呪紋の覚醒11
翌日の早朝、翔平はリークとリュークと共に湖の辺へ足を運ぶ。すると、昨日にカインの言った通り、ひとりの男が翔平たちを待っていた。
男の両手にはそれぞれの手綱が握られ、その先に白い馬と黒い馬が繋がれている。
「……馬か」
(よりによって)
翔平の呟きに、隣に立っていたリークが不思議そうな表情で彼を見詰めた。
「翔平、どうしたんだい?」
リークがそう問えば、翔平は引き攣った笑いを浮かべる。
「……乗馬って、初めてなんだ」
率直に答えてみせる彼に、リークは納得したように頷いた。
「それじゃあ、慣れるまで僕と一緒に乗るしかないね」
「それは、何となく嫌だ」
リークの嬉しそうな科白に翔平は即答するが、だからと言ってすぐに馬を乗りこなせる自信はない。
リークは、深い溜め息を吐き出してみせた。
「練習する時間はあまりないんだよ?」
「それは解ってるけど……」
(何か、恥ずかしいんだよ)
気まずげに口ごもる翔平をそのままにし、リークは二頭の馬を観察して黒い馬を選んでいる。
「この馬の方が丈夫そうだね」
黒い馬を見詰めながらそう呟いて、リークは男から手綱を受け取った。そして、二人分の距離を空けた馬の背中に、二つの荷物を左右に固定させる。
その作業が終われば、リークはまだ尻込みする翔平を振り返った。
「翔平。騎乗の仕方を教えるから、こっちにおいで」
リークに優しく言われ、翔平は渋々と従うしかない。
翔平が近寄ってくれば、リークは丁寧に説明をしながら何度か手本を見せた。そして馬の背中から降りると、今度は翔平に実践させる。それを何度か繰り返させ、リークは再びあぶみに足をかけ馬の背中を跨いで座った。
「さあ、僕の後ろに乗って」
そう言われ、翔平は先ほど習った方法であぶみに足をかけ馬の背中に跨いで座る。
「振り落とされないように、僕にしっかりと掴まっているんだよ」
翔平は、おずおずとリークの肩を掴んだ。彼の肩に乗っているリュークも、何故か真似をしている。
ひとりと一匹の様子を確認して、リークは両足の踵で馬の腹を強く圧迫させた。すると馬が動き出し、彼の巧みな操作によってその場を駆けだしていく。
「いきなり走るのかよ」
弱々しい声を上げて、翔平は慌ててリークの背中に縋りつくような格好をした。
翔平のこんな姿は、出会ってから初めてのことだ。無意識に身体を密着させてくる彼に、リークは口許に嬉しそうな笑みを刻んだ。
黒い馬が鬣を靡かせ、風を切って大地を駆け抜けていく。
翔平たちがこれから向かうところは、セイレーンからかなり離れた場所にある小さな村だ。かなり離れたと言っても、これから先訪れる村々に比べれば近い方である。
早朝から馬を走らせて、気づけば二つの太陽は空の真上に昇ろうとしていた。それを見やって、リークは走る速さを落とさせ馬を止めてゆく。
「翔平、少しだけ休憩しよう」
そう言いながら後ろの翔平を振り返れば、彼は蒼褪めた表情で言葉なく何度も頷いた。
その様子に、リークはくすりと笑う。
(こう言う翔平も、何だか可愛いね)
心の中でそう思いながら、リークは翔平よりも先に馬から降りていった。そして、馬が動かないようにして、慎重に翔平を馬の背中から降りさせる。
「少しは慣れたかい?」
「あ、ああ。少しだけな」
翔平は強がって言うものの、まだ暫くは慣れそうもないことを感じていた。だが、それが返って負けず嫌いの彼に火を点ける。
馬に水を与えて昼食を揃って取り始めるが、翔平だけは早々に済ませて馬の許へ駆け寄った。そして、馬の背中に騎乗して見様見真似で操作を始める。
そんな翔平を見て、リークは優しい笑みを浮かべながら正確な操作の仕方を教えていく。の、だが。暫くして。
「うわっ」
馬が何かに怯えるように、急に暴れ出した。
翔平を背中から振り落とそうと、前足を上げながら鳴き声を上げる。
「翔平!」
少し離れた場所にいたリークは慌てて駆け寄り、翔平を乗せたままで暴れる馬の背中に飛び乗った。
背後から翔平の腰元に片腕を回し強く引き寄せ、もう片方の腕は翔平の持つ手綱に伸ばしていく。手綱を片手で一纏めに掴めば、足の脹脛で馬の身体を挟みながら手綱を引き寄せた。
すると、馬がぴたりと動きを止める。だが、馬は何かを訴えるように、尚も鳴き声を上げ続けている。
「大丈夫かい?」
「な、何とか……」
心配そうに声をかけるリークに、翔平はそう答えることで精一杯だ。胸の鼓動はまだ治まらず、激しく脈打っている。
リークは翔平を背後から抱き寄せたままで、注意深く周りに視線を走らせた。そして、馬が何故暴れたのかを知る。
「魔物が、こっちに近づいているようだね」
そう呟くと同時に、リークは背後にある荷物が落ちていないかを確認し、馬の腹を踵で圧迫させるとその場から走らせた。
