第28話 終点
星のちらつく南の海に浮かぶ小さなボートに、二人の少年がくつろいだ姿勢でチェス盤を見下ろしている。
「ちょうど『12人』と交戦中ですかね、御黒闇彦は」
白のポーンを敵前線に進めながら、真虫が尋ねる。「もらい」祁答院伊舎那の動かした手が行き場を失ったクイーンを奪う。「ああっ」真虫が額を叩く。
「もっと俯瞰しないとだめだよ真虫ちゃん。歩兵進めることしか頭になかったでしょ」
「ちくしょう、お見通しっすか」
ばれてもなお尖兵を先へ進める。排除した駒を伊舎那が弄ぶ。
「案外、決着がついた頃かもね」
「えっ、もう詰んでるんすか?」
「雪くんの話だよ」
伊舎那がビショップを動かす。
「二号の拠点の情報も流したし、葦原の駒を使って警備システムも緩めさせた。雪君には予知があるからね、その機を逃すタマじゃないだろう。とっくに追いついて戦闘に参加してるはずさ」
「でも良かったんですか、また真白の野郎を逃がしちまって。雨乞のガキに逃がされた時はだいぶキてたじゃないっすか」
「あれは残間の横槍を入れられたのが不服だったんだ。雪君には出来るだけ多くの死線を経験させたいんだよ。飼い殺しにせずね」
ポーンを最深部へ到達させた真虫が、意気揚々と駒を変身させる。「『12人』全員の能力を使える12号の能力、覚醒すれば敵無しっすもんねえ!」ポーンが白のクイーンに変貌を遂げる。「良いけど、囲まれてるよ」「んがっ」
クイーンの退路を断ちつつ、チェックを掛ける。「あー、ここは他の駒に成っとくべきだったかぁ?」真虫が唸ると同時に水飛沫があがり、ボートが傾いた。「……騎馬兵にすべきだったね」
船縁に身を乗り出した青年が切れた息で口を挟んだ。伊舎那が肯く。服から大量の海水を滴らせながら、大儀そうな身振りで青年が甲板に倒れ入る。
「んあー、たしかにナイトの動きなら躱せたか……。すげえな、一目見ただけで分かったのか? 靜馬さん」
溺死した船乗りの亡霊のような靜馬を見て、真虫が尋ねる。
「何にでも変身できるなら、一番トリッキーなナイトが良い、と思っただけ。はあ……、その方が面白いじゃん」
疲れた息遣いの合間に自説を主張する靜馬に、俺ぁ馬は嫌いだな、とどうにか駒損を少なくさせようと女王を動かし、真虫がぼやく。
「ところでその恰好」
祁答院が意地の悪い笑みを靜馬に向ける。
「ここまで泳いできたの? 島から?」鼠色の髪を掻き上げる。「ウケるね」
「こうするしかなかったんだよ、伊舎那君。傷が癒えるのが長引いたせいで、島の職員の大半が帰還しちゃって、船も変装できる相手が居なかったんだ」
「深手を負ったみたいだね。跡星がそこまで?」
「いや……、『魔弾』じゃなくて、ニコラ博士の娘にね。不覚にも正体がバレて、撃たれてしまってねぇ。どうにか死んだふりをしながら用意のデジタル爆弾を起動させ、そのまま自爆に見せかけて煙に紛れ逃げたんだ。命からがらね」
「つーか良いんすか、伊舎那さん。いくら靜馬さんが古株とはいえ、ここまで派手に失敗した相手にお咎めなしなんざ、他に示しがつかないですよ」
真虫がギラついた隈の深い目を伊舎那に向ける。
「いーのいーの。靜馬くんは引っかきまわすのが仕事だし、どのみち今回の作戦は寄り道にすぎないからね。利用できそうな陸自がいたから、つついてみただけ。忘れてはいけないよ、葦原の目的はあくまで、『スノーホワイト・プロトコル』……」
黒のキングが動いて白の女王を退ける。盤外へ転げ落ちた白の駒を見下ろして、伊舎那は低く呟いた。
「……Qでは悪王は討てなかったか」
〇
無線が復旧する。基地本局にまで爆風が広がっていないことを確認し、御黒は氷の城壁を溶かした。それから吹雪の下に倒れ伏した少年の体温を目測った。……まだ微かに息があった。
頭を掻く。惜しいが、後々のために殺しておくか……。
と、突如として頭上にプロペラの音がうねる。スポットライトの光が眩しく御黒を照らした。
「そこまでだ!」
