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リュイール王国10

 翔平は道の脇の安全な場所に布袋を置くと、鞘から長剣を引き抜き、草むらから出てくる魔獣を見据えた。

 魔獣は狼の姿形をしており、額の真ん中に一角、口からは尖った二つの牙を剥き出しにしている。翔平はその魔獣に見覚えがあった。

「あの時の獣か」

 そう呟いて、後方をちらりと見やる。

 男たちは籠を背負いながらも、必死に走っているようだ。翔平の居る位置から、徐々に遠ざかってゆく。

(おっさんたち、俺がやられる前に早く逃げろよ)

 男たちの背中から視線を移し、再び翔平は前を睨み据えた。長剣の柄を両手で握り、下段の構えに入る。

 魔獣が低い唸り声を上げ、翔平に突進してきた。彼も駆け出して、魔獣との距離を縮めてゆく。

 翔平と魔獣の身体が交差した。

 翔平が低い姿勢で、魔獣の前足を目がけて斬りかかる。それと同時に、魔獣の尖った牙が彼の頬を引き裂いていた。

 焼けるような痛みに「うっ!」と顔を顰めながら、それでも翔平は動きを止めず、振り返り様に魔獣の後ろ足へ斬り返す。

 だが、それは魔獣の素早い動きによってかわされた。

 魔獣が後方へ二回飛躍して、姿勢を低くしながら翔平を睨み据える。その前足は、僅かだが血が滴っていた。

 翔平も魔獣を睨み据え、再び下段の構えに身構える。

「来い!」

 彼の声に反応して、魔獣がその場から一際高く飛び上がった。空中で額の真ん中にある一角を翔平に目がけて、身体を回転させながら急降下を始める。

 避ける間はない。翔平は咄嗟に、下から上へ長剣を斜めに振り上げた。

 タイミング良く魔獣の一角と長剣が合わさり、一角の半分を斬りおとす。だが、魔獣の勢いは殺されず、斬りおとされた残りの一角が翔平の左胸を強かに突いた。

 胸当てで痛みは半減出来たが、魔獣の勢いに押され、翔平は背中から仰向けに地面へ倒れる。

(ヤバイ!)

 そう思う間に、翔平を捕らえた魔獣の鋭い牙が喉元に襲いかかる。咄嗟に彼は、利き腕ではない方の腕を喉元に持っていった。

 その腕に、魔獣の牙が食い込む。

 強烈な痛みと共に、翔平の苦痛の叫びが辺りに木霊した。

(畜生! 負けて、堪るかっ!)

 身体全身に脂汗を掻きながら、利き腕を動かして近くに転がる長剣の柄を掴む。そして、そのまま魔獣の真横に刃を持って行き、力の限りに腹の部分を突き刺した。

 肉を裂く感覚が、生々しく翔平の手に伝わる。長剣は、右から左へと魔獣の腹を貫通していた。

 断末魔の鳴き声を上げ、魔獣は彼の上で息絶える。

 長剣を魔獣から抜き取れば、鮮血が噴き出し、翔平の服などを紅く染め上げた。

(……これが殺す、と言うことなのか?)

 肩を喘がせるだけで、彼は身体を起き上がらせることが出来なかった。

 身体が痛いと言うこともあるが、それよりも「殺す」ことの行為が彼を動かせなくしている。

 人間ではない魔物だったとしても、例え危害を加えてきたからだとしても、命を奪うことの重大さをこの時翔平は知った。

(……虚しいな)

