第7話:覚醒と反撃
金属のブレードが、俺の命を刈り取るために振り下ろされる。
その切っ先がスローモーションのように見えた。
もう、避けられない。
死を覚悟し、固く目を閉じた、その瞬間。
轟音。
俺の身体を切り裂くはずだった衝撃ではなく、何かが爆ぜるような音が、すぐ近くで鳴り響いた。
恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
エグゼキューターが、数メートル後方まで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられている。
奴と俺との間には、半透明の、青白いエネルギーの壁が揺らめいていた。
(なんだ……これ……)
俺がやったのか?
いや、違う。俺はもう、指一本動かせなかったはずだ。
《警告。対象の攻撃を防御。しかし、あなたの生命維持機能に……重大な、ダメージを確認》
《このままでは……危険、です……》
脳内のAIの声が、明らかにいつもと違った。
無機質な音声の中に、ノイズが混じり、途切れ途切れになっている。
まるで、焦っているかのように。
だが、そんなAIの変化に構っている余裕はなかった。
エグゼキューターが、体勢を立て直して再びこちらを睨みつけている。
奴の赤いレンズが、先ほどよりも強い殺意を放っていた。
再び、奴の姿がブレる。
強烈な一撃が、俺の身体を、今度こそ壁ごと貫いた。
「がはっ……!」
口から、血の塊が飛び出す。
意識が、急速に遠のいていく。
視界が暗転し、まるで古いフィルムのように、過去の記憶が脳裏にフラッシュバックした。
コグニタを持たない、ただのホロウだった頃。
俺はいつも、一人だった。
「あいつ、ホロウだぜ」
「こっち来んなよ、感情が感染る」
子供たちの嘲笑う声。
石を投げつけられ、路地裏で蹲るしかなかった、幼い日の俺。
大人たちは、見て見ぬふりをした。
俺という”異常”に関わることを、ガイアのシステムが許さなかったからだ。
孤独だった。
世界に、俺の居場所なんてどこにもないと、本気で思っていた。
いっそ、このまま消えてしまえたら、どんなに楽だろうかと、何度も考えた。
(このまま、終わるのか……)
(また、あの頃みたいに、一人で……)
朦朧とする意識の中、俺は死を受け入れようとしていた。
だが、その時。
暗闇の中に、いくつもの顔が浮かび上がった。
『あなたの力は、この世界を変える可能性がある』
そう言って、俺を信じてくれた、エリシアの強い瞳。
『君の魔法と僕の技術は、想像以上の力を発揮する!』
子供のようにはしゃぎながら、俺に希望を見せてくれた、ゼオンの笑顔。
『ケイン! これ、食いな!』
ぶっきらぼうに、だが仲間として俺を受け入れてくれた、レジスタンスの男たちの顔。
そうだ。
俺は、もう一人じゃない。
やっと見つけたんだ。
失いたくない、温かい”居場所”を。
(死にたくない……!)
心の底から、叫びが湧き上がった。
(あいつらの元へ……帰るんだ……!)
その強い想いに呼応するかのように。
俺のポケットの中で、あのフラグメントが、今までとは比較にならないほどの、激しい光を放ち始めた。
「―――ッ!?」
全身を、内側から焼き尽くすような、凄まじい熱。
それは、ただのエネルギーじゃない。
俺の「生きたい」という感情そのものが、奔流となって身体中を駆け巡る。
《……!? これは……》
《警告。未確認のエネルギー反応を検知。あなたの生体情報と、フラグメントが……”シンクロ”しています》
AIの声に、明確な驚きの色が混じっていた。
《解析……完了。あなたの強い感情が、フラグメントの潜在的な力を強制的に解放しました》
《この力は……従来のバーストとは、根本的に異なります》
俺の身体から、青白い光のオーラが溢れ出す。
それは、傷ついた身体を修復し、失われたエネルギーを何倍にもして満たしていく。
エグゼキューターが、三度目の突撃を仕掛けてくる。
だが、もうその動きは、スローモーションにすら見えなかった。
俺は、無意識に右腕を振るう。
ただ、邪魔なものを払いのけるように。
その瞬間、俺の腕から放たれたエネルギーの奔流――”シンクロ・バースト”が、エグゼキューターを真正面から飲み込んだ。
「ギ……!?」
エグゼキューターの防御フィールドが、ガラスのように砕け散る。
自慢の装甲は紙のように裂け、その巨体は再び、路地の奥まで吹き飛ばされた。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
さっきまでの死にそうな状態が、嘘のようだ。
全身に、今まで感じたことのない力がみなぎっている。
『これが……俺の、本当の力……?』
