第3話:地下都市(アンダー・アトモス)
どれくらい歩いただろうか。
パニッシャーを撃退した代償は、想像以上に大きかった。
体中のエネルギーを使い果たし、足は鉛のように重い。
思考は霞がかかったように鈍く、ただ壁を伝い、一歩、また一歩と進むのが精一杯だった。
このカビ臭い地下通路がどこに続いているのかも分からない。
ただ、地上に戻れば、即座にガイアの追跡者に捕まることだけは確かだ。
脳内のAIは、沈黙を保っている。
俺が何かを問いかけない限り、こいつは自発的に情報をよこしたりはしない。
(これから、どうなる……)
不安が胸を締め付ける。
その時、まるで俺の思考を読んだかのように、AIが警告を発した。
《警告。追跡者の再接近を確認しました》
《周辺区画の監視網が強化されています。ガイアはあなたの捕獲を最優先事項に設定した模様》
《緊急に脱出経路を確保する必要があります》
『どこへ行けばいいって言うんだ……?』
俺は、かすれた声で呟いた。
AIの提案を受け入れたはいいが、その先に何があるのか、全く見えていなかった。
《過去の文献及び、抹消された都市データの中から、ガイアの監視が届かないとされる非公式コミュニティの存在を確認しました》
《データが古く、現存している可能性は低いですが、唯一の生存ルートです》
脳内UIに、この地下通路の簡易的な地図と、一つの目的地がマーキングされる。
それは、ここからさらに地下深くへと続く、廃墟と化した地下鉄の駅だった。
AIが示した地図だけを頼りに、俺は歩き続けた。
何度か意識が途切れそうになりながらも、壁に刻まれた古い案内表示を見つけ、なんとか目的地に辿り着くことができた。
そこは、時間が止まったかのような空間だった。
錆びついた線路、崩れかけたホーム、そして、不規則に点滅する非常灯。
アトモスの光り輝く地上とは、まるで別の世界だ。
(本当に、こんな場所に人が……?)
疑念が頭をよぎった、その時だった。
ホームの奥の暗がりから、複数の人影が姿を現した。
彼らは皆、俺と同じようにコグニタを持たない「ホロウ」のようだった。
着ている服は古く、ツギハギだらけ。だが、その瞳には、地上の人間たちが失った、確かな意思の光が宿っていた。
「……お前、どこから来た?」
先頭に立っていた男が、警戒心に満ちた声で俺に問いかける。
手には、ジャンクパーツを組み合わせて作った、粗末だが殺傷能力はありそうな銃が握られていた。
俺はフードを深く被ったまま、答えることができない。
極度の疲労で、声が出なかったのだ。
男は俺の様子を見て、さらに警戒を強める。
だが、その隣にいた少女が、俺の手元に視線を落として、小さく息をのんだ。
「その手に持ってるの……まさか」
俺は無意識に、ポケットから少しだけはみ出していたデータ片を握りしめていた。
少女の言葉に、周囲の空気が一変する。
警戒が、驚きと、そしてわずかな期待へと変わっていくのが分かった。
俺は彼ら――自らを「ノマド」と呼ぶ人々の集落へと案内された。
廃墟となった駅のホームに、彼らは寄り集まるようにして暮らしている。
古い発電機を修理して使い、水は地下水脈から汲み上げているらしい。
ガイアの管理するインフラに頼らず、自給自足の生活を営んでいるのだ。
集落の中心、最も大きなテントの中で、俺は一人の女性と対面した。
彼女が、このノマドたちのリーダーらしい。
「私がエリシア。ここのまとめ役よ」
彼女はそう名乗ると、俺の目の前に座った。
年は俺とそう変わらないように見える。長く美しい銀髪を無造作に束ね、その強い光を宿した瞳で、俺を真っ直ぐに見つめていた。
彼女の視線は、俺が差し出したデータ片に注がれている。
「……やっぱり。これは”フラグメント”ね」
「フラグメント?」
「ガイアが歴史から消し去った、”魔法”のデータが記録された過去の遺物」
「私たちは、それを集めてるの」
エリシアは、淡々と説明を始めた。
かつてこの世界には、魔法が存在したこと。
そして、全てを管理しようとするガイアが、その不確定要素を危険とみなし、関連する全ての情報を歴史から抹消したこと。
「私たちは、ガイアの支配に抵抗するレジスタンス」
