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リュイール王国25

 リュイール・ギルドの扉を開け、翔平は酒場を見回してゆく。まだ朝方と言うこともあり、酒を飲む者は居なかった。代わりに、昨日の魔物との戦闘とその事後の処理で、疲れきった顔をテーブルに乗せて眠り扱けている者が多々居る。

「お帰りなさいませ。――翔平君」

 そんな彼らを尻目に、Jはいつもと変わらずグラスを磨きながら翔平に声をかけた。カウンターではJの他に、カディスが皆と同じような体勢で居る。

「ただいま、J。何だか、昨日は大変だったみたいだな」

 カウンターに歩き寄り、その椅子に腰を下ろしながら、翔平はまた酒場を見回した。

 そんな彼の前に、Jがグラスに注いだ水を置く。

「昨日のことは、稀に見る非常事態でしたから。――翔平君も、昨日はご苦労様でした」

「いや。俺は単にリークを止めに入っただけだし、あんたたちに比べればご苦労って程でもない」

 そう至極当然のように言った翔平を、Jが何かを探るような目で眺める。何処か様子のおかしい彼を見抜いたようだ。

「翔平君。――何かございましたか?」

 何の脈絡もなく、唐突にJが問いを投げかけた。それに対して、翔平は無言で頷くことで答えてみせる。

「……俺、色々と事情があって、明後日にこの国を発とうと思うんだ」

「――そうですか。寂しくなりますね。……彼が一番寂しがると思いますが」

 そう言って、Jは目の前で眠り扱けているカディスに視線を向けた。そして、また翔平に戻してゆく。

「出会いがあれば、当然のように別れもあります。ここは言わば、人の交差点。他国へ旅立たれても、是非ギルドをご利用下さい。……そこでまた、貴方に出会えることを信じています」

 やはり落ち着いた物腰で、JはJなりの言葉を翔平に送った。そんなJに、翔平は小さく笑う。

「今まで有難う、J。他国のギルドで、あんたやここのみんなとまた、会うのを楽しみにしている」

 そう言って、彼は出された水を一気に煽り席を立った。

(カディスたちは、また今日の夜か明日にでも話そう)

 彼らの眠りを妨げるのは良くないと思い、翔平は宿泊室へ戻ろうとその場を歩き出す。その後姿を見送って、Jは何かを思案するようにカディスの寝顔を見下ろした。

 二階は、酒場よりも静まり返っている。その廊下を歩きながら、翔平は先ほどリークに言おうとしていた言葉を思い出す。

「……俺と一緒に行かないか、か」

 ぽつりと呟いた後に、その口許は苦笑いに満ちた。

(そんなこと、言えるはずないよな。あいつにはやるべきことがあるし、これ以上つき合わせるのは不味いだろ)

 だから代わりに、翔平はリークの幸福を祈るしかない。そして、何をそこまで拘るのだろうと思いもした。

 リークと出会って、二週間と数日が経つ。その短い間で、翔平がこんなにも誰かに思い入れることはなかった。

(そう言えば、一日に一回はあいつと顔を合わせていたっけな)

 「僕は君の味方だよ」とその言葉通りに、唐突に現れては、魔物によって負傷した翔平を治療しにやって来た不思議な存在。あまり自分のことを語りはしなかった、呪紋の宿命を背負う哀しい存在。けれど、いつも優しい笑みを浮かべて、何でもないことのように振舞ってみせる弱くて強い存在。そして、それらを包み込む、のんびり屋でマイペースな翔平の良く知っている存在。

 会うたびに、彼は翔平に色々な面を見せてきた。そのどれもが、恐らくは「リーク」なのだろう。そのどれもが「リーク」と言う存在なのだ。

(リーク。俺はずっと、あんたを覚えていると思う。傍に居なくても、俺はちゃんとあんたがあんたで在ることを認めている。……あんたと言う存在が、好きだからな)

 心の中で告げる言葉は、リークに伝えることの出来ない本心である。

 今日を境に、翔平はリークと会うこともないだろう。彼は明後日までに旅の身支度を済まし、日が昇ると同時にリュイール王国を去るつもりだ。誰にも見送られないように、黙って静かに出て行く。だから、翔平は今日と明日の内に、世話になった人々に挨拶をするのだ。――最後の最後で耐え切れずに、涙を流してしまいそうな自分を見せないようにする為である。

「さて、やるか!」

 宿泊室に戻った翔平は、全ての思いを振り切るように声を上げた。


 そして、リークは――。

 未だに窓辺に立って、町外れにあるリュイール・ギルドを眺めていた。その瞳は憂いに満ちている。

(……君が旅立つことは、前々から解っていたことなのにね。僕はこの寂しさを拭えないよ、翔平)

 心の中で哀しみを告げても、翔平に届くことない。例え口に出したとしても、彼を引き止めることは出来ないだろう。それを解っていたリークは、あの時敢えて別のことを口にした。その言葉は本心である。だが、もっと深い部分では、行かせたくなかった。自分にとって唯一の安らげる存在を、あのままこの腕の中へ押し込めたかった。

(……人の心は、どうして身勝手になってしまうのだろう? 好きだからって、君の自由を奪う権利はないのにね)

