第5話:情報の断片と新たな目的
戦いの興奮が冷めやらぬ地下都市は、奇妙な熱気に包まれていた。
あちこちで、破壊されたバリケードの修復作業や、負傷者の手当てが行われている。
だが、そこに悲壮感はなかった。
誰もが、生き生きとした表情で動き回っている。
ガイアの絶対的な支配の象徴であったエージェントを、自分たちの手で打ち破った。
その事実が、彼らにとって何よりの希望となっていた。
「ケイン! これ、食いな!」
「さっきのバースト、マジで痺れたぜ!」
「お前さんがいなけりゃ、今頃どうなってたか……」
レジスタンスのメンバーたちが、代わる代わる俺の元へやってきては、肩を叩き、配給品のレーションや水を差し出してくる。
その顔には、以前のような警戒心や疑いは微塵もない。
そこにあるのは、仲間に対する親しみと、尊敬の念だった。
(居場所……か)
生まれて初めて感じる、温かい感覚。
誰かに必要とされ、認められることの、むず痒いような喜び。
俺は照れ隠しにフードを目深に被りながら、差し出されたレーションを無言で受け取った。
その時、脳内にAIの声が響く。
《あなたのセロトニン及びオキシトシンの分泌量が上昇しています》
《心拍数も安定。これは、良好な社会的つながりがもたらす肯定的な心理的効果と分析されます》
『……うるさい』
俺は思考で短く返す。
こいつの客観的すぎる分析は、せっかくのこの雰囲気を台無しにしそうだ。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
「ケイン! こっちだ、すごいものを見つけたぞ!」
興奮したゼオンの声に呼ばれ、俺は破壊されたエージェントの残骸へと向かった。
ゼオンは他の技術者たちと一緒に、白い装甲をこじ開け、内部の構造を調べているところだった。
「見てくれ、この動力炉! 僕たちの知らない技術体系だ!」
「でも、それだけじゃない!」
ゼオンはそう言うと、解析用の端末を俺に見せた。
画面には、解読されたばかりのデータが羅列されている。
「このエージェントの記録領域の奥に、強力なプロテクトがかかったデータがあったんだ」
「それを解読してみたら……ビンゴだ!」
『何がだ?』
「ガイアが消去したはずの、”過去の遺物”に関する情報だ!」
「断片的なものだけど、間違いなく、僕たちの知らない歴史の記録だよ!」
ゼオンは、まるで宝物を見つけた子供のようにはしゃいでいる。
彼の純粋な探究心が、少し眩しく見えた。
「君のハイブリッド・アビリティは、やっぱり正解だった!」
「君の魔法と僕の技術は、想像を遥かに超える力を発揮する! これなら、ガイアにだって……!」
(ガイアに、勝てる……?)
数日前まで、ただ逃げ惑うだけだった俺には、想像もつかない言葉だった。
だが今は、ゼオンの言葉が、荒唐無稽な夢物語だとは思えなかった。
俺たちの戦いは、確かに世界を動かし始めているのかもしれない。
「ケイン、ちょっといいかしら」
エリシアに呼ばれ、俺は彼女の後についていった。
向かった先は、集落の最も奥まった場所にある、厳重にロックされた分厚い扉の前だった。
エリシアが認証パネルに手をかざすと、重い音を立てて扉が開く。
その先には、薄暗い、広大な空間が広がっていた。
情報保管庫。
レジスタンスが、ガイアの監視を逃れて集め続けた、ありとあらゆる情報が眠る場所だ。
棚には、紙の書物や、旧世代のデータディスクがびっしりと並べられている。
「すごい量だな……」
「ガイアは、世界を完璧に管理するために、自分にとって都合の悪い全ての歴史と文化を消去したわ」
「思想、宗教、芸術……非効率で、人の心を乱す”ノイズ”と判断したものは、全て」
エリシアは、静かな、だが怒りを滲ませた声で語る。
「私たちが集めているのは、その”ノイズ”の残りカスよ」
「でも、それこそが、人間が人間であることの証だと、私は信じてる」
