◆おまけ◆ 決着つけようぜ?(sideキリオン)
ディオーナ嬢が強制的に帰国させられた数日後。
俺は学園の裏庭に呼び出されていた。
「わざわざ来てもらって、悪いな」
呼び出したのは、ルスト・シェルデン伯爵令息。
アウロラの幼馴染である。
呼び出された意図も理由もまったくわからないけど、アウロラと無関係であるはずがない。
警戒心も露わに眉を顰めると、ルストは「そんなに怖い顔すんなよ」と苦笑する。
「なあ、キリオン。俺たち、そろそろ決着つけようぜ?」
「……決着? なんの?」
「アウロラのことだよ」
「そんなの、もうとっくについてるだろ」
あっさり言い切ると、ルストは一瞬顔を歪ませた。
でもすぐに小さくため息をついて、非難を含んだ声で言う。
「お前って、ほんと腹立つよな」
「そうか?」
「あとから悠々と出てきて、あっという間にかっさらっていくしさ」
「何を?」
「……お前、ほんとにディオーナ嬢とは何もなかったのかよ?」
聞いたことには全然答えないくせに、咎めるような口調でルストが尋ねる。
「ないよ」
「ほんとか?」
「ほんとだよ。ていうか、あのときお前もあの場にいただろ?」
「そうだけどさ……」
俺が隣国ランガルに留学している間、この国では俺とディオーナ・ベルセリウス公爵令嬢が密かに恋仲になったという噂がまことしやかにささやかれていたらしい。
はっきり言ってそんなのは事実無根、根も葉もない噂でしかない。
でもディオーナ嬢の邪な策略のせいで、この国の人たちはその噂を真実だと信じ込んでいたという。ほんと、いい迷惑である。
幸い、すぐにそのすべてが白日のもとにさらされ、俺の無実は証明された。
糾弾の場に居合わせたルストは、実際には俺がディオーナ嬢を一切相手にしていなかったことを知り、ディオーナ嬢が自らその思惑を暴露し自滅する様を目撃していたのだから、今更それを確認するまでもないと思うのだが。
「お前の口から直接聞きたかったんだよ」
「なんで?」
「なんでって、お前にアウロラを任せられるかどうか――」
「それはルストが決めることじゃないだろ」
なんだか妙にイラっとして、俺はルストの言葉を遮った。
ルストはちょっと驚いたように俺を見返して、「まあ、そうだな」とつぶやく。
そして、まったく感情の見えない顔をしながら俺を見据える。
「……お前、アウロラのこと本気で好きなのかよ」
「そうだよ」
「政略的な婚約だったくせに」
「関係ないだろ」
「……どうせ政略的な婚約なんだから、つけ入る隙なんていくらでもあると思ってたんだけどな」
そう言って、ルストが自嘲気味に笑う。
ルストがアウロラに恋情を抱いていたことは、知っていた。
アウロラとの婚約が決まって、定期的に会うようになってから、俺はルストの存在を知った。
アウロラの話の中には、「ルスト」という名前が頻繁に登場した。領地が隣り合っていて父親同士も旧知の仲となれば、幼馴染として仲良くなるのは自然なことだ。
でもルストを語るときのアウロラからは、穏やかな友愛の情しか感じ取れなかった。ただの幼馴染として、友だちとして、家族ぐるみで仲良くしている相手。そんな感情が透けて見えた。だからそれほど気にならなかった。最初のうちは。
学園に入学し、二人が実際にやり取りしているのを目の当たりにして初めて、俺はとんでもない思い違いに気づいてしまったのだ。
友だちだと思っているのはアウロラだけで、ルストのほうはそうじゃない。
ふとした瞬間に見せるルストの愛おしげな笑みに、アウロラを追う切なげな視線に、熱を帯びた瞳の色に、俺は気づいてしまう。
正直、密かに焦った。
やばいと思ったし、絶対にアウロラを奪われたくないと思った。
アウロラは、俺にとっての唯一だったから。
他人に対してさほど興味も関心も持てなかった俺が、ただ一人求めた最愛。衝動と本能に突き動かされ、手を伸ばさずにはいられなかった唯一の存在。
だからこそ、俺はそれとなくルストの行動を牽制し続けた。
婚約者としてアウロラをどこまでも慈しみ、大切にするのはもちろんのこと、絶対に隙を見せることなく、ルストが必要以上に接触してこないよう注意を払い続ける。
ルストはどうやら自分の想いを告げる気がないらしく、アウロラのほうもルストの想いにまったく気づいていなかった。俺は俺で、それを悟らせないよう必死だった。
そんな中、唐突に決まったセンゲル殿下の隣国への留学。
護衛として留学について行くよう指名を受けたとき、なんで俺が? と思ったし、これほど迷惑な話があるか? とも思ったし、もちろん断るつもりでいた。
