リュイール王国27
リークの瞳を見据えた後、翔平は盛大な溜め息を吐き出してゆく。
「……あんた。俺と一緒に旅なんかして、任されていた仕事とかどうするつもりだ?」
「大丈夫だよ。それは、昨日の内に整理して来たから」
翔平の心配を余所に、リークはのんびりとそう答えた。
(何が大丈夫なんだよ)
そう突っ込みを入れたくなるが、翔平は心の中だけに思い留め、別のことを口にする。
「それで、どんな風に整理して来たんだ?」
すると、リークはいつものように微笑んだ。
「それは、ある仕事を重点的に置いて、その他の仕事を兄さんたちに任せただけだよ」
「……何処が整理だよ」
翔平がぼそりと言えば、リークは「それもそうだね」などと言って、また微笑むだけである。だが、その微笑みの裏で翔平の傍へ居たいが為に、彼は「国民を護る王子」としてのプライドを投げ捨てた。
(僕の、王子としての資格はもうないね)
苦渋の選択だった。翔平に出会う前ならば、リークは迷いもなく「王子」を選んでいたに違いない。それ程に国民を護ることは、彼にとって誇りであった。そして、任された仕事は、彼にとって様々な面で意義のある仕事だ。
しかし、リークは翔平と出会ってしまった。
リークが微笑みを消し、翔平を挑むように見据える。
「翔平。今日から僕は、リュイール王国の王子ではなく、ただのリークだよ」
その言葉に、翔平は訝しげに顔を歪めた。
「ただのリーク?」
「そうだよ。父さんたちが僕の我が儘を許してくれる代わりに、王子としての身分を明かさない条件を出したんだ。だから、僕はリーク=リュイールではなくて、ただのリーク」
リークの説明に、翔平は「ふぅん」と相槌を打って、何事かを考えるように押し黙る。
(……ここまでやられると、帰れなんて言えないじゃないか。こいつ、まさか、それを解っていて俺に話したんじゃないだろうな?)
翔平の口から、また盛大な溜め息が零れた。
(つーか、何でついて来る必要があるんだ? 昨日、俺は確かに誘おうとしたとは言ったけど、ついて来いとは言ってないぜ?)
そこまで考えて、彼は顔を上げてリークを見返す。
「何でだ? 何であんたは、俺について来る必要があるんだ?」
「僕は君と、一緒に居たいんだ」
平然と恥ずかしいことを口にするリークに、翔平はもう「……そうかよ」としか言えない。
「だから、翔平。一昨日の別れを交わしたことは、取り消して貰いたい。――僕はまだ、君と別れるつもりはないよ」
さらに彼から紡ぎだされる科白については、沈黙するしかなかった。リークのこの物言いが、恋人との別れ云々のように聞こえたからだ。
翔平は気が抜けたように、その場にしゃがみ込む。彼の旅立ちへの緊張感は、目の前に居るリークの所為で、何処かへ消え去ってしまったようだ。
「……それで、あんたはもう王子じゃないことになるんだな?」
翔平の確認に、リークもその場にしゃがみ込み、微笑みながら「そうだよ」と答えた。
すると、翔平は言葉もなく、リークの頭を思い切り引っ叩いた。
リークが頭を押さえながら「痛いよ」と訴えれば、翔平は「痛いじゃない」と少し怒ったような口調で言い返す。
「あんた――いや、もうお前でいいか。何やってんだよ。俺について来ても、何の意味もないだろ。つーか、良くケイムたちが許してくれたな」
「遊びで旅に出る訳じゃないからね。さっきも言ったように、君と旅をしながらちゃんと仕事もこなして行くつもりだよ。それから僕にとって、君についていくことは大いに意味がある。……ところで、あんたからお前に変わったけれど、本来の君の二人称はお前?」
その問いを口にして、リークは首を傾げながら翔平の顔を覗き込んだ。すると、翔平は少し拗ねたような顔をしてそっぽを向く。
「俺は敬語とか苦手だから、呼び方だけは一応気をつけてるんだぜ。友達とかならまだいいけど、さすがに目上の人や初対面の人とかにお前って言えないだろ。お前はこの国の王子だったし」
どうやら、翔平は翔平なりに気を遣っていたようだ。彼のちょっとした配慮は、この時までリークでさえも気づいてはいなかった。
リークが嬉しそうな顔で笑んだ。
「――だとすると、君にとって僕は気を遣わない存在になった、と言うことだね?」
あまりにも嬉しそうな笑みを浮かべる彼に、翔平は「……まあな」と小さく答えた。そして、勢い良くその場から立ち上がる。リークも立ち上がった。
「……何かお前相手だと怒るの疲れるし、そこまでやられると何も言えなくなる。仕事が何だか知らないけど、お前がついて来たいって言うなら好きにすればいいさ」
それだけを言い置いて、翔平は速い足取りで歩き出してゆく。その口許には、リークと同じように嬉しそうな笑みが刻まれていた。
だが、リークは前を歩く彼のその笑みに気づきはしない。それでも翔平の何かが通じたのか、彼も嬉しそうな笑みを刻んだままでゆっくりと歩き出した。
そんな彼らを、リュイール王国全土を覆い包む二つの朝日が優しく包み込んだ。
「ところで、翔平。まず何処の大国から行くんだい? リュイール王国から近い大国だと、同盟国のセントウォール王国だよ」
