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偽りの霊峰

作者: ウォーカー

 遙かなる霊峰。

頂上まで登ると、あらゆる病気や災いを防ぐ加護があるという山。

そんな奇跡か魔法のような言い伝えが残る山が、実際に存在するという。

噂は評判を呼び、今では健康祈願のために訪れる人が後を絶たない。

そして今日も、霊峰の御利益にあずかるために、人々が山に足を踏み入れる。



 どこかの地方の、辺鄙へんぴな村。

小高い山の麓にあるその村に、数十人の観光客たちが集まっている。

観光客たちは高齢者が多く、山登りの服装をしていた。

「はい、参拝者のみなさんは、こちらに集まって下さい!」

中年の男の掛け声で、観光客たちがどやどやと集まった。

集まった観光客たちに向かって、中年の男は頭を下げて話し始めた。

「ようこそ、この村にお越しくださいました。

 私、ガイド兼、この村の村長を務めさせて頂いている者です。

 霊峰への登頂は、私が先導させて頂きます。

 よろしくお願いします。」

観光客たちからまばらな拍手が返ってくる。

ガイドの男はにこやかに説明を続けた。

「みなさんご存知の通り、

 この霊峰は登頂、つまり頂上に登ると、

 あらゆる病気や災いを防ぐ御利益があると言われています。

 みなさんも、この霊峰に登頂して御利益を受けて、健康に長生きしてください。

 では、みなさん。

 これより、霊峰に入山するにあたって、いくつかの手続きをして頂きます。

 順番にご案内しますので、こちらへどうぞ。」

ガイドの男に連れられて、観光客たちは村の中を移動していく。

その様子はどこか笛吹きの童話を連想させた。


 ガイドの男に連れられて、観光客たちがやってきたのは、

村の診療所らしき建物だった。

「はい、着きました。

 では、みなさんにはまずここで、一通りの健康診断を受けて頂きます。

 霊峰は神聖な場所ですので、ご病気の方は入山できません。

 では、こちらで手続きを。」

言われるがまま、観光客たちは血圧などの身体計測を行っていく。

「あー、あなたはちょっと高血圧気味ですね。

 これでは、霊峰には入山できません。」

「ええっ?せっかくここまで来たのに?」

「ご安心ください。

 この村には保養施設もありますので、村の中で観光をお楽しみください。」

そんなやり取りがあって、健康診断の結果に問題があるとされた数人が、

霊峰への入山を断られて、村に残されることになった。

ガイドの男はにこやかに、声を上げて観光客たちを集めた。

「みなさん、健康診断お疲れ様でした。

 次は、体力測定を受けて頂きます。

 霊峰の登頂には険しい山道を進むことになりますので、

 体力に問題がある方も、やはり入山はできません。

 ではこちらへ。」

言われるがまま、観光客たちは反復横跳びだの握力測定だのをしていく。

「おやおや、あなたはちょっと体力が落ちているようですね。

 危険ですので、霊峰への入山はできません。

 村の中で、観光をお楽しみください。

 この村では僅かに米が採れるのみなんですが、

 米料理はどれも美味なんですよ。

 村のみんなは毎日それを食べて生活していますから、味は保証します。」

そうして体力測定の結果に問題があるとされた数人が、

またしても村に残されることになった。

「みなさん、体力測定お疲れ様でした。

 次は、生活習慣の調査を行います。」

ガイドの男は、そんなことは意にも介さない風で、

にこやかに声を上げて観光客たちを引き連れていく。

それから観光客たちは、

生活習慣などの聞き取り調査、山登りについての試験、面接調査など、

いくつもの調査や試験を受けることになった。

その結果が出る度に、問題があるとされた数人が村に残されることになり、

全ての結果が出揃った頃には、残った観光客たちは、

当初の半分ほどにまで減っていた。

