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かなしき女王とずきんがらす

 

 幾百の星霜のかなた。


 女神の黒き両翼に守られて、始祖たちはこの地に到った。


 ≪白き沙漠≫の渇きをのり越えたかれらの目に、豊かに広がる緑の野と森とはやわらかき抱擁として。


 また清廉に深みから湧く泉は、黄金色のいのちのかてと映る。


 よってこの地を選び住んだ人びとは、泉をそのまま国の名とし、慈しみ最惜いとおしみつつ呼んだ。


 すなわち ウアラーン と。


 今から綴る物語は、過ぎゆく歳月が暦で記されるようになる遥か前、この国がいまだその古名で呼ばれていた頃の話である。


 泉の国の元首、ウアラーン女王タマーニャは、一人かなしく悩んでいた……。



・ ・ ・ ・ ・



「無理、むり、無理」



 朝日さす窓際の小卓子。


 そこにげんなり両肘をついて座り込み、左右こめかみに両手をあてがって、タマーニャは泣き声で呟いた。



「今日はむり。明日も無理そう。今のわたしには、ほんとに無理むり……」



 うううう、重苦しい頭を振る。


 今朝もやたら早くに目覚めてしまった、その前の晩はなかなか寝付けなかったと言うのに。寝られなくても寝床にいなければならないそのむだ・・時間、必死に考えても彼女は難題をかわすすべを思いつかなかった。


 本日、彼女の宮廷に隣国シーエから使者が来るはずなのである。数か月前から親書が何通も来ていたから、用向きはわかっていた。ずばり、シーエの王子とタマーニャの婚姻お申込みである!


 ご冗談を~~!


 ……と笑い飛ばしたいところだが、今のタマーニャはそもそも笑えない。


 もう、ずうっとこんな調子なのだ……。何もかもが楽しくない、面白くない。


 身の周りに感じ取るすべての事物が、厄介ごとで覆われている気がする……。どうしてなのだろう? 前はこんなじゃなかったのに!



「ううう。ルニエさーん」



 タマーニャは両手で顔を覆い、大好きな人の名前を呼ぶ。


 ルニエと言うのはちょっと年下の、近衛騎士の方である。まじめで目立たない見かけをしている、けれどはにかみながら読まれた自作の詩がすさまじくって、タマーニャは彼の作品に、次いで彼自身に惚れ込んだ。


 だんな様になっていただけますか、と聞いたらいいですよ、と言われてタマーニャは嬉しかった。さっそく話を進めようとしたが、宮廷のおじい執政官の面々は上品に渋い顔を作った。ウアラーン女王の夫の肩書が、詩魂あふれるひら・・近衛騎士、というのはちょっとさすがに弱い・・らしい。


 絵になると言うか詩にはなりそうだが、もうちっと現実的な箔をつけませんかと女王はなだめすかされて、ルニエさんが近衛騎士としてそこそこ昇進するのを待っていたのだった。……そんな折での、この縁談である。ほんとに冗談じゃない!


 玉の輿の婚約・内定取り消しの危機に遭い、タマーニャからやんわり遠ざけられたルニエさんは、かわいそうに毎日しょんぼりした風でウアラーン宮の警備についている。


 そういう彼を遠くに見るだけで、自分の力では何にもできないタマーニャは心をすり減らしていった。


 タマーニャ自身のために、ウアラーンのために。シーエからの提案は何がなんでもご丁重にお断りしなければならないのに、それを実行できる自信がいまの女王にはなかった。



――口の立つシーエの騎士どもに弱いところを突かれ、うっかり言質げんちを取られるような事態になっては……!



 最悪な予想ばかりしてしまう。


 東の隣国シーエは、軍馬を多く有して騎士団戦力を誇っている。これから先、並び立つ都市国家群の中でも筆頭をあらわしてゆくであろう。そういう大国にのみこまれるべき小国、としてシーエがウアラーンを下に見ていることを、タマーニャははっきりと認識していた。だからこそシーエ王室は、女王である自分との婚姻関係でもって徐々に内から攻めてくる・・・・・つもりなのだ。ウアラーン王家にシーエの血縁が濃くなったところで、はい併合~~……いや、冗談ではない。


 ルニエさんとウアラーン主権とを一挙に失う不安が、タマーニャの胸の中で際限なくふくらんでいった。


 ああ最悪も最悪、けれどその筋書きをやぶって捨てるには自分の毅然とした態度が必要なのであって、さらにその毅然とした態度には底力が必要なのであって、その底力が今のタマーニャには……もんもん……。


 こッ、 ……こッ……。



「?」



 両手を顔からはずし、タマーニャは妙な音のする方を見た。


 女王の居室、鎧戸よろいどを上げた窓辺に鳥の姿がある。タマーニャは思わずのけぞった。



「きゃッッ」



 それもそのはず。こまどりだのすずめだの、窓辺において絵になるような、かわいい小鳥ちゃんではない……。ずんぐりふっくりした、でっかいずきんがらす・・・・・・がタマーニャに向かって首を振っているのだ! ああ、何だか窓が小さく見える!


 まっ白いもこもこ胴体部分に、羽と脚がくっきり黒い。それこそ黒い頭巾をかぶったように見える顔の中で、黒曜石みたいな目がくりくりと輝いていた。これって危ない鳥だったかしら、……タマーニャは思わず腰を浮かせた。



「……あら??」



 しかし、女王はふと気づく。ずきんがらすは真っ黒いくちばしの先に、何かをくわえているように見える。


 凝視してタマーニャは小首をかしげた。それは、一輪のばらの花ではないか!



