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呪紋の覚醒13

 部屋の中で、黒い影だけが動いている。影が何処から伸びているのかと言えば、床に転がる無数の人間の身体からだ。

 見た限りでは、人間たちはただ眠っているだけのようである。

 リークの唐突な登場に、影たちは一斉に彼を見た――ように思えた。影は目もなく口もなく、ただ黒く人間の身体の輪郭を保っているだけだ。

「リーク。こいつら、魔物か?」

 先ほどまで固まっていた翔平だったが、すぐに我に返り、リークの後を追って部屋の中へ入ってきた。

 リークが翔平を振り返って、注意深く観察して感じたことを口にする。

「魔物ではないと思うよ。どうしてこんな姿になっているのか判らないけれど、彼らは床で眠っている列記とした人間の影みたいだ。――そうですね?」

 同意を求めるように影たちを振り返れば、彼らは何度も頷いていた。

 それを見て、リークも相槌を打ってみせる。

「僕たちの言葉は解るようだ。見えてもいるようだけれど、話すことは出来なさそうだね。――どうですか?」

 再びの問いに、影たちがまた何度も頷いた。

「だけど、影同士は話せるってことか?」

 翔平の問いにも、影たちは頷いてみせる。そんな彼らを眺めながら、翔平は先ほどの子供たちの話を思い出した。

「……夜に現れ、朝に消える。つまり夜に人間に戻り、朝になれば影に戻るってことか。これじゃあ、さっきのリークが言った通りだな。人間として過ごす時間が少な過ぎだ」

「子供たちにその姿を見せたくないことは判ったけれど、一昨日にこの村で何が起こったんだろうね? 大人たちだけが、影になってしまうなんて」

 無数の影を眺めながら、リークは首を傾げる。そんな彼に、翔平は相槌を打つことはせず、再び子供たちの話を思い出し思考を巡らせていた。

(……滝のところに現れた、もうひとりのリークが関係しているのか? だとすれば、封印の鍵と一団の動きも関わってくるな)

