第10章
6限を終え皆、帰宅準備やら部活動に行く用意をしていた。その教室に一人だけ机に顔を伏せている者が居る。それは沙羅だ。授業が終わっても一向に顔を上げようとはしない。そんな熟睡している沙羅の側に少女がやって来た。蒼浬だ。蒼浬は沙羅を起こそうと体を揺さぶるが、疲れているが中々起きない。蒼浬は沙羅に痺れを切らし大きな声で叫ぶが無反応。
「沙羅!! ……起きないし。しかたない、手紙に書いておこう」
蒼浬は手に持っていたペンケースからメモ帳を取り出し、その紙に何かを書き込む。紙には丸っぽい字で、こう書いてあった。
【沙羅へ
私、急に部が入ったから一緒に帰れなくなっちゃった……明冬とは先生に呼ばれているから無理だって言ってたよ。本当にごめん!! 蒼浬より】
紙を沙羅の手に持たせ急いで蒼浬は教室を出て行った。
沙羅が目を覚ましたのは放課後。辺りを見渡すとすごく暗い。教室に掛かっている時計を見ると針は午後6:30を指していた。
もうこんな時間かと思い、手を動かそうとして何か違和感を感じた。不思議に思い掌を開けてみると、丁寧に四つ折りにされた紙があった。中身を見てみると……一緒に帰れないことが綴られていた。今日は一人か――…と思い私は窓の外に目をやる。
素早く鞄に教科書や参考書を入れ、沙羅は席を立った。外はもう暗い……集会で言っていた吸血鬼事件の事も在るし……一人で帰るのは心細いけど。私が寝ていたから自業自得だよね。
沙羅は鞄を肩に掛け早足で下駄箱に行き、靴を履いた。背後を気にしながら学校を出る。
道の所々にある蛍光灯がチカチカと点滅している。今日の集会で言われた吸血鬼事件の事が脳裏を掠める。
”皆さんに集まってもらったのは、ニュースでよく耳にする吸血鬼事件の事です。これはまだ犯人が見つかっていないそうです。ですから……今後、一人で帰らないように。帰宅する時は必ず複数の人数で……” 細い道に響いている沙羅の足音。沙羅がしばらく歩いていると微かに沙羅の足音とは違う音が聞こえてきた。沙羅が後ろを振り返ると人が着いて来ている。言葉には言い表すことの出来ないモノが這い上がってきた。相手に気づかれないように早く歩いても相手は黙ってついてくる。沙羅は後ろに気を取られ、前に居る人物に気がつかなかった。そして気づいたときにはもう遅く、沙羅は両腕を拘束されていた。
二人!? 近づいてくる音さえしなかった……。まさか、吸血鬼事件の犯人はこの人たち!?
「……っ! 離してっ……」
腕を掴んでいる手を離そうともがいても、相手は黙ったまま沙羅を見ている。二人のは男は深くフードを被っている。表情を見ようとするが出来ない。
沙羅は自分が殺されるかもしれない事に目に涙を浮かべる。それを見た男達はニヤリと笑う。沙羅を拘束していた男が沙羅を地面に叩きつける。
「……っ!!」
転んだ拍子に膝から血が出た。甘美な香りが男達の鼻腔をくすぐる。誰も嗅いだ事のない血の匂い。甘い甘い魅了するような血が出たとたん男達は目の色を変え、舌なめずりをした。そのとき口元から妖しく光った白い尖った歯。それは犬歯のように鋭く獣の様。
―――吸血鬼!! 沙羅は変貌した男達を見て動けずにいた。腰が抜けて立てない―――。踏ん張ろうと、手で何とか立つが直ぐに座り込んでしまう。そんな動けない沙羅を見て男達はさらに笑みを深め、沙羅の血を飲もうと牙をむき出した。次に来る痛みに耐えるよう沙羅は目を瞑る。が、痛みはない。どうして、何が起こったのか状況を見ようと目を開ける。そこには、男達を真っ直ぐ見つめた樹が沙羅を庇うように立っていた。
「……っなんで……」
樹は沙羅を一瞥しただけで冷たく男達を見ている。何ともいえない空気がその場を漂う。有無を言わせない威圧感が男達をひれ伏せる。