やはり意にも介さない風に、ガイドの男はにこやかに言った。

「みなさん、お疲れ様でした。

 最後に、登山届と誓約書を提出して頂いて、手続きは完了です。」

登山届とは、山に登る際に目的や行動計画を届ける一般的なもので、

遭難などが発生した場合に、捜索に役立てられる。

そして、誓約書は、この山独自のもの。

霊峰に入山したらガイドの指示に従うこと、

もしも、霊峰の頂上にたどり着けなかった場合は、

霊峰の御利益にはあずかれないこと、などが記されていた。

数々の手続きに、観光客たちは既にヘトヘト。

言われるがままに書類にサインをして、

やっと霊峰に入山することになったのだった。


 数々の手続きを乗り越えて、

観光客たちはやっと霊峰への入山を許された。

手続きで半数ほどが落とされたとは言え、

それでも観光客たちの人数は二十人ほどはいる。

そんな大所帯を、たった一人のガイドの男が率いて、山を登っていく。

最初は軽いハイキング程度の穏やかな山道だったのが、

次第に険しい山へと姿を変えていった。

しかし、ガイドの男は意に介さない様子で、

早足気味で山道を進んでいく。

もとより、集まった観光客たちは高齢者が多い。

山を知るガイドの男のペースについて行けず、音を上げる者が現れ始めた。

「ガイドさん、ちょっと待ってくれ。

 疲れたから、少し休憩させてくれないか。」

すると、ガイドの男はにこやかに、しかし冷徹に返すのだった。

「おや?私に付いて来られませんか。

 霊峰は神聖な場所ですので、

 登山ルートや進行にも決まりがあるんですよ。

 それに従えない場合は、これ以上の登頂はできません。

 付いてこられない方は、道中にある待機所でお休みください。

 後で迎えに来ますので。」

そうして、霊峰に入山した後でも、

観光客たちが一人また一人と切り捨てられ、取り残されていった。

待機所として用意された小屋は、山小屋にしては立派なもので、

そこにいる限りは安全が保証されているのが唯一の救い。

ガイドの男に付いていくのを諦めた観光客たちは、

ふるいに掛けられ落とされて無念、というわけでもなく、

歓談などをしておだやかな様子だった。


 霊峰登山は険しく、厳しいものになっていく。

残っている観光客たちは、もう十人にも満たない。

霊峰は、その人たちも篩に掛けて落とさんとばかりに、

山道をますます険しいものにしていく。

すると、山道の険しさにあてられたのか、

なんとガイドの男までもが、足をふらふらとさせて倒れそうになった。

慌てて観光客たちがその体を支える。

「おっと、あぶない!君、大丈夫かい?」

「・・・すみません。

 みなさんを案内する私が、逆に助けられてしまうなんて。

 霊峰登山が好評で、おかげで忙しくて、

 手足にちょっと痺れがきてしまって。

 でも大丈夫です。さあ、登山を続けましょう。」

ふらふらと立ち上がるガイドの男の姿に、観光客たちは顔を見合わせる。

「・・・大丈夫でしょうか?」

「うーん、どうも気になりますね。」

ガイドの男の背後で、観光客たちは心配そうに話している。

しかし、当のガイドの男本人は、そんなことにも気が付いていない。

ふらふらと覚束おぼつかない足取りで、険しい山道を進んでいく。

大きな岩をよじ登り、切り立った崖際がけぎわを進み、

まるで雲の上を歩くように、崖の向こうへと姿を消した。


 雲の上を歩いている。

ここは霊峰の頂上か、はたまた天国か。

ふわふわとした踏み心地に、やがて稲妻のような衝撃。

波間に揺れる板切れになったような気がして、視界が開けていった。

「・・・大丈夫かい!ガイドさん!」

ガイドの男が目を覚ますと、目の前には、

自分が引率していたはずの観光客たちの姿。

心配そうに覗き込むその背後には、幾度も見た山道。

目が開いたのを見て、観光客たちは、わっと声を上げた。

「よかった!ガイドさん、目を覚ましたぞ。」

「見たところ、骨折などはしてないようだな。」

「覚えてるかい?

