絶望の序章
何回か道を曲がったりしながら進んで行くと、次第に街灯が減り、人気の無い場所に入っていった。
道もだんだんと狭くなってきている。
「あとどれくらいで着きそうですかね?」
中々着かないので、ジンが痺れを切らしたようにそうたずねる。
「もう少しですよ」
それに対するセラムの返答はアッサリとしたものだった。
適当とさえ取れる返答だ。
もう少しとはどれくらいだろうか、人によって解釈が分かれることだけは確かだな。
「随分と静かな場所っすね」
「騒がしい方がお好きですか?」
「まぁどちらかと言えば」
「そうですか。私は静かな方がずっと好きです。逆にうるさいものは嫌いと言ってもいい」
それは遠回しに仁のことをうるさいと言ってるようにも取れる発言じゃなかろうか。
ジンもそう捉えたのか、それ以上喋ることもなく静かになった。
再び馬車の中に沈黙がおとずれる。
「突然ですが、皆さんは何か信じているものはありますか?」
かと思えば今度はセラムの方から口を開いた。
唐突にきた怪しい宗教勧誘のような質問に戸惑ってしまう。
「私はあります。皆さんはどうですか?」
しかしそんな俺達の反応など意に介さないようにセラムは続ける。
「ツトムさん、貴方はどうです?何を信じていますか?」
「えっと、──家族ですかね」
やや考えて俺はそう答える。
「ジンさんは?」
「強いていうなら努力っすかね」
「アオイさんは?」
「……あたしも家族です」
「サヤカさんは?」
「…………」
「なるほど、皆さん良いものを信じていらっしゃる」
セラムは満足そうに笑った。
スギモトに無視されたことは気にもとめていない。
「私はね、私の信じるものを信じています。例えば私がオオカミであることとかね」
「オオカミ?」
元の世界でいうあの狼のことだろうか。
──意味不明だ。
「ええそうです。ご存知でしょうが、この国アダルウォルフの王家の家紋は狼です。……ではこの国でウサギは何を意味すると思います?」
「すみません、話がよくわからないんですが」
急に饒舌に話し始めているが、言ってることがよくわからない。
ウサギか、そういえば門を通るときに俺達の事をラビットと言っていたな。
何か関係あるんだろうか。
「ウサギはね、この国では捕食される側、つまり奴隷のことを意味します」
「はい?」
予想外の言葉に素っ頓狂な声がでる。
いつしか馬車は止まっていた。
「私はね、私の信じるものを信じています。その中に貴方達は含まれていませんよ」
「どういうことで──っ!」
正面に座ったままこれまで一言も喋らなかった無愛想な男が、突然立ち上がり俺のみぞおちを殴った。
予想外の攻撃に何の構えもしていなかった俺は、肺の空気を全て吐き出して倒れ込んでしまう。
アオイが悲鳴を上げる声が聞こえた。
「てめぇ!!」
ジンが俺を殴った相手に殴りかかろうとして、
──顎を打ち抜かれて気絶した。
「さてと」
アオイは蛇に睨まれたカエルのように動けない。
クソっ、逃げろ、アオイ。
スギモトは俺達が殴られるのを見て、馬車から逃げようとする。
所がいつの間にか馬車の周りを取り囲んでいた男達に為す術もなく捕まった。
「サヤカさんでしたっけ?駄目ですよ警戒するならもっと徹底的にしないと。騒ぐだけじゃただのうるさいウサギさんだ」
そういって──セラムはスギモトの目を舐めた。
スギモトは青ざめた表情で抵抗するが、大人の男に押えつけられてはそれも無意味だ。
「何が、……目的だ」
俺は掠れる声で何とかそう絞りだす。
「強いていうなら金ですよ、私は商人ですから。ウサギさん専門のね」
そう言ってセラムは自慢げに笑う。
気持ち悪い笑顔だ。
「連れて行け」
「はっ」
手を後ろで拘束されて、乱暴に引っ張られる。
アオイも同じように乱暴に引っ張られて、足がもつれ転んでしまった。
「アオイ!!」
「おにぃちゃん、怖いよぉ」
ここまで泣かずに耐えていたアオイが、決壊したように泣き出す。
その姿はとても幼く、いっそう小さく見えた。
脳裏にナツキの姿が重なる。
俺は何をしてるんだ。
妹が泣いてるんだ、助けなきゃ駄目だろ。
同じことを2度も繰り返すのか。
それは、それだけは、駄目だろ。
全力で両腕に力を込める、脳の血管が破れる
のでは無いかと思う程に強く。
すると、鉄製の拘束具が──弾け飛んだ。
「バカなっ!?」
俺を押さえつけていた男が驚いた声を上げるが、俺の耳には入らない。
今はただアオイを助ける、それだけだ。
押さえつける手を振り払いアオイの所に駆け出す。
「──っ!」
だが走り始めてすぐに強い衝撃を頭に受けて視界が揺らいだ。
