呪紋の覚醒15
「落ち着いたかい?」
リークの問いかけに、翔平は彼のマントを握り締めたままで頷いた。肩を喘がせている為に、口から言葉を紡げないでいるようだ。
翔平の反応を見て、リークは彼の服の下から手を抜き取ると、労わるようにその身体を抱き直した。
「……君の身に、何が起こったのかは、理解出来ているね?」
二度目の問いにも、翔平は言葉もなく頷いてみせる。
「異世界から来た君を、何故呪紋が選んでしまったのかは解らない。その背中に呪紋を宿した以上は、君はそれと共に生きなくてはならない。――僕たちと同じように」
リークの静かな言葉には、深い悲しみが伴っているように思えた。
「……ごめんよ、翔平。君がこうなってしまったのは、僕の所為だね。僕が暴走しなければ、君はこうならずにすんだのに」
翔平の肩口に額を押し当て、リークは苦しげに言葉を吐き出した。
そんな彼に、翔平は首を左右に振る。
「……お前の、所為じゃない。……望んだのは、俺だ」
(何の力もない俺だと、この先、お前や圭を護ってやることが出来ないと思うから)
リークとの闘いで、翔平はそれを痛感した。日々の努力でそれなりの力は身につくが、それには長い時間を要することになる。だが、今の彼に、その長い時間を待っている余裕はなかった。
「お前から色々と呪紋のことを聞いてきたけど、俺は別に後悔はしていないぜ。呪紋が宿ったとしても、お前がお前であるように俺は俺だ。暴走を何とかすれば、今までと何も変わらないだろ」
「翔平……」
しっかりとした言葉に彼の名前を呼びながら、リークは堪らず翔平の身体をきつく抱き締める。
(君はどうして、そんなに強いんだい? 本当は呪紋を、あっさりと受け止められるはずもないのに……)
さらにきつく抱き締めてくる彼に、翔平はそっと抱き締め返してゆく。
「この世界に来たことと同じで、これも俺自身が選び取ったものなんだ。だから、お前が気にすることはないからな?」
翔平の更なる言葉に何も言えず、リークは唯々その身体を抱き締め続けるしかない。
「――あのさ、リーク」
「何だい?」
「呪紋のことは、また後で話すことにして。――俺、お前に話があるんだ」
「村で言っていたことだね?」
「ああ。……一昨日のことで、俺に何か隠していることがあるだろ?」
「どうして?」
翔平を抱き締めつつも、リークは飽くまで白を切るつもりのようだ。
せっかちな翔平は眉間に皺を寄せつつも、努めて平静に会話を続ける。抱き合っている云々は、この際置いておくことにした。
「俺が村の坊主たちと話したのは、村の人たちの居場所だけじゃないんだ」
「それは、僕も判っていたよ。どうして僕に話さないのかは、判らなかったけれど」
「何で、お前を恐がるのかを訊いたんだ。そしたら、一昨日の日中にここでお前と同じ姿の奴が、笑いながらそいつらの友達の魔物を殺したってことを聞いた」
「……そう」
「そいつはお前と同じ姿で、フード付きの黒いマントをつけていた。――俺の言いたいことが解っているな? リーク」
「……どうだろうね」
リークはまだ白を切り続けている。翔平は一瞬だけ口を噤んだが、また口を開いてゆく。
「その時、お前が俺と居たことは判っている。そうなると、そいつはもうひとりの暴走したお前ってことになるな? しかも、フード付きの黒いマントは一団の特徴と一緒だ」
「その可能性はあるね」
さらに白を切り通すリークに、翔平も我慢の限界だ。リークから見えない、彼の表情は不機嫌に近づいていた。
「もう解っているだろ? 何で俺に話してくれないんだよ。一昨日のお前の様子がおかしかったし、一団のことをいやに知っていたし、変だと思ってたんだ」
翔平が密着していた身体を少し離して、リークの目をじっと見据える。
「――お前、一昨日にもうひとりの奴と会っただろ?」
リークは翔平の目を見返して、暫くすると諦めたように小さく息を吐き出した。
「……君の言う通り、彼に会ったよ。僕と会った時も、彼はそのマントをつけていたからね。一団のひとりであることが判った。そして、彼がそこに居れば、君の友人もそこに居ると断定出来たんだ。僕の知っていることは、あの夜に全て話してあるよ」
「君に隠していることは、もう何もないよ」とばかりに、リークが翔平に優しく笑いかける。
だが、翔平は笑わなかった。笑うどころか、憮然たる面持ちだ。
「それだけじゃないだろ? 一昨日、お前が辛そうにしていたのは、あいつと何かがあったからだろ?」
「ただ闘っただけだよ」
「いい加減にしないと怒るぞ?」
翔平に真剣な顔を向けられて、リークもまた真剣な面持ちで押し黙った。
(……翔平。君に、僕の気持ちを汲み取って欲しいよ。僕はこれ以上、君に心配をかけさせたくないんだ)
だが、翔平はそれさえも許してはくれないだろう。彼の鋭い眼光が、リークにそう訴えていた。
(……仕方がないね)
そう思いながら、リークはゆっくりと口を開く。
「それじゃあ、僕からも訊きたいことがあるんだ。村に着いてあの子たちと話した後、君は何かを考えていたね。何を考えていたんだい?」
「もうひとりのお前と一団のことも考えていたけど、お前のことを――今話していることを考えていた」
問いに即答する翔平に、彼は言葉を失った。
「あいつらからその話を聞いて、それ以外に何を考えろって言うんだ?」
「……そうか。そうだね。……口に出して、君に訊けば良かったよ」
(そうすれば、不安を抱かずに済んだんだ。……けれど、僕は何に対して、不安を抱いたのだろう? 翔平に何を? 僕は翔平の全てを知りたいのか? 全てが欲しいのか?)
