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呪紋の覚醒14

(どうする?)

 ゆっくりと近づいて来る彼に、翔平は心の中で自分自身に問いかけた。

 いつかの「殴ってでも」は、明らかに無理である。魔法が使えず、剣術もまた彼相手では太刀打ち出来そうにない。そして何よりも、翔平は呪紋の所持者ではないのだ。

 どう足掻いても、今の翔平に彼を止める術はなかった。

(くそっ!)

 無力な自分に対して、忌々しげに舌を打ち鳴らす。だが、そうしたところで状況が一変する訳ではない。

 ふいに、リークが立ち止まった。

 翔平ははっとして、即座にその場から転がるように離れる。

 その直後だ。翔平が先ほどまで居た場所に、冷たい風のようなものが通り過ぎた。それはそのまま滝の方へ直撃して、滝の流れる崖の一部が轟音を立てながら滝壷へ崩れ落ちる。

 水に何かが落ちた大きな音と水が溢れ出る音が重なったかと思えば、滝の周辺を水飛沫と水の霧が包み込んだ。翔平が背後をちらりと見やれば、滝口の部分が抉り取られ、細い滝が幅の広い大きな滝へと姿を変えていた。

(……今の攻撃、何も見えなかったぞ。俺)

 あまりの力の差に、翔平の額に冷たい汗が流れる。

 翔平が動きを止めている間にも、リークは攻撃の手を緩めることはない。水の霧で視界が悪くなったとしても、翔平に向かう刃は軌道を狂わせはしなかった。

 翔平は自分の勘に任せ、咄嗟にその場を飛び退く。そして、そのまま霧の中を駆け抜けながら、腰元にある長剣を鞘から引き抜いた。

 後方でまた、崖の一部が抉られた音が聞こえる。次いで、また水飛沫と水の霧が辺りを包み込む。

 攻撃を避けるように霧の中をジグザグに走っていると、翔平の目にぼんやりとした人影が映った。気配を消しながら近づいていけば、氷のような剣がぬっと眼前に突きつけられる。

 翔平は咄嗟に身体を横に動かすことで避けるが、動いた方向へ氷の剣が流れてきた。避ける間はない。翔平はそれを長剣で受け止め、そして氷の剣の威力に負けて横へ吹き飛ばされた。

 地に足をつけ、踏ん張ることで勢いを殺すことさえ叶わない。霧の中を数メートルも吹き飛ばされ、木の幹に背中を強かに打ちつける。あまりの衝撃に声を上げることも出来ず、翔平は痛みに顔を歪めながら崩れるようにその場に座り込んだ。

 砂利を踏みしめる足音が、ゆっくりと近づいてくる。

(畜生、やっぱ無理か。リークを止めるどころか、逆にこっちがやられる。――リークを止めることも、圭を連れ戻すことも、俺には出来ないのか?)

 翔平は悔しそうに唇を噛み締める。

(何でもいい。少しだけでもいいんだ。俺に、俺にも力があれば……!)

 長剣の柄を握り締めながら、翔平はそれを強く望む。

 リークの影が、また数歩近づいてきた。

(リークを止められるほどの力を……!)

 長剣を地面に突き立てて、翔平はそう願いながらその場から必死に立ち上がろうとする。

 リークが眼前に迫ってきた。そして、氷の剣が翔平を目がけて振り下ろされる。

 その時だ。

 翔平の背中に、一瞬だけ灼熱と鋭い痛みが走った。それを感じたと同時に、翔平の身体が勝手に動き出す。

 片膝を地面に突いた状態で、翔平は無意識の内に手にしていた長剣で、リークの剣を受け止めていた。また威力に負けて地面に捻じ伏せられるのかと思いきや、そうはならずに彼はそれを受け止めたままでゆっくりと身体を起き上がらせる。そして渾身の力を込めて、逆にリークをその場から吹き飛ばした。

 吹き飛ばされたリークは、倒れることもなく両足の裏で飛ばされる勢いを殺していく。その拍子に、砂利を引き摺るような音がした。

 翔平がはっと我に返る。

「……何で、俺」

 自分の身に何が起こったのか判らずに、翔平は呆然と自分の両手を見つめた。

 すると、リークが地を蹴って、翔平へ急速に接近すると再び斬りかかってくる。

「リーク!」

 翔平は彼の名前を叫びながら、それをまた長剣の刀身で受け止めた。

 そこで鍔迫り合いが始まる。二人の力は互角だと思われたが、翔平の方が明らかに押していた。

 リークがその場から後方に飛び退く。それと同時に、氷の剣で宙を斬った。すると、凍えるような刃が翔平を目がけて飛んでくる。

 何故か今の翔平には、先ほど見えなかったリークの攻撃が見えた。

(これが、さっきの見えなかった正体か)

