第17話 擬態
「……っ。まだ……」
樹に背を打ち付けた五頭は、最後の気力を振り絞って膝を付いた。……腕時計に表示されたカウンターが、3の数字から2に変わる。安全地帯に構えた後原が、耐久の制限時間を迎えて脱落したのだ。それを見届けて、限界に達したように五頭は倒れ伏した。
カウンターが1の数字を刻むとともに、チャイムの音が鳴り響く。馬飼の勝利の咆哮と混ざり合って、島中に谺した。
勝者の猛々しい雄叫びの声に、五頭は早々に目を開いた。
「……まったく、うるさくて眠ることもかなわない」
馬飼は快哉の名残を口辺に残したまま、五頭を助け起こした。
「まだ意識があったかよ。タフな野郎だな」
「ふん、お前に言われたくはない……。後原にもな」
五頭は疲れた笑みを浮かべて肩を借りる。
「やっぱ最後の、姉御のやつだったか。狙撃銃使えんのあの人だけだもんな。だが、ありゃどういうカラクリだ?」
「単純だ……、制電の許容時間いっぱい、安全地帯の外に潜伏して……、最後の一人を仕留めるつもりだったんだろう。押し寄せる時間と焦りの波との闘い……、気配を絶ち、辛抱強く確実な好機を待ち続けた。大した胆力だったが……、お前や俺が制電を耐え、僅かに戦闘が長引いたのが誤算だったのだろう。俺たちの……、……。いや、お前の粘り勝ちだ」
五頭は少し哀愁を含んだ顔で、ふっと微笑む。「いつぶりかな。『俺たち』のものだった勝利や敗北を、別々に味わうのは」
「へっ、そう寂しがんなよ。これからまたチームでやってくんだからな」
馬飼は照れくさそうに鼻を掻いた。
「どのみちこれで勝ったと思っちゃいねえよ。最後に姉御の乱入があったしな。ま、試合に勝って、勝負は引き分けってところだ……」
有線放送のスピーカーにノイズが混じり、跡星の声が聞こえた。
「……100人の乱戦をよく勝ち抜いた、馬飼首。資格充分としてお前を贋作の被験者として認定する。これより手術を執り行う。……海岸の研究棟へ……、五……も……、……目を……」
砂嵐のような音が激しくなって、尻すぼみに音声が乱れる。牛頭馬頭は顔を見合わせた。ぷつりと不吉に途絶えた放送を合図にしたように、武装したP-HEADsのメンバーが二人を取り囲んだ。
うっ、と短い呻き声が下る。既にダウンしたところを回収され、試験官の腕に抱えられた後原の姿を馬飼は見止めた。
「……やけに剣呑な気配じゃないっすか、試験監督の皆さん。どういうつもりっすか?」
「見て分からねえかな、公安の仔犬君。暗殺だよ。これから君たちが熟していくはずの、大人の仕事さ」
若い女の隊員が木の上から睨む。
「君たちみたいな化け物の存在はな、馬飼首。私たちのような戦闘で飯食ってるような連中にはひどく都合が悪いんだよ。旧式になり下がった私たちはすぐにお払い箱だ。そうなる前に、ここで葬っておく」
「自分たちの食い扶持のために、悪童隊を隠滅しようというのか? 軍にとってもそれは不利益のはずだ。そんな任務が下されるとは思えないが」
五頭が眉を顰める。
「そうだ、これが任務なわけがないだろう、五頭稔。我々は寄生木部隊長の志を遂げるためにここへ来たのだ」傍らの剃り込みの男が見下ろす。「これは明確な任務違反だ。もっとも、公式の文書で造反者となるのは、君たちの方だがね」
「俺たちをテロリストに仕立て上げて、殺そうってのか? ご大層な作戦だな。だがこっちは改造人間100人だ。いくらそっちが戦闘のプロでも、生身の人間10人そこらじゃ話にならねえ」
馬飼が勇ましく立ち塞がろうとする。五頭の手が伸びて、その肩を控えた。「待て」
訝し気に振り返る馬飼に、五頭は片目で合図を送る。
「連中も無策じゃない。……ここは俺に任せて、お前は本部へ向かえ」
言うなり五頭は腰元の発煙筒を投下した。馬飼以外の全員が意表を突かれるほどに自然な動作だった。
「ちっ……、逃がすか!」
敵の一人が人口の翼をはためかせて飛び立つ、その足に煙幕から飛び出たワイヤーが絡みつき、地面に引き落とされる。灰煙の中に引きずり込まれ、揉み合う音だけが外に漏れる。
「……お前らの相手は俺だ。一人として見逃さない」
煙が晴れ、馬飼の消えた地面に有翼人を抑え込んだ五頭が宣言する。眼帯の紐に指をかけ、手榴弾のピンを抜くようにそれを外した。
鉛筆ほどの細さのマイクの先を、跡星丑の掌が反復する。
「駄目だな、反応が無い」
首を傾げて跡星が独り言ちる。