彼女は一つの棚から、古びた革張りの本を取り出した。
「そして、あなたが持っているそれ……」
エリシアは俺のポケットに視線を移す。
「それは、ガイアが消去した情報が、何らかの理由で物理的に結晶化したもの」
「私たちは、それを”フラグメント”と呼んでいるわ」
『フラグメント……』
「ええ。それはただのデータじゃない」
「ガイアの支配システムそのものに干渉し、無効化する力を持つ、古代の”鍵”なのよ」
鍵、という言葉が、妙に胸に引っかかった。
俺が手にしたこの小さな金属片が、この巨大な都市国家の支配を覆す力を持っているというのか。
にわかには信じがたい話だった。
「ガイアも、フラグメントの危険性には気づいている」
「だからこそ、あれほど強力なエージェントを送り込んでまで、回収しようとしているのよ」
エリシアは、俺の目を見て、はっきりと告げた。
「私たちは、ガイアが必死に隠している全てのフラグメントを探し出し、この世界に真の歴史と自由を取り戻したい」
「ケイン……そのために、あなたの力が必要なの」
それが、レジスタンスの真の目的。
ただ生き延びるための抵抗じゃない。
奪われたものを取り戻すための、”戦い”だ。
「もちろん、強制はしないわ」
「これは、あなたの人生を懸けることになるかもしれない、危険な旅よ」
エリシアはそう言った。
だが、彼女の瞳は、俺に「否」とは言わせない強い光を放っていた。
(世界を変える、か……)
孤独に生きてきた俺にとって、それはあまりにも壮大で、現実味のない目的だった。
俺はただ、静かに生きていけさえすれば、それでよかったはずだ。
脳内のAIが、冷静に分析結果を提示する。
《目的の達成により、あなたの長期的な生存確率は大幅に向上します》
《予測される成功率は低いですが、現状維持を選択した場合の生存確率は、限りなくゼロに収束します》
《ただし、目的達成の過程において、生命を失うリスクは極めて高いと算出されます》
論理的なリスクとリターンの説明。
ハイリスク、ハイリターン。そういうことか。
俺は、静かに目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、無機質な表情で街を歩く、地上の人々。
そして、目の前で勝利を喜び、笑い合っていた、レジスタンスの仲間たちの顔。
どちらの世界で生きたいか。
答えは、もう決まっていた。
「……やるよ」
俺は、エリシアの目を見て、はっきりと答えた。
「単に生き延びるためじゃない」
「あんたたちの……いや、”俺たち”の目的のために、この力を使う」
俺の言葉に、エリシアは一瞬、驚いたように目を見開き、そして、心の底から嬉しそうに、花が咲くように微笑んだ。
俺の決意は、すぐに仲間たちに伝えられた。
誰もが、危険な旅に出る俺を心配しながらも、その背中を押してくれた。
その夜、俺たちは作戦室に集まっていた。
中央のテーブルに広げられたのは、アトモスの古い電子マップだ。
エリシアが、マップの一点を指し示す。
「ここが、最初のフラグメントが隠されている可能性が最も高い場所」
「アトモスの旧市街区……今はもう、誰も立ち入らないゴーストタウンよ」
隣で、ゼオンが興奮した様子で口を挟んだ。
「地上はガイアの監視網が厳しい。でも、君の力があれば、潜入できるかもしれない」
「出発までに、君の力をさらに高めるための新しいデバイスを開発してみせるよ!君のその腕輪と連動する、もっとすごいやつをね!」
ゼオンは、目を輝かせながら設計図を宙に投影する。
その熱意が、俺にも伝わってきた。
俺は、マップに示された目的地と、仲間たちの顔を交互に見つめる。
これから始まるのは、危険な旅だ。
だが、もう俺は一人じゃない。
俺は、来るべき地上への旅立ちに向けて、決意を新たにした。
俺の戦いの準備が始まった。