――……からすって、お花食べるの?



 頭の重さを一瞬忘れて、タマーニャは純粋な好奇心からますます首をかしげた。それに合わせるかのように、ずきんがらすも小首をこきゅっとかたむける……。



――うわぁ、かわいい!



 それで女王は、そうっと立ち上がり窓辺に歩み寄った。ずきんがらすは逃げるどころか、くちばしをくいくいと動かしている。その素振りはまるで、タマーニャにばらの花を差し出しているようだった。



「……わたしに、お花をくれるの?」



 そうだよ! と言いたげに、ずきんがらすは首を伸ばしてくちばしを開けた。ふわり……! ばらの花は、タマーニャの差しのべた両手のひらの中に落ちる。その途端、すばらしい花の芳香がタマーニャの頬をなで、鼻孔に満ちた。女王は言葉を失った……。ずいぶん久し振りに、花の香りをかいだ気がする。



――ばらの花! こんなにすてきな香りだったかしら……!



 両の口角が、ゆっくり自然に持ち上がっていった。笑い方を忘れていたウアラーン女王は、かなり長い時間の後にようやく微笑むことができたのだ。


 それを見届けたずきんがらすは、ふわりと羽ばたく。



「えっ? あら、あらら……」



 ぱさり! びっくりするほど優しく軽く、ずきんがらすはタマーニャの左肩に飛び乗った。首をのばしてタマーニャの手中からばらの花をくわえ取ると、それを女王の左耳の上、髪の中にさし込んだ。


 タマーニャはびっくりしていて動けない。ぱささっ。鳥は再び羽ばたいて、今度は壁際の鏡台の上に着地した。



「鏡を見ろって言うの? ……まあ」



 縦長の鏡の中には、タマーニャが映っている。


 少し前、侍女に髪を結ってもらった時はどんより暗く曇っていた顔が……別人のようだった。


 からすの挿したばら、……ばらだからばら色としか言えないのだが、ここ一番の曙光を閉じ込めたようなその明るい色彩がタマーニャの金髪を驚くほどに引き立てて、あんなにどす黒かったくま・・も目立たない。


 百花蜜色の陛下のおぐし、はにかみながらそう言ってくれたルニエさんの笑顔が頭の中いっぱいに思い出されて、鏡の中のタマーニャの頬が少しだけ赤みを帯びる。



「この長衣だって、さっきまでは野暮ったく感じたけれど……」



 本当に不思議だった。印象がまったく違ってきている。



「ああ、そうか……!」



 同色の浮き刺繍を施された白灰色の長衣、その意匠がばらの花だったのだ。



「白ばらの花束に、赤いのが一つぽつんと浮き出たみたい! すごいわ、からすちゃん。あなた、わかってやっているの?」



 からすは鏡台の上、白い胸の羽をふくらました。えへん!



「ありがとう。……何だかちょっと、元気が出て来たわ。あなたのおかげよ」



――陛下。そろそろ、お時間です……。



 居室の扉の向こうから、近衛騎士の声が聞こえる。ふわり……! ずきんがらすは静かに、窓の外へ飛び去った。


 タマーニャは鏡台脇の衣かけから紫紺の外套をとって羽織り、ウアラーン女王の正装となる。


 ばらの芳香は依然として、タマーニャを包み込んでいた。まるで彼女を、守り励ますかのように。



「……わたし、頑張れるかもしれないわ。ありがとう、からすちゃん」



・ ・ ・ ・ ・



 そうして出迎えたシーエの騎士たちは、やっぱりいけ好かない面々であった。


 草色外套を羽織ったごついのが三名、細いのが一名。この細いのが筆頭使者である。彼は小さなウアラーン宮廷の中央で、シーエ王子と縁組することの利点を長々と並べ立てるように述べた。


 対する玉座のタマーニャは、それを黙って聞いている。


 使者の言う利点と言うのは、つまりシーエの国益なのだった。やがてはウアラーンを属国として飲み込み、一帯に散在する都市国家群の中で≪東の雄≫としての位置を確かなものにしよう、という明らかな方針が見てとれる。


 ばらの香りがタマーニャを励ます。


 絶対にのんではいけない申し出だと、女王以下紫紺外套のウアラーン騎士団は心中で上品に顔をしかめた。


 シーエ騎士らは数日間滞在する。その間に後腐れのないやり方で、きっぱりと提案を断らなければならない。



「使者ご一行におかれましては、シーエからの長旅お疲れ様でございました。明朝の審議再開まで、どうぞゆっくりご休養ください」



 笑うことなく、玉座上から慇懃ぴしりと低く言った女王の言葉には、タマーニャ本来のしなやかさが戻っていた。


 紫紺外套のウアラーン執政官らは、そこにはっと希望を見出す。


 一方でシーエ騎士の使者一団は、にこりと笑顔をたたえて礼をした。とくに一番細いくせ、いちばんでかい顔をした筆頭の使者が、余裕ある笑みを女王に向けている。



〇 〇 〇 〇 〇


 みなさまおはようございます、作者の門戸もんこでございます。


 「ずきんがらすの侍女」冒頭をお読みいただき、誠にありがとうございました。よろしければブックマークやご評価などをお願いします。


 本作品は全5エピソードの短期連載作品です。次回の更新は7月2日の朝7時を予定しております。


 (門戸)

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