「どうしました?」寄生木がひょっこりと顔を出して問う。
「いえなに、放送が、途中で切れてしまったものですから。映像にも乱れがありますし」
跡星はヴィジョンの一つを指さした。「一見すると気付かなですが、よく見ると先程から一定の時間帯の映像がループしてます。これのせいで牛頭馬頭や離脱者の状況が分からなくなった」
「配線の不調でしょうかねぇ。無線の方はどうです」
「それが、試してみたのですが上手くいかなくて……」
跡星の耳のインカムからは砂嵐の音が続いている。
「エデンやテロリストの襲撃かもしれません。一度麓の本部に戻って確認しましょう」
「少年たちはよろしいので?」
「あいつらは大概の敵には対応できます。それよりも研究棟の方が気になる。馬飼の手術に支障が出なければいいが……」
寄生木はしゃがみ込んで糸のように細いコードの配列を確認していたが、跡星の言葉に振り返った。
「今、手術と言ったかい。まさか君たちは、すぐにでも贋作化手術を行うつもりか」
「ええ、そう聞いています。戦闘直後の方が都合がいいと」
「なるほど、その情報は無かった。……まあ部外者の我々が立ち入る話でもないでしょうからな」
おっ、と小さく声を上げて机の下に潜り込んだ寄生木が跡星を呼ぶ。「教官殿、これを見てください。受け取ってほしいものが」
「何か見つかりましたか」
跡星も屈みこんで机の下を見る。およそ死の間際にしか拝むことの出来ない、常闇の小さな黒い穴が、至近距離に突きつけられた。
「……銃弾」
銃声が鳴り響いた。跡星の体が勢いよくのけ反り、草の匂いのする大地に転がった。
「……ッ、クソが……。何の真似だ、貴様……」
明滅する視界の中で跡星が呟く。「何の真似と言われたら……」骨と肉の犇めく音がして、寄生木の顔筋が歪む。両手で蓋をするように覆い、数秒前とは全く違う姿に変貌した男の顔が、歪な笑みを現す。「寄生木三佐の真似」
「……ッ、お前、その顔……」
「あれ」
P-HEADsの班長だったはずの男は、寄生木とは似てもも似つかぬ若い青年の顔を白昼に曝しながら驚いた。「なかなか死なないね。もって一秒くらいかと思ってたけど、さすがは『魔弾』の跡星丑、我ら贋作に相応しい生命力だね」
「……てめえ、エデンの諜報員か……」跡星が吐き捨てるように言う。眉間が割れて出血していたが、蒸気の弾は頭蓋で止まっていた。脳の揺れと吐き気さえ止まればどうにか戦闘することもできそうだった。
「『諜報員か……』も何も、一緒に仕事した仲じゃないか。ま、あんときは別の顔だったし、跡星君も覚えていないだろうけど」
こんな形だったかな。青年は顔の表面に掌をあてがい、もごもごと表情筋を動かした。六十手前の老けた老婆の面が現れる。「それともこれかな?」今度は身体全体を蠕動させ、小さく腰を縮める。青い髪の年若い少女の姿になって現れる。
「あんまり変身したから忘れちゃったんだよね。なんならどれがほんとの顔かも覚えてないくらい。このスタイルはとりあえずの標準だよ」
青年の顔に戻って言う。
「思い出したぜ……、『百面相冠者』のシズマ……。野一色靜馬だなてめえ……。前々からころころ顔面の変わる奴だと思ってたが、変装じゃなく変身能力だったのか……」
「そういう二つ名をいただいてるくらいですからねぇ。12号寿殿の血を受けて贋作となった、百の顔を持つ擬態の名手なのですよ、吾輩は」
青年はえへんと胸を反らす。
「と、お喋りもほどほどにしておかないとね。馬飼少年の手術が始まると言うのなら、もたもたはしていられない。小生も急いで向かうとしましょう」
靜馬は蒸気銃を再び突きつけた。跡星が顔を引き攣らせる。
靜馬が引き金を引くと同時に、跡星の口から何かが飛び出した。銃身が弾かれ、軌道の逸れた弾が別の方向へ飛んでいく。
宙に浮いた跡星の射出物を捉えて靜馬は目を丸くした。真っ白な奥歯だった。とっさに義歯を折って弾の代わりにしたのだ。事態を察して次の射撃に移ろうとした時には、跡星は既に切り立った斜面へ身を投じていた。
ほとんど崖に近い斜面を跡星は転げ落ちていく。岩盤に身を打ち付けながら、跡星は空中で銃を構えた。
2人の銃弾が同時に放たれる。靜馬の蒸気弾は上方へ逸れ、跡星の実弾は正確に靜馬の肩を抉った。
瞬く間に跡星の体は小さく遠のいていった。「……まあいいか。ガキどもをぶち殺してから捜そう」靜馬は追撃を諦め、銃をホルスターに収めた。




