心の奥に触れれば
2人で路上の隅に座り込んだ。
動くのを止めると汗が肌に張り付いて体が冷える。
地下の檻にいた頃とは違って風が吹いているのもより一層寒さに拍車をかけていた。
それでも耐えられない程じゃないのは、檻の中で毎晩と水を浴びていた成果なのかも知れない。
横に座るスギモトを見ると寒そうに肩を震わせている。
俺は少し迷った後に彼女の肩にローブをかけた。
嫌がるかと思ったが、彼女は意外そうにこちらを見ただけだった。
「あなたが寒いじゃない」
「走って暑いくらいだ」
「そんな訳ないでしょ」
「良いから使っとけ、俺の言う事聞くって約束しただろ」
スギモトの服装は黒を基調としたスカートに白のブラウスを付けているものだ。
普段の印象とは違い清楚な印象の装いだが、彼女の茶髪によく似合っている。
しかし春先に着るようなその服装は今の状況には合っていない。
俺に比べてスギモトの方が寒そうな格好をしているなら、ローブは彼女が使うべきだろう。
そう思っての行動だが、スギモトはあまり納得していなそうに見える。
「あなたって変な人ね」
「どういうことだ?」
「私のことなんて置いて逃げれば良かったじゃない」
「スギモトが必死になって置いてかないでって言ったからな」
睨まれてしまった。
眼光が鋭すぎて怖い。
「あなたって優しすぎるわ。正直気持ちが悪いくらいに」
俺が優しいか、一度は置いて立ち去ろうとした相手に意外な事を言うもんだ。
「気持ちが悪いって酷い言い草だな。それに俺は大して優しくないぞ」
優しいならすぐにスギモトを檻から出して助けている。
「自分で言うのも何だけれど、私って性格が悪いわ。自分さえ良ければそれで良いと思ってるのよ」
スギモトはどこか遠くを見つめながら、そんなことを言い出した。
だが俺は彼女のことを性格が悪いとは別に思わないな。
冷たくて孤独な奴とは思うが。
それでも少なくとも檻から出たときアオイのことを心配していた。
その時点で自分さえ良ければどうたらこうたらの発言は矛盾している。
あれが俺の気を引くための演技だとしたら流石に性格が悪いと認めざるを得ないが、そうは思えない。
「その代わり、私は人から優しくしてもらえるとも思ってないのよ。その権利がないもの」
「そりゃまた極端な考えだ」
捻くれた考えだと思う。
優しくするとかされるとかに権利も何もないだろ。
「でもあなたはそんな私に対しても優しい」
「あんまり覚えが無いな」
俺は別にスギモトに優しくした覚えなんて無いぞ。
思い当たる節がない。
「だから変なのよ。最初は他の人達のように下心があると思ったけどそれも違う。理解できなくて、気持ち悪いわ」
結局は気持ち悪いのかよ。
褒められてるのか貶されてるのかハッキリしないな。
「じゃあ逆に聞くが、俺がいつスギモトに優しくしたんだ?」
「……本気で言っているの?」
信じられないものを見るような顔をされてしまった。
疑っているともいえる。
何なんだよ一体。
「当たり前だろ」
「図書館で私を助けたことは?」
「あれは誰だってそうするさ」
「牢屋の中から助けだしてくれたことは?」
「一度は置いていこうとしたけどな」
「急いで逃げているのに、あたしの速さに合わせてくれていたのは?」
「俺も足が痛かったんだよ」
「このローブを貸してくれたのは?」
「寒い方が着るのが効率的だろ」
「ふざけないで」
「俺は至って真面目だ」
何で俺が優しいか優しくないかで言い合いになってるんだろうか。
というかスギモトと2人きりでこんなに話してるなんて少し前の自分に言っても信じないだろうな。
今なら聞けるだろうか。
俺が彼女に対して、ずっと気になっていることを。
「なぁスギモト、変なこと聞いていいか?」
「なによ」
「スギモトは俺のこと嫌いなのか?」
「別に……嫌いじゃないわよ」
「なら俺のことが怖いのか?」
口に出した途端に明らかに空気が変わった。
踏み込みすぎた発言だったことに遅れて気づく。
「はぁ?どうしてそうなるのよ。あなたのことなんて別に怖くないわ」
口では否定しているが、顔には明らかな動揺が浮かんでいた。
俺はすぐに謝罪しようと思ったが、逆に今しか聞けないともおもった。
どのみち彼女とはこれから長い付き合いになる。
そんな根拠のない考えもあった。
だから俺は更に彼女の内面に踏み込む。
「じゃあ、男が怖いのか?」
「っ、違う!!」
ヒステリックな声をだして、彼女は否定する。
これ以上は本当にヤバそうだ。
既に取り返しが付かない可能性もあるが。
「悪い、変なことを聞いた」
誰だって心の中に触れられたくない闇を抱えているものだと思う。
そこに土足で踏み込む真似だけはしたくない。
スギモトは下を向いて黙ってしまった。
傷付けてしまったのは間違いないな。
しばらくはそっとしておくのが賢明だろう。
俺も下を向いて、あわよくば寝れないものかと目を閉じた。
「ねぇ、私ってそんなに怯えているように見えるの?」
体感で10分ほど経っただろうか、ようやく眠気が襲い始めた頃にスギモトが再び口を開いた。