 あんた、崖から落ちたんだよ。

 いくら忙しいからって、無理をし過ぎだよ。」

横たわるガイドの男は、大きな怪我こそみられないものの、

全身擦り傷だらけで、衣服も破けて痛々しい姿になっている。

しかし、当人はそんなことは意に介さず、ガイドの男は立ち上がろうとした。

「・・・ガイドなのに逆に救助させてしまって、申し訳ありません。

 すぐにでも登頂を再開しないと、夕暮れまでに下山できなくなります。」

この期に及んで、ガイドの男は山登りを続けようとする。

すると観光客たちは、おだやかな笑顔で否定した。

「いやいや、もう十分に登山を楽しんだよ。

 怪我人がいるのに、これ以上続けるわけにはいかない。」

「しかし、それでは霊峰の御利益が・・・」

「それは気にしなくて良い。

 わたしたちは元々、登山が好きで集まったサークルなんだ。

 ここに来たのも、観光と登山が目的で、御利益はおまけだ。」

「そもそも、御利益なんて無いんだろう?」

観光客たちの口からついて出た言葉に、ガイドの男が息を呑んだ。

「・・・!

 どうしてそう思うんですか?」

「そりゃ分かるさ。

 だって、あなたはガイドなんだから、この霊峰には何度も登頂してるはず。

 それなのに、崖から落ちるだなんて、災いを防げてないじゃないか。」

観光客たちの指摘に、ガイドの男は何も言い返せない。

さらには、白ひげを蓄えた高齢の観光客が、ガイドの男に引導を渡した。

「わたしは医者なんだがね、あんた、脚気かっけじゃないかい?

 あんたが手足の痺れを感じると言うので、気になってたんだ。

 この村の主要な食べ物は米だそうだね。

 白米ばかり食べていると、栄養が偏って脚気になりやすいんだよ。

 ふらついて足を踏み外したのも、そのせいじゃないかな。

 脚気も防げないんじゃ、万病を防ぐ霊峰失格だね。」

あらゆる病気を防ぐ御利益があるはずの霊峰で、

自分が抱えていた病気まで指摘されて、

ガイドの男はいよいよ降参するしかなくなってしまった。

観念して、観光客たちに事情を説明し始めた。


この山が霊峰と呼ばれるようになったのは、せいぜいここ数年のこと。

観光名所とするために、ガイドの男が考案して、村に掛け合った。

元々、この村は名物も名産品もない、貧しい村だった。

あるのは、山の守り神の言い伝え、それと僅かな米のみ。

若者は年々減っていき、遠からず廃村の運命。

ガイドの男は、この村で生まれ育った。

故郷の村が失われるのを黙って見ていられない。

なんとかしなければ。

そうして思い付いたのが、山の守り神の言い伝え。

村の年寄りたちが、軽い散歩のついでに手を合わせるだけの山を、

登頂すればあらゆる病気と災いを防ぐ霊峰に仕立て上げた。

観光地の開拓に飢える観光業者なぞ、掃いて捨てるほどいる。

ちょっと売り込むだけで、思った通りすぐに食いついてきた。

村の言い伝えに脚色してオカルト好きが喜びそうな霊峰を作り上げ、

登山ブームに乗ることで、村は立派な観光地になったのだった。


 ガイドの男から事情を聞いて、観光客たちは神妙な様子で尋ねた。

「じゃあやっぱり、この山に入山する前の手続きはインチキだったんだね?」

もう隠し事をする必要もない。

ガイドの男は素直に答えるのだった。

「はい、そうです。

 あらゆる病気と災いを防ぐ霊峰に入山して、何の効果も無かったら、

 観光客が減ってしまうと思って。

 だから、そもそも健康な人だけを参拝者として、

 入山してもらうことにしたんです。」

「この山に登ったから病気にならなくなるんじゃなくて、

 元々から病気になりにくい、健康な人だけが、この山に登っていたわけか。」

「そうです。でも、まさか自分自身が既に病気だったなんて。」

「この村に、他にガイドができる若者がいなかったのも災難だったね。」

「それに、災いとは何も病気だけではないだろう。

 怪我で命を落とすことだってある。

 まさに君がそうなりかけたようにね。

 この山に登る人が増えれば、登頂して御利益を受けたはずのに、

 何かの拍子に怪我をする人も出てくるだろう。

 そうしたら、霊峰の御利益に疑問も出てくることになる。

 いずれはボロが出ただろうな。」

「その通りだ。どうするか考えないといかんな。」

腕組みをする観光客たちに、ガイドの男は頭を下げた。

「ともかく、嘘をついていたことは事実です。

 すみませんでした。このことは全て私の責任です。

 頂いたお金はお返ししますので・・・」

精一杯謝るガイドの男の、その下げた頭に向かって、

観光客たちのおだやかな声が降り注いだ。

「おや?君は何か思い違いをしているね。

 わたしたちは、騙されたとか、金を返して欲しいとか、

 そういうことを言ってるんじゃないんだよ。」

「言っただろう?

