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呪紋の覚醒06

 それから暫くして、リークは羽根ペンを持つ手を止めた。

 向かい側のベッドで今も尚眠り続けている翔平と、いつの間にかそのベッドの枕元で小さな身体を丸め眠るリュークに目をやる。

 あれから数十分ほどが経っているが、翔平が目を覚ます気配はない。

 窓の外からは、眠りを誘うような曲と共に少女の神秘的な歌声が流れてきた。

 それを耳にしながら、リークは文字を綴った便箋を二つ折りにする。その便箋を封筒の中に入れれば、翔平の荷物が入った布袋の底の部分に無断で忍び込ませた。

 もう一つの便箋は細く折り小さく丸めると、小さな筒の中に入れる。その筒は伝書鳩の足に取りつける為のものだ。リークは、その筒を自分の布袋のすぐにでも取り出せるような場所に仕舞った。

 一連の作業を終え、彼は再び自分のベッドに腰を下ろす。そして、まるでその姿を目に焼き尽くすような熱い視線で、翔平を見つめ続けた。

 翔平の少年のあどけない雰囲気を少し残した精悍な顔の造形、今は閉じられてしまって見えない意志の強い瞳。リークよりも上背の、引き締まったしなやかな身体。

(……君と居られるのは、後どれくらいだろう?)

 翔平を見詰めながら、リークは思考に耽っていく。

(僕の存在がひとつに戻ったら、その僕は君をどう思うだろう? 君を大切にしてくれたらいいのに)

 そう考えたところで、その口から溜め息が吐き出される。

 リークの表情は、悲しみに満ちていた。

(――翔平。あの日、君が言ったように、僕は狡いね。君と居たいから、君の言葉に甘えて、信じ込もうとして、抗う振りをしながら逃げていた。……本当は、都合のいい方法なんてないことを解っていたんだ)

 悲しみの表情は、やがて辛そうなものに変わる。何かに耐えるように、リークは腿に肘を突くと手を組み、組み合わさった手に眉間を押し当てた。

(このことを君に話すことは出来ないけれど――今日、彼に会ったよ。彼に会って、現実を突きつけられた)

 そうして、リークは翔平を捜し出す前の今日の出来事を思い出してゆく。


 宿屋の前で翔平と別れたリークは、彼とは別方向の場所へ向かっていた。

 そこはリークたちの泊まる宿屋から少し離れた、宿屋が密集する場所だ。旅人や冒険者の往来が激しく、セイレーン以外の町や村の情報が効率良く訊き出せる。

 翔平がギルドや酒場へ向かうことを見越しての、リークの判断だ。

 彼はまず手始めに、宿屋の通りを行き来している旅人や冒険者に聞き込みをすることにした。

 旅人と冒険者の違いは、人目で見分けがつく。それは軽装備であるか重装備であるかだ。

 前者は旅人で、後者が冒険者である。旅人は魔物との遭遇を避けながら国から国へ渡るので軽装備で充分だが、冒険者はその名の通り危険を冒すこと――腕試しの旅なので、多くの武器や防具を所持しなければならない。

 情報に通じているのはどちらも同じだが、どちらかと言えば旅人の方が融通の利く者が多い。

 リークは圭が描かれた紙を持って、迷わず旅人たちに話しかけた。だが、情報がそう易々と手に入る訳ではない。誰もが首を左右に振り、女はリークの容姿に目を奪われながら、男は何処かで見かけた顔だと首を傾げながら歩き去っていく。冒険者も同じようなものだった。

 そこの通りで一時間ほど粘っても、やはり結果は相変わらずである。

(困ったね)

 心の中でそう思いはするが、リークののんびりとした調子は狂うことはない。

 だがその調子は、一瞬だけ目の端に映った、ある姿によって脆くも崩れ去った。

 リークは僅かに眉間へ皺を寄せて、目の端に映ったその姿を確認するように注視する。

 フード付きの黒いマントを纏う、明らかに怪しい男だ。顔は全く窺うことは出来ないが、彼はその男に何かを感じていた。

(ひょっとして……)

