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結城と(最終話)

ラーメン屋で早めの夕食を済ませ、結城の家へ向かう。


道脇に生い茂る雑草の涼しい匂いを感じて道路、田んぼ、その上の空へと視線をあげると、はるか遠くに浮かぶうろこ雲が地平線のずっと先のほうへ向かって伸びている。その奥にはうすい雲に隠れた太陽が夕方だというのに朝日のような真っ黄色な光を透かして空全体にとどく。

さっきまで太陽は頭上にあった気がしたのに、明るいままもう一日が終わってしまいそうだ。


高校生になってから学校以外で友達と遊ぶことがめっぽう減り、しかも家に行くなんてなかったし、ましてそれが結城の家だなんていまだに信じられていない。

どこらへんにあるのか、あとどれくらいで着くのか、何も言わず黙って歩く結城のとなりを自転車を押してついていき、すぐ左前に見えていた家の敷地に彼は前触れもなく入った。

市街地からすこし離れた、やはりあたり一帯田んぼのひろがるところに結城の家はあった。


黒い瓦屋根の伝統的な日本家屋とその奥に一階建ての母屋がある。

道路と敷地の間を流れる用水路に幅のひろい橋がかけられ、水路と平行に明るい緑の生垣が植えてあり、そのまわりの地面だけ新しく工事したのか白いコンクリートできれいに舗装されている。

道路と反対側のほうに曲がりくねった味のある松の木が植えられ、その隣には畝から高低さまざまに葉や茎が茂る庭があった。

隣の家とは田んぼ一つ以上離れていて大きな声を出しても聞かれることはない。結城の家に限らず僕たちが住む地域はそういう散村の形態をしておりいまさら目新しいことはないが、僕はなんだか胸のなかがぞくぞくと騒がしくも嬉しくもなった。


玄関前に茶褐色のたぬきの置物が置かれ、それを横目にガラガラと開けられた玄関に入る。

結城はサンダルを脱ぎ捨てるようにさっさと廊下へ上がっていき、僕はおそるおそる廊下の奥を窺いながら靴を脱いで家にあがる。


「おじゃましまーす……」


音がしないためほかに人がいるのかどうかわからずただ促されるままに、廊下の右側に建て付けてある階段をそっと足音を立てないよう登り、一度曲がって最も奥にある部屋の前で結城が立ち止まる。


「俺の部屋はここ」

「うん……」


ドアレバーを下げカシャと音がして扉がひらく。

中へ入ると結城が照明をつけその明るすぎる光が眩しく、僕は片手をかざす。

結城は照明についた紐を引っ張り明るさを抑えて、入り口横の机に腰かける。


「好きなところ座って」


とても整然とした見栄えのいい部屋だった。

家の外観は昔ながらの日本家屋だったが、部屋のなかは古い感じがせず和モダンなデザインの造りになっていた。

入ってすぐ左にダークグレーのどっしりとした机がありさらにその左、壁に接してスチールフレームのベッドが置かれている。

部屋の右側には折り戸式に開閉するクローゼットが壁を大きくつかって内装されており、入り口と反対側、奥のほうにはダークブルーとダークブラウンの中間みたいな大人びた色の本棚に、現代美術っぽいシュールな飾り絵やバドミントンのシャトルなど雑多に小物が置かれて何冊かの本もしまってある。

