第15話 灰色の枢機卿
「こうしてエデンの王として君に会うのは、初めてだったかね」
赤銅の骸骨が金属の掠れるような声音で尋ねた。彫刻のあしらわれた金の玉座に座り、肘掛けに置いた腕の先を頬骨下に添えている。顎関節を動かすたびに、纏った黒灰色のケープに襞が走る。髑髏の隣にはエデンの最高頭脳・和喰爾凝博士と、透き通るような青緑色をした短髪の女性が座っていた。その異国的な鼻筋と白い頬には知性的な輝きが宿っており、どことなく苦竹葎を想起させた。
「あんたが誰かは知らないが……、その口ぶりだと、エデン製薬時代から関係者ではあったようだな」
「その通り。私は旧エデン製薬で筆頭株主の一角を担っていた。君のことも一方的に、施設で見かけている。……もっとも、調べても出てはこないだろうがね」
「5年前のエデン製薬の解体に便乗し、組織を再編し乗っ取ったわけか。まさしく『灰色の枢機卿(影の黒幕)』というわけだ」手錠に繋がれた手に力を籠める。「こんな大規模な組織を操って、何を企んでいる?」
「すでに伊舎那から聞いているだろう。我々は人類に救済と進化を与える。戦争による民族浄化と、遺伝子の再生産、その果てにある淘汰を通じて、な。そして我々は死の恐怖の無い世界をこの地球にもたらすのだ。不死者の国、永遠の庭……、『楽園』を。人類は死という呪いを乗り越え、我々の統治の下に永劫平和を享受し続ける」
枢機卿が骸骨の手を額に這わせる。雪との空間に見えない亀裂が入っているかのように、空気が張り詰めていた。
「……要するに、現生人類を滅ぼして改造人間の子孫だけの世界を創る、と。猿の惑星でも創るつもりですか。しかし、それのどこが救済になる? 手段からして矛盾している、人類の死を克服するために人類を滅ぼすとは」
「私は久遠の未来の話をしているのだよ。とてつもなく遠い未来の話を。不完全な不死者たる『12人』の血を引き、混合し、絶えざる変異を遂げた来たるべき新人類。いずれ彼らはあらゆる死の要因を超越した、本当の不死者になるだろう。それまでの間に流れる血は、全て偉大なる祝福に至るための犠牲にすぎない」
「で、ついでに世界も征服すると。オマケで手に入るにしちゃ、大きすぎる代物ですね」
雪は手錠を付けたままの両手を持ち上げて頬を掻いた。
「まあいいです。今さらあなたたちと正義を議論をするつもりはありません。僕の手は既に血で汚れている。今の僕にとって重要なのは、世界の行く末より身近な人間の幸福だ。あなたの目論見が正しい行いかどうかなど、どうでもいい」
「ふ、子供らしくもない現実論だ。だが生憎私は童心を捨てきれていなくてね……。願望を持て余した大人のすることなど、およそ馬鹿げたものでしかない。しかしいずれ分かる時が来る、君たちが最期の息を吐き出す時、最も身近にある欲望こそがその稚気であるとね」
骸骨が手を振る。退がって良しということらしい。隣の女が軽く指を弾ませて、扉を開かせる。
雪たちは烏合に連れられて議場を後にした。去り際、とことこと扉の前へ歩み寄ってきたニコラ博士が雪の背中を叩く。
「ヤア久しぶり、娘は元気にしてるかな? 真白雪君」
「博士」
雪は老人の白い顔を見返して答える。「……先生は息災ですよ。苦竹爾凝博士」
部屋を後にすると、神妙な面持ちのまま一同は廊下を練り歩いた。踊り場に出たあたりで、烏合がぴたりと足を止めて雪の腕を離した。
「止郎。ルートKから雪をホールへ」
名前を呼ばれた余目が振り返る。「しかし、ホールへはこのまま階段を降りた方が……」
「良いから、而澄と愛も一緒に」
七坐と残間も促され、一同は遠路へと向かった。残された烏合は階段を降りる。
……冷たい視線を横に投げる。灰色に紫の髪をした少年が、腕組みをしたまま壁にもたれかかっていた。ギザギザした空気を纏っている。彼の周りだけ一段光が退いて、世界が色褪せているかのようだった。
