前触れ
家を出てアオイと歩いていく。
母さん達には夜ご飯のご馳走の為に買い出しに行くと説明をしてきた。
色々おつかいを頼まれたのでそれも買って行かないとな。
ナツキが死んだ場所に行くにはこれから商店街を通る必要がある。
しかし妹と2人でおつかいを頼まれて商店街を歩くなんて、全く同じシチュエーションで笑えないな。勘弁してくれ。
一緒に歩くアオイも緊張した様子で、先程から動きがぎこちない。
商店街までまだまだ道のりは長いのに、こんな調子で大丈夫だろうか。
「あのさ、お兄ちゃん」
ここまで無言で歩いていたが、先に沈黙を破ったのは葵のほうだった。
「手を繋いで歩いてもいい?」
手を繋ぐか。
昔はよく外でもナツキやアオイと手を繋いでいたが、俺が引きこもってからは全然繋いでなかったな。
そもそも外にでないから当然だ。
「久しぶりだな」
そういって繋いだアオイの手は昔より小さくて、本気で握れば潰れそうに感じられた。
──いや違う、俺の手が大きくなったんだ、アオイも成長してるが、それ以上に俺の体は大きくなった。
「何だか懐かしいね、2人で歩くの」
「ああ、ずっと外にもでてなかったし、昔を思い出すな」
「お兄ちゃんの手、大きいね」
「アオイの手がちっちゃいんだよ、もっとちゃんとご飯食べないとだめだぞ」
「食べてるもん」
「じゃあ今日食べた物を言ってみろよ」
「えー、パンとコーンポタージュと……。あ、それから飴も食べた」
「やっぱ全然食べてないじゃないか。ハルカお姉ちゃんを見習ってもっと食べないとだぞ」
「あは、ハルカやお姉ちゃんは食べ過ぎなんだよ。あたしはあのカレー見ただけでお腹いっぱい」
「確かにあのカレーはやばかったな」
そういって二人で笑い合う。
気付けば随分と和やかな空気が俺達の間に流れていた、やっぱり誰かと歩くのは良いな。
アオイと一緒に歩くから尚更だ。
こんな楽しそうにしてて良いのかとも思ったが、ナツキのことだ、暗い顔よりも明るい顔をしてた方がいいに決まってる。
「ねぇ、一つ聞いてもいいかな、お兄ちゃんはあたしと話してて楽しい?」
突然そんなことを聞かれた。
アオイと話してて楽しいかって?もちろん楽しいさ。
俺が生きてる中でもトップに入るくらいには楽しい行動だ。
アオイも俺と話すことを楽しいと思っててくれたら良いなとも思う。
「そりゃ楽しいさ、俺は人と話す機会が少ないしな。それに最近のアオイは昔と変わった気がするぞ、明るくなったっていうか、何だか自信が付いたって言うか。とにかくアオイと話すのはめっちゃ楽しいな」
「そっか、それは嬉しいな」
そういってアオイは、俺が楽しいと言ったことを嬉しそうにニッコリと笑った。
我が妹ながら本当に可愛い仕草だ、これはいよいよ彼氏が出来てもおかしくないな。
むしろできない方が不思議だ。
「自信なんて全然ないけど」
だがその後にぽつりと独り言のように言った言葉が俺は気になった。
「じゃあ、あたしと話すのが楽しいらしいから、もう一つだけ聞いても良いかな?」
しかしそのことについて触れる前に、先に葵が話し始めてしまった。
「別に良いけど、急にどうしたんだ?」
「お兄ちゃんは人が怖いと思う?」
俺の質問返しは無視して、今度はそう聞いてくる。
しかしさっきの質問とは違って今度は随分と難しい質問をされたもんだな。
人を怖いと思ったことなら勿論沢山あるが、「怖いと思う?」って言い回しでは、何だかもっと抽象的だ。
確かに人を怖いと思うことはあっても、それはその時だけのことで、常に人を恐れてるかと言われたらそうではない。
「そうだなー、怖いと思う時はいっぱいあるぞ。けれどそれはその時の状況や相手でそう思ってることが多いからな。質問の意味を人そのものが怖いとするなら、そんなことはないって答えになるかな」
「お兄ちゃんでも人が怖い時あるんだね。何だかちょっと意外かも」
「意外ってなんだよ」
「あは、ごめんごめん」
こいつは一体俺のことをどう思ってるんだろう。
俺なんて元引きこもりで臆病で小心者な人間だ。
趣味は読書で友達は一人しかいなくて背だって高くない。
特技と呼べることは勉強が少しはできるくらいだが、才能ではアオイに劣る。
賢さならアオイの方がずっと上だ。
全くどうして俺が人を怖いと思うことに意外だと感じたんだろうか。
ひょっとして俺のことをサイコパスか何かだと思ってるんじゃないのか?