てっきりもう話すつもりは無いと思っていたから意外だ。
見ると顔は下を向いたままなので、怒っているのかどうか分からない。
「正直に言えば見えるな」
俺は眠い目を擦りながらそう正直に答える。
一貫して彼女はずっと他人を拒絶しているが、俺にはその裏に怯えのようなものが感じとれていた。
今思えば、強気な態度もその裏返しのように感じる。
「あの気色悪い商人にも言われたわ。笑えるわよね」
そう言って彼女は自嘲気味に笑った。
「ほんと、滑稽だわ」
普段の様子とは違い自虐的な声だ。
まるで全てがどうでもよくなったかのような話し方をする。
その様子は何だか危うく見えて、俺はスギモトの肩に触れた。
彼女の体は一瞬ビクッと震えたが、前のように強い拒絶はない。
「怖いのか?」
「…………ええ。怖いわよ、恐ろしいわよ。足が、声が、震えるのよ。だって、そんなのっ、しょうがないじゃない」
彼女はそう言って怖いと認めた。
その声は確かに震えている。
俺はさっきまで他人の闇に土足で踏み込む真似はしたくないと思っていた。
それは今も変わらない。
けれど今の彼女の様子を見ていたら、放ってはおけないと思い始めてもいた。
もう彼女のことを他人だとは思えなくなっている自分がいる。
例え土足で心を踏み荒らすことになっても、ここで彼女と無理矢理にでも関わらなければ、二度と彼女を理解することは出来ない。
──そんな気がした。
だから俺は無理矢理にスギモトの手を掴んで押さえつけ、後ろに押し倒す。
「──っ、な!?ちょっ、やめっ」
馬乗りになるような姿勢になって、下を向いていたスギモトの顔がハッキリと見えた。
その顔は泣いていた。
涙でクシャクシャになった顔だ。
いつものクールな雰囲気や面影はなく、ただ幾分か幼く見える少女が不安と恐怖に怯えていた。
スギモトは抵抗をしようと藻掻いているが、男の俺に馬乗りになられては抜け出すことは難しい。
俺が押えつけ続けていると、やがて抵抗するのも諦めて、ただ怯えたようにスギモトは俺の顔を見つめる。
そのまましばらく時間が流れた。
ただ俺はスギモトを押えつけて、正面から見つめ合っている。
何をするでもなく、ただ彼女を見つめる。
「まだ怖い?」
じっくりと間を置いてから、再びそうスギモトに尋ねた。
彼女は黙ったまま答えない。
「俺が怖いのか?」
俺はもう一度尋ねる。
あえて口調を強くしてみた。
「怖いわよっ」
涙で湿り、怒りと悲痛を帯びた声で彼女は答えた。
「だから泣いてるのか?」
俺はそんな分かりきったことを聞く。
この質問にまた彼女は黙って答えない。
「可哀想に」
その言葉を聞いた途端に、明らかに彼女の目が変わった。
焦点が合わなくなり、ただ遠く遠く何処かを見つめているようにみえる。
「──ふざけるな」
彼女は激高したように低い声を喉の奥から出す。
顔は紅く染まっている。
「何が可哀想だっ!人の人生めちゃくちゃにしておいて!!信頼してたのに!大好きだったのに!それなのに裏切って!お前のことなんて忘れてようとして!なのに、なのに、急にこんな意味分からない所に連れてこられて!どうして私ばっかり!どうして!!」
心の奥底からどす黒い感情をただ吐き出す。
どうやら俺が別の人物に重なって見えているようだった。
一体彼女の目には誰が見えているのだろう。
「私は、ただ普通に生きたいだけなのに……。皆して邪魔して、嫌いだ、全員大っ嫌いだ!!」
そう言って彼女は俺を睨みつけた。
涙を流し、唇を噛み締めて、血を流しながら睨みつける。
「サヤカ」
俺はそんな彼女の手を離して初めて彼女の名前を呼ぶ。
なるべく優しい声を心掛けて呼ぶ。
手を離した途端に顔を殴られたが、大して痛みはない。
痛いのは心のほうだ。
「辛かったな」
まっすぐに見つめたまま俺がそう言うと彼女は体中の力が抜けたように脱力する。
今度は声を出して泣き出した。
赤子のように声を上げて泣く。
「大丈夫だ、俺は敵じゃない。約束しよう。俺は絶対にサヤカを傷付けない」
泣き叫ぶスギモトに俺は語りかけた。
傷付けないと一方的に約束した。
それは彼女が可哀想だからじゃない、俺が彼女に同情したからでもない。
俺が彼女の事を信頼することにしたからだ。
自分でも何で彼女の事を信頼出来ると思ったのかは分からない。
ただ彼女の内面に触れ、そこにある感情の一端を見て、彼女は信頼に足る人物だとそう思った。
だから今は彼女も俺を信頼してくれることをただひたすらに切望する。
孤独な彼女が俺を信頼してくれることを身勝手にも望んでしまう。
俺が上から降りても彼女は泣き続けた。
今の行いで間違いなく嫌われてしまっただろうな。
それでも俺は彼女の内面を垣間見て、その闇に触れる事ができた。
それが正しい事だったのかどうかは分からない、だがそれを正しい選択だったと言えるようにこれから証明していくだけだ。
それから彼女が泣き止むのには随分と時間がかかった。
人通りの少ない路地で助かった。
暗く静かな街の中で、俺達の声はよく響く。