちにとっての故郷だよ」
リークの話を聞き終えると、圭は何も言わずに生命の樹を見上げる。そして、目を閉じていった。
圭の耳元に、風の囁く声が聞こえる。身体中で自然の息吹を感じた。そして、それらの全ては、静かにゆっくりと時を刻んでゆく。
(……翔ちゃん)
目を閉じたままで、彼は翔平のことを思った。故郷である世界での、翔平との日々を思い返してゆく。
その日々は、翔平に護られた日々であった。圭にとって、それが当たり前の日々である。
幼い頃、圭は病弱な子供だった。病弱と言っても、重い病気を抱えていた訳ではない。時折発作に悩まされる喘息だ。
幼い頃は喘息の発作が酷く、少し走っただけで呼吸が苦しくなり倒れてばかりいた。そんな圭の面倒を甲斐甲斐しく見てくれたのが、隣の家に住んでいた翔平だ。圭の喘息は高校へ上がると共に治ったが、翔平との間に築かれた関係は変わらなかった。
圭を護る翔平。翔平に護られ甘える圭。それが当たり前で、周りもそれを当たり前に感じていた。
高校を卒業しても、二人の関係は変わらない。圭は、そう思いながら日々を過ごしてきた。だが、高校へ上がって数ヶ月と経たないある日、それはとある事件によって一気に変わってしまった。
ある事件とは――一部の生徒による圭への性的暴行事件である。男子校とは言え、有り得ない出来事だ。その事件は翔平の乱入で未遂に終わったが、圭と翔平の心身を深く傷つけることとなった。
忘れ去りたい記憶を、圭は今でも断片的に覚えている。それは、忘れてはならない記憶の欠片だ。
その記憶とは、多勢を相手にしながら圭を護り抜き、血を流して倒れた翔平の姿である。翔平のその姿を目の当たりにして、圭の心は凍えた。
この時、彼は自分の弱さを悔やみ怨んだ。甘えて護られてばかりいた自分に、嫌気が差した。そして、圭の中に男としての誇りが生まれる。
誰かに護られるのではなく、誰かを護れる存在になることを圭は望んだ。それには、まず力が必要だった。だが、小柄で華奢な体格の彼が、すぐに力を手に入れられるはずもない。そこで圭は、密かに体力をつけながら読書で強い主人公を自分自身に重ね、焦る自分の欲望を紛らわせていた。
そんな折に、耳にしたのが「理の愚者」と言う本の伝説である。
(……まさか、こんなことになるとは思わなかった)
そう思うが、圭の中に後悔はない。強くなれるのなら、それでいいとさえ思っていた。だが、翔平を巻き込んだことに、後悔の念はある。
ふいに、圭は瞑っていた目蓋を開けた。
「ねぇ、リークとイディア。翔ちゃんを元の世界へ戻すことは出来るの?」
その問いに、リークとイディアは互いに顔を見合わせて圭を見つめる。だが、圭は生命の樹を見上げたままだ。
「この塔に連れてくれば、何とかなると思うよ。けれど、彼を連れてくるのは難しいね。彼は今、僕の半身が居るリュイール王国のルヴィスタに居るんだ。……彼がそこから離れないと、どうにもならないね」
「そうなんだ……」
リークの返答にそう呟きながら、圭はゆっくりと目蓋を伏せる。そんな彼に、今度はイディアが口を開く。
「その子は、圭を捜しにこの世界へ来たのよね? それなら、ルヴィスタで圭の情報を集めているはずよ。それを利用して、圭の情報を流すのはどうかしら? 他国に圭が居ると判れば、彼はそこへ向かうと思うわ」
イディアの提案に、圭とリークは彼女に目を向ける。そして、無言でゆっくりと頷いた。