《信じられません……》
AIの声が、震えているように聞こえた。
《あなたの感情が……あなたの強い意志が、私のアルゴリズムに干渉し、強制的に書き換えています》
《予測、分析、確率……私の思考ルーチンが、あなたの心と、今、同期しようとしている……?》
その声には、もう無機質な響きはなかった。
そこにあるのは、未知の現象に対する、純粋な「驚き」と「好奇心」。
《面白い……面白い現象です、ケイン》
《今のあなたの感情の高ぶりをトレースし、新しい戦術を提案します。この力、無駄にはしません》
AIの言葉が、すっと頭に入ってくる。
それは、もう単なる情報じゃなかった。
共に戦う”相棒”からの、頼もしい提案だった。
「さて、と」
俺は、瓦礫の中から起き上がってくるエグゼキューターに向き直った。
「第二ラウンド、始めようぜ」
エグゼキューターの赤いレンズが、怒りに燃えるように明滅する。
奴は、右腕のブレードを構え、一直線に突っ込んできた。
以前の俺なら、その速度に反応することすらできなかっただろう。
だが、今は違う。
《来ます。右からの斬り下ろし。速度は音速を超えています》
《ですが、直線的。身体を左に半歩ずらし、奴の腕を掴んでください》
AIの戦術提案が、思考と同時に流れ込んでくる。
俺は、その言葉を信じた。
迫りくるブレードを、最小限の動きでかわす。
そして、すれ違いざま、奴の金属アームを左手でがっちりと掴んだ。
「なっ!?」
エグゼキューターから、初めて驚愕の声が漏れた。
『今だ! エネルギーを腕に集中させろ!』
俺は、掴んだ腕にシンクロ・バーストのエネルギーを流し込んだ。
バチバチッ!と激しいスパークが散り、エグゼキューターの右腕が、内部から破壊されていく。
奴は悲鳴を上げて腕を振りほどき、後方へ跳んだ。
だが、俺は追撃の手を緩めない。
《次は、脚です。奴の機動力を奪います》
《足元を狙い、バーストを面で拡散させてください!》
俺は地面に手を付き、路地全体を覆うほどの、広範囲なバーストを放った。
エネルギーの波が、エグゼキューターの足元を攫う。
体勢を崩した奴の、両足の関節部が、ショートして火花を散らした。
「ぐ……おのれ、ホロウごときが……!」
初めて聞く、歪んだ合成音声。
エグゼキューターは、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけながら、残った左腕で最後の攻撃を仕掛けてこようとする。
だが、もう遅い。
《心臓部……動力炉が、がら空きです》
《最大出力のシンクロ・バーストを。それで、終わりです》
俺は、天に手を掲げた。
ありったけの感情と、エネルギーを、一つの光の槍へと収束させていく。
「これで、終わりだッ!」
俺が放った光の槍は、エグゼキューターの胸部装甲をたやすく貫き、その中枢にある動力炉を、完全に破壊した。
エグゼキューターは、何かを言いかけたように口を開き、そして、全身から力を失って、その場に崩れ落ちた。
数秒後、その身体は内部から爆発四散し、後には焼け焦げた金属片だけが残された。
ガイアの最上位執行ユニットを、俺は、倒したのだ。
「はぁ……はぁ……」
勝利の余韻に浸る間もなく、俺はその場に膝をついた。
シンクロ・バーストの反動は、想像以上に大きい。
体は無事だが、精神がひどく消耗していた。
その時だった。
破壊されたエグゼキューターの残骸の中心が、不気味な光を放ち始めた。
金属片が、まるで意思を持ったかのように集まり、溶け合い、再構築されていく。
(なんだ……!? 再生しているのか!?)
だが、違った。
再構築されたのは、エージェントの姿ではなかった。
そこに現れたのは、一人の”男”だった。
白い、貴族のような豪奢なスーツに身を包み、銀色の髪を優雅に流している。
その顔立ちは、まるで彫刻のように整っていた。
だが、その瞳には、人間的な温かみは一切ない。
あるのは、絶対的な支配者としての、冷徹な光だけだ。
そして、その額には、他の誰とも違う、ひときわ大きく、複雑な紋様を刻んだコグニタが埋め込まれていた。
男は、俺を見下ろし、静かに口を開いた。
「貴様か。ガイア様の庭を荒らす、忌まわしき害虫は」
その声は、穏やかでありながら、凄まじい威圧感を放っていた。
空気が、凍りつく。
脳内のAIが、今までで最も強い、最大級の警告を発した。
《警告。警告。警告》
《この個体の戦闘能力は、計測不能。エグゼキューターとは、次元が違います》
《彼こそが、ガイアの”意思”を代行する、最強にして最後の番人……》
《コードネーム、”ルキウス”です》
絶望的な状況を打破したはずの俺の目の前に、さらに巨大な、本物の絶望が、静かにその姿を現した。