呪紋の覚醒22
翔平の口から嗚咽が漏れた。――涙が止まらない。
しかし、すぐに涙を拭わなければならない。泣いたところで、現状は変わらないのだ。そこで立ち止まったとしても、明日と言う日は必ずやって来る。
目許を乱暴に拭いながら、翔平は真上にある二つの月を睨み上げた。
心の中で、自分がどうしたいのかを一つひとつ確認していく。
(……何かを捨てる覚悟なんか、俺は要らない。俺は俺のやりたいようにすればいいんだ。……リークがどう言おうと、俺は今までのことをなかったことにしない)
それは、リークとは真逆を行く翔平の意思だ。どちらの意思が正しいのか、誰にも決められないことである。
この先に何が待っていようと、翔平が翔平である以上突き進んで行くしかない。
翔平とリーク。彼らは重ならない意思を胸に抱えて、離れた場所でそれぞれの夜を静かに過してゆく。
二つの太陽が地上へ眩い光を伸ばし、朝が訪れたことを知らしめる。
ゆっくりと近付いてくる足音に、翔平は目蓋を開けて上半身を起き上がらせた。
視界にリークの姿が映る。表情や雰囲気は、何処までも静まり返っていた。今までの彼が見せてきた感情の、一欠片さえ窺い知る隙はない。
翔平は毛布を素早く折り畳み、布袋にしまうと身体を起き上がらせた。彼が寝ていた場所は、村の入り口付近に繋げている黒い馬の傍だ。そこは、リークの施した結界内であったことは言うまでもない。
目の前までやって来たリークを、翔平は何かを言いたげに見詰めた。だが、リークに会話を交わすような雰囲気はない。二人の間に、緊張の糸が張り詰められた。それは、これから挑む闘いに対するものだけではない。
ふいに、リークが翔平の前で動き出す。すると、翔平は僅かに肩を強張らせた。それは過剰な反応である。リークの行動は、単に手にしていた布袋を黒い馬の背に取りつけているだけだ。
翔平の肩に、目を覚ましたリュークが飛び乗る。そして、翔平に円らな瞳を向けて、挨拶をするように小さく鳴いた。
「……はよう、リューク」
小さな笑みを見せるも、翔平の声音は頼りなく寂しそうだ。
リュークが翔平の肩から飛び立って、リークの方へと降り立った。リュークのその行動は、初めて見るものである。
リュークが何かを尋ねるように、リークに向かって鳴き声を上げた。
「……何だい?」
翔平とは違い、リークの声音は何処までも静かだ。僅かな感情の起伏さえ見られない。
そんなリークの肩から飛び立つと、リュークは彼のマントに小さな口で強く噛みついた。そして、翔平の方へ精一杯の力で引っ張っていく。
まるで、「仲直りをして」と言わんばかりの行動だ。
リークが静かな瞳で翔平を見る。翔平が何かを言いたげに、彼の瞳を見返す。
「……朝食を食べた方がいいよ。彼らとの闘いは、もう目の前だ」
それだけを言うと、リークは翔平から視線を逸らしてしまう。彼は翔平との会話を明らかに拒んでいる。
それを直に感じ取って、翔平はその何かを言い出すことは出来なかった。顔を俯かせて、悔しそうに唇を噛み締める。
リュークがリークから離れて、心配そうな瞳で翔平の肩へと戻って行く。
すると、翔平の前で再びリークが動く気配がした。彼の気配は、翔平の前から遠退いて行く。すかさず顔を上げて視線でリークの姿を追えば、彼は翔平とは反対側の場所へ移動していた。
リークが村全体を覆う背の高い木の柵に背中を預けて、腕を組みながら前を見据えている。横顔は静かで恐いくらいに真剣だ。
気になって仕方ない相手から視線を外して、翔平は両手を強く握り締める。
(しっかりしろ! 俺らしくもないだろ。こんなことで滅入るな)
翔平は心の中で、沈みかける自分を奮い立たせた。目蓋をゆっくりと閉じ、心を落ち着かせるように深く呼吸をしていく。そして、彼はゆっくりと目蓋を開いていった。
深い茶の瞳に、意志の強い光が宿る。
翔平はその場に身を屈め、布袋から小白竜が食べられそうな朝食を取り出すと、それをリュークに与えていった。餌やりが終われば、自分用の朝食のパンを一口だけ齧って、紙に包んでいくと再び布袋に戻してゆく。どうしても食欲が湧かないようだ。
布袋を黒い馬の背中に取りつけて、翔平は自分の装備している武器や防具を確認した。
装備と言っても、決して重装備ではない。今までと変わらず、胸当てと腰元にある長剣の極めて軽い装備である。無論、リークも同じ装いだ。彼らにとっては、最も定着した装備であった。
装備の確認が終われば、翔平はリークと同じように前を見据える。
まだ、彼らの姿はない。
翔平とリークは会話を交わさず、それぞれの場所から微動だにせず、真剣な面持ちで前を見据え続ける。その場に流れる空気は、先ほどよりも張り詰められた緊張感だ。
(大丈夫だ。俺はやれる。二人とも護れる)
緊張感に押し潰されそうになり、翔平は身体の震えを止めようと、両手を握り締めながら何度も深呼吸を繰り返した。
