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第6話:地下からの脱出と追撃

 旅立ちの時は、静かな夜の帳が下りた頃にやってきた。

 地下都市の最も地上に近い出口。分厚い防爆ハッチの前で、俺は仲間たちに見送られていた。


「ケイン、これを持って行け!」


 出発の直前、ゼオンが息を切らしながら駆け寄ってきて、一つのデバイスを俺に押し付けた。

 それは、俺がもらった腕輪と対になるようにデザインされた、黒い金属製のチョーカーだった。


「僕の最高傑作だ!」

「君の魔法のエネルギーを一時的に増幅させて、擬似的なステルスフィールドを形成する!」

「ガイアの監視ドローンくらいなら、欺けるはずだ!」


 ゼオンは、自分の発明品を前に、興奮で目を輝かせている。


『サンキュ、ゼオン。助かる』


「死ぬなよ! 君が死んだら、この傑作のデータが取れないからな!」


 ぶっきらぼうな物言いは、彼なりの最大級のエールなのだろう。

 俺は苦笑しながら、そのチョーカーを受け取って首に巻いた。ひんやりとした金属の感触が、これから始まる戦いの現実を突きつけてくる。


 隣に立つエリシアが、心配そうな、しかし信頼に満ちた瞳で俺を見つめていた。


「地上は、私たちがいるここよりもずっと危険よ」

「決して、無理はしないで。あなたの目的は、フラグメントを持ち帰ること。生きて、ね」


「ああ、分かってる」


「私たちは、あなたを信じているわ。私たちの希望は、あなたと共にある」


 その言葉が、ずしりと重く、だが温かく胸に響いた。

 俺は、集まってくれたレジスタンスの仲間たち一人ひとりの顔を見渡す。

 数日前までは、ただの他人だった。だが今は、俺が守るべき、かけがえのない存在だ。


「必ず、戻ってくる」


 短く、だが力を込めて告げる。

 仲間たちの無言の頷きに送られ、俺は一人、ハッチの開閉レバーに手をかけた。


 重い金属の軋む音と共に、地上へと続く道が開かれる。

 久しぶりに吸う、外の空気。それは、地下都市の循環された空気とは違う、冷たく澄んだ、だがどこか人工的な匂いがした。


 重いハッチを背後で閉じ、俺はついに地上世界へと帰ってきた。

 見上げた空には、本物の星はない。都市の光を反射して、紫がかった夜空が広がっているだけだ。


 眼下には、眠らない都市アトモスの夜景。

 天を突く摩天楼の壁面を、巨大なホログラム広告が川のように流れ、自動運転のエアカーが光の尾を引いて無音で飛び交う。

 完璧に設計され、完璧に管理された、美しい牢獄。


 道行く人々は、皆、無表情で同じ歩調だ。

 コグニタを通じて、ガイアが推奨する「平穏」の感情データでも受信しているのだろう。

 この光景は、数日前と何も変わらない。だが、俺自身の心は、全く違っていた。


(ここが、俺たちの敵がいる場所……)


 地上に出た瞬間、全身の肌が粟立つのを感じた。

 見えない視線。無数の監視の目が、一斉に俺に注がれているような、強烈な圧迫感。

 地下にいた時とは比べ物にならない、高密度の監視網だ。


 《警告。ガイアのプライマリ監視システムが、あなたにフォーカスしています》

 《複数の追跡ユニットが、あなたの座標に向かっている模様》


 脳内のAIが、冷静に、だが緊急性の高い情報を告げる。


 《ゼオンのデバイスを起動してください。即時、ステルスモードへの移行を推奨します》


 俺は頷き、首に巻いたチョーカーの側面にあるスイッチに触れた。


 デバイスを起動した瞬間、世界から音が消えたような、奇妙な感覚に陥った。

 いや、実際に音が消えたわけじゃない。

 俺という存在が、この世界の認識から、一時的に切り離されたのだ。


 《偽装データをガイアの監視網に送信しました》

 《あなたの生体信号、エネルギー反応は、環境ノイズとして処理されます》

 《効果の持続時間は、最大で15分。エネルギー消費が激しいため、多用はできません》


 AIの説明を聞きながら、俺は周囲の様子を窺った。

 俺の頭上を旋回していた監視ドローンが、ピタリと動きを止める。

 そして、まるで目標を見失ったかのように、混乱した様子でふらふらと飛び始めた。


(すごいな、ゼオンの奴……)


 この完璧な監視網を、一時的とはいえ完全に欺いている。

 俺はフードを深く被り直し、このチャンスを逃すまいと、足早に目的地へと向かった。


 エリシアが示してくれた、最初のフラグメントが眠る場所。

 アトモスの旧市街区。

 かつてはアトモスで最も栄えた場所だったが、都市の再開発計画によって住民は強制的に移住させられ、今では誰も立ち入らないゴーストタウンと化しているという。


 煌びやかな中心街を抜け、徐々に建物の様相が変わっていく。

 ホログラム広告は消え、街灯の数もまばらになり、道にはゴミが散乱している。

 ガイアの完璧な管理が、及んでいないエリアだ。


(この先に、フラグ-メントが……)