「……お前達はなんだ?」
静かに樹は言った。保健室での喋り方とまるで違う。沙羅は目の前にいる樹を不思議そうに見つめた。
「……ッ私たちは、あるお方にそこにいる少女を探し連れて来いと命じられただけですっ……」
「それは誰だ?」
「……いえません」
男がそう口を開いた瞬間、風のようなものが男の腕を切った。血しぶきが地面に転々と広がり、血しぶきは沙羅のいるところまで飛んできた。樹は頬についた血を親指で拭きその指に付いている血を舐めた。その姿は女の沙羅かも見ても妖艶なもので沙羅は目を逸らした。
「……っ! お許しくださいっ樹様!!」
男は腕を押さえ、許しを請う。それは樹が許すはずもなく樹は男を冷たく見据えた。そして男は苦しそうに、見えない何かを取るように首を掻き毟った。だんだん、男は青白くなり血の気が失せていった。
沙羅は自分の目の前で起きている事が信じられないのか目を見開いたままその様子を見ている。
「―――消えろ」
男達は額に脂汗を垂らし霧のように消えていった。
「大丈夫か?」
樹が沙羅に手を差し出すが沙羅は後退っただけで、その手を取ろうとはしなかった。一瞬、樹の瞳が寂しそうに揺らぐ。それを見た沙羅はいたたまれない気持ちになったが、その考えは振り払った。
「……俺が怖いか?」
「……」
わからない……でも、久遠は私を助けてくれたんだよね?
沙羅は声を絞り出すように樹に告げた。
「……わか、らない……でも、ありがとう」
まだ、体は震えている。それを樹に気づかれないように沙羅は拳を作る。
「……血。出てる」
樹は沙羅の膝を見て呟いた。そして、ポケットからハンカチを取り出し沙羅に向かって投げる。それを沙羅は慌ててキャッチし樹とハンカチを見比べ、観念したように血を拭いた。沙羅は血を拭きながらずっと疑問に思っていたことを樹に問う。
「……あの。さっきの人たちは? それと貴方は何?」
何だか、よそよそしく喋ってしまう。沙羅の言葉の裏に隠れているもの……それは言われなくても樹にはわかっていた。沙羅が言わんとしていることを―――。
”貴方は人間なの? 吸血鬼なの?” 沙羅が思っている事はこの事だろう。樹は平然と答えた。
「…俺は、人の生き血を啜る吸血鬼だ」
その言葉に私はドキッとする。樹はそんな沙羅を見てふっと笑う。
「……それが、普通の反応。人間は吸血鬼を嫌い拒む―――」
遠くを見つめて樹は昔を懐かしむ目をした。けれど、その瞳は悲しさなどが入り混じったもの。
「……っ!! じゃあ、貴方は私を襲わないの?」
「…さあな? 襲うかもな―――?」
樹が牙を出して笑えば沙羅は身を硬くする。
「はははっ……! 怖がればいい! 俺を拒めばいいっ! この化け物をっ!!」
樹は冷たく笑う。
沙羅は狂った様に叫ぶ樹を目にし、そしていつもとは違う樹に不安を覚え、鞄を抱え走り去った。
「……これでいいんだ」
それで良いはずなのに何でそんな泣きそうな顔をする? 他の奴らなら……憎しみを篭った目で嫌った目で俺を見るはずなのに。なぜそんな。最後に見せた沙羅の顔。それが瞼の裏に焼きついて消えない。
何かもやもやとしたものが霧のように心を埋め尽くす。いつもなら、ちゃんと切り分けられるのに、どうして苛立つのだ? 水無月沙羅だからか? 傷つけてしまったと後悔しているのか? この此処を埋め尽くしているものが何なのか樹には分からない。そして、樹は真っ暗な空を見上げた。その空は今の樹の気持ちを表しているかのようで、樹は目を逸らした。
――抗えぬ血。その血が流れる限り輪廻は続く。永遠に続く輪廻だからこそ、綺麗で汚れの無い澄み切ったものになる。
廻り巡り逢い、人はまた出会いを繰り返す。『運命』それは途切れない糸で繋ぎ合わされる。運命とは時に残酷で儚く美しい。