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人獣見聞録-猿の転生 V ・Side-B:悪魔のいる天獄  作者: 簑谷春泥
第3章 悪魔が来りて笛を吹く
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第21話 電気椅子の女

 夢。

 の、中では、走馬灯のように記憶の断片が浮かんでくることがある。

 幼少の頃の記憶で強く印象に残っているのは、馬乗りになった父に首を絞められているところだ。キッチンではガスの音が蛇の口から吐き出される息のようにしゅーしゅーと鳴って耳障りだった。隣では母が既に息をしていなくて、父は涙を流して喉を絞め続けた。ごめんな、お父さんたちが悪いんだ。震える唇でそんなことを繰り返していたのを覚えている。

『悪い子だねえ。実に悪い子だ』

 そんな風に言われたこともあった。『悪い子は、おじさんたちが治してあげるからねえ』白衣を着た人間たちがほくそ笑み、注射針の先を弾く。酸っぱい匂いのする液体がその先から迸る。

 この頃から記憶が断片的だ。憶えていないわけではない。ただ何も感じていなかっただけだ。欲と言うものを失っていた。頭に包帯を巻かれて、殻のような暗い部屋に閉じこもって一人、一日中壁の一点を眺めていた。死人のように、ただ鼓動が続くだけの日々。

 だからこそ、その殻を壊して入ってきた彼の姿は、光を纏って見えた。

「なんだ……、まだ子供じゃないか」

 自分とそう変わらない見た目なのに、まるで自分が大人であるかのようなことを言って、彼は血だらけの手を差しだした。

「来るか?」

 止まった時は、再び動き出していた。返り血で紅く染まったその手は、この上なく美しく見えた。

 …………。

 薄っすらと瞼の裏に光を感じながら、袈裟丸は牢の中で目を覚ました。ベッドが一人分広く感じられる。隣にあったはずの温かさは、虚しく姿を消していた。

 妹は牢の中を見回して呟く。「……お兄ちゃん……?」



 ウルフギャング=エジソンの能力は電流操作だ。

 二週間の訓練の間に、そのことを雪は学習していた。こちらに手の打ちを見せるということはエデンにも何らかの算段があるということだ。あるいは手を見せた所で雪では敵わないという判断かもしれない。

 舐められたものだ。雪は体勢を低くとる。だがこういう機会を待っていた。エデンに大人しく捕まったのも、一か八か御黒に関する情報を掴めるかもしれないと思ったからだ。ここで彼女を倒し、知っている情報を吐かせる。『12人』の一人、準幹部クラスの地位にいるこいつなら、何か出てくるはずだ。

 ウルフィーの指が動く。ピンク色の放電が空間を迸る。だが雪も予知で既に動き出している。捉えることはできない。

「はっ、相変わらずちょこまかとよく動く! でもそれでダメなことは分かってんだろ?」

 電流の波状攻撃。雪は初撃を回避してなんとか柱の裏に回り込んだ。コンクリート片の飛び散る振動が伝わってくる。

「お前の弱点は範囲攻撃だ。電撃を点じゃなく線で放射して回避の隙間を埋める。手の打ちが分かってるのはお互い様なんだよ」

 ご名答だ……。予知が出来ても回避できなければ意味が無い。それに雪は空間型というより時間型だった。瞬間移動の類は使えない。雪は唇を噛む。

 頼みの綱は近接戦だ。強化された肉体は五分五分でも、余地がある分こちらの方が有利だ。距離を潰せば雷撃の速度の強みもなくなる。

 奴に触れるには絶縁体の武器がいる。この場なら靴裏のゴム。あるいは……、コンクリートか!

 雪は石灰質の柱を破壊して、猛然と立ち向かった。柱の破片を盾にして電撃を防ぐ。電流は通さないが衝撃で崩れていく。そう何発も保ちはしない。このまま仕留める……。

 瞬く間に距離を詰め、砕けた石灰を握りしめて拳を放つ。雷を躱してのカウンター……、これは入る!