 呪紋によって自由を奪われている状態のリークは、奪われることの悲しみや辛さをその身を以って知っている。そして、恋心の身勝手さと比例するようにある、相手を思いやる優しさが彼自身を押し止めた。

 リークに、翔平についてゆくと言う選択肢がない訳ではない。翔平の監視と言う名目でついてゆくことは可能だ。だが、彼に任された仕事はそれ以外にも色々とある。それは主に、リュイール王国を中心にするものだ。その役割の全てをなげうって、翔平についてゆけばきっと彼は怒るに違いない。

 リークの心は揺らいでいた。静かに揺らぐ心はやがて激しさを増してゆく。人の腕は、一つの存在しか抱き締められない。両腕に二つの存在を抱き締めれば、支え切れなくなって全てを失うだろう。

 ひとりの安らげる存在か、一国の王子として護らねばならない、リュイールの全ての存在か。重たいのはどう見てみ、後者の方だろう。だが、彼にとってはどちらも同じだった。同じ重さだから、こうして迷ってしまうのだ。

(……僕はどうすれば)

 硝子窓に手を突いて、リークはその手を拳に握った。そして、苛立ったように硝子に拳を叩きつける。

 すると、容易く硝子が割れ、彼の手を傷つけた。色白の手に、鮮血が流れてゆく。だが、それは数分も経たない内に、自然に塞がっていった。

 リークの心は、まだ揺らぎ続ける。


「おい、坊主!」

 カディスが叫びながら、翔平の宿泊室を勢い良く開け放った。その顔は少し怒ったような、今にも泣き出しそうなものだ。

 その顔を目にした途端、翔平は小さく笑んだ。Jもだが、カディスも予想通りの反応をしてくる。

「カディス。もしかして、Jに聞いたか?」

「ああ。明後日に、発つんだってな。――事情はどうあれ、急過ぎるぞ!」

 そう叫んで、カディスは堪え切れなくなったのか、目から涙を溢れさせた。息子のように可愛がっていた翔平が、唐突にこの国を去ってしまうのだから、彼が泣くのは無理もないことだ。その後ろに、困ったような顔をするJが姿を見せる。そして、酒場に居たリュイール・ギルドのエージェントたちも姿を見せた。

「……何だよ、みんなで」

 戸惑いを見せる翔平に、Jが口を開く。

「貴方に申し訳ないと思ったのですが、貴方がここを発つことを話しましたら、皆が是非歓送会をやりたいとのことです。――今生の別れではないのですが」

 そう言ってJは、困った笑みで涙を拭うカディスをちらりと見やった。どうやら、カディスが提案元のようだ。

「坊主。俺たちは下で待ってるからな。お前の旅立ちぐらい、俺たちに祝わせろよ。じゃあな!」

 来た時と同じように、カディスが騒がしくその場を走り去る。恐らく、自分だけ泣いていることに恥じたのだろう。

「――そういうことですから、翔平君。下で待っていますよ」

 そう言い置いて、Jもその場を歩き去る。そして、エージェントの面々もJに続いて下へ向かってゆく。

 そんな彼らに対して、翔平は呆気に取られて何も言えなかった。驚いた同時に、心の中に温かいものが広がる。そして、それは胸と目頭を熱くした。

「……何だかな」

 そう呟きながら、涙を必死に耐える。

(……俺、歓迎会なんて、全然考えてなかったぜ?)

 暫くして、何とか涙を耐え抜いた翔平は、旅の身支度の途中でその場を歩き出した。

 廊下を歩き、皆の居る酒場へ下りてゆく。

 酒場は朝方と違い、賑やかになっていた。テーブルに並ぶ料理、酒と翔平の為の飲み物。そして、軽快な音楽と皆の笑顔。酒場はいつもの酒場ではなく、翔平の旅立ちを祝う場として用意されていた。

 翔平が酒場へ下り立ったと同時に、カディスが酒の注がれたグラスを掲げる。それに習い、エージェントの面々もグラスを高く掲げた。そんな彼らを見回す翔平の許へ女性店員が現れ、翔平に酒ではない普通の飲み物を手渡す。

 それを見計らって、カディスが大きく口を開く。

「おーっし! 坊主の旅立ちを祝って、飲み捲くるぞー! 翔平と言う名の、エージェントに栄光あれ!」

「栄光あれ!」

 カディスの号令に続いて、皆が声を揃えて叫んだ。そして、一斉に酒を飲み干してゆく。 翔平はそんな光景を見て、口許に笑みを刻む。

「坊主。そこで突っ立ってないで、ここへ来いよ」

 酒を飲み終わったカディスがそう言って、自分の座っている隣へ手招く。それに従い、翔平は階段の前から歩き出した。

 カディスの居るテーブルに向かう彼に、「頑張れよ!」や「また、何処かで会おうな!」など、エージェントの面々が笑みを浮かべながら声をかけてくる。それに対して、翔平は「有難う」とだけ答えた。それしか、言葉が出来ない。それ以上を言えば、また目頭が熱くなってしまうからだ。

 翔平はリークの苦しみを知らない。彼の揺れる心を知らずに、エージェントの面々に祝われ、また新たに旅立ちへの決意を胸に刻む。

 二つの心は、交差しないままで離れてゆくのだろうか。

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