第20話 ウルフ・オブ・ギャングストリート
数十色の微妙な違いを持った鉄の粒が、透明なボトルの中にざらざらと詰まっている。数回ほど軽くシェイクすると、一々江はキャップを開け、無造作に顆粒の一塊をトレイの中へ流し込んだ。
A3サイズのトレイの上に無数のビーズが転がる。のまえはさらに三本のボトルで同様の動作を行い、トレイの上に全ての粒子を空けた。それから紙を漉くようにトレイを斜めに傾け、揺らした。のまえの片目が紅く光る。彩色された球たちはさらさらとさざめき合い、「偶然」の力によって砂絵のように一枚の絵画を構成した。ミケランジェロ『アダムの創造』……、神の指に触れる一人の青年の絵だ。
「うーん、改めて見るとこれは……」
隣でのまえの脳波をスキャニングしながら、喪苅は唸った。絵画の複製画像を2万粒の鉄粒の上に着色したものだが、いざ目の前でそれを再構成されると、唖然とせざるを得ない。その横には全く同じ数字が紙一面に並んだ乱数表、角を下にして異常なバランスで詰み重ねられたオブジェ、瓶の中で生成された嫌気性細菌など、およそ天文学的な確率でしか起こり得ない光景の数々だった。
「今度は成功した」のまえは傍らに積み上げられたいくつかの失敗例を見て言った。
「大体分かってきたよ。起こせる現象は確率的に可能であると同時に、のまえちゃんが明確にイメージできるものである必要があるわけだ」
のまえは肯いた。元の画像を見せられないまま並べたビーズはただのマーブル状の模様になったし、具体的な説明もないまま押すように指示されたキーボードは規則性の無い数字の羅列を並べただけだった。「ま……、それにしたって規格外の能力だけど」
「喪苅さん、少し疲れた」
のまえが背もたれに身を預け、息をつく。かれこれ3時間も「単純作業」を繰り返させられている。午前にはいくつか精密検査も行われた。伏魔殿のテストと大して変わらない内容にのまえはいくらかほっとした。
「うんにゃ、ごめんね。御黒くんが帰ってくる前に、ちょっと休憩しようか。良い茶葉があるのよん」
喪苅が立ち上がる。それからふと思い出したように電信機をのまえの手首に巻き付ける。
「その前にこれだけ測らせてね。能力の使用前後で、生体電気の総量を比較する予定だったから」
ちくっとするよ、と言った喪苅の合図と共に左手に痛みが走る。のまえは微かに腕を振るわせた。
「ごめんね、痛かったよね。今日はこれで終わりだから」
電極を外しながら喪苅がのまえの頭を撫でる。それから計器をもって部屋を出ていった。
部屋の扉が閉まる音を聞きながら、のまえは手首をさする。予感のようなものがあった。人の顔色ばかり窺って過ごしてきた幼少期の習性が、のまえを危険に敏感にさせていた。ここは伏魔殿とは違う。紫や、葎のような大人に守られていない場所だ。今はこんなもので済んでいるが……、いずれより苦痛を伴う実験に付き合わされる。
のまえは顔を上げて、ふと入口の扉に隙間が空いていることに気付いた。
いつもなら完全にロックされる扉だ。のまえは席を立って戸の隙間にかがみこんだ。「偶然」喪苅の服に引っ掛かっていたのだろう、いくつかの鉄の粒が溝に入り込んで、扉の開口部分に詰まり込んでいる。
のまえはそっと扉を引いた。思った通り、鍵は掛かっていない。扉が閉まりきっていないのだから当然だ。「……喪苅さん」呼びかけてみるが、廊下はしんと静まりかえっている。
のまえは躊躇った。喪苅の言い方からして、今は御黒闇彦も出払っている。この機会を逃す手はない。しかし……。
――お友達がどうなるかは分からん。
御黒の言葉が脳にちらつく。あの人は危険だ。多分治安維持局では勝てない。雪君でも……。
……自分一人が犠牲になれば良いだけだ。そうすれば雪や皆を守ることができる。
……そう、考えていただろう。今までの自分なら。のまえは首を横に振る。
きっと、雪くんが待ってる。
のまえは部屋の外に踏み出した。
〇
人工灯の明かりが朝の到来を知らせて、一つしかない粗雑なベッドに眠る雪の目を覚まさせた。
薄い掛け布団の中の温もりの片割れを起こさないように、雪はそっとベッドを抜け出した。防弾障壁の透明な壁が、コンクリートの打ちっぱなしの廊下の様子を見通させている。何気なく通路に目をやって雪はぎょっとした。ハンバーガーと星条旗の似合いそうな欧米人風の女が、胡坐をかいてこちらを観察していた。チューイングガムのような発色の良い蒼い瞳と目が合う。女はにやっと笑い、アクリル壁の表面に触れて音声を通した。
