5 世界で一番愛おしい
数日後。
留学初日のすったもんだのせいもあり、ディオーナ様はあっという間に帰国してしまった。
というか、帰国させられた。
すべての目論見が明るみに出て、ベルセリウス公爵家がレアード侯爵家から正式な抗議を受けたこともあるし、我が国の王家もランガル王国の王家も看過することはできないと判断したためである。
個人的な手紙のやり取りを邪魔し続けたとか根も葉もない噂を流したとか、やったことは確かに大したことではない。
でも問題視されたのは、法に触れるかどうかではなかった。
天下の公爵家が、権力を濫用して横暴を振るっちゃダメでしょう、という倫理的かつ人道的な観点だったのだ。このご時世、コンプライアンスは大事ですからね。
ディオーナ嬢とベルセリウス公爵家にどんな処分が下されるのか、そしてどんな社会的制裁が待っているのかは、まだわからない。
でも自分勝手な恋心を拗らせた令嬢の行き過ぎた暴走は、思った以上に大きな代償を払うことになりそうである。
私たちの婚約は結局解消にはならず、キリオンが留学する前と同じような日常が戻ってきた。
いや、嘘です。
留学前より、二年前より、甘いです。なんだかすごく、甘々です。
だって、キリオンがこれでもかというくらい私を甘やかすんだもの。
留学前だってキリオンはわりとまめな人だったけど、今はそのまめさに、なんというか、溺愛というか寵愛というか過保護というか、そういうものがドバドバと追加されて、なんかもう毎日毎日キリオンの強めの愛情で溺れ死にそう。もはや瀕死状態に近い。
「離れてた分、歯止めが利かないんだよ。我慢する気もないけど」
なんてことを、真顔で言うキリオン。
「それに一年以上、アウロラは不安な気持ちを抱えて苦しかっただろう? だからせめて、罪滅ぼしがしたくて」
「それはキリオンが悪いわけじゃないんだし、気にしなくていいのよ。むしろ、二年間欠かさず手紙を書いてくれていたことのほうがうれしいし」
「書いても届いてなかったのなら、意味がないんだよ。そのせいで、アウロラにつらい思いをさせてたことは事実なんだから」
ちなみに、私たちの手紙はすべて無事に戻ってきた。
ディオーナ様は回収した手紙を燃やすことも処分することもなく、なぜか全部取っておいていたらしい。ご丁寧に、封は開いていたんだけど。いちいち中身までチェックしていたなんて、いったいどういう趣味なのだろうとは思うけど。ちょっと謎。
それと、私が出した手紙の数より、キリオンが書いた手紙の数のほうがはるかに多かった。そりゃそうだ。私はディオーナ様との噂を耳にしたあと書くのをやめてしまったけど、キリオンは二年間、欠かさず毎週書き続けたわけだから。ざっと百通はある。すごい数である。
でも読み終わるまでにだいぶ時間を要したのは、数が多かったからではない。
留学が終わりに近づくにつれて、手紙の内容がどんどん激甘というかパッション強めのエロ甘になっていったからである。
最後のほうなんて、「世界で一番愛おしいアウロラへ」から始まって、「会える日が待ち遠しくて、指折り数えている」とか「夢に君が出てきたから、抱きしめて何度も何度もキスをした」とか「早く現実でも君を思いきり抱きしめて、キスの雨を降らせたい」とか、なんなら「直に触れて君のすべてを肌で感じたい」とかちょっともういろいろとギリギリじゃない!? 表現が生々しくない!? ってなって全部読むのに苦労した。やばかった。
「もうすぐ会えるって思ったら、テンションが上がっちゃったっぽい」
そんなことをいけしゃあしゃあと言うキリオンだけど、いくらテンションが上がったからってあんなエロ詩人ばりの文章なんて出てこないですよ、普通は。
でも、キリオンが揺るぎない愛情を示してくれていた一方で、私のほうはキリオンを信じきれていたわけではない。
ディオーナ様が言っていた通り、噂を聞いてキリオンを疑ったし、疑心暗鬼になっていた。ディオーナ様に気持ちが動いてしまったのだろうと、半ば諦めてもいた。
婚約を解消したいと言い出さなかったのは、単に意気地がなかったからだ。
