4 忌々しいのはそっちでしょうよ
「……その話、聞き捨てなりませんね」
キリオンが不愉快極まりないといった顔をすると、フェリシア殿下も困ったように小首を傾げる。
「先程センゲルも言っていた通り、学園での様子を正確に描写するとすれば、ディオーナ様がキリオン様を一方的に追いかけ回していたことは一目瞭然。キリオン様はすべての令嬢に対して素っ気なく無愛想でしたし、もちろんディオーナ様に対しても完全なる塩対応でした。でもあるときディオーナ様から、実はキリオン様がディオーナ様の想いを知って受け入れてくれたとお聞きしたのです」
「はあ?」
「わたくしも、はじめはまさかと思いましたわ。でもキリオン様には母国に婚約者がいて、まだ婚約解消に至っていないので自分たちの関係を公にはできない、だからあのような素っ気ない態度をするしかないのです、とディオーナ様がおっしゃって。我が国の由緒正しい公爵家のご令嬢が自らそうお話しされるのですもの、わたくしも一旦はその話を鵜呑みにしかけたのです。でもセンゲルに話を聞けば、キリオン様は婚約者の方をひたすら一途に想い続けていて、ほかの令嬢にうつつを抜かすなど考えられないと言うでしょう? 両者の話に食い違いがあり過ぎて、わたくしも理解に苦しみ、どう判断すべきか迷いましたの」
フェリシア殿下はなおも困惑の表情を浮かべながら、おっとりと言葉を続ける。
「しかもセンゲルによれば、キリオン様は毎週欠かさず手紙を書き続けるほど婚約者の方を溺愛しているご様子。それに比べて、学園でのキリオン様とディオーナ様の関係はやはり一方的なもののように見えました。ですからわたくし、ディオーナ様は何か勘違いをされているか、さもなくば夢でも見たのだろう、と思うことにしたのですが」
フェリシア殿下が繰り出す手厳しい暴露話を聞きながら、私はこっそりディオーナ様を盗み見た。
まさか自国の王女にまでやんわりとディスられるなんて思っていなかったらしいディオーナ様は、目を見開いてぷるぷると震えている。
「センゲルとキリオン様の留学が終わりに近づき、今度は私がこの国に留学するという話が公になった頃、突然ディオーナ様が『わたくしも一緒に参りますので』とうれしそうにおっしゃったのです。さすがにわたくしも、大丈夫かしら? と思ったのですよ? だって、ディオーナ様の勝手な勘違いで、ご自身の将来を棒に振るようなことになりかねないわけでしょう? でもディオーナ様は平然と、『キリオン様との婚約の話が進んでおりまして』などとおっしゃるものですから……」
「そんな話は初耳なんですけど?」
心底意味がわからないというような真顔になって、キリオンが言う。
「いったいどこからそんな話が出てきたんですか? 俺の婚約者はアウロラですし、アウロラ以外の令嬢と婚約だなんて考えたこともありません」
はっきりと、寸分の迷いなく断言するキリオンに、それまでずっとこらえていたものが一気にあふれだす。
「……じゃあ、本当に、キリオンはディオーナ様を好きになったわけじゃないの……?」
涙まじりの声になって思わず尋ねると、キリオンが切なげに私の顔を覗き込んだ。
「当たり前だろ? 俺がアウロラ以外を好きになると思う?」
「だ、だって、こっちでは二人が密かに愛を育んでるって噂になっていたんだもの。学園主催のパーティーでディオーナ様をエスコートしたとか、キリオンがディオーナ様にドレスを贈ったとか……」
「パーティーでのエスコートはどうしてもと頼まれたから仕方なく引き受けたけど、それだけだよ。ドレスだって、アウロラ以外に贈るわけがない」
「で、でも、いつも連れ立って歩いていて、二人の仲はセンゲル殿下もお認めになっているって……」
「あれは連れ立って歩いていたというよりディオーナ嬢がしつこくキリオンを追いかけ回していたと言ったほうが正しいし、他国の公爵令嬢相手にどうしたものかと俺自身困り果てていただけだよ」
なんだか決まり悪そうな顔をして弁解するセンゲル殿下に、フェリシア殿下も同調するようにうんうんと頷いている。
じゃあ、あの噂は何だったの? どういうこと?