あとそれらのなかにはゲーム機もあった。

ほかにもディズニーだろうか?クマのぬいぐるみがひとつ飾ってあったのは、こんな結城にも愛らしいところがあるんだなと意外だった。

床に日用雑貨店で売ってあるようなクッションがあったのでその上に正座する。


「ほかの人はいないの?」


僕は尋ねてみた。


「多分買い物でも行ってるんだと思う。今日友達来るとは言ってあるから」

「そうなんだ」


窓の外を見るとさっきはあんなに明るかったのに、ずいぶん真っ暗になった感じがする。部屋を見まわし時計を探すともう夕方も過ぎたような時刻になっていた。

ちょうど同じことを思ったのか結城が窓際へ行ってカーテンを閉めて言う。


「なにする?」


僕は勝手に口もとがゆるみ、結城と反対の机に視線を向けて返す。


「んー……友達と遊ぶのとか久しぶりだからなぁ」

「ゲームでもするか」


そう言って結城は本棚に置いてあった二つのゲーム機を取り出し、一つを僕にくれた。


一時間くらい一緒にゲームをした。格闘ゲームでどちらもそこまで上手いわけじゃなくちょうどいいレベルでお互い楽しめた。

どちらのほうが優勢ということもなく同じくらいの戦績だったけど、もしかしたらすこしだけ僕のほうが勝ち越したかもしれない。数えてないからわからないけど。



ゲームに疲れて僕はベッドに腰を下ろし、自然とこの前の大会の話を持ち出していた。


「このまえ大会あったんでしょ。どうだったの?」


結城はわずかに眼を見開き僕のほうを向いたかと思うとすぐ横に視線を逸らして言う。


「んー準決勝までいったけど、負けた。その相手優勝したんだよね」

「そうなんだ……」


悔しそうに、だけどそれを見せようとしない結城の顔をみて、僕は身体が軽くなりどこから湧いてくるのかわからない微かな——慢心的な——嬉しさがこぼれそうになる。

それを意識した途端、自分の成熟しない幼稚さが嫌になった。

部屋の古い照明が眩しく点滅する。


結局のところ結城の家へ来たって、結城と今まで以上に親しくなったからって消えることのない、自信のなさの裏返しの——努力の伴わない——空疎な羨望にいつまでも僕の自意識は逃れられず自分を苦しめるのだ。


結城がすーっと息を吸い疲れをとるように、んぉーと喉の奥から溜まった空気を吐き出す。

その音が僕には官能的に感じられてしまい、どうしてか恥ずかしく思えてくる。

僕はうつむいて黙る。

部屋に沈黙がおとずれ十数秒ほどたったのだろうか、結城が右よこに座った。


チクッ、チクッ、チクッ、チクッ


規則正しく置き時計の音だけが響く。

僕は落とした視線を上げられずに、足に触れる滑らかな感触の床をじっと見つめていると——肩に左手がかけられた。

それだけで、たったそれだけで僕の身体は固まり……頭も脚も心臓も、そして僕の大事なあそこも……例外なく硬くなった。

右に座る結城が身体を近づけ、小さな声でささやく。


「俺のこと好きなん?」


こそばゆく右腕に触れた彼の服から心地よい泡の香りが鼻をかすめ、僕は溢れ出す欲と鼻息をなんとか隠そうと息を止める。

結城がぬっと首を伸ばして、眼の前に美しい艶やかな肌が映る。


「どうなん?」


耳元にささやかれたその声が僕の感覚器を刺激する。


「えっ……」


何も考えられず意味もない音を発することしかできない。

結城がさらに顔を近づけ、僕は眼を逸らそうとも、そのはっきりとした二重に刻まれた麗しい瞳に視界が奪われる。

黒くひかる瞳孔から放たれたまっすぐな視線を飲み込んでしまいそうで、僕は力を振り絞り肩に掛かった腕を掴んで振りほどく。

立ち上がりそのまま窓際の壁までいって苦しく呼吸する。


後ろに結城がやってきた。

僕の腰に腕をまわし、胸を背中にくっつけそうでくっつけないぎりぎりの位置に保ったまま言葉をかける。


「……立華から聞いたんだよね」

「そ……そんな、な、なにを」


結城が鼻でわらう。


「寺木が男好きだってこと」

「な、なんで立華……」

「よくないよね、そういうセンシティブなこというの」

「えっ……」


僕はこの話がどこへ転がっていこうとしているのか、頭のなかがぐるぐるまわり、視界がぼやけ、おさまらない感覚器のどくどくとした血の流れと全身にビクンと電気が走ったような痛ましい刺激に襲われ——