光に手をかざしながら御黒は頭上を見上げる。縄梯子が下ろされ一人の女が降りてくる。操縦席を見るが誰もいない。自動操縦だろう。
「彼は殺させない、御黒闇彦」
地面の上に飛び降りて、軍隊式の防寒具を着込んだ女が言った。僅かに除く顔と声から、御黒は彼女の身元を察した。
「久しぶりだな、注連野紫。エデン製薬の壊滅作戦以来か」
「その節は世話になった」紫が毅然とした声で述べる。
「五年前、君が作戦に協力してくれたお陰で、公安は被験体たちを解放できた。治安維持局を設立することもできたし、今では私も局長の座を手に入れた」
「出世したもんだな、たかだか公安の一スパイだった女が。で……、その公安のあんたが何の用だ? まさか昔の好で助けを乞えるなんて、思っちゃいねえよな? 勘違いするなよ、あの時のあんたとは、利害が一致して手を組んだだけだ。俺たちは仲間でもなければ対等でもない」
「分かっている。だからまた、交渉をしにきた。利害が一致していれば……、だろう?」
紫は腕時計の螺子を緩め、文字盤の裏からスライドさせ……、ICチップを抜き出した。「君が探している一号……、昼神イヴの居所だ」
「……!!」
御黒の瞳に初めて興味の色が浮かぶ。
「……俺が各国の諜報機関を駆使しても得られなかった機密だぞ。……出所は確かか?」
「伝手を頼って七号を動かした。精神感応能力者の煙草森鳰が直々に調査した情報だ。間違いはない」
「煙草森……。あんときのガキか。くく、良いコネを持ってるな。そりゃ、警察よりもよっぽどあてになる」眼鏡に触れる。「だが意外だな。公安は、俺への干渉を禁止していると踏んでいたんだがな」
「ああ。だからあくまで私は『雪を追ってきた』だけだ。逃亡者の雪をな。だから私は『君がここにいることも知らず』、ここで『偶然遭遇した』にすぎない。煙草森にも局長としてではなく、一個人として依頼した。もちろん私のポケットマネーでね」
「だから上の命令には違反していない、と? 詭弁だな。だが、そういうのは嫌いじゃない。……良いだろう、交渉に応じてやる」
御黒闇彦が腕を組んで厳しい眼差しで促した。
「要求を言え」
注連野紫がぐっと言葉を詰まらせ、意を決したように言い出した。
「一々江の解放と……、真白雪の助命。両隊員を連れ帰らせてもらいたい」
「一つの交渉材料で二つの要求か? 業腹だな」
御黒が片側の眉を上げる。紫は目を伏せたまま地面を睨んでいる。
「元々そのデータを用意したのは一の救助のためだろ。真白雪の先行は独断だ……。その情報に2人分の重みはねえ。違うか?」
紫がぐっと唇を噛む。御黒が白い溜息を吐く。
「欲をかきすぎた。俺はあんたの割り切った性格を気に入って、交渉に乗ってきたんだがな。いくら真白雪が大事な伏魔殿のエースだからといって、一の身柄に『寿』の命までサービスしてもらおうってのは、虫が良すぎると思わないか。……交渉は決裂だ。そのチップは力づくで奪わせてもらう」
「待て、お前は一つ間違っている」
「あ?」
腕を解いた御黒が眉を顰める。その冷めた瞳を、紫は率直な眼差しで見返した。「私が雪の命を助けるのは、彼が戦力だからじゃない。私の息子だからだよ」
紫の言葉に、御黒が意外そうに硬い表情を崩す。
「……育ての親か」
紫が肯く。御黒が頭を掻く。「……納得がいった。前回のエデン製薬の襲撃も……、本当の目的はこいつを助けるためか」
「ああ。……もちろん、公安としての戦いでもあったが」
「けっ、今さらお涙頂戴って話でもないがな。俺やお前、それにこいつ自身が殺してきたテロリスト共にも……、母親はいたはずだ。こいつがまだ子供だからと特別扱いするつもりは俺にはねえよ。戦場に戦士として出てきたなら、それは喰う喰われるの運命に身を委ねたってことだ。誰に殺されても文句は言えねえ。そうだろ?」
御黒が指先を雪に向ける。紫が声を上げる。「……! やめっ……!」
霜の降り始めていた雪の体に、血が通い始める。凍傷を起こしかけていた全身に暖かい血が巡り、白く色を失っていた唇が赤みを帯びてきた。