翔平の後ろでのんびりと歩いていたリークが、ふいにそんなことを口にした。
それは城下町を出て十字路を真っ直ぐに通り過ぎ、当初翔平が異世界に転がり込んだ小高い丘へ差しかかった時のことだ。
翔平はその場に立ち止まり、地面に布袋を置くと、懐から地図を取り出してそれを開いた。それと同時に、リークが翔平に追いつく。
地図を見てみると、確かにリークの言った通りである。大陸の左側にリュイール王国があり、幾つかの小国を挟んでセントウォール王国があった。その大国は他の大国に比べると、リュイール王国から一番近い場所にある。
次いで、翔平は地図の全体を確認することにした。
地図では、色々な小国を挟んで、左側にリュイール王国とセントウォール王国、右側にサンデスト王国とファリアード王国、上側にミサンダリア王国、下側にウィンダー王国と並んでいる。もう一つの大国であるゼウイムス王国は、空にあるので大陸の中に描かれてはいなかった。
大国の並びは示し合わせたかのように、面白い結びつきをしている。左側の大国は大地に恵まれた国と水に恵まれた国、右側の大国は太陽に恵まれた国と炎に恵まれた国、上側と下側は雷に恵まれた国と風に恵まれた国と、何処か似通ったような国の属性だ。それと同時に向かい合う大国は、正反対な属性と言えるだろう。
地図を見回し、翔平はあることに気づいた。
「リーク大陸の真ん中で大規模に広がる部分は何だ? 国名とか何も書かれてないけど」
地図の真ん中の部分を指差して、翔平は気づいたことを問いとして口にした。
リークも翔平と同じように、地図を覗き込んで説明をし始める。
「そこは、リュイール王国にある森よりもずっと深い森が広がっているよ。そこに何があるのか誰も知らないけれど、ある一説には太古の遺跡などが眠っていると噂されている」
「……太古の遺跡か」
(……それは、まあいいか。とりあえず、ここから近いセントウォール王国へ行くかどうかだな。……と言っても当ては何もないし、それしかないんだけど)
翔平が地図から顔を上げれば、リークも同じように顔を上げた。そして、互いに無言で見詰め合う。だが、先にそっぽを向いたのは翔平の方だ。その頬は微かに赤い。
(……リークの所為で、一昨日のことを思い出したぜ。俺としては、忘れてたかったんだけどな)
心の中でぼやく一昨日のこととは、翔平がリークに向けた様々な思いのことだ。特に恥ずかしいと彼が思ったのは、心の中で告げた本音の方に違いない。
翔平の反応に、リークがくすりと笑った。彼の心の中など読めるはずもないリークにとって、その反応は嬉しい反応としか思えないものだ。だが、彼はその嬉しさを心の中だけに留めて置き、別のことを口にする。
「翔平。それで、行き先はセントウォール王国でいいのかい?」
「あ、ああ。……当てもないしな。そこで何か判れば、それからの行き先も何となくは判ってくるだろ」
そう話をしながら、翔平がいつもの翔平へと戻ってゆく。
「そうだね。ここからずっと真っ直ぐに行けば、リュイール王国の関所があるよ。けれど、そこまで辿り着くのに夕方までかかってしまうから、関所を通る前に近くの旅人の集まる町へ一泊しよう。夜になると、強い魔物や魔物の出が多くなるから」
「それで構わないだろう?」と同意を求めてくるリークに、翔平はしっかりと頷いていた。
あのリークとの一件以来で、魔物たちと闘いたくないという思いが翔平の中で日増しに大きくなった。だが、心の中でそう決めたとしても、魔物から襲ってくれば自己防衛で応戦し、いつかはその命を奪わなければならない時がやって来るのだろう。
圭捜しの旅を続けてゆくには、色々な面についての覚悟が要求される。それに対して、翔平が何処まで覚悟を決めて来たのかが、旅を続けていく要となるに違いない。
これから、彼らにとって長く果てしない旅が始まる。その先に何が待ち受けているのか、翔平に知る由もないことだ。
リークが以前に話したように、恐怖が待ち受けているかも知れない。思いも寄らない、悲しみが待ち受けているかも知れない。
それでも、きっと翔平は自分を信じて、前を見据えて前進してゆくのだろう。異世界で初めて出来た、友人であるリークと共に立ち向かってゆくに違いない。
小高い丘の下で立ち止まっていた彼らは、今度は肩を並べて歩き出した。
小高い丘の下から彼らが居なくなって暫くして、小高い丘の上で静かな稲妻と共に空間に歪みが出来上がる。
その歪みから色白の人の手が伸びた。そして、そこから姿を現したのは――。
「どうやら、彼は漸く動いてくれたようだよ。もうひとりの僕と一緒にね。――聞いているかい?」
彼の呼び声に、歪みから小柄で華奢な美少女と見紛うほどの美少年が姿を現してゆく。
栗色の髪が風もないのに揺らめき、金に近い色素の薄い大きな瞳を彼に向ける。
「聞いているよ。――でも、どうして貴方と翔ちゃんが一緒なのかな?」
「それは僕自身でも判らないことだよ」
飄々と言ってみせる彼に、圭は疑わしげば目を向け、遠のいてゆく彼らの背中へ視線を走らせた。
「翔ちゃん。早くぼくのところへおいでよ」
小さく囁いた後に、圭は嫣然と微笑んだ。
リュイール王国編、完結になります。




