リュイール王国26
その日、リュイール・ギルドで行われた翔平の歓送会は深夜まで続いた。無論、依頼を請け負っているエージェントたちに休みはない。そんな彼らは、途中で翔平に声援や励ましの一声をかけて静かにその場を去ってゆく。
歓送会の後片付けを自主的に手伝い、酒場を綺麗に片し終えた翔平は、残っていたJやカディスたちに一声をかけて宿泊室に戻った。
階下からはまだ、彼らの賑やかな声が聞こえる。きっと、残っている者は酒が飲み足りないのだろう。
(……みんな、大した体力だぜ)
そう思いながら、翔平は部屋で旅の身支度を再開させる。荷物は特に多くはない。以前に買い替えた長剣と胸当て、数枚の衣類とマント、薬草と傷薬や包帯、そしてリークから貰った数冊の本。それらは全て、大きな布袋で納まってしまった。
(明日の内に、地図とか旅に必要な物を買い揃えないとな)
彼は圭を捜す旅は、長旅になるのだと踏んでいる。他国へ辿り着く前に力尽きては元も子もないので、念入りに準備しなくてはならない。この世界の旅について翔平に教えたのは、他でもないこの国を拠点とするエージェントたちだ。
翔平は、異世界に来た当初とは違う。自分の目で見てきたものや耳で聞いてきたものを、若さの強みで驚くほどに吸収していった。ある程度のことなら、ひとりでも対応出来るはずだ。
室内を見回し綺麗に片付いたところで、翔平はそのままベッドへ沈んでいった。「風呂は、明日の朝でいいか」などと呟き、目蓋をゆっくりと閉じる。
あと一日――その日を過ごせば、翔平はリュイール王国を旅立たねばならない。
一昨日の祭りのような装いはなりを潜めたが、城下町は相変わらずの賑わいを見せている。
翔平は行き交う人々に混じって、旅に必要な物が手頃な値段で買える店を探していた。
主に目をつけるのは道具屋だ。通りに点在する道具屋を一軒一軒覗いて、目的の物がなければ引き返す、を何度か繰り返している。城下町と言うだけあって、店は多くあり結構な時間を費やさなければならない。
いつの間にか時間は朝方から昼へ変わり、晴れ渡っていたはずの空は、徐々に雲行きが怪しくなり始めている。
「一雨来そうだな」
どうにか買い揃えられた品物が詰められた紙袋を抱え、翔平は空を見上げながら呟いた。
すると、その途端に大降りの雨が降り注いだ。
通りを歩いていた人々は、慌てて走り出したり、近くの店へ避難したりと様々な反応をしている。店の軒下で雨宿りをしながら、翔平はそんな光景を何気なく眺めていた。
雨は降り出したばかりで、当分は止みそうにもない。両手を塞がれている今の状態では、傘のようなものを差すことも全速力で走り抜けていることも出来そうになかった。
「参ったぜ」
雨空を見上げながら独り言を呟いて、翔平は仕方なく、雨が止むのを待つことにする。
耳に届く雨音は、何故だか心地がいい。だが、雨によって周りの空気が冷えてゆき少し肌寒さを感じる。
(……不味いな。風邪なんか引いたら、それこそ元も子もない)
そんなことを考えながら、待つこと小一時間――やはり雨はまだ止むことを知らない。
未だ同じ場所で雨宿りをする彼の許へ、雨音に紛れてゆっくりとした歩調の足音が近づいてきた。
翔平はその足音に気づかない。足音の主が翔平に傘のようなものを差しながら立ち止まった。そこで、彼はやっとその存在に気づく。
その人物を目にして、翔平は僅かに目を見開いた。もう会うこともないだろうと思っていた、彼がそこに居た。
昨日の朝に「また」と告げて別れを交わし、一日中翔平の頭から離れなかったリークだ。
リークは愁いを帯びた瞳で、こちらを見詰めていた。
「……リュイール・ギルドまで送るよ」
そう告げる声音は、何処か感情を押し殺したような響きがある。
無言のままの翔平を雨に濡れないように傍に引き寄せ、リークはその背中に手を回して歩かせるように押してやる。乱暴なものではなく、愛おしむような優しい手つきだ。
そして、彼らは一つの雨避けの中を並んで歩き出した。
彼らの間で、気まずい空気が流れる。「別れ」と言うものが、彼らをそうさせた。特にリークをそうさせる。
「……明日、発つんだね」
「ああ。……日が昇ったら、すぐに出発するつもりだ」
翔平は、これまで誰にも言わなかった時間帯を教えていた。それは無意識だったに違いない。
リークが「そう……」と呟けば、翔平は「ああ……」と呟き返す。目を合わせることもなく、彼らはまた無言で歩き続けた。
ふいに、リークが何かを思い出したかのように、隣の翔平に目をやる。
「……最後に、教えて欲しいことがあるんだ。昨日に、君が僕に言いかけた言葉を、教えてくれないか?」
その問いに、翔平は前を見据えて口を開く。
「別に大したことじゃない。――だから、言う必要はないだろ」
本当に大したことでもないような、そう思わせるような態度だ。そんな翔平を、リークは探るような目でじっと見詰める。
