呪紋の覚醒24
「……翔平」
リークが彼の名前を呟きながら、優しい笑みを泣きそうな笑みに変える。そして、翔平から顔を背けると、崩れるように仰向けで倒れていった。
「リーク!」
翔平はリークの名前を叫びながら、彼の許へ一直線に駆け出して行く。今が闘いであることを忘れ、圭と蔓たちを相手にしていることも忘れ、ただ無心に彼の許へ足を速める。
行く手を圭の操る蔓たちが阻んでも、翔平には関係なかった。蔓の鋭くなった切っ先が腕や肩に突き刺さっても、翔平には関係なかった。
彼の中で身体の痛みよりも、失くすことへの心の痛みの方が勝っていた。翔平の心は、ただリークを求めるように、その名前を呼び続けるばかりだ。
リークの許へ走る翔平の脳裏に、彼との短く儚い思い出が走馬灯のように駆け回る。両の目からは、幾筋もの涙が溢れ流れ出ていた。
「リーク!」
近くにあるようで遠くに思えた場所へ、翔平は漸く辿り着くことが出来た。
リークを前にして、彼の両足が急に震え出す。立っていることも叶わず、翔平はその場に崩れるように両膝を突いて座り込んだ。
目を瞑ったままで、リークはぴくりとも動かない。上半身を膝の上まで引き上げると、翔平は優しく労わるように抱き締めた。
「……リークっ……」
涙で震え掠れる声で、彼はもう一度リークの名前を呼ぶ。
すると、リークがぴくりと反応した。
「……翔……平……」
微かなリークの声に、翔平はリークの背中を支えながら身体を離してゆく。翔平の涙が、リークの頬へ幾つも落ちていった。
リークが、ゆっくりと目蓋を開いてゆく。彼の目からは、細い一筋の涙が流れていた。
「……泣かないで」
涙を流しながら、リークは優しく微笑んでみせる。ゆっくりと上げられた手が、愛しそうに翔平の涙をそっと拭ってゆく。
「……泣かないで、翔平。……こうなることを、僕は元々解っていたんだ。……君に、色々と嘘をついてしまって、ごめんよ。……わざと傷つけて、護れなくて……ごめん」
「……馬鹿野郎。謝るのは、俺の方だろ? お前を護るとか言って……結局は自分のことで精一杯で、護れなかった。……ごめんな、リーク。……ごめんな……?」
翔平は謝りながら、さらに涙を零していった。リークがそれをまた拭う。
「……謝らなくて、いいんだよ。……僕は、君と出会って良かったと、思っているよ。君を好きになって……君に触れられて、とても幸せだった」
そう言ったリークの爪先が、光の粒となって形を失くしていく。それを見た翔平は、言葉にならない嗚咽を漏らした。大粒の涙が止めどなく溢れ、またリークの白い頬を濡らす。
「……ただ、心残りなのは、君を……元の世界へ返せないことだ」
リークの足元が形を失くして光の粒となる。
「……君の傍に、居られなくなることだ」
リークの下半身が、形を失くして光の粒となった。
「……リークが……君を大切にしてくれたらいいのに」
リークの腰元が、形を失くして光の粒となる。
「……翔平。……僕は、君が好きだよ」
リークの胸元が、形を失くして光の粒となった。
「……君は?」
翔平の涙を拭うリークの腕が、形を失くして光の粒となる。
「俺も! 俺も、お前のことが好きだ。……誰よりも、お前が好きだからなっ」
涙声で必死に訴えかけてくる翔平に、リークが嬉しそうな儚い笑みを浮かべた。
「……ありが、とう」
『……ありがとう、翔平』
そして、リークの上半身は形を失くして光の粒となる。
翔平の知るリークを形成する全ては形を失くし、翔平の手の平をすり抜けていった。そこに残されたものは、彼の身につけている物と、近くに転がる愛用の長剣だけである。
「リークっ」
リークの衣服を抱き締めながら、翔平は周りを気にする余裕もなく大声を上げて泣いた。
すると、彼を包み込むように光の粒たちが集まり始める。真上には、リークの背中に宿っていた始まりの紋章が姿を見せていた。
『泣かないで』
まるでそう言っているかのように、光の粒たちが翔平を包み込んで優しく抱きしめる。その光の粒たちは、ずっと翔平の傍に居たリークだ。
翔平の唇に何かが触れた。だが、それはすぐに掻き消え、光の粒たちもまた真上にある紋章へ集まってゆく。
翔平は泣きながら、真上にあるものを見上げる。すると、それらの全ては流れ星のように、リーアの身体の中へ吸い込まれていった。
リークとリーアは、ひとつに還る。二つに別れた同じ存在は、本来あるべき形へと戻った。そして、リーアは「リーク」となる。
リークとなった彼は――静かな眼差しで翔平を見詰めていた。
翔平の心の中に、大きな空虚の穴が開く。彼自身が気付かない間に、彼の中で消えてしまったリークの存在は驚くほどに大きかった。
(……もっと、ちゃんと早く、この気持ちに気づけば良かった)
翔平の中に後悔が押し寄せる。
(自分の気持ちに、素直になれば良かった)
けれど、失くした者は戻って来はしない。後悔はやがて、自虐へと変わる。
(……何で、俺はこんなにも無力なんだ? 偉そうなことを言っといて、結局は何も出来なかったじゃないか。大切なものを護ることさえ出来ない。これじゃあ、単なる口先だけの大馬鹿野郎だろうが。――翔平。お前の存在は一体なんだ? 何でここに居る? 何の為に居る?)
