空気は冷える
俺達が乗って少し手狭な馬車の中で、ガタゴトと揺られながら進んでいく。
俺としては今のうちになるべく情報を集めておきたい。
セラムと名乗った人物は少なくとも表面上では友好的だった。
他にも馬車を操る人と無愛想な顔の人もいるが、あまり交友的では無さそうな雰囲気だ。
ひとまずはセラムと名乗る男に色々聞いたほうが良いだろう。
アオイの握る手からは震えが伝わってくるし、スギモトも相変わらずといった様子だ。
ジンは少し浮かれた様子で外を眺めている。
俺がしっかりしないとな。
「助かりました。親切にありがとうございます」
取り敢えず愛想良くお礼を言っておく。
作り笑いはここ1ヶ月の学校生活でかなり上手くなった。
「いえいえ、これも何かの運命ですよ」
しかしこのセラムとか言う男の笑みが妙に引っかかる。
まるで俺と同様に作った笑顔を貼り付けたような少しの違和感。
あまり緊張感を解かない方が賢明かもしれないな。
アオイも俺からピッタリくっついて離れない。
「それにしても広い草原ですよね」
「ええ、美しいです。貴方達はここまで歩いて?」
「まぁ一応はそうです」
「そんな軽装で良くぞここまで歩いて来られましたね」
そりゃそう思うよな。
草原の中を歩くには俺達はあまりにも軽装すぎる。
あまり会話をしているとかえってコチラが怪しまれる可能性もあるか……。注意しよう。
「大変でしたよ。実は途中で荷物を落としてしまいまして」
「それは災難なことですね」
苦しい言い訳だが、セラムという男もあまり詮索はしてこない。
それがかえって見透かされているような気分で、居心地が悪い。
「全くですよ」
だから俺も軽く受け流しておいた。
「所で、そちらの可愛いお嬢さん方は妹さんですか?」
「ええ、こっちの小さい方が僕の妹で、そっちはジンの妹です」
怪しまれないようにスギモトはジンの妹って設定にしておく。
ジンは背も高いし違和感はないだろう。
「ほぅ、随分と物静かなお嬢さん達ですね。名前を伺っても?」
「こっちがアオイでそっちがサヤカです」
「私はお嬢さん方に聞いているのですよ」
そういってセラムは笑顔で2人の方をみた。
「……アベ……アオイです」
「…………」
アオイはたどたどしくも震える声で何とかそう答える。
しかしスギモトは完全に無視だ。
「え~と、コイツ実は喋れないんですよ。気を悪くしないでやって下さい」
ジンが慌ててそうフォローする。
ナイスアシストだ。
「そうでしたか、それは若いのに気の毒なことだ。実に嘆かわしい」
「そうっすねー。お前ももっと愛想良くしないと駄目だぞ、勘違いされるんだから」
そういってジンがスギモトの頭を軽く小突く。
「勝手に人のことを喋れなくするの止めてくれないかしら」
だがここでまさかのスギモトが口を開いた。
「おまっ!何してんだよっ、」
ジンは明らかに狼狽えた様子だ。
一体スギモトは何を考えているんだ、これじゃあ俺達が嘘をついているのがバレバレだ。
「これはこれは、可愛い声のお嬢さんだ」
しかしセラムはさして驚いた様子もない。
「あなた、一体何を考えているの?」
冷めた声で杉本がセラムにそう問いただす。
「何を、とは難しいですね。強いていうなら貴方達のことでしょうか」
相変わらず笑顔で掴みどころのない反応をする男だ。
「その気持ち悪い笑顔をやめてくれないかしら?」
これ以上状況を悪くするなという俺達の願いも虚しく、スギモトがセラムの浮かべる笑顔を気持ち悪いと言い切った。
セラムの表情から笑顔が消える。
「おいっ、いい加減にしろよっ。親切にしてくれてる相手に失礼だろ」
ジンは完全に怒った様相で杉本を止めようとする。
「大丈夫ですよ、気にしてませんから」
だがそのジンを止めたのは驚くことにセラム本人だった。
穏やかな口調だが、顔からは笑顔が消えていて不気味だ。
「お嬢さん、一体全体何をそんなに怯えているのですか?」
「っっっ」
セラムの言葉にスギモトは苦虫を潰したような顔をする。
「大丈夫ですよ。私はね、助けたいだけですから。これまでの人生で受けてきた多大なる恩を、私は返したいのです。例えそれが見ず知らずの相手でもね」
また笑顔になったセラムのその言葉に、スギモトは無言に戻って、不機嫌そうに窓の外を向いてしまう。
「いやー素晴らしい考えっすね、感動ですよー」
ジンが何とかセラムのことを持ち上げるが、馬車の中では地獄のような空気が流れてしまっていた。
……まじでもうお家に帰りたいよ。
その後も地獄の空気のまま数十分ほど、馬車に揺られていると、目の前に巨大な壁が見えてきた。
高さは25メートル程だが、横幅が異様に長く続いている石の壁だ。
暗くなり始めた中でも、ハッキリとその大きさは見て取れた。
圧巻の迫力だ、見るだけで圧倒される雰囲気がそこにはあった。
「すげぇ」
その光景にジンが感嘆の声を漏らす。
しかしこれで確定になってしまったな、
……間違いなくここは異世界だ。
少なくとも元いた世界でこんな巨大な壁に囲まれた街を俺は知らない。
全くどうして俺達は異世界にいるのか、その答えはどれだけ考えようとも分かる筈が無かった。