「フラグメントを集め、失われた魔法を復活させることができれば、ガイアの支配を終わらせることができるかもしれない」
壮大な話だった。
俺には、あまりにも現実味がない。
「俺は……」
俺は、正直な気持ちを口にした。
「ただ、生き延びたいだけだ」
「世界を変えたいなんて、そんな大それたことは考えてない」
「そうでしょうね」
エリシアは、静かに頷いた。
「でも、あなたのその力は、あなただけのものじゃない」
「その力は、この息苦しい世界を変える、最後の希望になるかもしれないの」
彼女の瞳は、真剣だった。
もちろん、レジスタンスの誰もが俺を歓迎してくれたわけじゃない。
どこから来たかも分からない流れ者を、簡単に信用するほど、彼らはお人好しではなかった。
「そいつの力が本物だって、どうして言い切れる?」
「ガイアのスパイかもしれないだろ」
そんな声が上がる中、エリシアは一つの提案をした。
俺の力が本物かどうか、試させてもらう、と。
場所は、駅のホームの隅にある、訓練場らしきスペース。
廃材がターゲットとして積み上げられている。
「あれを、あなたの力で破壊してみて」
エリシアにそう言われ、俺は廃材の山と向き合った。
(できるか……?)
パニッシャーとの戦いで、一度は成功した。
だが、あれは火事場の馬鹿力だ。
《エネルギーを一点に集中させてください》
《対象は無機物。心理的負荷は低いはずです》
脳内のAIが、冷静にアドバイスを送ってくる。
俺は深呼吸し、意識を右手の掌に集中させた。
体内のエネルギーが、渦を巻いて掌に集まってくる感覚。
以前よりも、ずっとスムーズに力をコントロールできているのが分かった。
「……はあっ!」
短い気合と共に、バーストを放つ。
青白い光の塊が、一直線に廃材の山に突き刺さった。
轟音と共に、廃材が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
その威力に、俺自身が一番驚いていた。
訓練を見ていたレジスタンスのメンバーたちから、どよめきが起こる。
疑いの視線は消え、そこには驚嘆と興奮が浮かんでいた。
エリシアが、満足そうに微笑んで俺の元へ歩み寄ってくる。
「見事ね」
「ようこそ、レジスタンスへ。ケイン」
それが、俺が初めて「仲間」を得た瞬間だった。
レジスタンスには、様々な技術を持つ者がいた。
その中でも、ひときわ異彩を放っていたのが、ゼオンという名の若い技術者だ。
彼はいつもゴーグルを頭にかけ、油とハンダの匂いをさせている。
年の頃は俺より少し下だろうか。人見知りなのか、あまり口数は多くない。
だが、こと技術に関する話になると、途端に饒舌になる男だった。
「すごい……本当に、現行の物理法則を無視したエネルギー反応だ……」
ゼオンは俺の持つフラグメントを、自作の解析装置にかけながら、興奮した様子で呟いた。
「このエネルギー……もし、僕たちの旧世代の技術と組み合わせることができたら……」
「もしかしたら、ガイアのシステムに干渉できる、全く新しい”ハイブリッド・アビリティ”が生まれるかもしれない……!」
(ハイブリッド・アビリティ……)
魔法と、科学技術の融合。
それが何を意味するのか、俺にはまだ想像もつかなかった。
だが、ゼオンの言葉は、確かな希望の光のように感じられた。
その時だった。
集落の入り口で見張りをしていたメンバーが、血相を変えてテントに駆け込んできた。
「大変だ! ガイアの追跡者が……!」
「今まで見たこともないタイプだ!」
俺たちは一斉にテントを飛び出し、入り口へと向かった。
そこにいたのは、パニッシャーとは明らかに違う、新型の追跡者だった。
流線型の白い装甲。
その表面には、パニッシャーにはなかった、青いライン状の紋様が刻まれている。
より洗練され、より強力になっているのが、一目で分かった。
エリシアが、緊張した面持ちで呟く。
「……あれが、ガイアの新型エージェント」
「どうやら、奴らも本気を出してきたみたいね」
新型エージェントの赤いモノアイが、俺たちの姿を捉え、静かに光を放った。
それは、これから始まる激しい戦いを、明確に予感させていた。