「いいじゃん。俺はそういう寺木好きだよ、かわいいもん」


僕の身体をまわして振り向かせ、自分と向かい合わせようとする。

それでも僕は相手を直視することができず、顔を伏せて床に視線を落とし続ける。


それをじっと見ていた結城が腰から手を離し、ゆっくりと上げて僕の頬にやさしく添えた。

はっと顔をあげ結城の眼を見る。

もう片手がこがね色と茶色の混ざった前髪をはらい、にやっと口角をあげて言った。


「やっと眼あわせてくれた」


僕は頬に添えられた腕を掴み反抗する。


「あ、あわせてないよっ」

「あわせたじゃん」


もう一度視線を床に落とそうとしたら、あごを掴まれて動かせなくなった。

絹のようにきめこまやかな柔らかい肌と、眉から優美な曲線を描きかたどられた高い鼻が僕の瞼の裏に焼きつく。


「キス……する?」


もう僕の心の大事な殻は砕け散り、押し込めていた中身が弾けとんで後には哀れにまき散らされどろどろと垂れ落ちる性的な流体だけが残った。

……僕は何も言わず頷く。

結城の唇が触れそうなほど近づき、僕は眼を閉じる。


やわらかくあたたかな唇が僕のそれとふれあい、そこから頬へ、つぎに耳へ、そして頭へと熱が伝わる。

くちゃっとした音とともに入ってきたとろけるような舌が口内を巡り、僕は無我夢中に自分のそれを結城の舌に絡めつけ、撫でられた甘く濃厚な味が僕の神経に流れ込む。


下半身を結城の同じ部分に押しつけ、結城が押し返して応える。

いつの間にか僕の両手は結城の背中へまわり込み、崖を掴むように指を立てもっと近づきたいと背中に縋りついた。


そうして僕と結城は長いあいだキスをして、くすぐったい頭に添えられた手の力がゆるくなっていき結城はゆっくりと顔をはなした。

まだ顔の火照りがおさまらない。

にやりと笑うその幼げで愛らしくも端整な顔立ちを僕は胸に刻みこみ、結城は頬を微かに染めて言った。


「かわいいじゃん」


僕は自分から結城の胸に飛びついた。

何もかもが洗われたような清らかな香りが鼻から喉の奥へと届いて、僕はどれくらいそうしていたかわからない。

優しく包みこむ幸せな胸のなかでずっとこのままでいたいと思った。



真夜中、家のなかの照明はすべて消され窓から聞こえる無数の蛙の鳴き声が、暑い夏の夜を寝苦しくする。

隣で横たわる結城がぼそりと言う。


「……また来なよ」

「うん……」


それだけが記憶に残り、僕の意識は暗いどこかへ消えていった。




朝起きると空はまだ深い青色の天球がひろがり、地平線の山から黄色い朝日が霞がかってうすく光を射していた。


隣を見ると結城がまだ眠っており、その寝顔にうっとりと見惚れていつまでも眺めていたいと思った。

静かな何も音のしない早朝の部屋で、僕は結城のしろい肌を見つめる。

そして吸い込み過ぎた空気を静かに鼻からはきだし、あることを決めた。


結城の顔をまたぐよう両手を立てる。

ゆっくりと顔を近づけ、いつ眼を覚ますかはらはらしながらそのやわらかな頬に唇をつける。


——数秒間世界が止まる。


一瞬だけ閉じた瞼をもとどおり開き、僕はスマホを取り出した。

細かく震えてうまく動かない指に力を込め、なんとかカメラを起動する。

画面越しに結城がうつる。

ボタンを押そうと震える指を動かそうとした——


カアー、カアー、カアー


そとでカラスが鳴き、僕は窓を振りかえった。

広大な空を、大きな灰色の鳥がたくましく羽をはばたかせ、はるか高くそしてずっと遠くへ飛んでいく。


僕の腕がぶらっと力なく下がって、床に落ちたスマホがガタっと鈍い音をたてた。


自分の前で安らかに眠る憧れの存在に背をむけ、床にかがみこみ落としたスマホを拾い上げる。

部屋の隅に置いたリュックを見つめる。


僕は部屋を出た。


渋い年季の入った家の匂いのする静かな空間を足音を立てないようゆっくりと、だが小刻みに踏み出る脚先がはやく僕を外へと向かわせ、無心に玄関の扉をあけて家を出た。

駐車場の横に停めた自転車の前で僕はスマホを取り出しラインで、ありがとう、帰りますと一言送る。

ギコギコと軋んだ音を立てる自転車で僕は家へ帰った。


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