呪紋の覚醒26 ※視点切り替え地点
彼から優しい態度を感じられて、リークは思わず嬉しそうに笑んだ。
「君が僕を否定しなければ、僕はそれだけでいいとさえ思っている。有り難う、翔平」
「いや、別に礼はいい。……礼を言われるほどのものじゃないんだ」
少しばかり目蓋を伏せて、翔平は居心地が悪そうに答えた。それは単なる謙遜ではない。
(戸惑うって言った俺は、やっぱりお前を傷付けているんだ。多分、これからもどっかでそうなるかも知れない)
結界の傍にいるリークをじっと見る。すると、彼は笑みを浮かべたままで、ゆっくりと首を左右に振ってみせた。まるで、翔平の思っていることに答えているようである。
翔平が口を開こうとした。だが、圭の小さな声音によって遮られてしまう。
結界の中で、圭がゆっくりと目蓋を開いて起き上がった。続いて、イディアもゆったりと起き上がる。
「圭!」
幼馴染みの名前を呼びながら、翔平は結界の前まで場所を移動した。
すると、圭が金色に近い色素の薄い瞳を向けていく。
「……翔ちゃん。ぼくたちの方が、君に負けたんだね。だけど、負けたからって」
そう言いながら、圭がリークに視線を移す。
「どうして、貴方が翔ちゃんの味方になっているのかな? ぼくたちを裏切ったね?」
圭の科白に、リークが微苦笑を浮かべた。
「僕の行動は、確かに君たちに対する裏切り行為だね。僕はただ、僕の中にある感情に従っただけだよ」
迷いのない言葉に、圭が眉根を寄せる。すると、隣のイディアが口を開く。
「あの方に誓った、貴方の思いは嘘だと?」
「世界を救い、創り変えようとする思いは嘘ではないよ。――けれど、僕の見てきたものと彼の見てきたものを照らし合わせると、それは単なる僕たちの我が儘に過ぎないことを知った」
「私たちの我が儘?」
鸚鵡返しながら、彼女は圭と同じように眉根を寄せた。
「我が儘なのは、神と人と魔族じゃないの! 神は私たちに何をした? 人は私たちに何をした? 魔族は私たちに何をした? 呪紋を宿したことで存在を否定され差別されて、その私たちが足掻いて何が我が儘なの?!」
イディアは感情のままに叫び、大粒の涙を流しながら顔を両手で覆い隠していく。
圭は、彼女の肩を慰めるように優しく抱き寄せた。そして、視線を翔平に向ける。
「……翔ちゃん。翔ちゃんは、この世界に来て何を見てきたの? ぼくはこの世界に来てすぐに呪紋に覚醒して、翔ちゃんよりも色んなものを見てきたよ」
語り掛けながら、圭は翔平の肩に乗っているリュークに視線を移した。
「その小白竜。ぼくが呪紋の力で創った竜なんだ。その竜が翔ちゃんに懐いているのも人の言葉が解るのも、ぼくの記憶が埋め込まれているからだよ。……強くなろうとして弱かった圭を消したくて、その竜ごとを消そうとしたけど逃げられちゃったんだ。……まさか、翔ちゃんと一緒に居るとは思わなかった」
圭の言葉に、小白竜が小さな鳴き声を上げる。翔平が驚きの表情でリュークを見やった。すると、嬉しそうに翔平の頬へ擦り寄ってくる。
リュークから視線を外して、翔平は改めて真正面に圭を見据えた。彼も応ずるように視線を合わせてくる。
「圭。お前がこの世界に来てからのことを、詳しく聞かせてくれないか?」
「……いいよ。ぼくがどんなものを見てきたのかを、翔ちゃんに教えてあげる」
ここまで追い掛けてきてくれた親友。そんな彼に微笑んで、圭はゆっくりと語ってゆく。
あの時。ゲル状の手に包まれて魔方陣へ引き摺り込まれた後、圭はリュイール王国へ出てきた。だが、歪みの中にいたゲル状の手は、すぐに圭をその中へ引っ張り込んだ。
その歪みの中で何処かへ引き戻されるように引っ張られ、暫くしてから辿り着いた場所は巨大な魔方陣が広がる部屋だった。
魔方陣に辿り着いた途端に、圭を拘束するゲル状の手が吸い込まれるように魔方陣の中へ消えてゆく。
漸く身動きの取れた圭は、訝しげに周りを見回した。
そこは、部屋と言うよりも空間に近い場所だ。真上に空が広がり、壁と言うものが存在せず、白い空間が何処までも広がっていた。足元に広がる床もまた白く、描かれた魔方陣が淡い光を放ちながら空へ向かって伸びている。
「ここは……?」
疑問を口にした途端に、圭の頭に一瞬だけ激痛が走った。それと同時に、背中に灼熱と鋭い痛みが走る。
痛みに泣き声を上げながら、魔方陣の上で転がりのたうち回った。
「痛いよお……っ! 翔ちゃん、助けて! 背中が痛いよおっ!」
助けを求めて叫んでも、翔平が現れることはない。代わりに、床に広がる魔方陣が強い光を放ち、圭の痛みを全て打ち消していった。
痛みに解放されても、圭は放心したように床に横たわったままだ。
身動きの取れない彼の前へ、ひとりの男が現れた。
「異世界の者よ。我らはお前を待っていた。……理の愚者の書物を手にした、異世界に住まう者を待っていた」
男の科白に、圭は驚きながら身体を起き上がらせる。
「ここは……何処? 貴方は誰?」
