貧血姫っておとぎ話のタイトルみたい
あっ、と思った時には遅かった。
視界の端からふわぁっと真っ白になって、感覚が消える。
貧血だ。
慣れっこの私は、倒れてもケガがないように体から力を抜いた。重力に従って、固い地面に衝突する……のを待っていたのにこなかった。
宇宙船に乗ったら、こんな感じなのかもしれない。
無重力でふわふわと、体が風船のように浮いている。
やばいな、貧血で妄想まで見るようになったのか。病院で処方してもらった鉄分のサプリメント、ちゃんと飲んでるのに。
どうでもいい事をぐるぐる考えているうちに、世界に重力が帰ってきた。
「気分はどう?」
声が聞こえた。返事をしなきゃ、と瞼を押し上げる。
「……だいじょ……ぶ、です」
朝日で眩しい保健室に、一人の男の子が立っていた。長めの前髪に隠れて、顔が良く見えない。私の返事を聞いて、ベッドの横のついたてを動かして、太陽の光が眩しくないように調整してくれた。
「もう少ししたら先生が来ると思うから」
名前を聞くことも、お礼も言えないうちに、その人は保健室から去って行った。
おとぎ話のタイトルは貧血姫。
桜が降り積もる校門の脇で倒れた貧血姫を、お姫様抱っこで救ったのは王子様。
王子様は何も言わず、保健室まで貧血姫を運んでいきました。
学校に到着した安心感と、家から学校まで移動することの疲労感で、登校時間に貧血で倒れることが多かったのは事実だ。
まさか、そんなおとぎ話みたいなことで学校の有名人になるなんて。
「恥ずかしい……」
自分の腕で顔を隠したけれど、丸見えだってわかってる。わかってるけど、恥ずかしかったんだからしょうがない。
「もう大丈夫?」
今日も王子様はついたてを動かす。ずいぶん庶民的な王子様だ。
「いつもありがとう」
助けることが当たり前なのでお礼は不要、とばかりに王子様は掌をヒラヒラさせた。
学校で有名な貧血姫の王子様は、私の幼馴染。そして同級生。幼稚園の頃からずっと一緒。腐れ縁の広樹。
普通の女子ならお姫様抱っこに胸ときめくかもしれないけれど、相手があまりにも日常の範囲内すぎた。ときめき、ほとんどない。
「じゃあね」
王子様は言葉少なく去っていった。
私の代わりに、保健室の一輪挿しの水仙がうなづくように揺れていた。
いつの間に大きくなったんだろう。
私が貧血で世界から消えているうちに、広樹はずいぶん背が高くなっていた。
「情けない……」
ズルズルっと重いものを動かす音。王子様は穏やかな顔でこちらを振り返る。今日も的確な角度でついたての影が私を守ってくれる。
「そのうち良くなるよ。鉄剤も飲んでるんだし」
「なんで知ってるの?」
「給食の時飲んでるから見えた」
じゃあ行くね、と言う広樹の背中がやけに大きく見えた。
優しくされて好きになった、なんてどこにでもある話だから。と自分に言い訳をする。そうしないと、幼なじみの広樹という、日常がどこかに行ってしまいそうになるから。
「今日も、ありがとう」
貧血姫が、王子様との保健室での逢瀬が待ち遠しくなっても何も問題ないはずだ。
「早く良くなるといいね」
それは逢瀬の拒絶?
王子様はもう、貧血姫に会いたくないということ?
「どうしてそんなこと言うの」
私の貧血が治ったら、もう広樹にお姫様抱っこしてもらえなくなるんだよ。
手に持っていたハンカチを握りしめた。
鈍感王子は長い前髪をぐしゃぐしゃっと掻き上げて、顔を真っ赤にして言った。
「だって貧血が治ったら、俺、貧血姫と本物のお城に行きたいんだ」
「お城?」
「テーマパーク、行こうよ。一緒に」
私は散々迷って、それから縦に1回ゆっくり頭を振った。