 翔平は、心の中でぽつりと呟いた。

 彼の中に勝利の喜びはない。あるのは、複雑な感情だけだ。

 道のど真ん中で仰向けになったままで、翔平はやけに青い空を見据えた。


 翔平が魔獣と闘っている最中のことである。

 リークは翔平に圭の写真を返す為に、リュイール・ギルドを訪れていた。城から直接来たのか、軽装の鎧にマントを纏っている姿だ。

「やあ、J」

 片手を軽く上げながら、リークはJに挨拶を寄越した。

「いらっしゃいませ。リーク王子」

 磨いていたグラスをカウンターに置き、Jが彼に深々と頭を下げる。

「また、当ギルドにご依頼ですか?」

 Jの言葉に、リークが苦笑した。

「いや、違うんだ。エージェントの翔平に用があってね。――彼はまだ、仕事から戻っていないのかい?」

「はい。二件の依頼を請け負っていますので、夕刻辺りに戻るかと思いますが」

「そう。――仕方ないね。また来るよ」

「そうですか。それでは、彼に貴方が来たことをお伝えしておきます」

「頼んだよ、J。それじゃあ」

 リークがマントを翻し、出入り口に向かって歩いてゆく。

「有難うございました。また、当ギルドをご贔屓に」

 その背中に、Jはまた深々と頭を下げた。

 リークが出入り口の扉に近づく。

 その時だ。

 慌てたような足音を立てて、外側から扉が勢い良く開け放たれた。

 外から飛び込んできたのは、翔平が依頼を担当していた薬売りの男たちである。

「Jさん、大変ですよ! 魔獣がまた現れたんです!」

 リュイール・ギルドに入るなり、翔平に薬草を渡した男がそう叫んだ。

 ぴくりと、Jの眉が僅かに動く。

「貴方方は確か、翔平君が請け負った……。彼はどうしたんですか?」

 あくまで冷静沈着を努めるJだ。落ち着いた物腰で、彼らに翔平のことを尋ねた。

「私たちを逃す為に、ひとりで魔獣と」

 男のその言葉に、今度はリークが僅かに眉を顰める。

「魔獣に襲われた場所は、何処だい?」

 のんびりとした雰囲気を保ちながら、リークが口を挟んだ。

「あ、リーク様」

 男たちがリークに気づき、恭しく頭を下げる。

「場所は、町から向かって、十字路の右の道を真っ直ぐに行ったところです」

 頭を下げつつも、皆を代表してひとりの男が言った。

「判った。どうも有難う」

 男たちに礼を告げると、リークはその場を歩き出してゆく。

 その背中に、Jが冷静に言葉を投げかける。

「リーク王子。貴方と彼がどう言った関係かは存じませんが、大丈夫ですよ。翔平君は、我々ギルドが認めたエージェントですから」

 店から出る寸前でリークは立ち止まり、Jを振り返った。

 「そうだね」と変わりのない優しい笑みを浮かべ、そして彼はゆったりとした足取りで店を出てゆく。

「……リーク王子が焦りを見せるとは、珍しいこともあるのですね」

 静かに閉まってゆく扉を眺め、Jは他人事のように呟いた。

 リュイール・ギルドを出た途端に、リークの足取りが駆け足に変わる

(これは、不味いね。仕事に差し支えないように、監視の目を緩めていたんだけれど……裏目に出るとは、僕の考えが甘かった。――無事で居るんだよ、翔平)

 リークの走る速度がさらに増した。


 翔平が空を見据えて、それ程の時間は経っていなかった。

 こちらに向かって駆けてくる足音を耳にして、翔平は魔獣の死体を身体の上から退けると、ゆっくりと上半身を起き上がらせた。

 彼の目に飛び込んできたのは、最近見知った人物の姿である。

「リーク」

 その人物の名を、翔平はぽつりと呟いた。

 すると、何故だか彼の身体が僅かに震えを刻んだ。それはリークが来たことをきっかけに、魔獣に対しての恐怖が翔平の中で大きくなったのだろう。

 さすがの翔平でも、命に危険性のある恐怖は拭えなかった。止めどなく後から湧いて、彼の中で広がってゆく。

「翔平、大丈夫かい?」

 地面に片膝を突くと、リークは翔平の顔を覗き込もうとした。だが、それは遮られ、逆に彼の片腕がリークを抱き寄せる。

「翔平?」

 名前を呼んでも、翔平の返答はなかった。リークの肩口に顔を埋め、彼は身体を震わすばかりだ。

「…………」

 リークは無言で、翔平の身体を抱き締めた。背に回した片手で彼の背をあやし、耳元で「もう大丈夫だよ」と優しく囁く。

 翔平が泣いている訳ではないのは、リークにも判っていた。ただ、彼は自分の中にある恐怖と必死に闘っているのだと、その震える身体を抱き締めながらリークは感じた。

(無理もないね)

 異世界へ来て、翔平はまだ日が浅い。

 三日と言う短い時間の中で、生き抜くことそして圭を捜し出すことに懸命になって、日々を気が張り詰めたように過ごしていたに違いない。

 当人がそう感じていなくとも、無意識の内にそうしていたのだろう。

 その最中で起こった、魔獣との闘いだ。例え数度遭遇した魔物でも、ひとりで闘う恐怖は誰でも感じる。初めて剣を手にする翔平なら尚更だ。

「翔平、顔を上げて」

 リークが翔平にそっと優しく囁いた。

 すると、彼は漸く顔を上げる。その頬には一線の傷があり、乾いた血がついていた。

 翔平の瞳の意志の強さはなりを潜め、様々な感情がそこに揺らめいている。

 その瞳を見据え、ふっとリークが優しい笑みを浮かべた。

「君は大丈夫だよ。ちゃんとその恐怖に打ち勝てられるから、今までと変わらず自分を信じてゆけばいい。――僕もついているから」

 「その恐怖」とリークが言い表した言葉は、これから彼を待ち受ける様々な恐怖も含まれているのだろう。

 何処か謎めいたことを口にするリークに、翔平は目を瞬かせるしかない。

 リークが、翔平の傷ついた頬に手を添える。小さく呪文を唱えれば、その頬の傷は一瞬で塞がった。

 今度は、怪我の酷い腕に手を添える。また呪文を唱えれば、腕の怪我は徐々に治っていった。

 そして、魔獣の一角で傷ついた胸当てを外し、服の裾から手を忍び込ませ胸元まで這わすと、同じように呪文を唱える。

「……リーク、それはちょっと」

 思わず、翔平は声を上げた。

 リークがくすりと笑う。

「君らしくなったね。――でも、ここもちゃんと治療させて貰うよ。すぐに終わるから」

 そう言っている間に治療は施され、リークは翔平の服の中から手を抜き取った。

 そうして、リークが立ち上がる。翔平も立ち上がった。

「まだ、依頼は残っているんだろう? 僕もついて行かせて貰うよ。翔平」

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