「ここは名もない世界だ。我は死を司る神の闇であり、混沌の紋章を所持する者、ケイオス」
「ケイオス、さん? ……貴方が、ぼくの痛みを消してくれたの?」
問い掛けに、男――ケイオスは頷いた。
「お前の痛みは、異世界の言語を知る為の痛み、そして紋章が宿った痛み。お前に宿った紋章は、世界を司る女神の闇であり同一的存在の創造の紋章だ」
「……ぼくには良く解らないよ。それより、翔ちゃんを知らない? 翔ちゃんは何処? ねえ、何処なの?」
圭は翔平が居ないことに不安を抱く。見知らぬ部屋に、見知らぬ人物を前にして、冷静に物事を受け止めることが出来なかった。
矢継ぎ早に投げ掛けてくる問いに、ケイオスは細い溜め息を吐き出してゆく。
「お前が何故、それを訊く? その者から離れることを、お前は望んだのだぞ? 望みに共鳴したのが、あの書物なのだ。何故、お前はその者の存在を望む」
「違う……! ぼくは、ぼくは翔ちゃんから離れたい訳じゃない。翔ちゃんの傍に居ると甘えてしまうから、ただ強くなりたいだけ」
「ふん。離れられないのは、お前の弱さからだ。強くなりたいのならば、その者から離れろ」
指摘が的確すぎて、圭は唇を噛み締めた。図星だからである。
「ひとつだけ、言っておく。その者は、お前を追ってこの世界へ来ている」
「翔ちゃんが?」
「ああ、そうだ。会いたいならば、会いに行けばいい。己の弱さに甘えるのならば、な」
ケイオスの更なる言葉に、圭は押し黙るしかない。そして、彼を睨みつけるように顔を上げる。
「ぼくは、強くなるまで、翔ちゃんに会いに行かない! どうすれば、強くなれるの?」
誘導か先導か、はたまた洗脳か。圭の宣言に、ケイオスが口の片端を吊り上げた。
「我らと共に来るがいい。そして、呪紋について学べ。お前に宿った紋章は、強大な力を持っている。強さはもう手にしているのだ。呪紋の力を自由自在に扱えれば、どの存在をも圧倒するだろう」
言い終わるなり、彼は片手を空へ翳して指を鳴らす。すると、圭を挟むようにして、フード付きの黒いマントを纏った男女が現れた。
「その者たちは、お前と同じ呪紋の所持者だ。この世界の理と、呪紋の全てを教えてくれるだろう」
後のことを二人に託して、ケイオスはゆっくりと踵を返してゆく。友好的な感情さえない背中を見送って、圭は残された呪紋の所持者たちへ視線を移した。
愁いを帯びた闇色の双眸を持つ女が微笑んだ。
「初めまして。私は運命を司る女神の闇、輪廻の紋章を所持するイディア」
「イディア、さん?」
「イディアでいいわ。貴方の名前は?」
彼女に優しく問われて、圭は初対面で緊張しながらも口を開いてゆく。
「ぼくは、圭。河合圭」
「圭――圭、ね。宜しくね、圭」
名前を反芻していくと、彼女はさらに微笑んでみせた。悪意はまったく見られず、圭は僅かながら心を開く。
「それじゃあ、僕も自己紹介をするよ」
続くように、金髪碧眼の甘い端正な顔立ちをした少年が口を開いた。圭が視線を向ければ、彼は優しい笑みを浮かべる。
「僕は地を司る神の闇、始まりの紋章を所持するリーク。……と言っても、呪紋はまだ不完全だけれどね」
「よろしく、圭さん」と言って、リークは笑みを絶やさない。本来ならば、何処にも引っ掛かりを覚えないはずだが、少しだけ顔を曇らせる圭の姿があった。
「……良く間違われるんだ。もしかして、ぼくを女の子だと思っていたりする? ぼくは男だよ」
圭の訴えに、リークが苦笑を浮かべた。どうやら、圭の容姿に性別を間違えてしまったようだ。
「ごめんよ、圭君」
「うん。君付けの方が嬉しい。解ってくれればいいよ。――それより、どうして、貴方たちは異世界から来たぼくに優しくしてくれるの? 普通は疑ったりするでしょ?」
圭の疑問に、イディアが口許を隠しながらころころと笑った。
「それは、貴方が私たちの仲間だからよ。呪紋の所持者は、私たちにとっては家族や兄弟も同然」
彼女の言っていることが判らず、圭は小首を傾げるしかない。リークが補うように口を開く。
「彼女の言葉は、呪紋を知って行けば、その内に解るよ」
「そうなの? ぼく、頭が混乱していて、何が何だか判らないよ。この世界のことも、呪紋のことも、貴方たちのことも」
圭が正直に今の心境を話せば、イディアが「大丈夫よ」と圭の手を握った。その行動はまるで、姉が弟を元気づけようとするものだ。
「私とリーク君が、貴方の知りたいことを教えるわ。だから、遠慮はしないでね? 圭」
優しく握られた手を見下ろして、圭はイディアの顔を見つめる。そして、天使のような笑みを浮かべた。
「ありがとう、イディア」
イディアに礼を言うと、圭は彼女の隣に居るリークを見詰める。
「リーク、でいいのかな?」
「勿論、呼び捨てで構わないよ」
「判ったよ。リークも、ありがとう」
そう言って、圭はまた微笑んでみせた。
これからしばらく、圭の視点で物語は展開していきます。