「つきましたね、ここが中央国家アダルウォルフです。見るのは始めてですか?」
「ええ始めてです。凄まじい大きさですね」
「この世界で最も立派な国ですよ」
セラムは誇らしげにそう語る。
この世界が異世界だと分かった以上は、これから価値観や文化を学ぶ必要もあるかも知れないな。
少なくともこの世界に来た理由すら謎な内は、帰る方法だって皆目検討もつかない。
「お兄ちゃん……」
アオイもここが異世界であることを完全に察したのか、不安げな瞳でこちらを見つめてきた。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「大丈夫だよアオイ、何も心配いらない」
俺の口から出た何の根拠も無い言葉は、果たしてアオイを安心させる為に言ったのか、それとも自分自身に言い聞かせる為に言ったのだろうか。
ただ俺はなるべく穏やかな口調でそうアオイに言って、頭を撫でる。
それくらいしか、出来ることがない。
「門についたら静かにお願いしますね。私が話を通しますから」
「何から何まですいませんねーホントに」
スギモトの件から仁はずっとヨイショモードだ。
セラムは俺達の事をどう思ってるのだろうか、少なくとも馬車から投げ出されることは無かったが。
嘘がバレた挙げ句に面と向かって気持ち悪いって言ったからな…。
普通の人ならブチギレていてもおかしくない。
むしろ怒らないのが不気味だ。
街に付いたらもう関わらないのがお互いの為にもいいだろうな。
そんなことを考えていると、やがて正面にこれまたデカい門が見えてきた。
両脇には甲冑を来た兵士が4人ほど立っている。
正に中世の騎士のような鉄の鎧だ。
「止まれ!!身分冠称を拝見する」
身分冠称なるものの確認を求められた。
セラムも最初に身分冠称を持っているのか聞いてきたが、この世界で言うパスポートのような物だろうか。
俺達はそんなもの持ってないが、それはセラムも了承している筈。
ここは彼を信じよう。
「こちらですね」
セラムと無愛想な男、続いて馬車を引いている男が懐からペンダントのような物を見せる。
「うむ、確かに拝見した」
「そちらの者たちはどうした」
当然俺達は持ってないから見せられない。
「彼らはラビットですよ、ほら」
そういってセラムが何やら黄色いメダルの様なものを数枚手渡した。
「うむ、良いだろう。通れ!!」
それだけでアッサリと中に入ることを許される。
案外ゆるい警備体制なんだな。
「一体何を渡したんですか?」
気になったので聞いてみた。
俺達の事をラビットと読んでいたが、身分冠称なる物を持っていなければそう呼ばれるのだろうか?
「……関税みたいなものですよ。それよりほら、見えて来ますよ」
「おぉぉ」
感嘆した声を漏らしたのはまたしてもジンだ。
門を通り過ぎるとそこには整備された美しい町並みが広がっていた。
建造物は主に木と石(レンガのように見える)で出来ているようで、中世の建物のような様相である。
真ん中には幅広い道が通っており、その両脇をそのような建物が所狭しと建ち並んでいるのだ。
また道には街灯の様な物も等間隔で並んでいるのを見れば電気が通っているのかもしれない。
もう夕暮れというのに多くの人々が街を歩いていた。
そして彼らの来ている服はどれも異国情緒を思わせるもので、ここが異世界であることを存分に表している。
「素晴らしいでしょう。これだけの魔導具を使って夜でも明るさを保っているのは、この国だけですよ」
「魔導具……」
随分とファンタジーな単語が出てきたな。
どうやら電気ではなく魔導具とやらで明るく光っているようだ。
魔導具があるなら、魔法もあるのかもしれない。
ジンは興奮した様子でソワソワと落ち着きがない、こういうのが好きなんだろうか?
整備された道を馬車はゆっくり進んでいく。
「あのセラムさん、僕達ここまでで大丈夫です。今日はありがとうございました。この恩はいつか必ず返しますので」
ある程度進んだ所で俺はセラムにそう言う。
お世話になりつづけるのは申し訳ないというのは建前で、本当はこれ以上関わるのはお互いに良くない気がしたからだ。
「そうですか。しかし今日行くところのアテはあるのですか?」
「それは…」
今日来たばかりの異世界に行く場所などある訳がない。
「無いならば私の家で休んでいくとよろしい。せっかくの出会いです。ここで放ったらかしにしては神に怒られてしまう」
「ですが流石にそこまでお世話になるわけには……」
「いいじゃねぇかツトム、セラムさんもこう言ってくれてるんだし。さっきから寒くて死にそうだぜ」
確かに気温は下がりつづけていて、アオイも寒そうに凍えている。
セラムの提案は最高に魅力的だ
だが、魅力的だからこそ俺の中でさっきから警戒が強くなっている。
ここまで上手くいく話などあるだろうか?
──かと言って実際ここでセラム達と分かれても寒い中で凍えるだけか……。
しょうがない、俺の考え過ぎであることを祈ろう。
「何から何まで本当にお世話になります」
「構いませんよ、私もやりたくてやってることですから」
結局そのまま馬車は俺達を乗せてゆっくりと進み続けていく。