自虐はやがて、弱った心をさらに弱らせる。弱り切った心は、その身に宿った呪紋に巣食われ自我を失ってしまう。
力とは、諸刃の剣だ。力に溺れ驕れば、力に食われてしまう。それと同様に、心を強く持たなければ食われる運命にある。
泣きながら、翔平が口許を歪めた。その笑みは、残虐的な笑みである。そして、自分の長剣とリークの長剣を手にとって、彼はゆらりと力なく立ち上がった。
涙を流すその瞳は、正気を失っている。
そんな翔平が最初に目にしたのは、村の結界を解いている途中のイディアだ。彼は迷うことなく、自分の長剣をナイフのように軽々と投げ飛ばした。
「イディア!」
圭が咄嗟に彼女の名前を叫んだ。だが、その叫びは間に合いはしない。身体ごとを振り向かせた彼女の右肩を、翔平の長剣が貫いてリークの創った結界へ張りつけにした。悲鳴を上げる暇もなく、彼女は痛みに顔を歪める。
翔平が次に反応したのは、イディアを助ける為に叫び声を上げた圭だ。翔平はその場を駆け出すと、尋常ではない速さで彼に近づいていった。
そして、圭を護るように行く手を阻む蔓たちを、魔方陣ごと真っ二つに斬り捨てていく。その全ての処理を終えれば、翔平は圭に呪文を唱えさせる間を与えずに躊躇も容赦もなく斬りかかった。
悲鳴を上げる圭の胸から腹にかけて、斜め一線の傷が走り鮮血が流れ出てゆく。圭が痛みに身を屈めれば、翔平はその傷口を抉るように彼の腹部を膝で蹴り上げた。
圭が気絶しながら、その場へうつ伏せで倒れる。彼は魔術専門であるが故に、打たれ弱いのは言うまでもない。
人が変わったような翔平を目にして、その近くに飛んでいたリュークが悲しそうな鳴き声を上げた。
すると、翔平が地面にリークの長剣を突き下ろして、リュークに視線を向ける。
リュークは恐がらなかった。円らな瞳を翔平へ真っ直ぐに向けて、彼を説得するような声音で懸命に鳴いている。そして、翔平の周りを回り出した。
翔平がそんなリュークに両手を伸ばし、躊躇もなく掴んで強く握り締める。リュークは、苦しげな鳴き声を上げながら懸命にもがいた。だが、翔平に炎を吐き出すことはしない。リュークは、誰よりも翔平を慕っていた。無論、今の彼にではない。
その時、翔平の背後にひとつの気配が近づいた。
「――君の大切な仲間を傷つけて、どうするつもりなんだい?」
その気配は他でもない、ひとつの存在に還ったリークである。
翔平がリュークから両手を離して、リークを振り返った。その顔は無表情ではあるが、彼の目からは止めどなく涙が流れている。
翔平から解放されたリュークは、ふらつきながらその場から飛び去り、少し離れた場所で力なく地面に降り立った。
リークが静かな眼差しで翔平を見据える。
「悲しみに押し潰されて、自分を見失って心を暴走させて、今度は君が自らの手で大切なものを失くしたいのかい? また悲しむことになるよ? 僕たちと同じように」
静かな声音で、彼は翔平にそう語りかけた。だが、翔平はそれに答えはしない。正気を失った瞳で、涙を流しながら彼をじっと見返している。何故だか、翔平は金縛りのように動くことが出来ない。
「心を強く持つんだ。呪紋が引き起こす暴走に、君は負けたりはしないよ」
そう言って、リークは消えてしまった彼のような仕種で翔平の涙を拭う。
「僕の声は、君の中にちゃんと届いているかい? ――翔平君」
優しさを帯びた碧い瞳が、翔平の深い茶の瞳を見つめる。
「泣かないで。僕はちゃんとここに、君の前に居るよ? ――翔平」
その眼差しと言葉に、翔平の瞳が徐々に正気へ戻っていく。それに伴って、彼の表情は無表情から泣き顔に変わってゆく。
翔平がリークの身体を掻き抱いた。リークはそれに抵抗することなく、彼を優しく抱き締め返して背中をあやしてゆく。
「大丈夫だよ。僕は居なくなったりしないから、そんなに泣かないで」
「リーク、何でお前……。お前、どっちなんだよ? あいつだったり、お前だったり」
「僕にも判らないよ。……僕は、どっちのリークなんだろうね? 消えるはずの僕が居る。そして、彼も居る。けれど、君を好きな気持ちは変わらないんだ」
リークの身体を、翔平はさらに強く抱き締めた。まるでその仕種は、離れたくないとリークに訴えかけているようだ。
「翔平。ひとつに還ると言うことは、何かを消したり失くしたりするものではないんだね。……新しい自分になる、と言うことだったんだ。僕も彼も、勘違いをしていたようだよ」
そう言いながら、リークはさらに強く翔平を抱き締め返してゆく。
「翔平。僕の顔を見てくれるかい?」
耳元でそう囁かれ、翔平は言われた通りにリークの顔を見る。すると、リークがその顔を寄せ、翔平の唇に自分の唇を重ねていった。