唐突に思考に耽るリークに、翔平は彼の両手を勢い良く掴んだ。
はっとリークが我に返れば、翔平は口許に小さな笑みを浮かべていた。
「訊きたいことがあれば、その時に訊けばいいだろ。何を遠慮しているんだよ。これからは、お互いにそうしようぜ?」
「そ、そうだね……」
翔平の言葉に頷きつつも、リークは彼の言わんとしていることを読み取る。翔平は「だから、お前も俺の訊いたことに答えろよ」と言外に言っていた。
「……分かったよ」
今度こそ白旗を揚げて、リークは一昨日の彼とのやり取りを翔平に語り始めようとした。
すると、翔平の「待った」の声がかかった。
「ずっと我慢してたんだ。そろそろ腕を解いてくれないか? お前の腿の上にずっと乗っているのも、嫌なんだけど」
だが、翔平の訴えを、リークは優しい笑みで受け流して語り始める。
「これを話せなかったのは、君に心配をかけさせたくなかったからなんだ」
暫くして、リークはその言葉を口にして話を締め括った。
リークの話を聞き終わった翔平は、「そうだったのか」と真剣な表情で頷いてみせる。そんな彼の今の格好は、砂利の地面に胡座を掻いてリークと向き合っていた。距離は、互いの話が聞こえるくらいの距離である。
先ほどの体勢は、リークにとっては笑みを浮かべるものだが、翔平にとっては恥ずかしさで耐え難いものであった。その為に、翔平は話の途中で強引に彼から離れ、今のような格好と距離を保つまでに至った。
「……お前さ、それで俺が喜ぶとでも思っているのか?」
翔平に問われて、リークは何も言えず口を閉ざしたままだ。
「俺は嬉しくないからな。お前だけが苦しんで、俺だけが何も知らないままで。――それで、どうするつもりだったんだ?」
「……判らない。けれど、彼に挑んでもし僕が消えれば、彼に君を大切にして貰いたいと願っていた」
リークの科白に、今度は翔平が押し黙る。すると、リークがふっと笑みを浮かべた。
「以前に、君が僕に言った言葉は、とても嬉しかったよ。けれど、彼との問題は、それ以上に難しいんだ。……彼と会って、闘うほかにもう残っていないことを知った。これだけは君にも僕にも、どうしようも出来ないことなんだ。僕に残されるのは、その時が来るまで君の傍で君を護ることだけだよ」
「……なら、その時が来たら、俺がお前を護ってやる。例えどうしようもないことでも、足掻いてみせるのは自由だろ」
翔平の言葉に、リークは目を丸める。
「どうなるか判らないけど、そこで諦めたら負けだと思わないか? 俺にも呪紋が宿った。お前がその呪紋で俺を護ってくれるように、俺もこの呪紋でお前を護りたいんだ。――呪紋は、呪われた紋章じゃない。誰かを護る為にあるんだって、俺はお前を見てそう思った。……暴走は嫌だけど」
リークが、またふっと笑みを浮かべる。その笑みは、先ほどよりも優しさに満ちていた。
「仕方がないね。僕は、君には逆らえないよ。けれど、危なくなったら、僕に構わず逃げるんだよ?」
「それは約束出来ないけど。――逃げるんだったら、お前と圭を連れて逃げるぜ。両手に抱えてな」
自信満々に言って、翔平は不敵に笑ってみせる。
「それは無理があるよ。――それなら、僕は君をお姫様抱っこで連れて逃げようかな。圭君には走って貰って」
「お前、何気に圭に対して素っ気ないな」
「そうかい? 優先順位を考えれば、自然とこうなるよ。僕が君を好きだから」
「あ、そう……」
(って、俺たちは何を話しているんだよ)
「そろそろ、行こうぜ。リーク」
「そうだね。――それと、この滝のことを、あの子たちに謝らないといけないね」
「ああ。そうだな。……この有様じゃあ、謝っても許してくれないと思うけど」
そう言って、滝の周辺を見回しながら翔平は立ち上がった。彼に続いて、リークも立ち上がる。
そうして、二人はその場から歩き出した。
翔平が後ろを歩くリークに、振り返らずに言葉を紡ぐ。
「リーク。――この先のことは何一つ確かなものはないけど、それを気にしても仕方がないし、今は出来ることをやろうぜ。お前には、俺が居るからな」
彼の言葉にリークが嬉しそうに目を細めた。