 カチリ、とウルフィーが奥歯を噛み締めた。長身の輪郭が消え、残像と共に雪の腹に強烈な拳が入った。

「なっ……⁉」

 反応する間もなく。雪の体が吹き飛ぶ。地面を転げながら、素早く身を起こして雪は彼女を見た。

 纏っていたピンク色の電撃帯が消え、紫電は細い筋が時折漏れ出るように、音を立てて放出されるばかりだ。明らかに何かが変わった。

『目の前に一瞬で拳が到達する』予知が見えた。反射的に顔を両手で守るが背後に回り込む気配があった。フェイント……⁉ いや、それ以前にこの攻撃は……。

横腹を蹴りの一薙ぎが振り払う。飛ばされた雪の体が柱にぶつかって止まる。

「近接なら分があると思ったか?」

 ブロンドの髪を掻いてウルフィーが顔を歪める。「訓練で手の打ちの全部を見せるわけがねえだろ。訓練でお前に明かしたのは、一部の放電能力だけだ」

「っ雷並みの高速移動か……。速いだけじゃない、加速度が打撃の威力を激増させている。スイッチはおそらく奥歯の仕込みかな。加速装置でも付いてるのか?」

「いーや、残念だけど自前の能力さ。アタシは電流を外向きに放出するだけじゃなく、体内の生体電気をも操ることができる。肉体は脳や筋肉の電気信号で動いてる。電流による筋肉の活性化と神経伝達速度の加速で、瞬間移動並の高速移動を実現したってわけ」

 ウルフィーは口の端を指で広げ、口の中を見せる。

「奥歯に嵌めてあるのは帯電用の補助装置さ。内側の操作と外向きの放電は同時には行えない。だから補助装置を使って一部の電流を留めておき、放電のストックを作っておくんだ。これを使うことで、高速で動きながら雷を撃つことが可能になる」

「とんだ戦闘能力だな……。残間も大概だと思ったが、一つ号数が上がるだけでここまで違うとはな」

「11号か。たしかに汎用性の高い力は持ってるが、戦闘に関しては私の方が上だね。触れるだけで心臓を止められるのは脅威だけど、(さわ)れなきゃ意味がない」

 ウルフィーの姿が消える。ぎりぎりで体を捻って、衝撃をいなした。予知が無ければ追いていくこともできない。ウルフィーは手を伸ばして雪の腕を掴み、高圧電流を流し込んだ。

 焼け焦げた腕を押さえ、雪が呻く。「帯電が足りなかったか」ウルフィーは舌打ちして雪を蹴り転がす。

「その程度か真白雪! お前は予知に頼りすぎだ。狂花帯の真価はそんなものではないぞ!訓練の成果をアタシに見せてみろ」

「……言われずとも、やってやるよ」

 雪は火傷した腕をかばいながら、膝を付いて立ち上がった。訓練では満足に成功していない。……だが無理矢理にでも狂花帯の力は伸ばしてきた。限々(ぎりぎり)の勝負……、生命の危機が能力を加速させる。祁答院もそう言っていたはずだ。

 ヴォルフが動く。予知という保険を捨て、反射と動体視力による敵の捕捉に雪は全神経を集中した。

 捉える! できるはずだ、僕にはそれが……!

 影すら映らなかったヴォルフの肉体が、視界の端に残像を結ぶ。だがまだ追いつかない。もろに殴打を食らう。

(おせ)え!」

 高速の連打が次々と打ちこまれる。ガードに専念しつつも身体全体でそのスピードを掴む。少しずつ、防御のタイミングが合ってきた。

 残像が次第に本体の動きと重なっていく。痛みも忘れた極限の集中状態。打撃の音、空気の揺らぎすらゆっくりと感じる。

 ウルフィーが後ろに下がる。腕に高圧の電流を纏う。助走をつけてとどめの一撃を叩き込むつもりだ。

 迅雷の肉体が躍動する。直線、頭部への狙い撃ち、と見せかけてのボディへのストレート。今度ははっきりと視える。まるで自分以外の時の流れがゆっくりと、静止に近づいていくように。

 ……いや、それは比喩ではなかった。文字通り、雪を除いた世界の全ては緩慢に動き出していた。

 雪の躰がゆらりと動く。ウルフィーの突き出した拳を躱し、完全にタイミングを合わせたカウンターをその胴に叩き込む。

「‼」雪の動きを目の端で捉え、ウルフィーが胃液を吐き出す。身体がくの字に曲がり、自身の勢いを乗せた反動の一撃を正面から受けて、そのまま止まれず床に体を打ち付けながら弾んでいく。