時は刻一刻と闘いへの時へと刻んでゆく。
二つの太陽が徐々に空へ高く昇り、一陣の風が周りの木々の葉を攫うように吹き抜けていった。
すると、翔平の肩でリュークが何かに反応をして、威嚇をするような鳴き声を上げる。鳴き声を上げながら、リュークは結界から抜けると、目の前にある空間へ灼熱の炎を吐き出した。炎は、小さな身体から吐き出されているものとは思えないほどに大きい。
「来たようだね」
そう呟いて、リークは組んでいた腕を外すと、背の高い木の柵から背中を離していった。ゆっくりと落ち着いた歩調で、結界の外へ歩き出して行く。
翔平は無言のままで、その場から真っ直ぐに歩き出した。
リュークは炎を吐き出し終わると、結界の外へ出た翔平の肩に再び身を落ち着かせる。
その場にまた一陣の風が吹き抜けた。すると、炎に覆われて見えなかった三つの人影が姿を現してゆく。
「随分と手荒い歓迎をするんだね」
リークの全てと酷似する彼が、眼前に手を翳して空間に魔方陣を浮き上がらせた状態で口を開いた。彼の身体に火傷のひとつもない。どうやら、魔方陣が炎を防ぐ盾となっていたようだ。
彼の後ろに、愁いを帯びた闇の双眸と腰まで届く長い黒髪を持つ美女と圭が微笑を浮かべて立っていた。
(……圭)
フード付きの黒いマントを纏う圭の姿を目にして、翔平は心の中で彼の名前を呼んだ。そして視線を黒髪の美女へ移し、最後にもうひとりのリークを見詰める。
(こいつが、もうひとりのリーク。……見分けがつかないほどに、似ている)
心の中でそう思っていると、もうひとりのリークが魔方陣を消して手を下ろしながら翔平を見返した。
翔平に向かって、彼は優しい笑みを浮かべる。
「僕とは初めてだね。翔平君。僕のことは……そうだね、暫くはリーアと呼んでくれるかい? 同じ名前に同じ容姿だから、きっと君は混乱してしまうだろう?」
「よろしく」と彼――リーアに挨拶をされ、翔平は返答に困り困惑した眼差しを向けるだけだ。彼の喋り方も雰囲気も、リークそのものである。
(つーか、これから闘うのに宜しくって言われても困るんだけど)
のんびりとしたところも似ていて、翔平はそんな彼に突っ込まずにはいられない。だが、すぐに気を取り直して、鋭い眼光でリーアを睨み据えた。
「そんな挨拶はどうでもいい。あんたたちに、この村の人たちの呪いを解いて貰うぞ。それと、圭も返して貰うからな」
堂々と宣言してみせる翔平を、美女と圭がおかしそうに笑ってみせる。
「翔ちゃん、面白いことを言うね。翔ちゃんを連れて行くのは、ぼくの方だよ。夢の中でちゃんと言ったよね? 忘れちゃった? それから、幾ら翔ちゃんでも、ぼくたちの邪魔はさせないよ」
艶やかに笑いながら、圭は翔平に片手を向けると素早く呪文を唱えた。すると、手の前の空間に手の平ほどの魔方陣が現れ、回転を始めると同時に中心部から灼熱の黒炎が噴き出してくる。
「っ!」
翔平は咄嗟に、腰元にある長剣の柄を掴んで引き抜こうとした。だが、それよりも早くにリークが翔平の前に飛び出し、両手を重ねるように前へ持っていくと、短く呪文を呟いて目の前に魔方陣の盾を創り出した。
魔方陣の盾によって、翔平に向かっていた黒炎が見事に遮られる。
「リーク!」
翔平の驚いたような叫びに、リークは振り返らない。振り返る余裕すらなかった。魔方陣の盾で黒炎を遮っているものの、勢いに押されるように彼の身体がじりじりと後ろへ下がっていく。
リークの白い額から噴き出た汗が、顔の輪郭を伝い地面へと流れ落ちていった。
その時、リュークが翔平の肩からまた飛び立ってゆく。そして、リークの真上まで飛び上がると、黒炎を押し戻すように勢い良く灼熱の炎を吐き出していった。効果は抜群だ。リュークによって、リークの負担が減っている。
「翔平!」
リークが前を見据えたままで、翔平の名前を叫んだ。翔平はすかさず長剣を引き抜き、彼の後ろから飛び出すと圭に向かって駆け出した。
待ち構えていたように、圭がもう片方の手を翔平に向けていく。そこに創られた魔方陣からは、無数の小さな氷柱のようなものが噴き出してきた。
「リューク!」
リークが今度はリュークの名前を呼ぶ。すると、彼の真上に飛んでいたリュークは口を閉ざすと、素早く翔平の真上へ飛んでいく。間を開けずに、翔平の活路を開く為に飛んでくる無数の小さな氷柱を炎で溶かし始めた。
リュークの助けを受けながら、翔平は圭に向かって突進していくと、彼の両手の前に浮かび上がる魔方陣を長剣で斬りつける。その攻撃は、リークが小さな滝で暴走した時に呪紋の覚醒と共に身につけたものだ。魔法が使えない代わりに、翔平は魔力の宿ったものを「斬る」ことが出来る。
魔方陣を斬り終わったと同時に、翔平は素早く身を翻して長剣の柄の部分を圭の腹部に叩き込もうとした。だが、成り行きを見守っていたリーアによって遮られてしまう。