「ずいぶん仲良しな兄妹だな? アタシが10代の頃は、兄貴なんざ汚物みたいな扱いだったぜ」
雪は女を眺め返す。第10号、『輝ける闇』……ウルフギャング=エジソン。20代前半の若い女で、ショートのウルフカットの金髪の下に勝気そうな鋭い碧眼が覗く。グラマーだがアスリートのような手足が、ミリタリー風のロングパンツと法被のように袖口の広い裾長のシャツから伸びている。
「あんまり不躾な視線をぶつけるなよ。アタシの体に興味があるのか?」
「まあ、あなたの能力には。エジソンさん」
女が目を細める。
ヴォルフガングの親指が壁際に向く。視線をそちらに伸ばす。透明な壁の一画が開錠され開け放たれていた。ひと悶着ありそうな未来が視えた。雪は溜息を吐いて隣室の扉を開ける。
「分かりました。顔を洗って歯を磨くから、そこで待っててください」
アクリル壁の扉をくぐって雪は廊下に出た。冷たいコンクリートの感触が直に裸足へ伝わる。
「ん」
ヴォルフが白いスニーカーを差し出した。礼を言って雪は受け取る。
目的地は決まっているという風にヴォルフは歩き出した。靴紐を結んだ時にさりげなく後ろを確認したが、隔壁が降りていて逃げ道は塞がれていた。黙ってついてこいということだろう。
「あー……、ウルフギャングさん」
「ウルフィーで良いよ。いつも言ってるだろ?」エジソンが訂正する。この二週間の間エデンは雪に厳しい戦闘訓練を施していた。いずれ戦力にするつもりなのか、能力を拡張して利用する目論見でもあるのか、いずれにせよ雪にとっても都合の悪い条件ではなかった。新式の治療も受けることができたし、大人しく従っているかぎりは袈裟丸の身の安全も保たれていた。事実上の人質ということだろう。とはいえエデンに囚われてこの程度で済んでいるのは、烏合が手を回してくれているからだろうと雪は思った。
「ここは牢獄のはずだよね。看守でもないあんたが勝手を働けるほど、ザルなシステムなの?」
「とんでもない。このフロアは寿を閉じ込めておくために作られた高度な獄舎だ。ただ私の能力は電子機器と相性が良くてね。おまけに警備にも顔が利く」
「『寿』って?」
耳慣れぬ単語に反応する。
「改造人間12号。またの名を〈エデンの悪魔〉。お前がこの呼び名を知らないのも無理ないな。これはエデンでもトップシークレットの情報だ」
「12号の足跡に関する情報は僕も聞いたことがない。既に死亡しているのかと思っていたが……、そいつもここに居るのか? 既に囚われていたなら、情報がないことにも納得が行く」
「寿がここに居るかって?」
ウルフィーはなぜか小さく吹き出して答えた。
「ああ、もちろんここに居るよ。奴は囚われの身だ」
可笑しそうに笑顔の余韻を頬に残している。緊張感が感じられない……、というよりも余裕すら醸しているように見えた。
「ウルフィーは警戒していないのか? その寿はともかく、今、僕があなたを殴り倒して逃走することを」
「それが出来るやつかどうかを、確かめに来たんだよ。そう焦るな、そのための舞台は用意してある」
ホールに到着する。いつもと違って他の二人がいない。
「ここ二週間で知っての通り、この『赤い部屋』は戦闘訓練室だ。壁や天井に自己修復機能が備わっていて、多少の無茶をしても大丈夫なようにできてる」
「それは分かってる。いつもの二人はどうした? それにこんな朝っぱらから……、どうもイレギュラーの匂いがするな」
エジソンがこちらを振り向く。
「いいね、呑み込みが早くて。この時間は非公式だ。二人だけの秘密のデートってわけさ」
「訓練抜きの果し合いか。僕、あなたに狙われるようなまねをしたかな?」
出口のあたりを確認しながら言う。多分彼女を倒したとしても、逃走経路は潰されているだろう。警戒が増すだけだ。エジソンは肩を伸ばしながらきょとんとした顔で繰り返す。
「強えー奴と闘うのに理由がいんのか? 別にお前を殺すことが目的じゃない、ただお前の実力を測りたいだけだ」
手をぶらりと下ろす。一瞬のうちに、空気が静電気を帯びたようにピリつく。先程までとは打って変わった気迫だ。
臨戦態勢に入った雪の耳元で、微かに火花が弾けた。