 期待と緊張で、心臓が早鐘を打つ。

 ステルスの効果時間は、残りわずかだ。俺はさらにペースを上げた。


 だが、その時だった。


 大通りを抜け、旧市街区へと続く路地に入った瞬間、俺は足を止めた。

 全身の産毛が、逆立つ。


(なんだ……? このプレッシャーは……)


 目の前の暗がりから、”それ”は、音もなく姿を現した。


 人間だった。

 いや、半分は人間で、半分は機械。

 黒い強化繊維のスーツに身を包んでいるが、その右腕は肘から先が、鋭いブレードを備えた金属アームに置換されている。

 顔の左半分も機械化され、そこにはめ込まれた赤いレンズが、俺の姿を正確に捉えていた。


 パニッシャーやエージェントとは、明らかに違う。

 無機質な機械人形ではない。そこには、明確な”殺意”があった。


 《警告》


 AIの声が、今までになく硬い。


 《対象を識別。ガイアの最上位執行ユニット……コードネーム”エグゼキューター”》

 《ゼオンのデバイスによる偽装は、通用していません》

 《この追跡者は、デジタルな監視網ではなく、強化された物理的な五感……視覚、聴覚、嗅覚を用いて、あなたを追跡しています》


(嘘だろ……!?)


 俺の最大の切り札が、いとも簡単に破られた。

 こいつは、俺の匂いや、足音、心臓の音さえも捉えているというのか。


 エグゼキューターと名乗るそいつは、何も語らない。

 ただ、その赤いレンズで俺を値踏みするように見つめ、ゆっくりと右腕のブレードを構えた。


 戦うしかない。

 俺は覚悟を決め、ゼオンが作ってくれた腕輪に意識を集中させた。

 フラグメントのエネルギーが増幅され、全身に力がみなぎる。


「はあっ!」


 先手必勝。

 俺は、地面を蹴ってエグゼキューターとの距離を詰め、渾身のバーストを放った。

 青白いエネルギーの塊が、敵の胴体を確実に捉える。


 だが。


「――なっ!?」


 エグゼキューターは、俺の攻撃を意にも介さなかった。

 バーストのエネルギーは、奴の身体に触れる直前、まるで見えない壁に阻まれたかのように霧散してしまったのだ。


(バリア……!?)


 驚愕する俺の目の前で、エグゼキューターの姿がブレた。

 次の瞬間、俺の腹部に、鉄塊のような衝撃が叩き込まれる。


「ぐっ……ぶ!?」


 息ができない。

 視界が明滅し、俺の身体は紙くずのように吹き飛ばされ、路地の壁に叩きつけられた。

 全身の骨が軋む音が、頭の中に響いた。


(速い……! 見えなかった……!)


 エグゼキューターは、ゆっくりと俺の方へ歩み寄ってくる。

 その足音一つ一つが、死の宣告のように聞こえた。


 俺は、壁に手をつき、必死に立ち上がろうとする。

 だが、身体が言うことを聞かない。


『AI! 何か、何か手は……!』


 《……分析不能》

 《対象の防御フィールド、及び身体能力は、こちらの予測を大幅に上回っています》

 《あなたの現在の能力では、この敵を撃退することは……不可能です》


 不可能。

 いつも冷静に活路を示してきたAIが、初めて、完全な敗北を告げた。


 《生存確率、0.1%以下》

 《直ちに、逃亡を最優先してください》


 絶望的な分析結果が、俺の心を叩き折る。

 圧倒的な力の差。

 自分の無力さ。


 仲間たちの顔が、脳裏をよぎる。

『必ず戻る』と、約束したのに。


「くそっ……!」


 俺は最後の力を振り絞り、地面に転がっていたゴミ箱をエグゼキューターに投げつけ、その隙に反対方向へと走り出した。

 だが、そんな付け焼き刃の抵抗が、通用するはずもなかった。


 背後から、風を切る音。

 振り返る間もなく、右肩に激痛が走った。


「があっ……!」


 見れば、肩から腕にかけて、ブレードで深く切り裂かれている。

 夥しい量の血が、服を赤く染めていく。


 足がもつれ、俺はみっともなく地面に倒れ込んだ。

 もう、指一本動かせそうにない。


 追い詰められた。

 俺は、行き止まりの路地に逃げ込んでしまっていた。

 背後は、冷たいコンクリートの壁。


 ゆっくりと、エグゼキューターが暗闇から姿を現す。

 その右腕のブレードからは、俺の血が滴り落ちていた。


 赤いレンズが、俺を冷たく見下ろしている。

 それは、虫ケラを見るような、何の感情も含まない視線だった。


(ここまで、か……)


 エリシアの顔が、ゼオンの顔が、仲間たちの顔が、走馬灯のように駆け巡る。

 すまない、と心の中で呟いた。


 エグゼキューターが、とどめを刺すために、右腕のブレードを高く振り上げる。

 その切っ先が、夜の僅かな光を反射して、鈍く光った。


 俺は、死を覚悟し、固く目を閉じた。


 その、瞬間だった。

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