 見えればこっちのものとばかりに、翔平は長剣の柄を両手で握り直してその攻撃を待ち構える。その時何故か彼は、その刃を「斬れる」のだと確信していた。

 凍えるような刃が、眼前に迫ってくる。翔平は気を張り詰めながら長剣を縦に翳し、刃の部分を飛んでくるものに向けた。

 すると、凍えるような刃は真っ二つに裂け、翔平の両脇を通り過ぎていく。暫くすると、彼の後方で木々の倒れる音が響き渡った。

 翔平が素早くその場を駆け出す。リークから放たれる無数の攻撃を長剣で受け流し、彼の眼前へと飛び込んだ。

 そして――剣を投げ捨てると、リークに飛びかかった。砂利の地面に仰向けに倒れる彼に伸しかかり、両手両足を自分のそれで押さえ込んだ。

 それは、いつかの時の光景と同じである。

「リーク」

 リークを見下ろしながら、翔平が真剣な眼差しで彼の名前を呼ぶ。

 だが、リークは呼び声に応答しない。それどころか、何かの呪文を呟き始めた。どうやら、まだ翔平に何かを仕かけようとしているようだ。

 その様子に、翔平は一瞬の躊躇いを見せるが、意を決したようにリークの顔に自分の顔を寄せた。そして、呪文を呟く口を自分のそれで塞ぐ。

 目を開けたままでリークの様子を窺えば、漸く彼は目蓋を何度も瞬くことで反応を見せた。そして、間近にある翔平の顔に目を見開く。

 翔平はすぐに顔を離して、ほっと安堵の息を吐き出した。

「……やっと正気に戻ったか。いきなり暴走するなよ」

「翔平。……ごめんよ」

 リークの聞き慣れた言葉を耳にして、翔平は彼の上から退くと隣で仰向けに寝転がる。疲れが頂点に達しているのか、恥ずかしげもなく大の字だ。

「気にするなよ。前に言っただろ。殴ってでも目覚めさせてやるよって。――まあ、殴ってはいないけどさ」

「……有り難う。約束を守ってくれて」

 リークも起き上がることはせずに、そのままの状態で口を開いた。

 そうして二人は、暫くの間を無言で過ごす。

 その間に、水の霧が晴れて閉ざされた視界が開けた。

 視界に広がる空は相変わらずだ。青の彩りの中に雲の白が流れ、眩しい太陽が二つ、そして空に浮かぶ島々がある。

 その真下に居る二人の格好はぼろぼろだった。マントも旅人の服も胸当ても、先ほどの闘いにより濡れていたり破れていたり傷が出来ていたりと酷い具合である。

 ゆったりとした時間が流れる最中に、翔平の異変は唐突に起こった。

 仰向けに大の字で寝転がっていた翔平が、痛みに呻き声を上げながら横向きに蹲り出す。全身からは、嫌な汗が一気に噴き出している。

「翔平?!」

 そんな彼の様子に、リークは飛び上がって慌てたように翔平の傍に近づいた。

 心配な面持ちでリークが覗き込んでくるが、翔平にそれを構っていられる余裕はない。激しく痛み出すそれに、耐えるように身体を砂利の地面に転がらせていく。

 翔平を苛むものは、先ほど感じた灼熱と鋭い痛みだ。それは一瞬ではなく持続的に、翔平の全てを侵食してゆく。

「背中が、背中が……!」

 翔平の苦しげな叫びに、リークは眉根を寄せながら身体を固まらせた。だが。

「……背中って、まさか!」

 次の瞬間には、リークは転がる翔平を強引に引き寄せ、邪魔なマントを外して翔平の上着を無理矢理に捲る。

「……!」

 リークの目に映った翔平の背中は、メビウスの輪がくっきりと現れていた。リークと同じ紋章だ。だが、数字はない。

「……呪紋、愚者の紋章」

 二つの単語を、彼は目を見開きながら呆然と呟いた。

 リークの腕から離れた翔平が、呻き声を上げながらその場にまた転がり出す。痛みはまだ止まない。

 リークは、もう一度翔平を引き寄せた。そして今度は、彼を自分の腿の辺りに座らせるとしっかりと抱き込んだ。尋常ではない熱が、翔平の身体から発せられている。

 翔平が縋るように、リークの背中のマントを握り締めた。あまりの激痛に、彼の羞恥心は何処かへ飛んでいってしまったようだ。

「大丈夫だよ、翔平。大丈夫だから」

 翔平を安心させるように、リークはいつも以上に優しい口調で言ってみせた。次いで、自分の片手を彼の背中側の上着の下に潜り込ませる。

 リークが翔平の耳元に唇を寄せ、柔らかく呪文を呟き始めた。


 そこは、とある場所の一室である。

「愚者が目覚めたようだ」

 カッと目を開けて、男が口を開いた。

「――これで全ての呪紋が、二十二の神々の闇が揃った」

 その科白に、彼が「まだですよ」と口を挟む。

「まだ完全ではありません。……始まりの紋章を持つ、僕の半身が僕の元に還らなくては、全ては不完全なままです」

 彼に続いて、圭が口を開く。

「あの人は、もう要らないよね。ぼくも、そろそろ我慢の限界だよ。翔ちゃんを迎えに行くからね」

「いいだろう。行くがいい。――それで、鍵の方はどうだ?」

 男の問いに、女が答える。

「残念ながら――」

「そうか。そう易々と掴ませては貰えぬか」

「申し訳ございません。ですが、呪紋の所持者はほぼ揃えてございます」

「ほぼ、か。まあ、いい。着々と我らの計画は進んでいるのだ。鍵が集まるも、呪紋の所持者が集まるも時間の問題だ」

 男が小さな笑みを漏らした。

「我らは闇ではない。我らが神々の代わりに、世界を救わなければならない。――世界を変えるのだ」

 男が公言すれば、全ての者が跪いていき、そして颯爽と歩き去る。

 男もまた、彼らとは別の方向へ踵を返した。

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