みんなの訝しげな視線が、一気にディオーナ様へと集中する。
ディオーナ様はその圧に耐えかねたのか、一、二歩後ずさった。
でも恥ずかしさや気まずさやその他もろもろの感情でどうにも居たたまれなくなったらしく、興奮した様子でいきなりまくし立てる。
「だ、だって、ランガル王国で絶世の美女ともてはやされてきたわたくしがこれほど熱烈にお慕いしているというのに、キリオン様ったらまったく見向きもしないんですもの! それもこれも、母国にいるという鬱陶しい婚約者のせいだと思ったのです! ですからベルセリウス公爵家の力を使って、私とキリオン様が恋仲であるという噂を故意に流したのですわ! そうすればきっと、婚約者はキリオン様を信じられずに疑心暗鬼になって、すぐに婚約も解消になるだろうと……!」
女神と見紛うばかりの美貌を誇る公爵令嬢が、やけくそになって言い募る。鬼気迫る勢いである。ちょっと怖い。
「婚約解消で傷ついたキリオン様を、わたくしがそばでお慰めしようと思ってここまで来たのです! そうすればきっと、キリオン様もわたくしの想いを受け入れてくださると思って! それなのに!」
キッと私を睨みつける、ディオーナ様の殺気がすごい。視線に射殺されそう。美形が怒ると、本当に怖い。
「え、もしかして、手紙が届かなくなったのもディオーナ嬢が……?」
センゲル殿下が怪訝な顔でつぶやくと、ディオーナ様はさも当然とばかりに「そうですわ!」と言い切った。なんかもう、やけのやんぱち状態である。
「離れて暮らす二人にとって、手紙は唯一の通信手段ですもの! 届かなくなったらお互いの状況もわからないし、何より不信感が募りますでしょう!? ベルセリウス公爵家の力があれば、手紙の回収など容易いもの! そのうえ私と恋仲になって一緒に帰ってくるなんて噂を聞けば、キリオン様に愛想を尽かして別れてくれると思ったのです! それなのに、いつまでもキリオン様の婚約者の座にしがみつくなんて、忌々しい!」
ふうふうと呼吸を荒げるディオーナ様に、私たちだけではなく偶然居合わせた学園生全員がドン引きする。そりゃそうだ。見知らぬ美女が、いきなり大声でわめき散らしてるんだもの。何かの見世物? なんて声も聞こえるし。
でも残念ながら、見世物じゃないんですよ?
隣国の由緒正しい公爵家のご令嬢さまなんですよ?
「……ということは」
黙ってディオーナ様の大暴露大会を聞いていたキリオンが、唐突に眉根を寄せる。
「ディオーナ嬢は俺たちの手紙がお互いに届かないよう仕向けたうえに、事実無根の根も葉もない嘘をでっち上げ、アウロラを無駄に不安にさせて俺たちの仲を引き裂こうとしたわけですか?」
「そ、そうよ!」
「……まったく、忌々しいのはそっちでしょうよ」
はあ、と盛大なため息をついたキリオンは、ぞっとするほど殺気まみれの声で言い返す。
「俺はアウロラに不安な思いも寂しい思いもさせたくなかったのに、あなたはそんな俺の想いを踏みにじってすべてを台無しにしたわけですね?」
「だ、だって、そうでもしないとキリオン様は私のことなど相手にしてくれないでしょう?」
「いや、何をしようとあなたを相手にすることなんかありませんけど」
おっと。キリオンの返しがどストレートすぎる。非情すぎてぐうの音も出ない。ディオーナ様が。
「何があっても、あなたが何かをしたとしても、俺の気持ちは動かないし、変わりません。俺が好きなのはアウロラだけで、アウロラさえいればいい。アウロラ以外は別にどうでもいいんで」
「そ、そんな地味な女のどこがいいのよ!? 私のほうがよっぽど――」
「美醜については主観に基づくものなのであなたと議論する気はありませんが、少なくとも、俺にとってアウロラより可愛いと思う女性はいませんね」
「は!?」
「というか、アウロラ以外の女性の顔はあんまり覚えていないんで」
「え!?」
「興味がないっていうか、あんまり記憶に残らないんですよね」
あらま。これは「絶世の美女」ともてはやされてきたディオーナ様にとって、痛烈な一撃である。
見た目重視の、というか、多分見た目でしか勝負をしてこなかったディオーナ様なのに、「興味がない」だの「記憶に残らない」だの言われちゃったら、ねえ。
もはやダウン寸前のディオーナ様を一瞥して、キリオンはまた一つため息をつく。
「……こんなことなら、殿下の留学についていかなきゃよかったよ」
「なんだよ? 俺のせいなのか?」
ちょっと不服そうな顔をしながらも、センゲル殿下は茶化すように笑い出す。
「そうですよ。殿下が留学なんてするから、こんなことになったんじゃないですか」
「俺だってフェリシアと一緒の学園生活を送りたかったんだよ」
「そのおかげで、俺は二年もアウロラと離ればなれだったんですよ? アウロラに『行ったほうがいい』と言われたから仕方なくついていきましたけど、ほんとは面倒くさかったんですから」
「……え?」
なんだか唐突に、とんでもないセリフが聞こえた気がするんだけど。
私は反射的にキリオンの端正な顔を見上げて、そして尋ねる。
「あの、もしかして、私が勧めたから留学したの……?」
「そうだよ。アウロラが、自分のためにも将来のためにも行ったほうがいいって言ったからさ。面倒くさいと思ったけど、アウロラが言うなら、と思ったんだ。だって俺の行動基準は、全部アウロラだから」
「……え?」
「アウロラが喜んでくれるか、楽しいと思ってくれるか、笑ってくれるか。俺にとってはそれがすべてで、それしか考えてない」
けろりと涼しい顔をして、事もなげに、恥ずかしげもなくそんなことを言う婚約者に、私のほうがダウン寸前になった。