呪紋の覚醒25
惜しむように唇を離して、リークは優しく微笑んだ。
「僕と彼の中で何が起こったのかを、君に話して置きたいんだ。――後で、聞いてくれるかい?」
翔平は小さく頷くと、リークから身体を離していく。そうして、目許を無造作に拭っていった。涙は漸く止まったようだ。
「有り難う。それじゃあ、彼らを運ぼうか」
リークに促されて、翔平は改めて周りを見回してゆく。
圭が近くで血を流して倒れている。
リュークが少し離れた場所で、背中を向けて座り込んでいた。
イディアが立ったままで気絶している。右肩を剣によって突き刺されて、村の結界に張り付けにされている状態だ。
目を背けたくなるような光景に、翔平は驚きに目を見開いていった。暴走した時の記憶は残っていないようだ。
「これは……?」
「……暴走した君が、全てしたことだよ」
リークは事実を隠すことはしなかった。
「……そうか。俺が」
ぽつりと呟いて、翔平は目蓋を僅かに伏せていく。強く握り締めてしまいそうな手に、リークがそっと触れる。
「これが呪紋の暴走だ。呪紋を宿した以上は、しっかりと受け止めなければいけないよ」
厳しい言葉とは裏腹に、リークの手は何処までも優しい。温かみを帯びた手の平だった。
「大丈夫。君はきっと、乗り越えられる」
励ましに応じるように、翔平は彼の手を一瞬だけ力強く握り返してゆく。やがて、気を取り直したかのように離していった。
「リューク」
翔平が小白竜の名前を呼んだ。
すると、リュークが翔平を振り返る。彼の姿を目にするや否や、その場をふらつきながらも飛び上がり、お気に入りの肩へゆっくりと降り立った。
翔平がリュークの小さな頭を優しく撫でる。
「……ごめんな。痛かっただろ?」
深い謝罪に、リュークは小さな鳴き声を上げて、涙目になりながら翔平の頬へ擦り寄っていった。微笑ましい仕種は、まるで彼を許すと同時に普段の彼へ戻ったことへの、喜びを表しているようだ。
「……有り難う、リューク」
翔平も涙目になりながら、リュークに小さく笑いかけた。
ひとりと一匹の様子を、リークが優しい眼差しで見詰めている。そして、地面に突き刺さったままの長剣を鞘に納めると、翔平の許からゆっくりと歩き出した。彼の向かう方向は、結界に張り付けにされたままのイディアの所だ。
リュークから視線を外して、翔平はうつ伏せに倒れている圭を見下ろす。
「……圭」
小さく親友の名前を呟いて、身を屈めると身体を仰向けにさせた。彼の身体を横抱きにして、その場からゆっくりと起き上がる。
翔平に斬られた傷の部分は、圭の身体から少しずつだが消え去り始めていた。それは呪紋を宿した者が持つ再生能力だ。闘いの傷跡と断定できるものは、長剣によって裂かれた服とそれに染み込んだ夥しい血痕だけである。
(……これも、呪紋の力か)
視線だけで自分の塞がった傷の部分を確認して、翔平は心の中で寂しげに呟いた。
翔平も圭も、既に人の域を超えてしまっている。それは、もう普通の高校生に戻れないと言うことだ。誰かを護れる力を得たことに嬉しく思う反面、平凡な日常へ戻れないことへの寂しさはやはり付き纏ってしまう。
未だに目覚めない圭を抱えながら、翔平は村の入り口付近に居るリークを見詰める。
リークは、イディアの右肩に突き刺さった長剣を抜き取っている最中だった。
長剣を抜いたことで、イディアが支えを失って崩れ落ちそうになる。リークはそれをすぐさまに抱き止め、彼女と共にゆっくりと地面に両膝を突いた。彼女を片手で支え、もう片方は地面へ押し当てていく。
すると、村を覆う魔方陣の結界は徐々に小さくなりリークの手の中へ還っていった。
リークがイディアを横抱きに抱え、その場から身体を起き上がらせる。そして、彼は翔平の視線に気付いて後ろを振り返った。
リークが翔平に笑いかけて、「おいで」と唇を動かす。「早くおいで。翔平」と、さらに唇を動かした。
翔平は微かに顔を赤らめる。寂しさを拭い去るような笑顔に、心の底から安堵してしまう自分に恥ずかしさを覚えた。自覚すればするほどに、リークに依存してしまいそうな彼がそこに居る。
だが、それを振り払うかのように、翔平は足早にそこから歩き出した。
翔平が追い付くまで立ち止まって、リークは彼と共に村の中へと足を踏み入れる。
それぞれの腕に圭とイディアを抱え、二人は肩を並べて村長の家へ向かい始めた。
彼らの様子を、各々の家の中に居た村の子供たちが恐がりながら窓から覗いている。村の外で起こった戦闘の音が、家の中まで届いていたのでそれは当然の反応だ。
「爺さん!」
村長の家まで辿り着くと、翔平は大声を張り上げた。
すると、家の扉がゆっくりと開いてゆく。村長は、家の外へは出てこなかった。イディアによって施された呪いは、まだ解かれてはいない。
翔平とリークはその開いた扉の中へ入り、村の大人たちが集まっている部屋へ歩みを進めていった。
影となっている村の大人たちは、圭とイディアの姿を目にして、恐れるように部屋の隅へと逃げていく。