「あのな葵、俺は特別優しい人間じゃないけど、別にサイコパスって訳じゃないぞ」
「そんなこと分かってるよ?てかお兄ちゃんほど優しい人をあたしは知らないし」
そういってアオイは首をかしげる。
さっきから俺の過大評価が凄いな。
何だよ、お兄ちゃんほど優しい人を知らないって。
俺は俺ほど最低な人間を知らないよ。
全く、妹からあんまり褒めるようなことを言われると照れるじゃねーか。
仕返しにコイツのことも褒めちぎってやろうか。
「あ、付いたね商店街」
「付いたな、商店街」
……仕方ない、商店街では人の目もあるので、褒めちぎるのはまた後にしてやろう。
赤面しても許さないぞ、お前の顔が羞恥に染まるまで褒めちぎってやる、くっくっく。
商店街に付いたが、意外と俺は平気だった。
てっきりここに来た時点で過去の記憶を思い出して、トラウマが発動するだろうと思っていたが。
アオイと一緒にいるからだろうか。
しかし以前に来たときよりも商店街の活気が無くなってる気がするな。
昔だってお世辞にも活気のある商店街では無かったが、今は本当に物静かな雰囲気になっていた。
そもそも人が数人しか歩いていない。
最近は大型のスーパーやデパートが増えて、こうした商店街は年々衰退しているのだろうか。
少し寂しいな。
ふと小さな商店街、その奥の方で、見知った顔を2つ見つける。
あれは……ジンとスギモトか?
珍しい組み合わせの二人を地元で見つけてしまい、俺は困惑する。
そもそもスギモトが誰かと一緒に居るのが珍しいのに、何でジンと学校から離れた所で一緒に居るのだろうか。
「アオイ、ちょっと知り合いを見つけたから挨拶しに行ってもいいか?」
「え!?べ、別にいいけど。あたしの知らない人だよね」
随分と戸惑った様子のアオイだ。
「高校で同じクラスの人だからアオイは知らないと思うよ」
「そっか。えーと、じゃあ、あたし後ろで見てるね」
「いや、出来ればこの場所では離れたくないから、アオイも一緒に来てくれ」
この場所ではあまり妹の手を離したくない。
まぁ俺のワガママだ。
「そ、そうだよね。分かった」
確かに考えてみればお兄ちゃんの高校の知り合いなんて、妹からしたら気まずいだけだよな。
俺の事情に付き合わせて申し訳ない。
しかしせっかく地元でジンに会ったなら挨拶しておきたいからな。
というか何でいるのか凄く気になる。
スギモトは……まぁあまり詮索しなければ大丈夫だろう。
以前に関わらないと言った手前少し気まずいけど、俺はあくまで友達のジンに挨拶するだけだ。
俺達は商店街の反対側の端にいたジンとスギモトの所に歩いていく。
「だから、あんまりそんな態度してるとお前が困るんだぞ」
「あんたには関係ないでしょ」
「俺は心配して言ってるんだよ!」
近づくに連れて二人の会話が聞こえてくる。
何だか言い争ってるように聞こえるが、どうやら二人仲良く買い物に来たわけでは無さそうだ。
「おいジン、一体どうしたんだ」
「ん、ってツトム!?何でここにいるんだよ。そっちのは妹さんか?」
「ああ、俺はここが地元だからな、そっちこそどうしてここにいるんだ?」
アオイは俺と手を繋いだまま、俺の後ろに隠れてしまっていた。
まぁジンは背が高いし初対面じゃ怖いよな。
「ああ、俺はここに住んでる親戚のおっちゃんに用があってさ」
「それで何でスギモトもいるんだ?」
「それなんだけどよ、聞いてくれよ勉ー」
ジンが俺の肩に腕を乗せて、後ろを向いて耳元に話しかけてくる。
「さっきそこでサヤカに会ってよ、ほらあいつも家がお前と同じこっちの方だろ?」
スギモトもここら辺に住んでることは全然知らなかった、初耳だ。
しかしここは知っていた体で相槌を打っておく。
ていうかコイツは女子に対しても下の名前で気軽に呼ぶんだな。
「それで当然クラスメイトと偶然会ったから挨拶したんだけどよ。あいつ完全に無視しやがるんだ」
「そりゃまたスギモトらしい冷たい対応だな」
「だろ?それにあいつクラスでも最近一人で浮いてるから、俺は心配して言ってやったんだよ。一人で生きてるつもりになったら、いつか痛い目見るぞって」
なるほど「一人で生きてるつもり」か、確かに今の杉本のことを言い表してる表現かも知れないな。
「そしたらあいつ急に怒りだしてさ、ホント意味分かんねぇよ。こっちは心配して言ってやってるのに」
なるほど、それで言い争ってたのか。
俺はスギモトのことが気になって後ろを振り返る。
「なるほどな、あれ?」
しかしスギモトは、俺と仁が後ろを向いてコソコソ話してる間に既に立ち去ろうとしていた。
「おい待てよ!まだ話は終わってねーぞ」
ジンがスギモトの後を追っていく。
仕方ない、俺も行こう。
アオイの手を引いて早足で二人の後を追う。
少し先の交差点、杉本が信号を待っていた所で俺達は追いついた。
「おいサヤカ、お前いい加減にしろよ」
仁が諦めずに話しかけるが、杉本は完全に無視モードだ。
「ねぇお兄ちゃん、ここって……」
これまで俺に手を引かれるがままに付いてきたアオイが、握る手に力を込めて怯えた表情をしていた。
俺はアオイに言われて、ここで始めて気付いた。
ここは、この場所はナツキが死んだ場所だ。