未来編
黒淵修二の朝は早い。
そして、課員たちの朝はもっと早い。
「社長、おはようございます!」
「おはようございます!」
「おはようございます。
社長、今日もグリーンのポケットチーフがお似合いですね。」
大らかな足取りで黒淵が65階のオフィスに出てくると、部下が皆元気よく挨拶をしてくる。
管理職経験が長い本人としては、それが寝ぼけまなこに無理やり絞り出した挨拶だということを
よく知っている。
「おはよう。」
「おはよう!」
「おはよう。」
ウィン
「サバト、おはよう。進捗はどうだ。」
「黒淵社長、おはようございます。昨日からコードは依然未完成です。完成にはあと…」
社長室に入るや否や、机の上には猫が一匹堂々と『お座り』していた。
グレーがかったシルバーの地色に、ブラックの縞模様。
目の色もグレーだった。
『彼女』は、黒淵がキウイテック時代からの部下そして秘書、または仕事道具である。
キウイ社内でのCDDはいわゆるデスクトップパソコンに成り代わる存在であり、
スピーカーやディスプレイを置く必要がない。
猫と話せば音声通話ができるし、画面は脳波で共有できる。
「はぁ…明日の昼から御前会議だというのに。
サバト、稼働率をあげてくれ。コードを書けるCDDをあと2体、本社に要請してくれないか?」
御前会議とは、本社社長の鍵谷が参加するグループ会社総出の会議のことである。
キウイソフトに社長として出向してからというもの、黒淵は毎度大きな課題を任されては
御前会議でしっ責を受けていた。
「ですが社長、本社に稼働できる高性能CDDはまだ一人前と言える代物ではありません。
どうせなら人間のプログラマーを派遣させた方が得策かと。」
「そうか、やむを得んな。人間をリクルートキャッツに電話して、2匹…いや2人追加だ」
「承知致しました。直ぐに取り掛かります。」
「よし、私は一旦ミルクが飲みたい。無乳糖のものを頼む」
「はい、給仕のCDDに運ばせます。」
法人用のCDDはコンテンツのアーカイブ検索だけでなく、様々な改良がされており、
雑用のほかにある程度の事務仕事が出来るようになっている。
キウイテック社が業績をうなぎ登りに伸ばしているのはこうした横展開にある。
―ニャオンー
一匹の給仕用猫が社長室に入ってきた。
言語野AIチップが搭載されていない廉価版だ。
「まったく…子会社の予算だと給仕猫は喋れないのか…」
「社長、今はプログラマの人事予算がひっ迫しております。耐え忍ぶ時期です。
VIP来訪の際は私がお茶出ししますので。」
「苦労かけるな…こんな儲かっている企業なのに。鍵谷さんは一体何に利益を回しているのだろうか。」
コツコツコツと指で机を叩きながら、頭を抱える。
サバトはそれに素知らぬ顔で、じーっと黙って仕事を進める。
黒淵修二の朝はまだ始まったばかり。