 わたしたちは、登山が趣味のサークルなんだ。

 ここには登山のために来たのだから、もう十分に楽しめた。

 いいトレーニングになったよ。」

「登山では、頂上にたどり着けないのは珍しくないし、

 ましてや失敗などではないんだ。

 登山の失敗とは、無事に帰ってこられないこと。

 その時の条件で行けるところまで行くのが登山なんだよ。」

「わたしたちは十分にこの山を楽しんで満足してる。

 考えているのは、この山と村の今後だよ。」

ガイドの男が人を欺き、村に観光客を呼び込む目的で作った、霊峰の言い伝え。

しかし、今、目の前にいる観光客たちは、

そもそも最初から霊峰の言い伝えなど期待していないし、気にもしていなかった。

観光客たちはただ、失われていく村の行く末を案じているのみ。

すると、腕を組んでむっつりと考え事をしていた観光客の一人が、

はっと目を開いて指をぱちんと鳴らした。

「そうだ。わたしにいい考えがあるんだけど・・・。」

「なになに?」

「どんな考えだ?」

観光客たちが我が事のように相談している。

ガイドの男は、目を白黒させて、事態の推移を見ていた。



 それからしばらくの後。

頂上に登るとあらゆる病気や災いを防ぐ加護があるという、

あの霊峰の言い伝えは、いつの間にか噂も聞かれなくなっていた。

作り話だと知れて人々から避けられたわけではない。

もっと有名な話が広まったから。

霊峰の言い伝えの代わりに、同じ山、同じ村で、

違う目的の人たちが集まるようになった。

今日も、村に集まったたくさんの人たち。

そのたくさん集まった人たちを前に、中年の男が大声を上げた。

「はい、参加者のみなさんは、こちらに集まって下さい!」

集まったのは、老若男女を問わない人たち。

かつてとは比べものにならない程のたくさんの人たちを前に、

中年の男は頭を下げて話し始めた。

「ようこそ、この村にお越しくださいました。

 私、トレーナー兼、この村の村長を務めさせて頂いている者です。

 みなさんがこれからここでトレーニングをする、

 そのお手伝いをさせていただきます。」

そう挨拶をして頭を上げた中年の男は、かつてガイドだった男その人。

あの後、山と村は手を加えられ、トレーニングジムとして生まれ変わった。

あらゆる病気や災いを防ぐ御利益がなくとも、

人が体を動かせば、それは確実に成果となって身につくはず。

米ばかりの村の食事も見直して、体に良い食事の管理ができるようにした。

その手助けをしてくれたのは、かつて観光客としてこの山と村を訪れた人たち。

そうして、登山とトレーニングと観光の全てができるようになって、

山と村は着実に来訪者を増やしていくことができた。

そうしてこの山と村でトレーニングをした人たちは、

大きな病気や災いに遭うこともなくなり、

やがてその山は、病気や災いを防ぐ御利益がある霊峰として、

ふたたび評判になったという。



終わり。


 健康は失ってから有り難さに気が付くもの。


健康を失わずに済む加護でもあればいいのに。

いや、やっぱりそんなものがあるわけがない。

もしもそんな加護があったら、きっとインチキだろう。

では何のためにそんなインチキを?

そんなことを思って、あらゆる病気や災いを防ぐという、

偽りの霊峰の言い伝えができていきました。


人々の手助けを経て、偽りの霊峰は、

ふたたび霊峰として言い伝えられるようになりました。

人々が協力し合うことは霊峰の加護に匹敵すると、痛感しています。


お読み頂きありがとうございました。


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