脳震盪を起こして上手く立つことができない。
「まさか身体強化の魔法を使えるとは。これはひょっとしたら掘り出し物かもしれませんね」
どうやら突然俺の横に移動したセラムに、剣の鞘で殴られたことを遅れて理解する。
「アルデラ草原の中をあんな軽装で歩いていた事といい、一体貴方達は何者なんです?」
何者かって?突然意味の分からない事に巻き込まれた、ただの一般人だよ。
「まぁいいでしょう。売ってしまえば関係ありませんし」
セラムは興味を無くしたようにため息をついて、今度はアオイの顔を覗き込む。
「お前の大好きな兄を殺されたく無ければ静かにすることだ」
脅すように低い声でそういった。
葵はビクッと体を震わせて、口元を手で塞いで嗚咽する。
「貴方も少し大人しくしていて下さい」
再び俺の方に振り向いて、セラムは剣の柄を大きく振り下ろした。
俺の意識は痛みと共に刈り取られ、深い闇の中に落ちていった。
何処からか、うめき声が聞こえてくる。
かと思えば次は叫び声がこだました。
俺は何をしてるんだったけ?確か今日は俺の誕生日で、姉貴が帰ってきて、その後墓参りをして、アオイと一緒に外に出掛けて───
「アオイ!──っ!」
勢いよく起き上がり天井に頭をぶつける。
「おー、起きたかツトム」
見るとジンがあぐらをかいて狭そうに屈んでいた。
「ここは……」
「ひっでーよな。こんなところに押し込めやがって。俺達は犬かってんだ」
見渡すと狭い箱のような形状をした檻の中に閉じ込められていることが分かる。
天井の高さは1メートル程度しかない。
正面には格子が嵌められていて、周りの様子が窺えた。
どうやら石で出来た広い部屋の中に、俺達の入っている檻と同じようなものがいくつも置かれているようだ。
中には2段重ねて置かれているものもある。
照明はいくつか松明のようなものがあるだけで部屋の中は薄暗い。
何処となく異臭が漂っていた。
「犬じゃなくて兎だ。聞いてくれジン、あのセラムとかいう奴は奴隷商人だった、俺達は恐らくその商品だ」
俺は真っ先に気絶したジンに事情を説明する。
「やっぱりそーゆーことか、あのクソ野郎、俺は最初から怪しいと思ってたんだよ」
目を細めてジンは最初からセラムを疑っていたと主張する。
真っ先にあの馬車に乗り込んだのはジンだった気がするが……。
「なぁツトム、妹さんは、それにサヤカの奴はどうなったんだ?」
仁が聞きづらそうにそう尋ねてくる。
「…………分からない」
俺も途中で意識を失ってしまった。
奴隷とする以上は二人とも生きていると信じたいが、結局の所は分からない。
「そうか……」
気まずそうにジンが顔を伏せた。
「悪い」
「なぁツトム、お前大丈夫か?」
「え?」
「いや、今のお前の顔相当ヤバいぞ。あんまり思い詰めんなって。あの状況じゃ誰だってどうすることも出来なかったんだよ」
どうすることも出来なかった──本当にそうだろうか?
少なくとも怪しいと感じる場面は何回もあった筈だ。
それなのに俺は最悪の想像をしないで、たかだか寒いからという理由で馬車に乗り続ける選択をした。
その結果が今のザマだ。
冷たい檻の中で無力感に打ちひしがれながら、ただ無事を祈ることしかできない。
「ジン、俺はどれくらい気絶してたんだ?」
「さぁ?俺もさっき起きたばっかだからな。だがそんなに長い時間はたってないと思うぞ」
「そうか」
石で囲まれた薄暗い部屋の中では今が朝か夜かの確認すら取ることができない。
「まぁどっちにしても出来ることなんてないんだから今は大人しく寝てようぜ」
そうだ。
今更何を後悔したって出来ることなど何も無いのだ。
「ははっ、いつもそうだな」
「何だよ怖ぇよ」
急に笑い出した俺にジンがギョっとしたような顔をする。
「なんにも変わってねぇよ」
「一体どうしたんだよ」
「お前もそう思うだろ?」
「思わねぇよ、てか何がだよ」
「ハハっ」
「おい勉」
「ハハハハハハっ」
「おいっ!」
ジンが俺の肩を掴んで揺さぶった。
正面から真っ直ぐ見つめられて必然と目が合う。
「何笑いながら泣いてんだよ、お前」
「え?」
気付けば頬を涙がつたっていた。
「だからあんまり自分を攻めんなって。きっと皆無事だよ。お前がしっかりしねーとアオイちゃんも不安になっちまうぞ」
「ああ」
様々な感情が混ざって取り乱してしまった。
今日だけで色々な事が起こりすぎて脳のキャパシティは既に限界を超えている。
「すまん、もう大丈夫だ」
「頼むぜほんと」
ジンの言う通り今は少し寝よう。
狭い檻の中で体を丸めて横になる。
たが冷たい床の上で寝れる筈などなかった。