 床の上を滑るようにしてようやく止まったウルフィーは咳き込みながら口の端を拭って立ち上がった。

「ハハッ……、やればできるじゃねえか。いいね、ノってきた。こっからは加減無しだ、覚悟しな!」

 そこからは数瞬の戦いだった。ウルフィーの疾駆する体が紅い床の上を駆け抜ける。遜色ないスピードで雪の肉体も壁面に舞う。世界の速度を味方に付け、相対的時間の中でその身を使役する。コンマ数秒の間に数限りなく肉体をぶつけ合い、乱打を応酬し、弾かれた汗の粒が落ちるより速く縦横無尽に走り抜ける。砕けた柱の破片がゆっくりとウルフギャングの横を降下し、人並の速度の落ちた雷が雪の髪を掠め飛ぶ。

 互角の打ち合いだったが、体格の差で僅かに雪が上回った。空中で放った回し蹴りがガードの遅れたウルフの顔を弾き壁際に撥ね飛ばす。

 割れた壁板から配電線が剥き出しになり、青い電流がぱちぱちと火花を飛ばす。はっと息をつき、頭から血を流しながらヴォルフがにやりと不敵に笑って断裂した電線の端を掴む。発散する電流が長い髪のように伸び、ポニーテールのように垂れ下がった。

「悪くねえな……。仕方ねえ、こうなったらこっちもさらにギア上げて……」

 スピーカーの高いノイズが二人の一騎打ちを遮る。「ああ……?」ウルフは不服そうに天井を見上げた。

「そこまでです、二人とも。ウルフィー、無断での私的戦闘は厳禁と言ったはずでしょう。今直ぐQを牢に戻してください」

 落ち着いた女の声だった。「もう見つかっちまったか。リジーの仕事っぷりには頭が下がるぜ……」ウルフギャングはやれやれと髪を掻きむしって大人しく立ち上がった。

「何か言いましたか」

 つんけんした声が返ってくる。何でもございませんという風にウルフィーはにこやかにカメラへ顔を向けた。

「……ま、そういうわけだ真白雪。悪いけど獄に戻れ。医療班は寄越してやるから」

「乱暴だな。こっちはこのまま逃亡しても良いんだぜ」

「やれるならとっくにやってるだろ。外部への通路は全て遮断済みだ。それにお前は、妹を置き去りにするタマには見えねえ」

 ウルフギャングはクールに手を振って部屋を去った。



 真白雪が牢に戻るのを確認して、ウルフィーは隔壁を解除して通路を出た。廊下の少し先に澄ました態度で緑髪の女が立っている。

「おっ、ハギオ。わざわざお出迎えかよ?」

 ウルフィーは顔を綻ばせ、彼女に向かって両手を広げた。剥尾(はぎお)|・エリザベス・ケークブレッドはじっとりとした視線をウルフに向けた。

「個人回線が繋がらなかったので、直接出向いただけです。血が付くので抱きつかないでください」

「なんだよぉ、素直じゃないな」

 ウルフはがっかりしたように腕を下ろした。

「おれはこれ以上なく素直ですよ。良いから早く傷の手当てをしてください。お説教はその後です」

 剥尾(ハギオ)が白い清潔な布を渡す。ウルフは頭の血を拭う。

「大丈夫だって、もう傷口も塞がってるから。私の回復力知ってるだろ?」

「だとしても無茶しすぎです、この大事な時期に。……それで、どうでした、Qの実力は?」

「どうって、何が?」

「おれの目を誤魔化せるとでも?」剝尾は淡白に返す。「彼を試したんでしょう? 御黒……、二号の掃討作戦に使えるだけの力があるか。10号としての判断を聞かせてもらいましょう。行けますか、彼は」

「戦力としては、一応合格かな。でもだからこそ、今回は参加させない」

 不思議そうな顔でこちらを覗き込む剥尾(ハギオ)に、ウルフは言葉を付け足した。

「ここで死なせるには惜しいってことだ。実際に戦ったから分かる、アイツに秘められた才能はこんなモンじゃない。御黒にぶつけるとしてもこれから……、ま、その前に私らで仕留めるけどね」


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