こちらもまた、当然の反応だ。リークが苦笑を浮かべる。
「恐がらなくても大丈夫です。二人は気絶していますから」
「爺さん。悪いけど、こいつらが起きるまでここで寝かしてやりたいんだ。だから、少しだけでもいい。別の部屋で待っててくれないか?」
翔平の頼みごとに、村長は戸惑いながらも頷いてみせた。
「悪い。恩に着る」
翔平は深々と頭を下げてゆく。
村長と村人たちは、自分の本体を運びながら静かに別の部屋へ移動して行った。
彼らの動きを最後まで見守り、翔平とリークは部屋の中心へ歩き出す。大体の距離を測りながら進むと、二人をゆっくりと下ろし並べて寝かせていく。
「翔平――翔平君。のちのち面倒になるから、二人に結界を張ってもいいかい?」
唐突に呼び方が変わった彼を、翔平は驚いたように凝視した。途端に、リークが困ったように微笑んだ。
「ごめんよ? 僕たちは、まだ融合し切れていないんだ。けれど、僕もまたリークでしかないんだよ。……そのことだけは、覚えていて欲しい」
伝えたい言葉を口にして、彼は部屋の床に片膝を突いて、片手を床へ押し当てて呪文を唱え始めた。紡ぎ出される呪文は、リークが結界を創る時に唱えているものと少し違っている。彼の手から広がる魔方陣も、少しだけ違っていた。
彼が創り出した結界は、構造は同じものの色が違っている。仕組みは、結界内に居る者の魔力を押さえ、外に出られないようにするというものだ。
圭とイディアの下に広がった魔方陣は、一瞬だけ紅く淡い光を放つと空間に溶け込んでいった。
結界を施し終えたリークに、翔平が躊躇いがちに口を開く。
「……あんたは」
「いつものように、僕を呼べばいいよ。――翔平。僕もリークも、同じなんだ」
翔平がじっとリークを見詰める。彼もまた、じっと見返した。
リークは、翔平の傍に居た彼と変わらない――ように見える。同じ存在なのだから、それは当然のことであった。しかし、翔平が彼を傍に居たリークと認知することが出来ない。それもまた、当然のことである。
ひとつに還ったリークと翔平との間で、やはり問題は否応なく生じてしまう。
翔平を好きな彼も翔平が好きな彼も、翔平の傍に居たリークである。身体は同じだとしても、現在、目の前に居るリークではないのだ。
リークはそれを察して、寂しそうに微笑んだ。
「僕は、僕だよ」
いつかに聞いた科白で、いつかに見た寂しい笑みで、彼はそれを口にした。
「……僕は僕なんだ。……僕は、君を知っている。君と過してきた日々を知っている。……君への気持ちも知っている」
そう翔平に語りかけながら、リークはひとつに還った時のことを思い出していく。
あの時――流れ星のように流れてきたリークは、リーアの中へと拒否反応を起こすことなく入ってきた。
リークの衣服を抱き締めながら大声で泣いていた翔平を、リークは静かな眼差しで見詰めていた。その最中で、リークの中で互いの記憶がせめぎあい反発し合っていた。
リークの中に、リーアとリークの記憶が存在する。その記憶は当然のように、リークのものが消えるはずだった。リーアの記憶に全てを塗り替えられ、翔平の知るリークと言う存在は消えるはずだった。
だが、耳元で木霊する翔平の泣き叫ぶ声が遮った。それと同時に、リークの記憶がその中で溢れ出し広がっていった。
リークの記憶が鮮明な映像となって、リークの中で幾つも浮かび上がる。そこにあるのは、暗く悲しい幼少時代から今に至るまでの全ての記憶たちだ。しかし、映像に何度も映り込むのは、翔平との記憶ばかりである。
(……忘れたくない)
リークの心の中で、どちらの声かも判らない声が響き渡った。
(忘れたくない)
その時だ。
リークとリーアの散らばった記憶が、唐突に浮かび上がってきた何かに掻き集められた。すると、その記憶たちが互いに溶け合い出す。互いを消し去るのではなく失くすのではなく、互いの記憶を認め合うようにひとつの形へと形成し始めた。
リークはリーアの記憶を知り、リーアはリークの記憶を知る。やがて記憶は二人の中で共有され、新しい記憶として創り変えられ始めた。それが作用してリークとリーアは、ただひとりのリークとなり始めようとしている。
その最中で、リークははっと我に返った。目に飛び込んできた翔平の暴走した光景に、彼はその場を歩き出す。融合をまだし切れていない彼は、リーアのままであった。
しかし、ひとつの身体にある二人は、時を経るごとにただひとりのリークとなってゆく。それまでは、リークとリーアは時折入れ替わってしまう。
(……僕の中に浮かび上がってきたあれは、一体何だったのだろう?)
疑問に思いながらも、リークはあえて思考を切り離してゆく。
翔平が目を逸らすこともなく、ずっとリークを見詰めている。
「リーク。俺は別に、お前を否定はしない。だけど、やっぱり戸惑う部分があるんだ」
翔平の正直な気持ちはそれであるが、口調はいつもリークに向けていたものだった。