紫は口を開けたまま御黒の顔を見上げた。御黒はいつもの無愛想な表情で彼女を見返した。
「勘違いするな。最初の取引の話に乗ってやっただけだ。俺を出し抜こうとする奴の交渉には応じないつもりだったが……、そうでないと分かったなら話は別だ」
「しかし……、それではのまえは」
恐る恐ると言った風に紫が切り出した。本来の交渉の条件ならば、助かるのは一人だけだ。
御黒は鼻を鳴らした。
「心配するな、どのみちあいつはここで解放してやるつもりだった。だから実のとこ、お前は最初から12号の延命だけを求めていれば、そこで話は済んでいたのさ。……まあ、俺自身一を解放するつもりは、つい半刻前までなかったからな。お前がそこまで予測できないのは、当たり前だ」
御黒は指を下ろした。紫の抱えた腕の中で雪の体は温かみを帯びている。紫は無言で少年を抱きしめた。
しゃがみ込み、ぶっきらぼうな素振で手を突き出す御黒。紫はかさばった手袋の先に載せたチップを彼の手に渡した。
チップを時計に装着し、情報をざっと精査すると、御黒は満足げに冷たい達成の表情を浮かべ、外套を翻した。
「一は基地の正門から解放する。ヘリを乗り付けておくといい。一通り能力や遺伝情報は調べさせてもらったが、傷付けてはいない。ごく短期間の幽閉だ、精神的なダメージも、特にないと思う」
砦に向かいつつ御黒が付け加える。「その辺のエデンの連中も、好きに回収して良いぞ。このチップの情報が入った時点で、奴らから話を聞き出す必要はなくなった。生きてるかは分からんが……、あんたらには死体でも役立つだろ。この吹雪で、見つけられればの話だが」
「待ってくれ、御黒。協力には感謝するが、なぜのまえの解放を認めた? 基礎調査を終えていたとしても、お前の目的が一号の妥当なら……、手元に置いておく方が得策のはず」
「単純な話だ。お前のガキには、充分楽しませてもらった」
吹雪が御黒の黒いシルエットを覆い隠していく。雪の中で足も止めず、顔だけをこちらに振り向かせた御黒が、にやっと若人に笑みを向けたように見えた。
「たまにはあってもいいだろ、頑張った奴が報われる日が。それに、俺はこう見えて嫌いじゃないんだ。たとえ相手がどれだけ格上で敵わないとしても、泥臭く、勝つことを求め続けるような人間はな」
毛布に包まれて薄く呼吸する雪を乗せたヘリが、基地の正門の前に風を立てながら緩やかに着地した。厳かに開いた門の隙間から、足元の滑るのも構わず、防寒着を着込んだのまえが駆け出した。
「雪くん!!!」
事情を聞いていたのか、のまえはすぐにヘリに乗り込んで雪の無事を確かめた。のまえが完全に乗り込んだことを確かめて、紫はヘリの後部座席の扉を運転席の操作で閉めた。この冷気は怪我人に悪い。……二人の邪魔をしないように、紫は後部席と操縦席の仕切りを下ろした。運転席から基地の方を見る。開かれた扉から、御黒の助手とおぼしき女が和やかに手を振っている。その後ろで御黒が目を瞑り、壁にもたれ腕を組んでいる。ふん、さっさと行け。そう言っているようだった。
紫はヘリを上昇させた。
「……の、まえ……」のまえの声に、雪は薄っすらと目を開いた。のまえが涙を浮かべて抱き着く。
「あのさ、僕、考えたんだ……。袈裟丸とか、まーちゃん、とか……。守りたくて……、大切な人が……、……いたんだ、僕にも……。……でも、最後に……。最後の一瞬に……」
のまえが身を起こし、雪と目を合わせる。
「……思い浮かべたのは……、やっぱり、君の顔だった」
雪は譫言のように呟きながら、それでも、その感情を確かに伝えようとのまえの目を見つめた。
「一緒に居よう。これから、ずっと、ずっと……。もう誰にも、邪魔させや、しないから」それから微かに震える唇で告げた。「君が好きだ」
のまえの目が驚きに見開かれ、冬の風に冷たく凍えた雪の手を、温めるように両手で包み込んだ。瞳から涙が伝い、微笑みが浮かんだ。
「私も、雪くんが良い」