キリオンを信じきれないくせに、自分から別れを切り出すことができなかっただけ。キリオンの口から直接事情を聞くまではと、みっともなくすがりついていただけ。
それに、キリオンとの婚約が解消になったら、ルストと婚約する話まで出ていたのだ。さすがに、何も言わずなんの説明もしないというわけにもいかず、私は正直にすべてを打ち明けた。
「あのときルストが飛んできたのは、そういう理由だったんだ?」
キリオンは、さほど驚いた様子を見せなかった。
いや、ちょっと、というかだいぶ、冷めた半眼をされた。「へー、俺はアウロラを一途に想い続けていたのに、アウロラはそうじゃなかったんだ、へー」なんて言われたら、汗が止まらないし土下座する勢いで謝るしかない。ほんと、ごめんなさい。
「で、でも、確かにそういう話は出てたけど、私はキリオンから直接話を聞くまでは何も決めたくないと思ってて……」
「まあ、あの状況ならそういう流れになるのも仕方がないと思うよ。ルストはずっと、アウロラのことが好きだったみたいだし」
「え、知ってたの?」
「知ってたよ」
顔色を変えることなくさらりと言うキリオンに、唖然としてしまう。
「なんとなく、そうなんだろうなって思ってた」
「私は全然気づかなかったんだけど……」
「まあ、ルストもバレないように必死だったからじゃない? いつもチャラチャラしてふざけた感じを出すことで、うまく誤魔化してたんじゃないかな」
「あー……」
なんだか妙に納得しかけて、ふと疑問に思う。
「……キリオンって、ルストの気持ちには簡単に気づいたのに、ディオーナ様の気持ちにはほんとに気づかなかったの?」
キリオンはまったく悪びれる様子もなく、「そうだね」と即答する。
「正直、ちょっと鬱陶しいっていうか、面倒くさいなとしか思ってなかった」
「……え、じゃあもしかして、留学する前もこっちの学園でいろんな令嬢たちに言い寄られてたけど、そういうのもあんまりわかってなかったとか?」
「あー……」
言われてひとしきり考えてから、キリオンはバツの悪そうな顔をする。
「ああいうのも、そうだったんだ……?」
「……わかってなかったのね」
「だって、令嬢たちってみんな同じように見えちゃって違いがよくわからないし、似たようなことばかり言うだろ? よく知らないのにベタベタ触ってきたり、やけに距離を詰めてきたりとかするしさ。そういうのってなんかこう、得体が知れないというか不快というか」
「あー、なるほど」
「人がどう思うかとか人にどう思われてるかとか、そういうことに俺はそもそも興味がなかったからさ。だから求められてもよくわからなくて、あんまりかかわりたくないなって思ってた」
「まあ、相手の気持ちを無視して自分を押し売りしてくるような人は、誰でも不快に思うしかかわりたくないなって思っちゃうわよね」
「でもアウロラにだけは最初から心惹かれて、もっと知りたいし自分から近づきたいって思ったんだよ」
「え……?」
思わず見返すと、キリオンの菫色の瞳が私をじっと見つめていた。
視線がもう、限りなく、とんでもなく、とろりと甘い。
「なんかよくわかんないけど、気づいたときにはアウロラに触れたくて、手を伸ばしてたんだ」
そう言ったキリオンの手が伸びてきて、私の頬に優しく触れる。
触れたところから焦がれるような熱がじわじわと伝わってきて、なんだか溶けてしまいそう。
「ほかの令嬢たちの気持ちはまるでわからないしわからなくていいけど、アウロラのことはちゃんとわかりたいよ」
艶っぽく甘い声でささやくと、キリオンは私をそっと引き寄せる。
「アウロラがすごく好きだから。アウロラ以外に大事なことなんてないし、ほかのことなんか俺にとってはほんとにどうだっていいんだ」
見上げると、これ以上ないほど愛おしげな目をしたキリオンが柔らかく微笑んでいる。
その笑顔がゆっくりと近づいてきたと思ったら、キリオンはあの手紙の宣言通りに心おきなく何度も何度もキスの雨を降らせたのでした。
本編はこれで完結です。
次話はキリオン視点での「おまけ」です……!