「僕に、教えられないことなのかい?」
「そう言う訳じゃないけど、言っても仕方ないってだけだ」
「どうして?」
尋問のようなやり取りに、翔平は微かな苛立ちを覚えた。
「つーかどうだっていいだろ。そんなもん」
「どうでも良くないよ。僕は――君のことがとても気になるんだ」
リークの何かを含んだ物言いに、翔平が漸く隣の彼に目をやる。
「何だよ、それ」
「友達を、気にしちゃいけないのかい? 君が彼を大切に思うように、僕も君が大切なんだ。だから、僕は何でもないことでも、翔平を知りたい」
(……もう友達とは、思えなくなり始めたけれど)
心の中でそう付け足して、リークは彼が口を開くのを見詰めたままで待ち続けた。
翔平は何も言わない。彼から視線を外して、また前を見据える。いつもと様子の違う、何処か切羽詰ったようなリークに戸惑っているようだ。
「教えてくれないか? 翔平」
さらに先を促してくる彼に、翔平は深い溜め息を吐き出してゆく。
「……これは俺の勝手だって解っているけど、あの時、あんたも一緒に行かないかって言いたかったんだよ」
憮然としながらではあるが、彼は素直にあの日言いたかった言葉を教えた。
リークは「そう……だったのか」と独り言のように呟いて、真剣な目を前に戻してゆく。
「あんたは、この国の王子だ。ここの人たちを、護る立場にある人だ。そんなあんたを俺につき合わせるのは悪いと思って、誘うのを止めた。――ただそれだけだ」
「な? 大したことじゃないだろ?」と、翔平は彼に視線を向けながら同意を求めた。
リークは前を見据えたままで、何事かを思案するように押し黙っている。翔平の同意を求める問いは、今の彼に届いてはいないようだ。恐らく彼の中で、二つの存在がせめぎあっているのだろう。
翔平はそんな彼の横顔を眺めて、「やっぱ、言うんじゃなかった」と小さくひとりごちた。
リークが翔平とリュイールの全てを天秤にかけていることを、当然ながら翔平は知らない。彼の言った一言がリークにどのような影響を及ぼすのか、思いも寄らないことだ。
前方にあるリュイール・ギルドの建物を目にして、翔平は「着いたな」と声を上げる。
すると、リークははっと我に返った。
「――早いね。もう少し君と一緒に居たかったんだけれど、残念だよ」
「何言ってんだ。当分は先のことだけど、また俺たちは会えるだろ。その時に、圭とも一緒に色んな話をしようぜ」
残念そうにする彼に、翔平は努めて明るく笑ってやる。
「今日は、あんたのおかげで助かった。――町の巡回頑張れよ。じゃあまたな、リーク」
そう言って、翔平はリークの許からリュイール・ギルドまで駆け去ってゆく。その後ろ姿を眺めるばかりで、リークはその場から動こうとはしなかった。
雨が降りしきる中、リークは遠のく背中に小さく言葉を投げかける。
「やっぱり、僕はまだ――ずっと君と一緒に居たいみたいだ。――君を好きであることは、僕の中ではもうどうしようもないようだよ」
切なさを帯びたその告白は、雨音に消されてやがて静かに消えていった。
リークがその場から踵を返して、ゆっくりと歩き出してゆく。
彼らが居なくなったそこに残されたものは、地面にくっきりと残された二つの足跡。互いが別の方向を向き合う、まるで彼らの現状を知らせるような足跡だった。
雨はその後も降り続いたが、深夜にはぴたりと降り止んだ。
日が昇ると同時に、翔平はリュイール・ギルドを静かに出てゆく。その彼を見送るのは、Jただひとりだ。他の者たちは仕事の疲れで、今はぐっすりと眠り夢の中に居るのだろう。
リュイール・ギルドを振り返らずに、彼は大股で力強く地を踏みしめて歩き出していく。一歩踏み出すたびに、リュイール・ギルドで過ごした思い出が蘇ってくる。忘れられない思い出たちばかりだ。元居た世界で、味わうことの出来ない様々な経験ばかりである。
城下町を通っても、リュイール王国での思い出は途切れることはなかった。それほど時間は経っていないというのに、懐かしく思えてしまうのはやはり「別れ」があるからかも知れない。
翔平が再びこの地を踏みしめるのは、いつの頃になるのだろうか。考えたところで、翔平に知る由もないことだ。
早朝のまだ静まり返っている町中を歩き、彼は巨大な門を目指してゆく。巨大な門へ近づいてゆけば、そこでこちらを見詰めて佇む人の姿があった。
その人は種類が全く異なっているが、翔平と同じように旅人の服にマントを纏い、片手に大きな布袋を手にしている。マントで見え隠れする腰元は、きっと愛用のベルトが巻かれ長剣がぶら下がっているはずだ。
金髪碧眼の甘い顔立ちをした、リュイール王国の王子がそこに立っていた。優しい笑みを湛え、リークが翔平を見ている。
あまりの驚きに、翔平はその場を立ち尽くした。
リークが翔平に歩き寄る。
「僕も君と一緒に行くよ。――これは僕自身が決めたことだ」
翔平と同じくらいに意志の強い瞳があった。




