リュイール王国19
翔平は怒りを静め、ふっと肩の力を抜く。リークの気が済むまで自分の身体をその身に委ね、片手で金色の柔らかな髪をあやすように優しく撫でた。
全身が魔物の血に塗れても、彼らは気にしていない。リークは翔平を求め、翔平はそれに応え、言葉もなく身動きもせず、静かに時は過ぎてゆく。
「ごめんよ、翔平」
リークが静かな声でぽつりと呟いた。その謝罪は、魔物に対してのことが含まれている。だが、何か別なことも含まれているようだ。
翔平が「魔物のことだけじゃないだろ、それ」とそう言えば、リークは「……まあね」と返してきた。
(まあねって、それじゃあ判らないだろ)
心の中でそう思いはするが、翔平はそれを口にすることが出来ない。リークが案に言葉を濁しているのなら、彼の好きなようにさせるしかない。それが今の翔平に出来ることだ。
「……いつか、僕のことを君に話せる時が来れば」
リークがまた小さく言葉を零した。それを聞き取り、翔平は僅かに顔を上げて彼を見下ろす。
間近で意志の強い瞳と弱さをみせる瞳が絡み合った。
リークを見詰め、翔平は言葉を紡ぐ。
「あんたはあんたなんだろ。話せないなら、無理に話すことはないぜ。あんたが話したいと思ったら、いつでも話せばいいさ。――いつでも、聞いてやるから」
「それは……」と翔平の言葉にそう返しながら、リークは翔平を抱き締める片方の手をゆっくりと彼の頬へ持っていった。
「君は僕を知りたいと、そう思ってくれているのかい?」
「前よりかはな」
その言葉を聞いて、リークの目が僅かに見開かれる。そして、一心に翔平を見詰めた。その碧い瞳に弱さの揺らめきはない。
翔平はリークの視線を気にしつつ、地面に手を突いて彼の上から身を起き上がらせる。次いで、頬に触れていた彼の手を握り締め、力一杯に引っ張り上げた。それに伴い、リークの身体が起き上がる。
リークは尚も、翔平を見詰めていた。飾り気のない翔平のたった一言の肯定が、彼の視線を外せなくしている。
先ほど、翔平はリークが何者かではなく、リークの全てをひっくるめて知りたいと言ったのだ。
翔平が地面に転がっている、リークの長剣を拾い上げた。それをリークに差し出しながら、口を開く。
「ほら、何ぼーっとしてんだ。受け取れよ」
何処かぶっきらぼうにさえ聞こえる口調だ。それでも、翔平の優しさは見え隠れしていた。
リークは長剣を受け取って鞘に戻し、また翔平を一心に見詰める。
翔平はその視線を受け止め、優しく笑ってみせた。
「行こうぜ。Jとカディスたちが、あんたのことを心配している」
「そうだね」
リークは漸く、いつものリークに戻ってゆく。優しい笑みを湛え、のんびりとした雰囲気を纏っていった。
それを眺め、翔平は踵を返して歩き出す。リークが「有難う、翔平」と口にしながらその隣に並び、二人はJとカディスたちの許へ戻ってゆく。
漸く戻ってきた彼らに、Jたちはほっと安堵の息を吐き出した。だが、それと同時にJ以外の、カディスを含めたエージェントたちは微妙な表情をしている。
彼らは距離が離れていたものの、翔平とリークのやり取りを一部始終見守っていたのだ。会話の内容を知らない彼らにとって、二人のやり取りは何処か妖しく映って見えた。
「何だよ、その顔は」
翔平が憮然としながら、カディスを睨みつける。
「いや、まあ。なんつーんだ。……坊主たちが、そう言う関係だと知らなくてだな。驚いたと言うか、なんつーか」
しどろもどろになりながら、カディスがおかしなことを口にした。それに賛同するように、他の面々が言葉もなく数度頷いてみせる。
「はあ? 何言ってんだ。そう言う関係も何も、俺たちは単なる友達だぜ」
そう言い切って、翔平は隣のリークを見下ろして「なあ?」と同意を求めた。そんな彼に、リークは頷きもせず微笑むだけだ。そして、彼は翔平からエージェントの面々に視線を向ける。
「君たちに変なところを見せて、すまない。先ほどの僕は少し、どうかしていたようだ。結界の強化を魔術師たちに任せてあるから、君たちは町の警備を続けてくれ。もし、僕の言っていた彼らが到着したら、近くの騎士に報告をして貰いたい」
エージェントの面々を見回しながら、少し固い口調で仕事の指示を出した。
その指示に、カディスは表情を嬉々としたものに変える。
「いよいよか。これで、俺の念願の夢を果たせるぜ」
「リーク王子。彼らは本当に来るのでしょうか?」
Jの問いに、リークがふっと余裕の笑みをみせた。
「来るよ。わざわざその為に、用意した舞台なんだ。この機を逃せば、暫くは身動きが取れなくなるからね」
「なるほど」と、Jが彼の説明に頷く。
リークとJのやり取りを眺め、翔平はカディスのところへ歩み寄って耳打ちをする。
「なあ、彼らって誰だ? つーか、あんたもリークたちの計画を知っていたのかよ」
