第7章
沙羅は目の前にいる人物に唖然としていた。沙羅が今いる場所は、保健室。中に入るとそこには―――久遠が丸椅子に座ってニコニコしていた。
「……なんで、いるの?」
「暇だから? それに、一度俺と会ったことあるよな?」
少し引き気味になりながらも沙羅は、質問に答える。
「……どこで? あっ! 廊下で?」
「ああ。―――お前からは凄く良い匂いがしたからな……」
言葉を最後まで繋げる前に樹は自分の手で口を塞いだ。心持か顔が赤い。その樹の表情に沙羅も頬を紅く染める。顔が赤いことを相手に気付かれないように沙羅は告げる。
「……匂い? 私、香水なんか付けてないんだけど……」
「違う、香水なんかじゃない―――もっと甘くて、誘うような……」
な、何? 彼の瞳の色が急に……赤く……。沙羅は樹の瞳に目を奪われた。真っ赤な瞳、身を焦がすような……熱い色。
そして、沙羅の肩に樹の腕が置かれ、顔を近づけられる。
キス―――される! と思ったら、樹が首筋に顔を埋めていた。生ぬるい舌が何度も沙羅の首筋を這う。
「…やぁ…あっ…」
急な行動に鼓動が早くなる―――。もどかしい感覚に体の力が抜け落ちる。
「っ…んっ……」
沙羅は自分の口から漏れている甘い声に、驚き目を見開いた。沙羅の声に我を忘れていた樹が理性を取り戻す。
「…!? 俺は……何をっ…?」
樹は沙羅を見た途端、顔を真っ青にしてごめんと、呟き保健室を出て行った。
なんだったの? 今のは……何? まだ、ドキドキしてる。少しだけど……。でも、あれは架斐と同じことをしていたような……。違う! 吸血鬼なんか存在しない! あれは幻覚だったの……。勘違いだ。そんなことありえない。
沙羅はまだ火照っている頬に手を当て、熱を冷ます。そしてさっきの行為が甦り、また熱を帯びる。自分が自分でないみたいだった。そんな自分に恥ずかしくなった。沙羅は気を取り直し、保健室に来た人の手当てに回った。
樹は己の首、喉を掴みながら悶え、苦しんでいた。
―――あの子を噛んでは駄目だ。あの子を噛んでしまおうとした、自分が許せない。香りを嗅いだだけで吸血行動を起こしたなんて初めてだ。それほど、強烈な血の持ち主なのか。あの子の声がまだ耳に残っている。そして、心の奥底で思った自分の醜い欲。もっと聞きたいと啼かせたいと思った。あの柔らかだった肌に触りたい牙を突き立てたいと思ったのも事実。そんな事を考えるなんてどうかしてる。俺はあの子に惹かれてるのか? 否、そんなはずは無い。ただ、吸血行為をしようとしたからだ。吸血鬼は皆、そうだ。吸血をしたら性欲的になる。だけど、俺は噛んではいない。なのにどうして…。
悶々と疑問が増えていく。あの子に対しての気持ちと、あの子の香りが―――増えていく。もう少しで分かりそうなのに、それが何か分からない。
樹は重い足を上げ階段を上って行った。
アゲハチョウは蜘蛛の巣に捕まるのか、糸を切り逃げ切る事が出来るのか。謎は深まるばかり。しかし、蝶はまだ羽を羽ばたかせ始めたばかり――。