「ずいぶん勘が良いねぇ」祁答院伊舎那はせせら笑うように言った。「そう心配せずとも、雪君を奪ったりしないよ。僕はただ枢機卿に用があって来たまでさ」
「どうだか。あなたには一度、横取りされている」
向き合うこともなく、横目で冷ややかな視線を投げたまま、烏合が答える。
「あなたは信用できない。今回は私の権限で葦原との面会を禁止させてもらう。雪には一切接触させない」
「おー、怖い、怖い。こんな人畜無害な少年を警戒してどうするのさ」
大袈裟に伊舎那は手を挙げてみせる。
「人畜無害? ふざけたことを言ってる。あなたは一々江を利用して世界に危機をもたらしかけ、二号が活動を再開する火種を作った。あまつさえ雪と天使を取り逃がす始末。エデンにとってこれ以上ない損失だった」
「それは君が横槍を入れたからさ。あれしきのことで雪君は死なないというのにね、過保護が過ぎるんだよ。大体僕がなぜ、あれだけの力を世界全土に向けたのか、考えてみなかったのかい? 目的もなく一号の力を起こすわけがないだろう、あれは意味があったのさ」
「……。一号でなければできないこと」
烏合ははっと顔を上げる。
「はは、やっと気付いたかい。そうだよ、御黒闇彦の抹殺だ。今のとこ、彼を確実に葬ることができるのは、一号くらいだからね。昼神の力を使って、二号を仕留めるつもりだったんだよ。そのためには世界を射程圏に収める必要があった。彼の拠点は長いこと不明のままだからね」
「……だとしても」烏合はやっと祁答院の方に向き直った。「被害規模が大きすぎる。いくらあなたが枢機卿直属の部隊長と言え……、あれだけの影響を及ぼす作戦を独断で行うなんて、罷り通るはずがない」
「いいや、それが許されるのさ。葦原ならね。その後の世界の事なら心配ない、僕のコネの中には、国際社会の均衡に直接関与できる人物も含まれている。当然アフターケアも計画の内さ」
「……分からない。一体あなたの後ろには誰が付いている? 雪を使って何を企んでいるの」
「君が知る必要はないよ、雨鴉ちゃん。所詮は君も駒の一つにすぎないんだから」
伊舎那が、壁から背中を離す。ゆったりと烏合の横を素通りして、階段に足をかける。
「なら……、その駒を甘く見ないことね。あなたが雪を手にかけるようなことがあれば、その前に私が、あなたを殺す」
「やってみたら? フフ、君らと殺し合うのも楽しそうだ」
何ら気負った風もなく、軽快なリズムで伊舎那は階段を上っていった。やがて少年の靴が視界から消えた。
〇
振り抜いたバットが、プラズマの盾を押しのける。
壁際に吹き飛ばされた衝撃が、少年の意識に電撃を流す。
「やれやれ、これでここいらの三年は片付けたか」
金属バットを肩に担いで、馬飼が時計を見る。狭まった可動域と、生存者13人の顔が空中に表示される。卒業アルバムのように並んだ100人の悪童隊のうち、既にリタイアした生徒の顔には赤いバツ印が付けられている。眺めている間にも斜めの十字の数が増えていく。
「一年が凄い勢いで減ってるな。塊って動いてんのか? 二、三年はさすがに共倒れが激しいし……。やっぱここ、激戦区だったんか」
安全地帯の収縮が始まる。こうしちゃおれん、と馬飼は戦闘区域に向かって移動し始めた。残存生徒数がまたひとつ減る。範囲外に取り残されてタイムアップしたらしい。これで残り6人……。戦闘領域の小ささからして、これが最後の戦闘になるだろう。散り散りになっていた生徒たちが一堂に会するはずだ。
頂上はほど近い。木々の間を飛びぬけ、岩山の上に着地する。
背中に二重の衝撃があり、馬飼は振り向く。ダメージはない。先に倒した二年から奪っていたシールドを、背部に提げていたのだ。木陰から二丁の拳銃が現れる。
「背面は岩肌に向けておけ……、と忠告するつもりだったが、逆に炙り出されてしまったな」
隻眼の顔が木立から覗いた。「来たか」相棒の姿を認識し、馬飼が威勢よく拳を叩く。「ここいらで大将対決と行こうや、五頭」