きざし
自販機から教室に戻る途中、立華と遭遇した。
一瞬お互いを見合って固まったが、すぐにうちのクラスのアイドルは自信に満ちた笑顔で話しかけてきた。
「寺木君!こんばんは!」
「こんばんは。……昼だよ」
僕は緊張して答え、つっこんだつもりもないのに立華がふふふと笑う。
「聞いたよ!結城君のこと」
「あぁー……なんか恥ずかしいな」
加藤から聞いたのだろう。
そう告げられて動揺を隠せず手を頭の後ろにあて、この美少女はなにを穿ろうとしてくるのかなと身構える。
「告白はしたの?」
「してないよ、するつもりもないし」
「したほうがいいよ!」
「いやぁ……」
「もったいないよ!早くやったほうがいい!」
恋愛経験豊富な立華からの言葉はありがたいが、彼女と僕ではいろいろと事情が違うのだ。
「高校生のうちに楽しんでおくべきだよ!」
ああ……立華の後ろに色あざやかなお花畑がみえる。
「うーん……告白して引かれても嫌だしなあ」
「なんで引かれるの?心配しすぎだよ」
ぐいぐい押してくるじゃんこの子。
「好きだと言われて嫌な気持ちになる人なんていないよ!!」
まあ確かにそのとおりなのかもしれない。だからといってそんな単純に伝えられてたらこんなしんどい日々を送っていない。
立華の言うことが正しいこともちゃんとわかってる。大人になってしまえば僕ももうすこし、他人の眼を気にしなくなって自分をさらけ出せるかもしれないし、もっと時代が変わり社会がいろんな人をほんとの意味で区別しなくなったら、誰にでも打ち明けてたかもしれない。
だけど高校生という中途半端な年ごろの人間が、普段意識することのない存在に接したとき今までどおりの自分でいられるだろうか。今までどおりに相手に話しかけられるだろうか。
別にまわりの人間を厭っているわけでも信用してないわけでもないが、僕は自分のことを他人に言うのは怖い。
それでもそんなこと関係ないといった勢いで立華は言う。
「だって怖くても自分の気持ちを伝えてくれたんだよ!そんな相手のこと嬉しいにきまってるじゃん!!」
「うん……もうちょっと考えてみて決断するよ」
それを聞きこれからの展開が楽しみだという様子で立華は僕に応援の言葉をかけて去っていった。
翌日、お風呂に入り夕食を食べていつも通り予習しようかなとリュックからノートを取り出すとスマホがポロンと鳴った。
ラインのメッセージが来ている。——結城だ。
眼を見開いて画面に顔を近づける。
読んでみると古文の課題についての質問だった。
これまで結城のほうからメッセージを送ってくることなんてなかったし、いつも——といってもときどき——僕がどうしても耐えられなくなって、ほんとはわかってる問題をわかってないふりをして解き方を教えてもらうということしかなかった。
それなのにどうしたことか。向こうから連絡してくるなんて、僕は勘違いしてしまうじゃないか。
質問してきた課題のプリントを取り出し、数日前に解いたその問題をしっかり読み直す。そして自分の解答に間違いがないか何度も確認して、スマホで撮った写真といくつかのコメントを添えて返信する。
送信ボタンをタップする寸前、もう一度確認したほうがいいんじゃないかと不安が押し寄せてきたが、眼をつぶり大きく息を吸って大丈夫だ!と心に念じてボタンを押した。
それから一分くらい僕は結城とのトーク画面を見つめていた。
もちろんそんなすぐ返信がくるとは思ってないし、なにか送られてきてからまた考えればいいと頭ではわかっているのに、どうしても他のことをするのがもったいない気がして床に正座したまま両掌で掴んだスマホをじっと見つめつづける。
そしたら既読がついた。
心臓が激しく鼓動し、手が震える。
それでもスマホから視線を逸らすことができない。
ポロンと音が鳴り結城からメッセージが来た。
僕はとっさに開いていたトーク画面からブラウザバックして、トーク相手の一覧が表示されるホーム画面に戻る。
——やばい、既読ついちゃった
荒くなった息をおさえられず、僕はスマホを机に放り投げて床にうつ伏せる。
——絶対変だと思われちゃうだろ
あぁーと変な声がでて、顔に触れる冷たい木の床板一点をしばらく凝視する。
そうしていても新しく来たメッセージを確認したい誘惑に駆られて、机に投げ出したスマホを手に取ってしまう。そうなったらもうあと指が勝手に動いて、メッセージの書かれたトーク画面までいってしまった。
既読の速さについてはなにも言及されておらず、僕の送った解答とコメントに対して淡々と追加で質問がなされており、ほっとした僕はふうーと息をはきだした。
もう一度僕がこの問題で考えたことを送り、それで結城は納得したみたいでありがとうと一言送られた。
これで終わりかなと思い残念だが画面を閉じようとしたとき、結城から送られてきた。
「いまなにしてんの?」
再び僕の心臓に火がともる。
「いまから予習しようとしてた」
「何の科目?」
「数学」
「へえー」
「なにその反応www」
「明日の体育だるい」
どうして突然僕と会話する気になったのか、でも今はそんなことどうでもよくて結城と繋がっていればそれだけで満ち足りる、内容も理由もどうだっていいんだ——
それからしばらくなんでもないやり取りを——あっという間に——数十分して、メッセージを終えた後もかつてない満たされた感覚に浸され僕はその日予習することができず、ベッドに入った。
全身が研ぎ澄まされ——ストレッチした後みたいな——筋肉の心地よい感覚を覚えながら、
窓からそよぐ夏の涼しい夜風にまとわれてゆったりと眠りについた。