 ふとそんな考えが浮かび、リークは咄嗟に男の後をつけるようにその場を歩き出した。

 男が何かを察したように立ち止まる。リークも、男から数メートルの距離を取りながら立ち止まった。

 男がまた歩き出せば、リークもその歩調に合わせて歩き出す。男が舟に乗り込めば、リークもまた然り。

 宿屋の密集した場所を抜け、舟に乗り、そしてまた歩き出し、男が最後に立ち止まったのは、セイレーンを出て広大な湖から離れたところにある見晴らしの良い平原だった。

 男がそこで立ち止まって、リークを振り返る。フードから唯一窺うことの出来る口許が、笑みを浮かべていた。

 リークも、男と同じような笑みを浮かべている。

「君は後をつけていることを重々承知で、僕をここまで連れて来たんだろう?」

 リークがそう問えば、男は「そうだよ」と被っていたフードを脱いだ。

 晒された男の顔は、リークと瓜二つだ。金髪碧眼の甘く端正な顔立ち、リークそのものの顔である。

「久し振りだね、リーク」

 彼がリークと同じ声音で口を開いた。その言葉に、リークは何も答えない。

 すると、彼はくすりと笑う。

「愛想がないのは、当たり前だね。――圭君の話は、もうすでに耳にしているだろう?」

「……翔平の夢の中で、聞いているよ」

 投げかけた確認の問いにリークが答えれば、彼は満足そうに微笑んでみせた。

「それなら、話は早いね。そろそろ僕たちは、ひとつに還らなければいけない。――君と僕、どちらかがひとつを望む時期が来たんだ」

 その言葉に、リークははっきりと首を左右に振る。

「……僕はそれを望まない。君が望んでいても、僕は今、消える訳には行かない」

「彼の為かい? それとも、君が彼と居たいからかい? どっちにしろ、男性に現を抜かすなんておかしいよ。リーク」

 彼の指摘に、リークは僅かに眉間に皺を寄せた。だが、それに言い返さずに、逆に落ち着いた口調で問いを投げかける。

「……どうして、君はひとつになることを望むんだ。僕たちは別々のままでも、何の不自由もしなかっただろう?」

「確かにそうだったね。けれど、今はそうは行かないんだよ。呪紋の力が半分しか出せないのは、僕にとっては色々と困るんだ」

「……それは、どうしてだい?」

「世界の為だよ。僕は、この世界の為に力を必要としているんだ。――だから、リーク。僕とひとつに還らないかい?」

「悪いけれど、それは出来ないよ。君に譲れないものがあるように、僕にも譲れないものがある。翔平と君と一緒に居る彼を元の世界へ戻すまでは、君とひとつになるつもりはないよ」

 リークの言葉に、彼は困ったような顔で緩く首を左右に振った。

「君がどう足掻こうと、僕たちの運命は決まっているんだ。呪紋と同じように、逃れることは出来ないんだよ。……僕は君に対して、この件を話し合いで済ませたい。それが叶わないと言うのなら――」

 そう言いながら、彼は腰元に下げている長剣を引き抜く。

「僕はこの剣を、君に向けなければ、ならなくなる。そして君は、確実に僕に負ける。……どうしてだか、君も解かっているはずだ」

 彼の断定と言える科白に、リークは唇をきつく噛み締めた。呪紋の力は半々ではあるが、リークの実体となる彼に、呪紋の力で身体を形成しているリークでは敵いようもない。

 つまり、彼は丸々半分の呪紋の力を使えるが、リークは半分のさらに半分の力しか使えないのだ。

 ほぼ不死身の身体だとしても、呪紋同士のぶつかり合いでは、それは何の意味もなさない。

 だが、それでもリークは鞘から長剣を引き抜いた。

「確かに、僕は君に負けるかも知れないね。けれど、見す見すとやられるつもりはないよ。――君が僕自身だとしてもね」

 リークの科白に、彼は小さく笑う。笑いながら、素早く地面に片膝を突くと、長剣を地面に突き刺す。そして、短く呪文を呟けば、地面に突き刺した長剣を中心に亀裂が走り、リークに向かって伸びてきた。

 リークは咄嗟にその場から飛び退きながら、手の平を長剣の刃の部分に宛がい、呪文を呟きながら鋭利な先端へ素早く動かしてゆく。すると、その剣は氷の剣へと姿を変えた。

 地面に片足を着地させると、その場に止まらず駆け出していく。その最中に、リークは氷の剣で宙を斬った。その部分が凍えるような刃へと変わり、凄まじい勢いで彼の許へ飛んでいく。

 だが、氷の刃は、彼に命中することはなかった。リークが結界を創ることに長けているのなら、彼もまた同じだ。その結界に、リークの攻撃は阻まれた。

 彼はその場を動こうとしない。その代わりに、地面を走る亀裂がリークを執拗に追っていた。

 躱してもなお追ってくる亀裂に、リークはついに避けきれず、咄嗟に結界をその身に張り巡らせる。それより数秒ほど後に、地面を駆け抜けていた真空の刃がリークの身体を切り裂いた。

 リークの身体が衝撃に負け、後方へ吹き飛ばされる。だが、結界のおかげで、その身体に傷のひとつも見られなかった。吹き飛ばされながら、リークは体勢を整え地面に片膝と長剣を突きながら吹き飛ぶ勢いを殺してゆく。

 そこで、彼の攻撃が止んだ。

 リークが訝しげに顔を上げると、彼は笑みを湛えたままでこちらを見ていた。

「どうやら、思ったよりも力は衰えていないようだね。嬉しいよ。これなら、僕はすぐにでも力を発揮することが出来る」

 余裕のある彼の科白に、リークは無言で悔しそうに唇を噛み締める。彼と違い、リークに余裕など何もなかった。

 そんなリークを気にした様子もなく、彼はさらに言葉を続ける。

「今日はこれまでにするけれど、覚えておくといいよ。僕はまた君の前に現れる。――その時こそ君にとっての最期だ。その後の彼のことは、僕に任せていいよ。だから、心置きなく、その日が来るまで待っているんだね」

 それだけ言い置いて、彼は地面から長剣を引き抜き、鞘に納めながら踵を返していった。

 リークは片膝と長剣を地面についたままの格好で、言葉もなく項垂れた。この闘いで、彼に負けたと同然だ。

 暫くはそのままで居たが、リークはやがて身体を起き上がらせ、長剣を鞘に納めると平原を急ぎ足で歩き出した。

 翔平が心配になったからだ。彼が現れたと言うことは、きっと圭も翔平の前へ現れたに違いないと思った。

 その後のリークは、翔平に話した通りの経緯を辿る。

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