でもアウロラが「行ったほうがいいんじゃない?」と言ったから、俺は渋々留学を決めたのだ。俺がいなくなってもさびしくないのか? とは聞けなかった。俺はアウロラに相応しい、アウロラに期待されるような人間になりたかったから。
まあ、その結果、惨憺たる展開が待っていたわけだが。
目の前のルストが、俺に取って代わるつもりで虎視眈々と機会を狙っていたことを責める気はない。
そんなのは、当然予想していた。俺がいない間、ルストは恐らく下心をもってアウロラの歓心を買おうとするだろう。いや、絶対する。しないわけがない。
だから俺は、手紙を書き続けた。
たとえ離れていてもアウロラを強く想っていると絶え間なく伝え続けることで、ルストを牽制し、遠ざけようとした。
まさかその手紙が届いていなかったなんて、思いもしなかったが。
しかもそのせいで、知らぬ間にアウロラを奪われそうになっていたことは完全に俺の失態と言わざるを得ない。
それに――――。
「ルスト」
「……なんだよ?」
「俺がいない間、アウロラを支えてくれていたことに関しては、礼を言う」
俺の無機質な声に、ルストは「ははっ」とまた自嘲する。
「なんだよそれ。勝者の余裕か?」
「まあ、そうかもな」
「……いちいち腹の立つやつだな」
「あのくだらない噂に傷ついていたアウロラにとって、お前の存在が救いになっていたのは事実だから」
俺がそう言うと、ルストは無表情で視線を下に向けた。
そして、「あーあ」と小さくつぶやく。
「……傷つくアウロラのそばにいて、俺の想いを事あるごとにアピールし続ければ、そのうちアウロラもお前のことを諦めて俺を選んでくれると思ったんだけどな」
どこか遠い目をしながら、ルストは淡々と言葉を続ける。
「俺がどんなに想いを伝えても、アウロラはお前のことを信じようとしてた。あの噂に惑わされて疑心暗鬼になりながら、それでも『まだわからないから』って言って俺の想いを受け入れようとはしなかったよ」
「……そうか」
「物理的に離れてしまえば俺にもチャンスがあると思ったけど、全然違った。アウロラの心の一番近くにいたのは、いつだってお前だった。はっきり言って、完敗だと思ったよ」
「……だろうな」
感傷に沈む空気を気にせず言葉を返すと、ルストが弾かれたように目を見開く。
「お前なあ――」
「最初からアウロラをルストに渡すつもりはなかったし、奪われる気もなかった。お前が何をしようと、俺はアウロラを手放さないから」
「え」
「だからいい加減、アウロラのことは諦めてくれよ」
「お前……」
「間違っても、幼馴染として一番近くで見守っていこうとか思うなよ。アウロラを一番近くで見守るのも、何かあったとき一番に駆けつけるのも、アウロラを大事に大事に甘やかして世界で一番幸せにするのも、全部俺だからさ」
そう言うと、ルストはあからさまに顔をしかめた。
そして、今度はこれ見よがしに大きなため息をつく。
「……お前とは、マジで仲良くなれる気がしないな」
「俺は最初からお前と仲良くする気などないんだが」
「は? 俺はこれでもアウロラの幼馴染だぞ? ちょっとは仲良くしようと思え! 気を遣え!」
「……え、面倒くさい」
「面倒くさいとか言うな!」
などというやり取りがあったことを、アウロラは知らない。
その後、俺が常にアウロラの横にいることもあって、ルストはアウロラにあまり近づかないようになった。いや、近づけないのか?
アウロラは、時折ルストに対して罪悪感を帯びたような複雑な表情をする。
一途に自分を想ってくれていたルストに想いを返せないことをただひたすら申し訳ないと思っているような、幼馴染を傷つけた自分を責めているような、それでもどうにもできないのだと自らに言い聞かせているような、そんな顔をする。
ルストは多分それに気づいているのだろうけど、以前のようなお茶らけた態度を見せてその場をやり過ごしている。
俺は俺で、多少はルストに気を遣っている。本当は面倒くさいが、ルストのことなんかどうでもいいと邪険に扱ったら、アウロラが喜ばないと思うから。
俺の行動基準は、常にアウロラである。
アウロラが喜ぶのなら、なんだってする。アウロラが笑顔になるのなら、アウロラの憂いを払うことができるのなら、恋敵を気遣うふりをすることくらい、なんでもない。
でも俺の気の遣い方はあまり正しくないらしく、しょっちゅうルストに無言でぎろりと睨まれる。
何が悪いのか、まったくわからない。
仕方がないのだ。俺は他人の心に興味がないし、人の気持ちをわかろうともわかりたいとも思っていない。
俺がわかりたいのは、いつだって一番大事なのは、アウロラの心だけだから。
これで完結です!
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました!