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第26章

 夢を見ていた。とても、静かな夢を。

 その夢の中で沙羅は優しく耳元で囁きられ、頬を撫でられるそんな夢を見た。撫でていた手はどこかへと消え、温もりだけが残り、沙羅ははっと目を覚ました。

 目尻には涙。悲しかったのだろうか。でも、ぼんやりと夢の内容を覚えている。はっきりとはしないが、夢の中で安心していた自分が居たことを頭の隅で覚えていた。

「…ふあ~あ」

 体を起こし、伸びをする。

 ベッドから這い出てカーテンを開ける。カーテンを引いた景色はどんよりとよどみしとしとと雨が降っていた。雨の水滴が音を立て窓ガラスにあたっては落ちている。

 今日も雨かと心のなかで毒吐きながら、歯磨きをする為、洗面所に向かう。そこに来れば、先客が居て、一生懸命自分の寝癖をくしで梳かしている柚鶴が居て可笑しくてつい、笑ってしまった。

「あははっ! 私が直してあげようか?」と言えば、

「いい、自分でやる」ブスっとした顔で鏡を見ている柚鶴。

そんな光景が可笑しくて、また噴出してしまう。

「…笑わないでよ。折角、直しているのに」

「はいはい…。歯磨きが終わったら、私は退散しますよー」

歯ブラシを口に咥え、シャカシャカと歯を磨いていく。

 あっ、と思い出したように髪を梳かすのを止め、柚鶴は聞く。

「そういえばさ、姉ちゃん昨日の男の人誰?」

沙羅は瞬きを2,3度した。

「…え? 男の人?」

「うん。えーっと…姉ちゃんと同じ学校の制服で、確か名前は、ぎおん? くおん? って言ってたけど、まさか、姉ちゃんの彼氏?」

茶化すように問いかけてくる柚鶴に沙羅は聞き直す。

「違うから、えっ? 久遠がどうかしたの?」

「…姉ちゃん、覚えてないの? その、久遠って人、姉ちゃんを担いでまで家に送りに着たんだよ? 姉ちゃんが貧血で倒れたって言って。あの時はすごいお母さん取り乱して、ほんと大変だったね…」

柚鶴が話すことに驚きを隠せずに、ただ黙って頭の神経を働かせていた。

(…私が貧血で倒れた? いつ? どこで? 昨日の帰りは…)そこで思い出した。樹に助けられたんだと。沙羅の脳裏に湊都との間に有った事を思い出す。そういえば、あの時の傷も残っているのだろうか? と思い、沙羅は左腕の袖をくる。そこには丁寧に包帯が巻かれ、昨日の出来事の存在を主張していた。

 話の内容を伝えてくれた弟にありがとうと、早口で言い、洗面所を飛び出した。

 部屋に戻り、早々と制服に着替え、ドタドタと階段を下りリビングに向かった。急いで、テーブルの上に焼きあがっているトーストを片手に持ち、口にくわえる。焼き目の付いたパンの香ばしい匂いが食欲をそそる。

「…? どうしたの沙羅? そんなに慌てて…行儀悪いわよ」

騒がしくやって来た沙羅に詩織は怒鳴る。

「あっそうだ、沙羅。昨日久遠くんだっけ? あの子、あんたを送り届けてくれたのよ? ちゃんとお礼しときなさいよ。あ、それから。”また倒れたら心配なので毎日、一緒に登校させてもらいます”って言ってたわよ? あなたの彼」

ウフフと母の意味ありげな笑いに食べ物を詰まらせる沙羅。

「ごほっ! こほ…嘘! 早く言ってよお母さん! 変じゃないよね?」

バタバタと動き回る沙羅を何とかなだめ、詩織はため息を吐く。

「大丈夫、いつもどうりよ。…あら、あれ久遠くんじゃないの?」

リビングにある窓を覗き見ると、玄関先に黒い傘が見えた。

「ちょっ…いくらなんでも、早いでしょっ」

湧き上がる衝動をなんとか押さえ込み、家を出る。玄関を出て直ぐ、黒い物が目に入った。黒い傘だ。湊都が持っていた傘と同じ色。

「くおん…?」

彼を呼べば、彼は傘をずらし振り返った。

「おはよ、沙羅」

沙羅と呼ばれ、自分も樹と呼んでいた事にいまさら気づく。

 ドキドキと高鳴った胸を制服の上から掴み、落ち着かせる。彼に近づくたびに鼓動はどくどくと心拍数を上げてゆく。

 彼の隣に着くまでの間の距離がとても長く沙羅には感じた。そうして、沙羅は樹の側へと歩み寄る。

「お、おはよ…樹」

彼を見上げれば、目が合い照れたように頭をかく。

「じゃ、行くか、」

「…うん」

そう声を掛けられ、沙羅は身を硬くする。

 暫く二人で沈黙したまま、黙っていると樹が沙羅に話しかけた。

「ごめんな、うちの妹が…迷惑掛けて」

突然話を振られ、声が裏返る。

「う、ううんっ…ぜんぜん。大丈夫!」

「…そうか? 腕とか、痛くないか?」

樹の目は沙羅の左腕に向けられている。

「平気、平気!! 樹が包帯をしてくれたし…」

そう答え、笑みを見せる。何も言わず樹は沙羅の顔をじっと見つめていた。そして、沙羅の腕をそっと持ち上げ、包帯を解いた。あらわになった擦り傷、瘡蓋にはなっていないが膿んでいて痛々しい。

「…まだ、痛むだろ?」

と、彼は腕を掴んでいない片方の手で傷口を指でつぅっとなぞる。

「…っ…!」

弱くなぞられただけでも痛い。沙羅は顔を歪め、樹の腕を解こうとする。

「放しっ…」

「傷の痛みを取るだけだから…」

樹は腕に顔を近づけ、口付けを落す。その事に驚き、沙羅は頬を真っ赤に染める。

 そっと顔を上げ、目の前に居る彼女に言葉を投げる。

「痛みは?」

「――ない、けど…どうして?」

沙羅は失った痛みに困惑する。

吸血鬼ヴァンパイアの能力の一つ。治癒力だ」

「治癒力? こんなのを治すって事?」

腕を上げ彼に見せる。

「あぁ…そうだ」

「ふうん、他にも有るの?」

目をキラキラさせ、聴いてくる沙羅に樹は声を出して笑う。

「沙羅は、本当に見てて飽きない」

「何が? 私はこれが素なんですけど」

あっけらかんとして言う彼女を横に樹は傘を閉じた。

「あ…。雨、上がったみたいだね」

彼の閉じた傘を見て、沙羅も傘をたたむ。

 雨雲もどこかへ流れ行き、日光が顔を出す。その光に沙羅は目を細め、気持ち良さそうに空を仰ぐ。空を見ていた沙羅の視線は樹へと移り、彼女は告げた。

「あ、そういえば…樹が背負って着てくれたんだっけ? ありがとう」

沙羅の瞳に樹が映る。

「…え? あぁ、良いよ。そんなの――」

「それと、包帯もありがとう」

そう言ってから、沙羅は考えるようにうーんと唸った。

「痛みも取ってくれて有難う…数え切れないぐらい、私は何度も樹に助けられているね」

沙羅は彼に優しく言い、頬笑んだ。

「…違う」

小さく樹は呟いた。

「違う、俺が沙羅に助けられているんだ。人間と俺達は違うのに、沙羅は分別しないで真っ直ぐに俺を受け止めるから…それが嬉しくて、いつも泣きそうになるんだ。それに沙羅が他の奴に奪われるのがどうしようもなく怖い」

今にも涙が零れ落ちそうな樹の表情。いったい何が彼を縛り付けているというのか。

「…樹?」

樹の頬に手を伸ばし、ゆっくり触れた。彼が今にも消えてしまいそうで怖かった。樹に触れるとちゃんと鼓動が伝わりため息をく。生きている事を表しているそれに安堵し、沙羅は樹から手を離す。けれど、樹はその手を掴み、沙羅の体を抱き寄せた。

「誰にも渡したくない。好きだ、沙羅」

沙羅の耳元で囁き、耳たぶを甘い噛みする。沙羅は感じたことの無い甘い痛みに声を漏らす。

「…あっ」

 引き寄せた沙羅の体は柔らかく、力を込めれば折れてしまいそうなほど脆いと樹は思う。それは人と獣だからか。定かではない。

 腕の中で身をよじる沙羅は苦しそうで、少し力を緩めた。

 樹を見上げれば、感情が読み取れない。力をいれ、押そうとするがびくともしない。いつ離してくれるのか。沙羅は見当がつかない。再度、胸元へ伸ばした腕はいとも簡単に彼に囚われ、抵抗が出来なくなる。

 必死に伝えようと紡いだものは掠れ、沙羅は涙を一筋流した。嫌だからではない。体と頭がついていかない。行為を止めて頭を整理したいのに、それも彼は許してはくれない。

 沙羅に熱っぽい瞳で見つめられ、零れた涙を舐め取り樹は沙羅にキスを一つ落す。

 時折漏れる甘い吐息が樹の耳元を掠める。沙羅は身をよじり小さな抵抗を見せるが樹には何の効果も無い。ただ彼自身を煽るだけ。

「…っん……ふぁ」

最初より、激しくなった口内の愛撫に沙羅はギュッと目を瞑り、樹にすがり付く。

 樹の見た目よりたくましい男の体に沙羅の胸は高鳴る。沙羅は力を失くし立てるのもやっとな状態だった。そして、名残惜しく樹は唇を離し沙羅を見た。

 息を整え、沙羅は問いを投げかける。

「――それ本当なの? 私を好きだって…」

「嘘じゃない。沙羅だから、好きになったんだ」

今度はちゃんと、沙羅の瞳を真っ直ぐ見て言葉を伝えた。

「でも、私…」

「答えられないなら、それで良い。俺は」

樹が間を入れたところで、沙羅は続ける。

「そんなんじゃない! 嬉しいのっ。ただ、頭が付いていってなくって…。一日、考えさせて? 私、まだ」

混乱している頭の中を出来るだけ整理したい。

「――わかった。

 明日も、迎えに行く。沙羅に何かあったら俺が不安になるから。じゃあ、俺は先に行く。沙羅も遅れないで…」

背を向け去っていく樹の後ろ姿をいつまでも沙羅は目で追っていた。

「なんでっ、あの子なのよ! …なんで、あたしじゃないの? 樹…」

沙羅と樹のやり取りを影で見つめていた一人の少女。怒りをあらわにし、射るように沙羅を見る。それに気付かず歩いていく沙羅。自分とは違い、幸せそうな顔をしている。彼女のその顔を見た瞬間、怒りが腹の底から湧き上がってきた。

「許さない…。あたしから、樹を取った罰、絶対後悔させてやる…」

そんな言葉を残し、少女は蝶となり羽ばたいた。


 まさか、告白をされるなんて沙羅は思っても居なかった。歩きながらそんなことを考える。樹に一日、時間をくれと言ったが、あれは単なる沙羅の恥ずかしさからで、直ぐに好きと言える勇気もなく、明日までという期限をつけてしまった。

 はぁ。とため息を一つ吐き、喜びに震える胸を押さえ、玄関を訪れる。

「あ、沙羅ちゃん。久しぶりだね」

ふいっと隣を見れば、沙羅は背筋を凍らせた。

「高宮架斐…」

沙羅がそう言えば、架斐はおどけた様に牙を見せる。それは、沙羅に怖がれとでも言っているように。

「あれ? アイツは一緒じゃないの?」

好都合だ、と思っているのか架斐はじりじりと沙羅に近寄って行く。

 怖がる様も見せない沙羅に苛立ちを感じる架斐。その感情ともう一つ感情が生まれる。怖がらずに居る沙羅をめちゃくちゃに壊したいと思う気持ち。

「…ちっ」

何故、人間如きにそう思う? 目の前に居る女は餌なのに、何故。

 首をぎりぎりと掴めば、苦しさに歪むその顔。しかし、沙羅は声さえ漏らさない。その事に苛立ち、素早く腕を離す。

 首を絞められ、朝から色んなことが起きる一日だと沙羅は思う。場違いな思いだとしても、そう思ってしまう。

「げほっ、ごほ」

胸を押さえ咳き込む沙羅。そのまま、沙羅の髪を指に絡め顔を持ち上げる。

「すごく、そそるね。その顔、まるで俺に血を吸われている獲物おんなの様だ」

「っ…離してっ! わ、私は貴方の獲物じゃないっ」

沙羅達、人間は獲物じゃない。ましてや、同じ形をしている獣に食われるなんて真っ平だ。それが架斐であるなら尚更なおさらだ。

「沙羅ちゃん、それは間違ってるよ? 君達は皆、俺たちの食料だよ。なんなら…、その白い首筋に証明してあげようか?」

 首筋をねっとりとしたもので舐められ、逃れようとする。抵抗しようにも出来ない。耳にかかる吐息がぞわりと体を駆け上がり、沙羅は身を震わす。

「…き、いつきっ、助けっ…いつき」

そこに居ない人の名前を呼ぶ。

「はぁ。…沙羅ちゃんはアイツばっかだね。――ねぇ、俺の名前も呼んでよ」

妖しく口角を上げる。けれど、沙羅は”樹”と叫ぶばかり。

「なんで、俺じゃないんだよっ。なんで…」

切なさと悲しさが入り混じった自分の声に架斐はハッとする。そして、すぐさま沙羅を離し彼女を一瞥する。

 一瞬、何をされたのか分からなかったが、離されたのを良いことに沙羅は踵を返し、教室へと駆けて行く。その場に残された架斐は立ち尽くしていた。己の手のひらを見つめ、先ほどあった沙羅の感触を思い出し、嘲笑う架斐。

「はっ、この俺が…人間如きに、落ちるなんて」

くしゃりと前髪を掴み、思いに浸る。

 一人の人間の少女が心に入り込み離れない。でも、沙羅は架斐では無い男を求め助けを請う。それが今、どうしようもなく悔しい。架斐は樹と同じ吸血鬼ヴァンパイアなのに何が違うというのか。途方に暮れ、架斐は沙羅が去っていった方とは反対に歩み始めた。

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