「リューク」
リークがそう声を上げると、リュークが飛行しながらその後を追う。
「翔平。悪いけれど、この状態で村まで向かうよ」
馬を走らせながらそう言うと、リークは翔平の腰元に回していた腕を解いた。次いで、手綱を持つ翔平の手の上にその手を重ね、もう一方の手も同じようにする。
少しひんやりとしたリークの体温が、翔平に伝わった。
「僕が操作するから、翔平は手綱を持っているだけでいいからね」
リークが背後から喋るたびに、翔平の首元に息がかかる。
「…………」
(これが一番恥ずかしいんだけど)
心の中でそう思いつつも、翔平は緊張した面持ちで頷いてみせた。
そんな彼の気も知らないで、リークはやはり嬉しそうな笑みを浮かべている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。――僕に全てを預けて」
リークの息がまた首元にかかり、翔平は僅かに眉根を寄せた。
「リーク、あんまり喋るなよ」
堪らずに翔平がそう訴えれば、リークは不思議そうな表情で「どうして?」と問いを口にする。
「……息がかかるから」
「息? 首元が弱いのかい?」
「別に弱くはないけど、人の息がかかることってあまりないだろ。……何か変な感じがするだけだ」
リークの問いに翔平が素直に答えれば、リークは目を丸め、そしてくすりと笑った。
「確かに、人とこんな風に密着することはあまりないからね」
そう言って、リークが翔平の首元に唇を寄せる。そうして、ゆっくりとそれを押し当てていった。
「お、お前……!」
唐突なその行為に、翔平は慌てたように背後の彼を睨みつける。しかし、リークは満面の笑みを浮かべるだけだ。
「……笑ってないで、前を見ろ。前を」
リークから離れるなど動けない以上、翔平は冷や汗を掻きながら、不機嫌な口調でそれを口にするしかない。
そんな翔平に「そうだね」と相槌を打ち、リークはのんびりと彼の肩越しから前を見据えた。そして、足と手綱を使って、馬の走る速度をどんどん上げていく。
リュークもその速さに合わせて、飛行する速度を速めていった。
それから暫くして、翔平たちは漸く目的地である村に辿り着く。
村の入り口付近に馬を繋げ留まらせ、翔平たちは村の中へと足を踏み入れた。
小さな村だけあって、建っている家の数は少ない。村の中心部には井戸があり、その広場を囲むように家々が建ち並んでいた。
村の中を歩きながら、リークが翔平に声をかける。
「あの、翔平」
「…………」
しかし翔平はその声を無視して、村の奥にある村長の家と思わしき大きな家へ早歩きで突き進んで行った。表情は、いつも以上に不機嫌極まりない。
翔平が何に対して怒っているのか重々承知のリークは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
そんなリークの真上をリュークが通り過ぎ、翔平の肩へと降り立つ。そして「キュー?」と機嫌を伺えば、翔平はリュークに視線を向けその頭を優しく撫でた。
どうやら、翔平が怒っているのはリークにのみであるようだ。
(……僕の自業自得であることは解っているけれど、少し寂しい)
心の中でそう零して、リークは翔平の隣に並んで歩き続けた。
先ほどの、リークの積極的な行動には原因がある。それは翔平といつもより密着していた為に、リークの胸に高揚感が湧き上がったからだ。精神と気分の高まりに、彼は普段ではあまりしない行動を起こしてしまった。無論、翔平と離れた今でもその高揚感は治まっていない。
村の中にある大きな家へあと少しのところで、翔平はぴたりと足を止めて無言で隣のリークを睨みつけた。
その目が何かを訴えている。
その訴えが何なのか何となく解っているようだが、リークは何も言わずに翔平を見つめ返した。口許には、抑えようもない嬉しそうな笑みを浮かべている。
リークの気持ちを理解している翔平は、彼から目線を逸らしながら盛大な溜め息を吐き出した。その溜め息はリークを許しているような、或いは呆れているような雰囲気がある。
リークへの怒りを取り払い、翔平は彼に視線を戻して口を開く。
「……あのさ。ずっと思ってたんだけど、この村って何だかおかしくないか?」
「そう言えば、そうだね」
翔平の言葉にそう相槌を打って、リークは周りに視線を走らせた。
村の中に、村人の姿が何処にも見当たらない。それどころか、人の気配すら感じられなかった。
「……誰も居ない訳ではなさそうだけれど」
そう言って、リークがある一点の場所に視線を注いだ。
翔平がその先に視線を向ければ、家の中から怯えたようにこちらを窺っている数人の小さな子供の姿があった。