 共通点は、一昨日と言う日だ。その他の共通点は見られないようだが、翔平はそう思えてならなかった。

 リークが押し黙っている彼に、何かを探るような目で見詰めている。

「……翔平。何か、引っかかることでもあるのかい?」

 問いを投げ掛けられて、翔平はリークを見返すと深く頷いた。

「ちょっと、な。――ここで何があったのかは、夜を待って事情を聞いた方が早いな」

「……そうだね。予定外のことだから、ヴェント王子たちにこのことを知らせないといけないね」

 そう言い終わると、リークは翔平の肩に大人しく乗っているリュークに視線を移していく。彼に次いで、翔平もリュークを見た。

「リューク、行けそうか?」

 翔平が問いを投げかければ、リュークはそれを理解したように鳴き声を上げる。すると、翔平は口許に笑みを刻んで、小さな頭を優しく撫でていく。

 リークが翔平とリュークから視線を外して、こちらの様子を窺っている影たちを見た。そして、村長と思わしき影に声をかけてゆく。

「夜にまた、こちらへ伺います。その時は、僕たちに事情を話しては貰えませんか?」

 リークの問いに、村長のみならずその他の影たちも一斉に頷いた。その反応は、助けを求めるような雰囲気が漂っている。

「有り難うございます。それでは、僕たちはこれで」

 影たちに礼を告げると、リークは踵を返してその場を歩き出して行く。翔平も彼らに軽く会釈すると、彼の後を追って行った。

 村長の家を出て、二人は互いの顔を見合わせる。

「夜までまだ時間があるな。――丁度いいか。リーク、さっき話があるって言っただろ。付き合って欲しい所があるんだ」

「……構わないよ。けれど、まずは報告の手紙を書かないとね」

「そうだな。それじゃあ、馬のところへ戻ろうぜ」

 そうして、二人は村長の家に背を向けて歩き出した。行きと同じように、井戸の広場を突っ切って村の入り口付近へ移動してゆく。


「これでいいね」

 リュークの首に首輪を緩く取りつけて、リークは頷きながらそう呟いた。

 首輪は小さな筒のようなものが取りつけられており、その筒の中にヴェントたち宛の手紙が入っている。

 翔平が、肩に乗っているリュークを見ながら口を開く。

「リューク、苦しくないか?」

 心配そうに声をかければ、リュークは「大丈夫」とでも言うように嬉しそうに鳴いた。

「……その反応は、平気ってことか?」

「そうだと思うよ。……僕も良くは判らないけれど」

 間近で互いの顔を見合わせ、翔平とリークは一瞬だけ口を閉ざす。

「リュークが言葉を理解してくれても、俺たちがリュークを理解しないと不味いな」

「そうだね。意思の疎通を図らないと、これから先が色々と大変になりそうだ」

「と言っても、どうすればいいのか判らないけど」

「大丈夫だよ。理解していく努力をすれば、いつかきっと解ってくると思うよ」

 リークの言葉に「そうだな」と相槌を打って、翔平は再びリュークに視線を戻していった。

「リューク。その手紙、お前に預けたからな。気をつけて行けよ」

「頑張るんだよ、リューク」

 翔平とリークの言葉に、リュークは鳴き声を上げて翔平の肩から飛び上がる。そして、二人の頭上を一回りすると、セイレーンの方向へ飛行していく。

 リュークが見えなくなるまで見送り、翔平は表情を真剣なものに変えながらリークを見た。

「……俺たちも行くか」

 翔平の徒ならぬ雰囲気に、リークは戸惑いつつも頷いてみせる。

「……それで、何処へ行くんだい?」

「この村の近くにある、小さな滝」

 そう言うと、翔平は踵を返して歩き出した。リークもその後を追って、彼の歩調に合わせるように早歩きで歩いていく。

 小さな滝に向かう二人の足取りは普段と変わらないが、その道中で会話を交わすことはなかった。

 翔平がそれを拒んでいる。小さな滝へ向かいながら、何事かを考え込んでいるようだ。

(……翔平?)

 彼の背中を見詰めながら、リークは不安を胸に宿らせた。

 乗馬でのことを除いて、翔平の様子が子供たちの会話から明らかにおかしいことは、リークでも判っている。目の前にある出来事で一旦は気を持ち直してみせるが、それが僅かな時間でも解消されれば、持ち直した分の感情が一気に彼を覆ったのだろう。

 それが翔平にとって、最も重要なことなら尚更である。

(……翔平。何をそんなに、考えているんだい?)

 リークは、翔平の考えていることに見当もつかなかった。いつもは大体のことなら察することが出来たが、今はその大体のことさえ見透かすことが出来ない。だから、彼は今までにないほどの不安に駆られた。

 リークをおかしくしてしまうほどに、翔平の存在は彼にとって大きく、どの存在よりも様々な意味で大きく影響を及ぼす。

 彼に背を向けて歩いている翔平は知らないだろう。何故かリークの表情が徐々に変わり、口許にいつもとは違う笑みを刻み始めている。


 村を出て、暫くしてのことだ。

 二人の目の前に、滝壷に流れ落ちる小さな虹のかかった細い滝が現れた。滝壷の周りは砂利が広がり、岩や大小様々な石が転がっている。さらにその周りを、無数の木々や草花が茂っていた。

 眺めの良い景色に広がる音は、激しい水の音だけである。

 滝壷を前にして、翔平は漸くリークを振り返った。

「……リーク」

 滝の音で消えてしまいそうな呟きを漏らしながら、翔平は彼の変わりように立ち竦むばかりだ。

 リークが暴走しかかっている。

 口許に深い笑みを浮かべ、長剣の柄を掴んで今にもそれを抜きそうな片手を、もう片方の手が押さえ込んでいるような状態だ。白い額は無数の汗が滲み、碧の双眸は殺意ではなく混乱が渦巻いていた。

「お前、何やってんだよ」

 そんなリークに話しかけながら、翔平はゆっくりと一歩一歩を踏み出して近づいていく。

 翔平の中に、リークを恐れる心はない。

「何でいきなり、そんなになってんだ」

 翔平が何度も話しかけるが、その言葉はリークに届いていないようだ。

 リークは、必死に暴走に抗っていた。鞘と剣の鍔がぶつかり合って、小さな音を立て続けている。

(――何で、お前までここで暴走しようとしているんだよ)

 リークにさらに近づいて目の前まで辿り着けば、翔平はそっと彼の両手に自分の手を重ねた。そして目線を合わせるように、少しだけ身を屈ませていく。

「リーク。俺が判るか?」

 静かに問いかけたところで、やはりその言葉は届かない。

 だが、リークは目の前に居る人物が、翔平であることを認識しているに違いない。相手が翔平だからこそ、何とか暴走に耐えているのだろう。

 反応のない彼に、翔平は気を落ち着かせるようにその身体を両腕で包み込む。

「しっかりしろよ、リーク」

 「リーク」と何度も彼の名前を呼び、抱き締める腕を強くしていった。

 鞘と長剣の鍔がぶつかり合う音が止まる。それと同時に、翔平はリークの手によって突き飛ばされた。

「っ!」

 勢い良く突き飛ばされ、翔平は砂利の地面へ仰向けに転がり背中を強く打ちつける。

 それは初めての出来事だ。

 リークの暴走に一度立ち合った時は、翔平は容易く彼の暴走を止めることが出来た。だが、今回はどうだろう。止めるどころか、見事に拒絶されてしまった。

 リークが鞘から長剣を抜き取っている。剣の切っ先は、恐らく翔平に突きつけられるのだろう。

 彼の双眸が、混乱から殺意へと変わり始めた。殺意の宿った瞳に、翔平の姿が映り出されている。

 驚き。恐怖ではなく、ただ驚きの表情が翔平の顔に浮かんでいた。上半身を起き上がらせて、翔平は目を見開きながらリークの姿をじっと見詰める。

 リークが長剣を握り締めながら、口許に深い笑みを浮かべた。そして、ゆっくりとその場から一歩を踏み出してゆく。

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