「一週間前までは知らなかったぜ。けどよ、この依頼を請け負った時に、凡そだけど面白い計画を知ったんだ。やっぱ、リュイール一族は俺らの味方だってことだな」
翔平に詳しい内容は話さず、そう言ってカディスは清々しい笑顔を浮かべた。
(面白い計画か……。まあ、奴隷制度のことで間違いないだろうけど、一体誰の到着を待っているんだ? 舞踏会に来ていない国か? だとすれば、ゼウイムス王国かウィンダー王国になるな。一番有力なのはゼウイムスか)
そう思案しながら、翔平はJと真面目に話を続けているリークに視線を向ける。
すると、それに気づいたリークが翔平を見た。そして、再び視線をJに戻し、一言二言で話を終わらせ、翔平に近づくとその手を取る。
「それじゃあ、僕たちはそろそろ戻るよ。悪いけれど、J。魔物の処理と後の指示は君に任せていいかい?」
「お任せ下さい。リーク王子」
Jの言葉にリークは「頼んだよ」と言って、翔平の腕を引っ張りながら歩き出した。
町の中へ歩き去る二人を、エージェントの面々は見送る。その中に、リークの尋常ではない能力を目の当たりにして、彼に対しての見方を変える者は多くない。だが、彼らはプロだ。依頼が完了するまで、あの呟き以来それを口にする者は居ないだろう。
Jやカディスたちと別れ、リークに腕を引っ張られながら、翔平は城下町を再び駆け抜けていた。
「翔平。城に戻ったら、まず僕の部屋へ行くよ。これじゃあ、舞踏会に出られそうもないからね」
リークが走りながらそう説明すれば、翔平は「あ、ああ」と相槌を打つ。
「リーク。そろそろ腕を離してくれ。走り辛いから」
翔平がそう訴えるので、リークは惜しむような仕種で腕を離してゆく。その様を見て、翔平は訝しげな顔をした。
「あんた、さっきから妙におかしくないか」
翔平にそう指摘され、リークは微苦笑を浮かべる。
「そんなことはないよ」
そう言いつつも、リークの雰囲気はのんびりとしていながら何処か満たされていた。先ほどの豹変した彼とは、目を見張るほどに大違いだ。
翔平には聞こえない声で、リークはぽつりと言葉を零す。
「……僕は、君に出会えて嬉しいよ」
「何か言ったか?」
「何も。それよりも、時間に余裕を持たせたいから急ごう」
翔平の問いをはぐらかすように笑って、リークは別のことを口にした。彼の言葉に翔平は頷き、さらに足を速めてゆく。
暫くすれば、月明かりに照らされた城の橋の袂が見えてきた。そこを通り過ぎ、城内へ入ってゆく。
廊下は相変わらず人気がない。
二人は周りに気を配り、城の最上階にあるリークの部屋を目指して素早く且つ静かな足取りで歩いてゆく。もし、今の彼らの格好で誰かと出くわせば、明らかに怪しまれるだろう。
今は使われていない謁見の間を通り、裏手にある階段を上り、漸く二人は最上階へ辿り着くことが出来た。
リークが自分の部屋の扉を開け、先に翔平を中へ通す。そして、彼は廊下に視線を走らせながら、自分も中へ入りゆっくりと扉を閉めていった。
翔平がリークを振り返る。その翔平に、リークが扉に背を預けながら口を開く。
「まずは身体を洗わないと不味いね。――翔平、君が先に入っていいよ」
「いや、あんたが先に入ってくれ。ここはあんたの部屋だし、あんたの方が凄いことになっているからさ」
そう言いながら、翔平は改めてリークを眺め回した。
白の軍服のような服装は魔物の血に塗れ、それに留まらずリークの白い素肌や柔らかな金髪にまで付着している。
「それじゃあ、僕から先に入らせて貰うよ」
翔平の言葉に甘え、リークは上着をその場で脱いだ。次いで、上着の下に着ていた服の釦を外しながら、クロゼットから新しい服を取り出す。
翔平はやることがないので、リークの一部始終を立ったままで眺めていた。その視線がふいに、服を脱いだリークの程よく引き締まった白い背中で止まる。
「リーク。その背中……」
「ああ、これかい? 生まれた頃からあるんだ。単なる痣だよ」
そう苦笑しながら説明を寄越すリークだが、翔平はそうは思えなかった。
リークの白い背中に大きくくっきりと浮かび上がるそれは、メビウスの輪が絡まるⅠの数字だ。痣と言うよりも、それは刺青に近かった。だがこの世界に刺青と言うものはない。
リークが衣類を手に、翔平を振り返った。
「すぐに終わるから、君もすぐに入れるように用意をしておくんだよ」
「わ、分かった」
彼の言葉に、翔平は慌てて返事をして背中から視線を外してゆく。
そんな翔平に、リークはくすりと笑いながらのんびりと浴室へ向かって歩いていった。
床に視線を落として、翔平はリークの背中のものに思考を向ける。
(……メビウスの輪が絡まるⅠか)
一度目にしただけで、それは翔平の目に焼きついていた。




